すばらしい障害者たちとのであい

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2003年執筆

 先日、依頼ごとがあって、ある放送局のディレクターに会った。新宿のど真ん中にあるホテルのロビーで待ち合わせをしていると、そのディレクター氏車いすでさっそうと現れた。「新宿のこんな所にお呼び立てして、車が混んで大変じゃなかったですか。駐車場見つかりましたか。」と私が聞いたら、その方いとも簡単に「電車で来ましたから」と言う。「新宿駅、車いすでは大変でしょう」と、また私が聞くと「電車の利用はなれてますから」と、当たり前に答えた。最近、新宿駅のバリアフリー化もずいぶん進んでいるから、確かに車いすでも充分に利用できるようになったけれど、やはりこのさりげなさには驚かされた。
 放送局へ入ってから未だ半年だと言うその方に、私は、ついつい好奇心にかられて、「ストレート入社じゃないですよね」などと質問してしまった。「アメリカで大学院を出て、1年ほど記者をしていました。」との答え。「アメリカの方がADA法(障害を持つアメリカ人法)もあるし、とにかく平等な競争を保障しようとしているから、能力ある障害者にとっては、日本で暮らすよりずっと気が楽なのに、どうしてこんな良いチャンスを捨てて日本に帰ってきたのかしら」と、またまた仕事とは関係のない質問をしたら「いろいろとあってワーキングビザがとれなかったし、それに、自分は、国際政治とかテロリズムの専攻だったのに、アメリカでの仕事は、日本人大リーガーの取材でしたから、それほど魅力があった訳ではなくて」との答え。そしてもう一つ「現場に出られない仕事にはつきたくないんです」との一言。「あーあこの人すごいね」である。

 すごい障害者に会った体験と言えば、永野冬季オリンピックの後で開催されたパラリンピックアイススレッジで金メダルをとった、松江美紀さんのことを思い出す。

 4年前の6月頃だったか、新設された高知女子大学社会福祉学部で、新設記念の行事として講演会を企画することになって、講師に高知にもゆかりのある松江美紀さんをお招きし、その時、未だ東京都立大で仕事をしていた私が、コーディネートとエスコート役を依頼された。講演の前日、美紀さんと羽田空港で落ち合って、一緒に飛行機で高知入りすることになっていた。美紀さんは、脊髄損傷による下半身麻痺で車いす使用者。自家用車を運転して空港に来る途中、高速道路の大渋滞に巻き込まれて、確か搭乗可能時間ぎりぎりに空港に着いた。いらいらして待っていた私が、まず度肝を抜かれたのは、搭乗ゲートまでの絨毯を引き詰めた通路を走ると言う感じの速度で車いすを操作して通り抜けたこと。想像して欲しいのだが、絨毯を引いてあるところは、滑りが悪くて車いすをこぐのは大変なのだ。そして、飛行機についた時、自分で車いすを傾けて、いすの両側についている大きな車をはずし、それを乗務員にひょいと渡して、幅の狭くなったいすで座席と座席の狭い通路を自分の席まで進み、席にさっさと腰掛けた。「この車いすは、飛行機などに乗りやすいように出来ているんです」と言う説明だったけれど、とにかく、その動きたるや実に自然で、無駄がないのである。   

 高知でマスコミの取材を受けたり、講演をしたりとハードなスケジュールをこなしたあと、地元の障害者スポーツ愛好家の人たちと夜遅くまで飲んで、エスコート役として一緒に楽しくつきあっていた私は、くたくたに疲れてしまって、出発時間ぎりぎりに飛び起きて、美紀さんの部屋まで迎えに行ったところ、彼女は、すでに朝ご飯を済ませ、バッグの中に入れて持ってきていた、バネのついたトレーニングマシーンで、腕の筋肉トレーニングをしていた。「朝は、いつもこうしてトレーニングをするのが日課です」と美紀さん。パラリンピックで金メダルをとる人は、さすが違うのであるが、とにかく、美紀さんとの二日間は、「ああすごい、すごい」の連続であった。

 唐突だが、皆さん「物体知覚」と言う言葉を知っているだろうか。これは、心理学とか視覚障害リハビリとかの専門用語だからもちろん皆さんにはなじみがないと思う。「物体知覚とは、先天性か、あるいは非常に幼い頃に全盲になった人に備わる感覚で、自分の足音などが物体に反射するエコーを、左右の耳でとらえて、目の前の物体を知覚するもの。繰り返しの学習によって体得されるので、比較的知的レベルの高い人に備わる。」物だが、この物体知覚を持った全盲の優秀な女性に、10ヶ月前高知で出会うことになった。この女性は、ゼットプラン(我が国の学校に、ネーティブの英語アシスタント教師を雇うプラン)と言う文部科学省の外郭機関が主催しているプランに応募して、高知県立盲学校に来た22歳の全盲教師であった。彼女が高知の生活になじめるように相談に乗って欲しいと、高知盲学校の校長に依頼を受けて、彼女に会い、その初期の歩行訓練の通訳などにつきあったり、一緒に温泉旅行をしたりしたのだが、彼女、初めて入ったアパートの壁などの前で、きちんと立ち止まって決して壁にぶつからないのである。

 彼女の両親は、日本通のアメリカ人だそうであるが、大学を卒業してすぐゼットプランに応募し、見たことも聞いたこともない異国のしかも高知などに赴任して、まるで当たり前のように下宿し、一人暮らしをし、「日本で働いて、いろいろと経験し学費を貯めたら、アメリカで大学院に行って、それからアジアの視覚障害者のためになる仕事がしたいんです」と、何のためらいもなくさらっと語る彼女。その勇敢さに脱帽である。

 所で、障害を持ったすてきなディレクターに会って感激し、「すてきな人に会うのは本当に良いな」、「いくつになっても新鮮に驚けるって言うのは幸せだな」と感激していた私は、しばらく経って、自分自身の中で変な疑問が浮かんでくるのを感じてしまった。「私は、障害者だったら当然飛びつき居座るであろうと思われるチャンスを蹴って、別のことに挑戦するそういう障害者に会って感激しているのだろうか。また、自分がとても障害者には出来ないと思っていることを易々とやってのける障害者に会って驚いているのだろうか?」それとも「障害があろうとなかろうと、人間として面白い生き方をしている人に出会えて感激しているのだろうか?」。じっくり自分の気持ちに向き合ってみると、前者の要素(私なりの障害者に対する固定観念があること)の方が強いことに気づいてしまった。

 障害があろうとなかろうと、人間優秀な人・魅力のある人もいるし、残念ながらそうでない人も沢山いる。そして、優秀であり魅力のある人は、それに見合う努力もしているのが当然で、そのような人たちの所には、障害があろうとなかろうと、いろいろなチャンスが巡ってくる。障害は、人生を左右する大きな要素ではあると思うが、絶対的な要素ではない。私は、そのように考え、そのように生きてきたつもりであるが。そんな私の中に「障害があるのに良くここまで」とか「障害があるのにそんな無茶をして」とか、そんな古い保守的な障害観が根強く残っていて、払拭できていないのに気づいて、自分で自分にがっかりしてしまった。

 「だけど、それもしょうがないかな、私も障害者である前に日本人、障害を研究する人間である前にただの障害を持った日本人、日本社会の一般的価値観をそんなに簡単に払拭できるわけがないか」と気を取り直した。

 どうして自己分析的になったりするのか。ちっとも素直でないね。すてきな出会いが会った時は、すてきに喜ばなくては、障害がある人であろうとない人とであろうと、すてきな人との出会いというのは、そんなに数多くあるわけではないのだから。