この記事は、2005年10月25日(木)に点字毎日に登載されたもの
2005年4月に高知女子大学大学院ドクター課程に入学された森澤さんは、長年ベトナムの障害者の教育・福祉向上のため、NGO活動に携わって帰国された方であった。その森澤さんのベトナムの障害者事情の話が面白く、いつの間にか私は、ハノイで8月に開催される第14回日本ベトナム障害児教育福祉友好セミナーに参加することになった。せっかくベトナムに行く機会が与えられたので、森澤さんにアレンジをお願いして、ホーチミンの障害児教育・福祉系大学を訪問し、孤児施設や盲学校なども訪ね、ベトナムの福祉事情を見てみることにした。この探訪記はその記録である。
8月18日から三日間ハノイ師範大学で行われたセミナーでは、日本・ベトナム双方の学識経験者や障害当事者が次々に発表し互いの情報交換が行われた。
ベトナムでは、障害児教育の問題は単独で考えられるのではなく孤児・極貧児・ダイオキシン被害児・ストリートチルドレンなどとともに「特別な困難をもつこどもたち」の教育問題(教育を受ける機会を保障すること)として考えられており、政府は、2010年までに、これら「特別な困難をもつこどもたち」の全員就学を達成するという壮大な目標を掲げていた。その目標達成のため「特別な困難をもつこどもたちの救護(福祉)と教育の社会化」、すなわち「社会化」とは、あらゆる人々の協力・社会資源の活用を行って、行政・一般国民の総力を傾け、困難をもつこどもたちの生活の安定をはかり、全員就学を達成するということが対のものとして考えられていた。経済発展が著しいとはいえ、ベトナム戦争の傷を深く残し、都市と農村との経済格差の問題を抱えるこの国の現実。障害児教育に携わる専門家の質、方法技術もこれからであるが、「特別な困難をもつこどもたちの救護と教育」という包括的な概念の元に、国を挙げて全員就学の目標を達成しようという考え方から、「障害児教育」「障害者福祉」をそれだけ取り出して狭くカテゴライズしてしまった我が国は学ぶことが多いのではないかと私は考えた。
セミナー最終日は4つの分科会に別れて行われた。私は第一分科会の「ボランティア当事者組織」に参加し発表をした。午後にハノイ聴覚障害者協会の関係者が運営している「生産工場(作業所)」を訪問する機会を得た。その作業所は、「家賃」が捻出できないので民間アパートの中にある2DKほどの聴覚障害者の住まいを使ったもので、手工芸品を中心に制作して販売していた。「ろう者に仕事など無理」という一般の認識の中、がんばっている当事者の姿を見ると、1970年代の日本の障害者福祉や就労の現状が走馬燈のように頭をかすめた。「ベトナムの障害児教育・福祉は、現在の日本と単純に比較したら4・50年ほど遅れている」ように見えるが、しかし、「特別な困難をもつこどもたちの救護(福祉)と教育」という包括的な考え方が示すように、日本の発展とは違う「進歩のかたち」をたどる可能性があり、進んでいるといわれる日本の障害児福祉・教育が失ってしまったもの」を見つけることができるのでは。そんなことを私は考えていた。