私の19年のスクーバーダイビング歴の中で、もっとも印象的で忘れがたい出来事をいくつか紹介しよう。
10年ほど前、新島で潜っていた時、漁船から海に入って、船は、私たちのはき出す空気の泡を追っかけて、潜っている私たちについてきてくれると言う、いわゆるドリフトダイビングをしていたときのこと。水面の潮流と、少し深いところの潮流が逆になっていて、私たちが進む方向とは逆方向に、はき出す泡が流れていたものだから、私たちについてくるはずの船が、全然違う方に行ってしまっていた。リーダーのインストラクターがすぐに異変に気づいて浮上したが、船は、遙か彼方。折からうねりが高くなってきて、遠くに見えている船は、なかなか私たちを見つけられない。はいているフィンをはずして、ふってみたりし、やっと船が私たちを見つけたころには、私たち40分ほど漂流していた。空は、とてもきれいに晴れ上がっていた。そんなに遠くない所に新島の海岸線は見えるのだが、波が高く、とても近づける状態ではない。私たちを見つけた船は、全速力で近づいて来てくれ、重さ10㎏以上あるタンクをインストラクターに預けて、私は、最初にはしごをあがり始めた。ところが、とにかく流れがきつくて、船が傾き、はしごはオーバーハング状態。落ちたら大変だし、早くしないと下で待っているダイバーを上げることが出来ない。とにかく必死ではしごにしがみつき、高い船縁を越えて、私は、そこにへたり込んでしまった。早くどかないと後のダイバーに迷惑だとわかってはいるが、船にあがれた安堵感からか、とにかく全然力が入らない。水面を見ると、他のダイバーが波にもまれている。うねりは相変わらず高い。他の仲間達も必死で船にあがってくる。最後に二人分のタンクを持ったインストラクターがあがって来て、みな、やっとほっとした。40分の漂流の間、波も高かったし、ちょっと不安だったけど、空が青くすんでとてもきれいだった。「あのときは、吉野さんもまだ体力あったんですね。あんなオーバーハングのはしごあがれちゃうんですから」と、インストラクターの感想。「必死だったので」と私。
2002年に執筆