サイトワールドに参加して

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サイトワールド展示会場風景
 (写真は、11月2日のサイトワールド展示会場風景)

  2006年11月2日から3日間、東京の墨田産業会館サンライズホールで、「サイトワールド」という視覚障害者向けのイベントが開催されると聞き、私は、向学のために参加することにした。

  「世界初の視覚障害者向けイベント」と案内チラシの上に書いてあったが、あまりピントこなかったし、たいした期待もなく、11月2日の開場間際に産業会館のエレベーターの所に行った。
  そこには、どこからこんなに集まってきたのだろうと思うほどの視覚障害当事者と、ガイドをする人たちがいて、私は、度肝を抜かれてしまった。
  展示会場は、上の写真のごとくごった返し、クーラーが効かないほどの熱気でむんむんしていた。出展業者・団体は、38。拡大読書器・音声パソコンソフト・ロービジョン用グッズ、点字プリンターなど、まさに視覚障害者の機器の見本市といった感じで、どのブースにも人が群がり、ゆっくり話もできない状態であった。

  展示会場の上の階では、学会・音楽演奏・講演会・音声解説付き映画の上映などの多彩なプログラムが行われていた。

  とにかく視覚障害当事者の数が多いのにびっくりした。主催者のお話では、3日間に配る予定でつくった500部の点字プログラムが、初日の午後3時には完売していて、どうやって増刷しようかと大騒ぎ。どうも関東一円から当事者が集まっているようで、地域の盲人会がバスを仕立てて、団体で来ている様子も伺えた。

  良く見ていると当事者の方たちは、中高年の方が多く、幼い頃からの視覚障害者で、ロービジョンというよりも全盲に近い方たちが多いように思われた。

  とにかく、この動員力には感動し、機器の説明を受ける人たちの熱気にも感動したのだが、何か強い違和感を感じ、今日までそれがぬぐえないでいるのである。
  このすばらしい動員力、展示物の多さと新しさ、この熱気、どれをとってもさすがだと思うのだが、それでもどうしても釈然としない。なぜだろう!!

  今でも、その違和感の原因が全部分かった訳ではないが、今一つだけいえるのは、会場にいる方たちが、本当に視覚障害者の世界の関係者ばかりで、とても閉ざされた世界だと感じたからだろうということである。
  主催者の方たちのねらいの一つは、一般の方たちへの啓発ということなのだと伺った。第1日目の風景を見る限り、その点においては、成功だったとはいえないのではないだろうか。

  高知の片田舎で、視覚障害者の福祉やリハビリ活動を行っていて思うことは、高齢の中途視覚障害者が多いことだ。その人たちは、自分から行動したり情報を入手する力が弱い。このサイトワールドに来ている視覚障害者の方たちとは、随分層が違う。自分で動いて情報を入手できず孤立している人たちに情報を届けようとするなら、地域の保健師や、ホームヘルパーや、病院・施設の職員の方たちを介するしかないと私は思っている。
  サイトワールドでは、そういう他分野の専門家がいなかった気がする。

  もちろん視覚障害当事者向けのこのような会を行う意義はとても大きいだろうし、東京などの都会でなければできないことだと思う。けれど、3日の会の内、1日ぐらいは、いわゆる視覚障害のことを何も知らない人たちに向けて、もっと開かれた催しにして欲しいと切に願う次第である。

  サイトワールドを企画なさった実行委員の方たちは、近々反省会を行うと伺っている。どうぞ、古い視覚障害の世界だけを対象にしないで、もう少し違う状況、違う対象のことも見ていただきたいと望む次第である。

母が熱を出して

  福祉の仕事の中で知り合った友人が、何人かでことあるごとに母の様子を見に行ってくださっては、何かと私に報告を入れてくれます。今日の朝もメールで
 「吉野さん一昨日からお熱がでています。今朝は37.7度です。抗生物質の点滴を明後日までするそうです。尿路感染かもしれないと言っていました。早く治るといいのですが」

  この週末は忙しさにかまけて母の様子を見に行かなかった私、急に不安になってしまって、あわてて様子を見に行きました。
  不思議ですね。私はどちらかというと薄情な方だと思っていて、普段はあまり母のこと気にしていないのですが、「熱が出た」などと聞くと、突然不安になったりして。これが親子の情とかいうものなのでしょうか。
  枕元に行ってみると、いつもより少し疲れたような顔をしていましたが、それほど気分も悪そうでなかったので一安心しました。

  看護師さんも「冷やしたらお昼過ぎには、37度5分まで下がりました」といってくれました。
  所で、母は、骨折した後、おむつ交換が頻繁にできないので、膀胱にカテーテルを入れて、尿をとっています。もう6ヶ月近くになります。
  大腿骨の状態が安定したので、カテーテルを抜いて、自力で排尿するようにトレーニングするかどうかについて、主治医の先生も大変迷っておられました。おむつ交換が頻繁になれば、母の負担がひどくなるし、また自力で排泄するためのトレーニングも内臓に負担をかけるからということでした。

  「カテーテルを入れていると、尿路感染が起こりやすくなります」ともいわれていました。母は、この11月で86歳になります。母にとって何が良いケアーなのか、すごく難しいなと思いました。

  こんな風にこれからもいろいろなことが起こり、気持ちが揺れながら、1日1日が過ぎて行くのだなと思っています。早く熱が下がると良いのですが。

私のブログのデザイン

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  3ヶ月前から準備してきたこのページを正式に公開する前に、私の親しい友人に見てもらい批評してもらいました。

  最初に言われたのが「白地に黒のデザインの方が読みやすいよ」ということ。

  実は、このデザインにしたのは、これが見えづらい(ロービジョン)の人には、とても見やすいからなのです。見えづらさをかかえている人たちのほとんどが、まぶしさを嫌うのですが、白い紙のようなものは、反射がきつくて眩しいので、それだけで見えづらい人たちは、すごく読みづらいのです。
  次に見えづらい人を悩ますのは、コントラストが悪いことです。たとえば白い地にピンクとか薄みどりとかで書いたようなものは、見た目にかわいくて穏やかで良いのですが、ひどく読みづらいのです。

  そこで画面の反射をおさえて、コントラストを強調すると私のページのようなデザインになります。私もロービジョン、アクセスビリティーは、私のブログの大切なポイントなので、このデザインにしました。

  所で、ちょっと話が飛ぶのですが、ロービジョン者がものを拡大して見るための拡大読書器という機器があります。この機器には便利な機能がついていて、白黒反転で画面を表示することができるのです。そこで、拡大読書器の使い方説明の時に、ロービジョンの人に、黒白反転した画面を見せて、「この方が見やすいでしょう」と聞くと、最初は「いや、白地に黒の方が良い」といいます。そこで、それはそのままにして、少し時間が経ってから、「この方が見やすいでしょう」というと、「そうですね」と答えが変わって来るのです。
  私たち、白に黒の文字にならされているので、その方が見やすいと思いこんでいるのが、その原因のようです。

  黒地に白い文字、コントラストはっきりさせて、福祉関係の施設などの標識のデザインに応募すると良く落選します。黒い地でコントラストくっきりは、なかなか世の中の理解を得られないようです。

  でも、私のページはこのデザインで行きたいと思います。内容を充実させますから、おもしろがって読んでくれている内に、きっと慣れてもらえると思います。

  拡大読書器のことを詳しく知りたい人は、インターネット福祉機器展視覚・聴覚ブースを見てください。
  黒に白でなくても、濃い色の背景に白い文字でコントラストを上げただけで、ずっと読みやすくなったサイトがあります。ウエルパ高知のサイトが、つい最近その工夫をしたようです。のぞいて見てください。

2005年7月25日香川盲学校での講演記録

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下記の講演記録は、香川盲学校の先生がテープ起こしをしてくださったものをそのまま掲載させていただきました

  講演でお話しした内容は、会場の雰囲気や、その時の勢いなどによるところが大きく、このような形でブログに掲載するかどうか随分迷ったのですが、私の経験が、視覚障害児を初め障害のあるこどもさんを育てておられる方たちに、何かの形で役に立つかもしれないと思い、アップすることにしました。
  なお、2時間にもおよぶ講演のデータおこしをしてくださった、香川盲学校の先生方に感謝いたします。 2006年11月9日 吉野由美子


乳幼児教育相談 養育懇談会

視覚障害児を育てるポイントを教えます
私の体験をベースにして



高知女子大学 社会福祉学部 助教授 吉野 由美子先生

 実は私自身もロービジョンです。先ほどの紹介では0.1と出ていますが、精密に測ると0.2くらいあるんだということが最近分かりました。昔は弱視教育というのがなく、私が盲学校にいる間は点字教育をずっと受けてきました。点字教育を受けてきて、後から大学受験をするために墨字の勉強をしたので、結構変なところでいっぱいケアレスミスをしていることがあります。もし、ミスがございましたら、お許しください。

形式ではなく中身の問題

  母のことで書き込みをしたときに、「介護療養病棟をなくしてしまってどうするつもりなのか」と書いたので、私が「介護療養病棟」という制度を残したいと思っていると誤解されているのではないかと思い、改めて私の思いを書いてみようと考えました。

今の状態の母が、安全に穏やかに生き、そしてほんの少しでも「生きていて良かった」と思えるような生活の質を確保するためには、体調の維持と鼻腔栄養の管理のために、医師・看護師・栄養士が必要です。そして、おむつ交換や入浴などの日々の生活を維持するために介護職が欠かせないことは明らかです。母の骨粗鬆の状態は末期的で、くしゃみをしても骨が折れるかもしれない状態だそうです。そんな母の手足の拘縮を防いで、少しでも生活の幅を広げるために、理学療法士が関わって、看護や介護の方たちと一緒に、車いすに移動させ、少しずつ座位を保てる時間を長くしながら、窓の外を見せてくださったり、中庭に出たり、そして、口から安全にものが食べられ、母の好きな味が味わえるようにするために、言語療法士の方が嚥下の訓練をしてくれています。

  これだけの専門の人たちが関わって、母はここまで回復してきているのです。
  今の介護療養病棟には、「いろう」といって、胃に穴を開けて管を通して、そこから栄養を補給している方、鼻腔栄養の方、そして身体的にも重篤で認知症の進んだ方が多く入院しています。この方たちは、母と同じく上記のような専門家が力を合わせてケアしているからこそ生き続けて行けるのだと思います。

  「病院は生活の場ではないから、介護療養病棟の高齢者が長く生活するのに適さない」、それで療養病棟を閉鎖し、特別養護老人ホームやケアハウス、老人保健施設などの数を増やしてそちらに移すか在宅に返すというのは、特別養護老人ホームや老人保健施設などが、上記のような専門スタッフを揃えて、介護だけでなく医療的なケアと、リハビリが継続的にできるようになるなら、すばらしいことだと思います。

  でも実際は、特別養護老人ホームもケアハウスも、老人保健施設も、医療スタッフはほとんどいない、リハの専門家もいない。雇えるような制度になっていないのですから。
  そんな体制の中で、今療養型に入院しているような高齢の方たちは、受け入れられるはずがないのです。受け皿が整っていないのに、また財政的な理由で、医療スタッフの充実した制度をつくる予定もないのに、「介護療養病棟を閉鎖」したら、そこに入院している方たちだけでなく、介護する家族も、本当に悲惨な目に会うしかないでしょう。

  もう一度いいます。介護療養病棟という形を残して欲しいのではありません。医療的ケアと介護とリハビリが充分に保障された場所が絶対に必要だといいたかったのです。
  最後に、医療とリハと介護の専門スタッフがただそろっていれば良いのではないことも明らかです。本当の意味での質の高いやる気のある専門家がそろっていないといけません。
  専門家について、私が言いたいことを的確にいっているプログを見つけました。
  ウエルパ高知のプログを見てみてください。

母が卵豆腐を食べた!!

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今日も午前中に時間をつくることができたので、ゼリーに飽きた母に、言語療法士の方のアドバイスに従って、卵豆腐や絹ごし豆腐をもって、いそいそと病院に出かけました。そう、私の気分は「いそいそ」、なぜなら、母が鼻腔栄養になってから4ヶ月あまり、食べ物を何ももって行けなかったので、食べ物をもって行けるようになったというのは、大進歩だからです。

 午前10時を少しまわった頃、リハの担当者がリクライニング式の車いす(左端の写真)をもってきて「リハ室に行きましょう」と誘ってくれました。母は、何となく眠そうでしたが、「行く」といったので、介護の方と3人がかりで、ベットから慎重に車いすに移し(左から2・3番目の写真)、それから2階のリハ室に行きました。

 リハ室は、賑やかで5人ほどの方たちが、立位の訓練や、言葉の訓練をしていました。母と私は、定位置になっている窓の下に行き、快晴の真っ青な秋の空を眺めました。「きれいだね、本当に雲一つないね」と話しかけると、母はこっくり。
 そこに言語療法士の方が来て、いよいよ嚥下のトレーニングが始まりました。「卵豆腐と絹ごしとどっちがいい」と聞くと「卵豆腐」と母が言うので、ふたを開けて付いていたたれをかけると、卵豆腐の何とも良いにおいが漂って来ました。言語療法士さんは「良いにおい、今日の夜は、卵豆腐を食べたくなった」などと話しながら、ゆっくりと母に卵豆腐を食べさせてくれました。「おいしい」と聞くと「おいしい」と、いい表情で答えてくれました。良かった、本当に良かったなと、私は、一人で感激してしまいました。
 15分ほどかけて、母は卵豆腐を半分ぐらい食べてくれました。

  リハ室で母と二人になったとき、「家のぬかみそのぬかが減ってきてしまって困っているのよ、新しいぬかはどうやって足したら良いんだっけ」と私が唐突な質問をしたら、今まで何となくとろっとして、反応がいまいちだった母が、はっきりと「フライパンでいったぬかを足せば良いのよ」と答えてくれました。
それからひとしきりぬかみそ談義。母は、お嫁に来た頃から40年以上、ぬかみそを大切にしていました。その記憶がよみがえったのかもしれません。それまで、あまり反応を示さなかった母が、この時は多弁でした。

 40分ほど車いすに座って、病室に戻って、また二人がかりでベッドに移してもらい、リハの方に姿勢を直していただいて(右端の写真)、所要時間約1時間、ゆったりと、穏やかに時間が流れて行きました。

 回復期の若い方たちのリハビリだけがリハビリだと思っている人たちには、「こんなのがリハビリ」という風に見られるのかもしれません。母も自分から積極的に「車いすに座りたい」という意欲を見せるわけではありません。でも、車いすに座るようになって、母の表情は確かにしっかりして来ましたし、回りにも注意を払うようになりました。こんなわずかな変化を大切にするのが、高齢の方たちのためのリハビリでしょう。良い処遇をしてくれる介護療養病棟では、毎日このような営みが行われています。
 この大切な営みを、介護療養病棟をなくしてしまうことで奪わないで欲しいと、切に思う私です。

インターネット福祉機器展交流茶屋で

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 母のことで情報が欲しくて、インターネット福祉機器展の交流茶屋に書き込みをしたら、丁寧な返事が戻って来た。とてもうれしいので、ここに書き込むことにした。

情報提供をお願いします
視覚・聴覚吉野

 私の母は、今細木病院の介護療養病棟に入院しています。母は、16年ほど前から骨粗鬆が徐々に進んで、今は、ホンの少しのことでも骨が折れる可能性がある状態です。
 この6月に大腿部の骨折をして、一時ずいぶん状態が悪くなって、口から栄養をとることができなくなり、3ヶ月前より鼻腔栄養になりました。
 一時は、何も飲み込むことができなかったのですが、8月に細木病院に転院してからは、主治医の先生やリハビリのスタッフの方の磁力で、ゼリーを食べられるようになって、母もとても喜んでいました。
 所が、最近は、そのゼリーの味の種類が6種類ぐらいしかないので、「もうあきた」と言っています。
 母の嚥下の状態は、あまり良くなくて、どんなものでも飲み込める訳ではないとのことで、制限も激しいようです。
 そんな中で、もっと違った味のものを、試させてあげたいのですが、何か良い情報があったら教えてください。
 今まで、病院にいる母に、好きなものを持って行くのが楽しみでしたが、今の状態ではそれもできないので、お見舞いを持っていけるような、そんな良いものがあったらと思います。
 よろしくお願いします。

下記の通りのお返事が乗っていた。

 嚥下についてのホームページを見つけました。http://www.swallow-web.com/rink.htm#engesyoku
その中でクリニコhttp://www.clinico.com/EJ10.pdf
さんのゼリーは小豆、ゆず、抹茶などがあるエンジョイゼリー(10パック入り)やホリかフーズのお豆腐でゴマ豆腐、小豆豆腐というのがありました。硬さなどはすみませんわからないのですがどちらも嚥下食用とありましたがおいしそうでした。http://www.foricafoods.co.jp/

 あと高知で今回の機器展に初出展していただいたアオイコーポレーションさんはゼリーや寒天で食材の味をいかした食事を栄養士さんたちが考えて作られていて例えばおかゆにしてもちゃんとお米の味がするんです。青菜のからしあえも素材の味がしておいしいです。 現在食べられているのがゼリーということなのでゼリーでの食事がどんなものが可能なのかわからないのですが問い合わせてみる価値◎です。会社が山田にあるそうです。取り急ぎ少しでも情報をと思い書き込みました。

視覚・聴覚吉野のリスポンス

 情報ありがとうございました。実は、書き込みをした明くる日に、母に呼ばれて、午前中に病院に行きました。ちょうど、母が車いすに移るところで、そのままリハ室に行って、窓から空を眺めたり、お話ししたりして、ちょうど、STさんが、母にゼリーを食べさせる所に出会ったので、ゼリーの他にどんなものなら食べられるか聞きました。
 茶碗蒸しの具のないものだとか、卵豆腐、絹ごし豆腐、プリンなどなら大丈夫とのこと。
 STの訓練として買えるものは、限られているのだそうで、明後日、豆腐や茶碗蒸しをもっていってみようと思っています。お見舞いをもって母の所に行けるなんて、とてもうれしいです。
 都築さんから教えていただいたページものぞいて見て、良い物を探して見ます。
 また、母が豆腐など食べて、どんな顔をしたか、報告しますね。

  いろいろなことを相談できる窓口があって、仲間がいるということは、本当にすばらしいことだ。
  インターネット福祉機器展の掲示板交流茶屋、皆さんいろんな相談してみてください。
  アドレスは、下記の通り。
  http://welpa-kochi.jp/univbbs/universalbbs.cgi

研究室から—研究室から飛び出して地域貢献が私の使命—

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この記事は、2006年3月号東京ヘレンケラー協会発行の点字誌「点字ジャーナル」への登載記事

 高知という所がどこかご存じですか? 東京から飛行機で1時間10分ほど、四国の南半分を占める大きな県です。南側には太平洋、北側には四国山脈が立ちふさがり、今こそ瀬戸大橋などで、本土と陸続きのようになっていますが、1967年に高知空港が開港するまでは、本土に渡るためには船しかないと言う陸の孤島でした。県土の80%が中山間地域、産業は農業・漁業などと観光、県民所得は、日本で最下位を争い、超高齢化超少子化の進んだ、社会福祉的に言えば、たくさんの問題を抱えた県です。

 矯正視力0.1のロービジョン(弱視)の私は、40歳の時一念発起して日本女子大大学院で福祉を学び直し、東京都立大学人文学部社会福祉学科の助手として5年ほど勤務した頃、恩師から「今度県立高知女子大学に新しく社会福祉学部ができることになって、そこの学部長になる方が、『社会福祉学部には、学生の指導上障害を持った教員が一人いた方が良いと思うから、誰か紹介して欲しい』と言っているから、あなた行ってみない」と誘ってくださいました。助手というポストは、研究者になる修行をする立場で、おおむね3年ほどすれば、他の大学に移り講師となるのが慣例なのですが、なにせ視覚障害のある私には、常勤の講師の口などあるはずもなく、「どうしようか」と思っていた時のお誘いでしたし、南国高知は気候も温暖で、足にも障害を抱える私には住みやすいだろうし、それに県立大学で、1学年40名以下の少人数教育を売りにしている所なので、事務処理の苦手な私でもつとまると思い、応募させていただきました。そして、1999年4月に、私にとっては未知の土地高知に赴任して来ました。

 私を雇ってくださった津曲学部長は、障害児教育・福祉の分野で多くの業績を残しておられる方でしたから、県の障害福祉行政に関わる様々な審議会などの委員の依頼が来ました。そういう依頼が来ると、津曲先生は「あんたやってみてごらん」と私にまわしてくださって、私も自分は「障害者もチャンスを与えられれば、ちゃんとした仕事ができる」ということを身をもって証明しようと、積極的に仕事を受けさせていただきました。

 所で、私が、大学を卒業して最初に勤めた名古屋ライトハウスあけの星声の図書館(現情報文化センター)で、人生の半ばで失明したり生活に困るほど見えづらくなった方たちの相談に乗る仕事をさせていただいて、その方たちが「見えない見えづらくなったことで精神的にも社会的にも大きなダメッジを追い、それを乗り越える方法についての何の情報もないまま絶望に打ちひしがれている姿」を見て、強いショックを受け、そのころようやく普及しはじめた視覚障害リハビリテーションを学び、その普及とシステム作りを自分のライフワークにしたいと強く思うようになりました。残念ながら、高知に来るまで中途視覚障害者の方たちに接したり、視覚障害リハのことを学ぶチャンスもないままに時が過ぎてしまっていました。高知に赴任して2ヶ月ほどたった頃でしょうか。「風の噂で日本ライトハウスの養成を終え、視覚障害生活訓練指導員の認定資格を取得して高知に帰って来ている人がいる」ことを聞き、会って話をしてみる気になりました。
 「せっかく専門知識を学んで来たのに、視覚障害者の生活訓練の受容がないから、県の盲ろう福祉会館の管理事務を臨時でやっているんです。毎日電球が切れたとか、何とか」「すぐそばに盲学校があって、そこの生徒さんが、短い白杖を持って、あちこちぶつかって歩いてるのを見ていても何もできないんです」と初対面の彼女は涙ながらに私に訴えました。超高齢化の進む高知県、中途視覚障害者がいないわけはありません。「見えなくなったら点字を習って、白い杖での歩行」それが一般の人達の視覚障害リハのイメージでした。それでは高齢の中途視覚障害者が多い高知県です「今更」になってしまいます。

 ニーズがなければ新しい福祉サービスはできません。だからまずニーズの掘り起こしをしなければなりません。私は、あらゆる機会に「中途視覚障害者の置かれている現状」や「日常生活訓練の有効性」について話し、若くてかわいい視覚障害者生活訓練指導員をマスコミに売り込みました。高知のような田舎では大学の教員というのは、結構権威があって、意見を聞いてくれますし、まして私は視覚障害当事者ですから、その両方の立場を利用して、若い彼女の代弁をし、視覚障害リハの必要性と有用性を訴えました。
 最初、音声時計や拡大読書器など、視覚障害者に便利な機器を紹介したくても、何もなかったし、彼女に生活訓練指導員の仕事に専念してもらいたくても人件費がない状態でした。幸いなことに高知県には1997年に橋本知事が提唱した「県職員提案事業」というのがありました。これは、県の職員が、県の行政施策に対して提案を行い、良い提案であると知事が判断すると予算をつけてもらえるという画期的なものでしたので、そこに毎年提案をして、いくつか採択していただき「盲学校に常設の視覚障害者用機器展示室(ルミエールサロン)を設けたり、訓練指導員の人件費を捻出したりすることができました。
 視覚障害リハに関する講演会や福祉機器展示、地域をまわる巡回相談など、私の活動は研究室の外で行われることが多く、学生の教育については、手抜きはしていないという自負がありますが、いわゆる研究者としては、ちょっと問題かもしれないと思っています。でも、今地方の大学では、教員の地域貢献活動が重要であり、評価もされていますから、これからも、教育と地域貢献活動に重点をおいて、高知県の障害者の福祉に少しでも貢献できるよう活動を続けて行きたいと思っています。

岡山にて

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(左の写真 ホテルのカウンターと私)
(右の写真 書類を書くために用意された場所)

 視覚障害リハビリテーションについての「特別講演会」の講師として、岡山に呼んでいただいたので、少し旅行気分を味わいたくて、1年ほど前にオープンしたばかりだと言う全日空ホテルに泊まることにした。
 ホテルの入り口を入って、すぐ正面のフロントでチェックイン手続きをしようとして、いつものことながら、フロントのカウンターの高さに、何ともいえない不全感を味わった。私の身長は、132センチ、情けないけれど、カウンターから首しか出ない。
 「こちらでどうぞ」と、フロントマンガ、近くの机と椅子に私を案内してくれて、無事チェックインカードに必要事項を記入することができたし、フロントマンの対応もスマートだったから、なんと言うこともないのだが、まるで小さなこどもになってしまったような寂しい感じが残った。

 お部屋は、モノトーンの落ち着いた雰囲気で、広さも充分、私の予想以上の快適さであったが、ここでも一つ困ったことがあった。それは、洗面台の高さが高いこと。顔を洗おうとすると、うんと背伸びをしなければならなかった。

 最近は、日本人の平均身長もどんどん伸びているし、外国人のお客様も想定しているらしく、カウンターも洗面台も高くなって来ている。でも、私のような障害者だけでなく、高齢の方たちの中には、まだまだ背の低い人も多いと思うのだ。そんな方たちは、不便を感じていないのだろうか。

 この頃は、どこのホテルもハンディキャップルームがあるが、ここは、車いすの方たちのためにつくられている。私のような杖を使っていて、背が低いものには、ちょっと大げさすぎる気がする。
 ハンディキャップルームほどでなくて良いから、背の低い人のために、洗面台や棚が設置されているような、そんなバリエーションがあったら良いのになと、そんなことを考えている私である。

車いすに乗った母とリハ室で


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(リハビリ室で 左は母と私 右はゼリーを飲み込む訓練)

 朝の9時頃、母の入院先の看護師さんから電話がありました。「母が朝6時ぐらいから、娘を呼んで欲しいと言い続けているので、来ていただけませんか」とのこと。
 ちょうどタイミングが良く、今日は大学での授業が午後からだし、母は、最近午前中にリハビリで車いすに乗っているらしいのだが、私は、まだその姿を見たことがないので、それも見たくて、病院に直行することにしました。

 午前10時過ぎに病院に着くと、ちょうどリハの担当者と看護師さんが、母をベットから車いすにうつしている所でした。
 今86歳の母は、16年ほど前に骨粗鬆症になり、現在は、ほんのちょっとした刺激でも骨が折れる可能性があるとのこと、ベッドから車いすに移す時などは、リハ担当者と看護師さんと二人がかりで、まさに壊れ物を扱っているような感じです。
 
 4ヶ月ほど前に、大腿骨を骨折して、寝たきり状態、鼻腔栄養になった母が、この介護療養病棟にうつって60日足らず、スタッフの皆さんの協力で、リクライニング式の車いすに座って、2階のリハビリ室に移動して、窓から空を眺めたり、時には中庭に出たりできるようになり、言語療法士さんと嚥下の訓練をして、毎日少しずつゼリーが食べられるようになって、暗く険しかった母の表情が、日々明るく穏やかになって、笑顔も沢山出るようになって来ました。

 母がここまでに回復できたのは、看護師さん・リハの方たち、そして介護を担当する方たちがそろっている病院の介護療養病棟だからです。つまり、母のような状態の高齢者には、介護だけでなく、医療スタッフが深く関わらないと、質の高いケアは、保障できないのです。
 それなのに、昨今の医療制度改革の中では、介護療養病棟など、医療型の療養病棟は減らすか、完全に廃止するという方針が打ち出されています。現在介護療養病棟に入っている高齢者の方たちは、老人保健施設・ケアハウス・特別養護老人ホームの数を増やして、そこに移すとか、在宅の方向にもっていくというのです。

 老人保健施設も、ケアハウスも、そして特別養護老人ホームにも、看護師さんなど医療スタッフが充実していないので、母のように医療的なニーズの高い人たちは、そこで暮らすことは、ほとんど不可能に近いでしょう。介護療養病棟に、今入院している高齢者の多くは、医療的ケアが必要な人たちです。
 いったい、厚生労働省の人たちは、何を見ているのでしょうか。

 母の笑顔を見ながら、私は、とてもうれしい反面、先のことを思うと、不安になって来るのでした。