ベトナムの福祉事情探訪記(2)

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この記事は、2005年10月27日(木)に点字毎日に登載されたもの

  セミナーの方たちと別れて、私はホーチミンで6つの施設や大学を訪問することができた。 8月24日、最初の訪問場所は、大きなお寺が運営しているジュウ・ザップ孤児院。正面玄関の前に大きな丸テープルが置かれ、私たちはそこに座って施設長からお話を聞いた。1時間足らず話を聞いている間に、何人ものご近所のおじさんやおばさんといった感じの方たちがさりげなく寄付金をもってきて、施設長とことばを交わし帰って行く姿がとても印象的であった。この孤児院は設立して16年になるそうで、16人の孤児からスタートし、16年間に126人の捨て子を保護して来たという。これらのこどもたちの親は大部分貧困のために捨て子をするのであるが、中には障害のあるこどももいるとのことで、障害があると分かった時は、専門の施設に移すのですかという私の問に対して「あちこちとこどもを移すのは良くない、慣れた環境の中で育つことも大切」と施設長はおっしゃった。孤児院には、30名定員の幼稚園が併設され、外からもこどもたちを受け入れていた。小学校からは、地元の学校に通わせ、能力のあるこどもたちには高校や大学の教育も受けられるように努力しているとのことであった。孤児院には18歳までしかいられないということであったから、「重い障害のあるこどもたちで、自立することの難しい人達はどのようにするのですか?」とおたずねしたところ「孤児院での生活は続いていますが、入所しているこどもたちのリストからはずすんですよ」という答えが返って来て私はとても驚いた。こどもたちの居室は、2段ベットが並んだ大部屋であって、物質面も豊かには見えないが、遊んでいるこどもたちの表情はとても明るかった。
 「リストからはずす」など、「その子の必要に応じて対処する」というこの施設考え方から、福祉も教育も法律が整備され、徹底的に専門分化されて整えられ、そのシステムに対象者を当てはめることに汲々とし、分断の弊害を補うために連携が必要だと考える、日本の福祉や教育のあり方が「進歩した」といえるのだろうか、日本の福祉や教育は「人に合わせる」というとても大切な根本的なことを置き忘れてしまったのではないのだろうかなど、深く考えさせられてしまった。
 そんなことを思いながら町を歩いていたら、戦争で負傷したのだろうか片足を切断して義足もつけず、松葉杖で歩いている障害者に出会った。足の切断面をむき出しにしたその姿を見て、私は強い違和感を感じたのだが、周りの方たちの視線はごく自然であった。「見慣れているんだな」と私は思った。日本では、障害児教育や福祉の制度が完成していく中で、障害児・者は一度障害のない人達の社会から分離され、そしてノーマライゼーション思想普及の中で「分離はいけない」「統合・配慮を」という流れになったのであるが、ベトナムではその分離の過程を経ず、これから障害児教育・福祉の法が整備され「社会化」の方針にそって、力が注がれようとしている。きっと日本とは違った進歩の道筋をたどるのではないか。とても楽しみで学ぶべきことが多いのだと私は思った。