私って(自己紹介)

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(左の写真 岡山での講演風景 右インドネシアでのダイビング風景 ) 

私が、障害者福祉や視覚障害者のリハビリテーションに関わる様々なことで、講演などに呼んでいただくと、最初にする自己紹介は、いつも次の通りである。
 「ただいまご紹介いただいた吉野です。私は、現在高知女子大学社会福祉学部で、障害者福祉などを研究し教えています。1947年生まれで、現在58歳。右片側に杖をついているし、身長が小さいので足の障害は、みなさんにも良く分かると思いますが、実は、目の障害(弱視)の方が、生活には困ることが多いです。視覚障害の原因はと言うと、先天性白内障で、私は、生まれて来たとき、すでに水晶体が白く濁っていて、光を全然通さなかったので、生後3ヶ月から6回に分けて両眼とも水晶体を摘出してしまい(無水晶体症)、視力は矯正しても0.2出ない状態です。足は、原因不明ですが、大腿骨が内側に曲がってしまう状態でした。私が生まれたのは、第二次世界大戦が終わってすぐのことなので、医学も今みたいに進んでいなかったから、私がなぜこのような障害を持って生まれたのかは、良く分かりません。私も、女性なので、年を言うのは好きではないのですが、障害者として生きてきた自分のことを話そうとする時、58歳と言う私の年は、とっても重要な意味があるのです。それは、我が国の障害者福祉が、第二次世界大戦以後、飛躍的な進歩をとげ、私は、運良くその発展の時代に生きてくることが出来たからなのです。」
 そして、講演の本題に話を進めて行くわけである。

 ところで、このような自己紹介を活字で読んでも、みなさんには、重複障害を持った、私が日常どんな風に生活し、仕事をし、そしてどんなところで困るのかは、ちっとも分からないと思う。そこで、なるべく具体的に私の障害と障害を持って生きている私の生活を描写してみたい。 
 まず、水晶体がない、矯正しても視力が0.2出ないと言う見え方はどんな状態なのかということから説明しよう。水晶体というのは、良く知られているように、私たちの眼でレンズの働きをしている、遠くを見るときは、薄くなって、近くのものをみるときは厚くなって、網膜にものの像がきちんと結ぶよう調節してくれる優れものである。私の眼には、この優れものがないので、遠く用のめがね、近距離用のめがね、そして小さな文字を読むための倍率8倍の読書用のめがねと、最低3種類のめがねを日常使い分けなければならない。コンピューターに向かって、入力する時は、近距離用、引用文献をみるときは読書用、入力中誰かが訪ねて来れば、その人を確認するために、あわてて長距離用のめがねに掛け替えるといった具合。私の机の上には、いつもこれらのめがねが散乱し、取っ替え引っ替え、忙しい時には、ほんとうにうんざりしてしまう。しかも、どんなに遠く用のめがねを調整しても、矯正視力は0.1ないのだ。人の顔を見ても、だいたいの輪郭はわかるが、細かい特徴は見えないので、人の区別が出来ない。高知女子大学は、公立大だから、1学年40人足らずの学生数だが、その彼女達と3年間つきあっていても、誰が誰やら区別が付かない。道で会っても、人違いするのが怖いからこちらから話しかけることも出来ない。こちらから学生に親しく声がかけられなかったら「人気のある大学教員」にはなれない。そのためかどうか、私の所にはゼミ生がなかなか集まってくれない。相手の判別が出来なくて、こちらから挨拶出来ないことは、大学でのことだけでなく、人間関係構築には、ひどいマイナスとなる。それに、0.1近く見えていると、普通の生活上では、それほど見えてないようには思えないらしく、「道で会っても挨拶もしない、いやな人間」と思われたりする。もちろん、新しい人と知り合うたびに、「視覚障害があり、よく見えないので」と話すのだが、みなさん長くつきあっていると、忘れてしまうようで、私の足が悪いのを見て「どうして運転免許を取らないの」などと聞く人も出てくる始末である。
 視覚障害という感覚障害は、一般に人からなかなか理解しにくいのだが、その中でも、低視覚(弱視)という障害は、ほとんど理解しがたい障害のようである。
 とにかく見えているようで、実は細かいところが見えていないのが私なのだ。夜や暗いところでは、いっそう見えにくくなるので、歩く速度はゆっくりになり、時々足探りなどすることもある。
 足の障害の方は、どんな風かというと、まず、内側に曲がってしまった大腿骨をまっすぐにするために3回手術をし、金属の支えを入れて、骨を補強しているらしい。その手術のため、大腿骨が極端に短く、私の身長は、132cmと小学校2年生の平均並みで、膝関節は、90°(立て膝程度)しか曲がらないのである。
 さて、この足で生活上何が困るかというと、まず、身長が極端に低いので、空間が利用できない。高いところにあるものは取れないし、又置くことも出来ない。部屋のカーテンがレールからはずれたり、トイレの電球が切れてしまったりすると、本当にパニックを起こしそうになる。若い人たちの身長はどんどん高くなっているみたいで、流し台の高さもアップ、特注ものでないと高すぎて皿洗いも調理も出来ない。
 膝関節が曲がらず、座れないと和式トイレや、畳での生活がまだまだ多い日本では、大変に困る。たとえば、座敷での宴会、立て膝でお酒をついでまわるようなことは出来ないので、飲み二ケーションに支障を来すから、ここでも人間関係構築にマイナスとなる。
 歩く速度は、1時間に2キロが良いところ、これは通常の人の1/2。不動産屋の広告で、駅から10分と書いてあれば、私には20分以上かかることになる。私は、何度か引っ越しを経験しているが、不動産探しは大変だ。パンフレット上で駅から5分以内を探さないと通勤出来ないのたが、駅から5分以内といえば、都心から相当離れていても価格は馬鹿高である。不動産売買だけではない、歩く速度1/2は、私の行動すべてに影響を与える。いつも普通の人の2倍の時間を見て、早め早めに行動するのが,私の習慣になってしまっている。
 身長132で体重は、60キロを超えているが、これもホルモン以上という私の障害の一つらしい。ともあれ弱い足に重い体なので、体重を支えるために右側に杖をついている。歩いているときは、左手しか自由にならない。そこで雨など降って傘を差さなければならないときは大変。両手がふさがって、小銭の取り出しなどもままならない。左手をなるべく自由にあけておきたいので、しゃれたスーツを着ていても、リュックサックにウエストバックというスタイル、ブランドもののしゃれたバッグを持つなど、夢の又夢である。
 しゃれたといえば、こんなに標準からはずれていると、衣服の調達が大変である。上半身は、普通サイズで良いのだが、ズボンに関しては、太いウエストに短い足で、なかなか私にあうものが見つからない。最近は、LLサイズなどの店も、ずいぶん充実してきてデザインもあか抜けて来たが、とにかく安いものはない。
 歩けないし歩く速度が遅いので、とにかくよくタクシーを使う、高い衣類しか買えない、特注の流し台に、手すりのついたハンディキャップ用のお風呂場の導入などなど。私の生活には、とにかくお金がかかる。障害があるとお金がかかるというのは、一般に言えることであるが。 
 話がだいぶ横道に逸れてしまったが、この視覚障害(ロービジョン)と足の障害を併せ持つ私の能力というのを具体的に列挙すると、次のようである。
 大学の教員として必須の読み書きについては、読みは、普通の人の1/3程度の速度、8倍の読書用レンズをかければ、小さな字も読むことが出来る。書きに関しては、コンピューターのワープロソフトを使って行う。入力速度は、それほど遅くないと思うが、他の原稿を見ながらの入力は、めがねの掛け替えも含めてすごく時間がかかる。
 歩く速度が1/2ということと、段差などの確認や標識、看板などの確認に時間がかかることなどで、どこかに出かけるときは、最低一般の所用時間の2倍以上を見て行動するのが、私の行動様式となってしまっている。 
 私の趣味は、24年前から夢中で続けているスクーバーダイビング、様々な海で、いろいろな魚や景色に出会うのもすばらしい体験であるが、たぶんスクーバーダイビングが私をこんなに引きつけてやまないのは、無重力状態の魅力だと思う。いったん海の中にダイブすると、自分の体の重さも背負っているダイビングギアの重さもすべて消えて、すばらしい開放感が味わえる。もし、海の状態が悪くて、魚も何も見られなくても、私は、ただこの無重力の快感を味わっているだけで満足するのだ。
 自己紹介の最後は、自分の性格についてふれておきたい。チャレンジ精神と好奇心が旺盛、好きなことやりたいことには、しつこくねばり強い。誰かに「そんなことできっこないよ」などと言われると、やってみずにはいられないあまのじゃくでもある。