(インドネシアガンガアイランドにて)
ダイビング用の小さなボートから海に入ると、先程まで感じていたアルミ性のタンクの重さが消えて、無重力状態の快感が私を包み込む。ゆっくり潜行しながら移動して行くと、目の前にギンガメアジの大きな群が見えて来た。「ワーすごい!」と、その群に見とれながら、さらに下りて行くと、いきなり白い砂の上に大きな岩、と思ったらその岩と見えたかたまりが動いているのだ。よくよく見ると、とても大きなホウセキキントキの群が流に逆らってゆっくり移動している所だった。遠くのブルーの水の中に白いサメの姿がシルエットのように見える。こんな風に大物が沢山出てくるポイントに相応しくここは流が速く、その流が波の満ち引きのようにリズミカルに方向を変る。私はその流に乗って回って来るギンガメアジの群の中に入って見たいと、流に逆らって群の正面に回り込もうと無駄な努力を繰り返して楽しんでいた。突然、私達をガイドしてくれていたアメリカ人のインストラクターが私の手を掴んで、すごい力で私を群の中に引っ張り込んでくれた。ほんの少しの間、私達はギンガメアジの仲間になった気分で群と一緒に泳ぐことが出来た。ふと下を見ると、白い砂地の上に1mもあるキャベツサンゴが群生し、砂地はまるでスキー場のなだらかなスロープのように深いブルーの水の中に続いていた。「このままこの世界に吸い込まれてしまいたい」「このまま、この世から消えてしまっても良いな」。こんなすばらしいポイントに潜ると、ここが水の中であることも、気を抜くと危険であることも忘れてしまいそうで、ふと恐怖を覚えるほど。
これは、インドネシアとフィリピンの中間にあるマフィアリーフというポイントに潜った時の私の体験で、私の19年間のダイビング歴の中でもトップクラスの、素晴らしい瞬間であった。
私は、どうやら体を動かすことが好きなようであった。どうして「どうやら」というかと言うと、「足の骨に余分の負担が掛かる事は、やってはいけない」と医者に止められていたので、私と体を動かすこと(スポーツ)とは、無縁に過ごしていて、自分の本当の気持ちが良く分からなかったからである。
そんな私が、大学時代にちょっとしたきっかけで始めた水泳がすっかり面白くなくり、プールに通い詰めるようになった。浮力と言うのは素晴らしいもので、どんなに激しい運動をしても足に体重を掛けずに済むことも、このとき発見したのである。
5年程建って,プールという箱の中を往復するのに少し飽きてきた頃、転勤で私と同じ職場に移動して来た先輩がスクーバーダイビングをしているのを知った。その先輩の海の話しが面白くて面白くて、私が余り熱心にその話しを聞くもので、「あなたもやってみたら」と、その先輩が私をインストラクターに紹介してくれた。これが私とダイビングとの長いつきあいの始まりとなった。
今でこそスクーバーダイビングは若い女性の間にも広く普及していて、誰でも楽しめるスポーツというイメージが定着しているが、19年前のその頃は、ダイビングはごく限られたタフな男のスポーツと一般に思われていたし、私自身そう思っていた。障害があり体力に自信のない私、だから、私が浮力調整のためのウエイトも含めて20キロ近くになる重い機材を付けて潜れるようになれると思っていた訳ではなく、ただどうしても「やってみたい」という強い気持ちだけがあり、それが「無理だ」とか「他人に迷惑をかけるのでは」という抑圧を押しのけてしまった。「好き」とか「やりたい」というのは常識を越えたエネルギーを与えてくれるようである。
先輩が紹介してくださったインストラクターは、「ハワイで、四肢麻痺の女性がダイビングしているのを見たことがあるし、条件さえ整えばあなたも潜れるかもしれないね」と言って、私をダイビングスクールに受け入れてくれた。私がそれまで出会って来た障害者に対する専門家(医者・教師・ワーカーなど)は、「それはあなたには無理、やめた方がいい」などと、私のやりたいことを止めてばかりだったから、柔軟で、前向きの考え方をする専門家に会えたことは本当にラッキーだった。この出会いは、私の専門家観を変える契機にもなった。
ところで、登山などと同様に、安全なダイビングををするために、海の中では、私たちは必ず二人以上のグループで行動し、一番体力や技量の弱い人に合わせて活動するのがルールである。だから、障害をもっている私は、いつもいつもグループの足を引っ張るのではないかと、ダイビングを始めた当初思っていたし、それが負担でもあった。実際、「あなたがいるので、流れが速くて体力のいるポイントに潜れないのよ」などと、面と向かって避難されたこともあり、「もう絶対に潜らない」と思うほどに落ち込んだこともあるのだが、だんだん経験を重ねて来ると、「自然の力の偉大さや天候変化の激しさと比べると、障害のある人とない人の体力の差など大したことではない」と言うことが分かって来た。海が荒れていたら、たとえベテランのインストラクターでも、ダイビングする事は出来なくなるのだ。自然の力は、それほど強大である。
それに、私は、どこでも眠れるし、たいていの物は食べられるし、なぜか船酔いもしない体質で、24時間生活をともにするツアーの中で、いつもいつも一番体力もなく、迷惑をかけ続けているわけではないことも分かって来た。
障害をもっていると、何事も(特に悪いことは)その障害のために起こるのだと周囲の人たちも自分も思いがちになるが、それは自意識(障害者意識)過剰というものだということ、自然や世の中そんなに単純なものではないということを、ダイビングをする事を通じて、私は学ぶことが出来たのである。
「障害をもったことがすべての原因ではない」・「自分もそう棄てた物ではない」と考えられるようになった時、私の人生観も変わり、私は、ずいぶん積極的に生きられるようになった。11年勤めた東京都の仕事を辞め、大学院進学を決意出来たのも、ダイビングの経験のおかげである。
私は今54歳、私の仕事人生も29年になろうとしている。私は運良く自分がやりたかった福祉関連の仕事に就くことが出来たが、組織の中での仕事なので、楽しいことばかりではなく、自分を殺して働くこともしばしばで、何度も何度も辞めることを考えた。そんな時、海中の異次元の無重力の開放感を思い、すばらしい風景を心に描き、「辞めたらお金稼げなくて、潜れないし」と、その場をやり過ごすことが出来きた。
3年ほど前、糖尿病から脳の障害を起こして痴呆になった父を看取った。現在痴呆症の高齢者に対する治療も介護も、本人にも家族にも大変なことで、私は、精神的にも肉体的にもゆとりをなくしてしまった。そんな時、ログブック(ダイビングの記録)を取り出して、楽しかった経験をたどり、頑張って、いつか又潜りに行こうと思い、自分を元気付けることが出来た。
わが国の考え方では、趣味(遊び)は、自分でお金が稼げる人がすること、世間的に一人前と認められた人がすることと位置づけられているようだ。又、障害などのハンディがあって、世間的に一人前に行動出来ない人たちは、人に迷惑をかけず、まず一人前に何でも出来るようにすること(病気を治すこと)に勤めなければならないという不文律があるように思う。でも、私たちは、やりたいことをやりたくて生きているし、やりたいことをやれるようにするためにつらい仕事や訓練や手術などに耐えて行けるのではないかと思うのだ。
だから、様々なハンディがあって、世間一般の出世や幸せを得ることが難しい人ほど、打ち込める趣味(自分の世界)をもつことが重要であり、一種の人としての権利だと思うのだ。
アメリカでは、事故などで障害者になってしまい嘆き悲しんでいる人の枕元に、医者や看護士が、障害者でも出来るレジャーやアウトドアスポーツの情報誌をさりげなくおいて行くそうである。もちろん最初、障害者に成り立ての人は、そのようなものを見ることもせず、ひどく拒否的な態度に出るのであるが、医者や看護士は「何を嘆くことがあるのか、まだこんなにやれること、楽しいことが沢山あるじゃないか」とその人に語りかけるのだそうである。
ダイビングに出会う前の私は、悪いことや出来ないことの多くを障害を持っていることのせいにして、やってみる前にあきらめてしまっていたように思う。ダイビングとの出会って、物事に対するそのような態度は、大きく変わったのである。