原稿の締め切りに追われたり、視覚障害リハビリテーション協会の仕事で浜松に出張したりして、全然買い物に行けなかったので、私の冷蔵庫の中には、まともに食べられるものがなくなってしまった。
タイミングの悪いことに、高知から持って来た調味料もそこをついているし、トイレットペーパーもなくなりかけていて、今日はどうしても買い物に行かなければならないことになった。そしてその買い物の量も沢山になってしまった。
原稿の締め切りに追われたり、視覚障害リハビリテーション協会の仕事で浜松に出張したりして、全然買い物に行けなかったので、私の冷蔵庫の中には、まともに食べられるものがなくなってしまった。
タイミングの悪いことに、高知から持って来た調味料もそこをついているし、トイレットペーパーもなくなりかけていて、今日はどうしても買い物に行かなければならないことになった。そしてその買い物の量も沢山になってしまった。
本当に信じられないぐらい月日の経つのが早い。私が高知から東京に引っ越して来て、昨日でちょうど2ヶ月になった。そして今つくづく、このタイミングで東京に引っ越して来て本当に良かったのだと思っている。
良かったと思う理由は様々あるが、まず、マンションから眺める景色がすばらしい事が上げられる。私の財力で買うことができた、この部屋は北西に向いていて、夕日はきれいに見えるが、その他はそんなに感激するほどではないのだが、40階にマンションの居住者なら誰でも使えるラウンジがあって、そこからは、今建設中のスカイツリーが正面に見える。すごいパノラマだ。
スカイツリーと言えば、私の住んでいる10階のエレベーターホールの窓からも頭を見ることができて、その頭が、少しずつ高くなっているのを、毎日楽しみに眺めている。
(上の写真は、マンションの玄関から見える公園と桜の木4月3日に撮ったもの)
(4月10日に撮った桜の木、少し葉が出て来たが、まだ充分にきれいだ)
早い物で明日から4月、新しい年度が始まります。そして、私が東京に来て1ヶ月半になります。
この間、いろいろ新しい事に出会って、刺激的でとても充実していましたが、その中でも特に歩行器を使う生活は、なかなか面白くもあり、そして日々の生活を、とても楽にしてくれました。
でも最初に歩行器を見た時は、実はすごく抵抗感がありました。正直な所「こんなものは使いたくない」でした。その私の気持ちを分析すると、二つの理由が見えて来るようです。
まず、歩行器を使うことで「自分の障害が重くなった」と言う気持ちになるからです。「私はまだこんなもの使わなくても歩けるし、私の障害はこんなものを使うほど重くない」と言う気持ちです。歩行器を受け入れる事は、自分の障害が重くなった事を自分自身で証明するような気がするのです。
3月25日、今日は友人と歩行器で銀座を歩く約束をした日だった。
24日の夜に、所沢で遅くまで研究会をして、その仲間と楽しい夕食をしたので、私は少々疲れていたし、朝起きてみると、24日の日に引き続いて冷たい雨が降っていて、とにかく寒いので、せっかくの友人の誘いだったが、「今日は歩行器なしで会いましょう」と電話をした。
そうしたら友人が「それはあなたの判断だけど、せっかくだからやらない」と言う。
低血圧で朝起きてすぐはなかなか動けない私だけれど、午前11時を過ぎたころから「それではやって見るか」と言う気分になってきた。
両手でハンドルを操作するから、傘が持てない。それで私は、フード付きのジャンパーと、ビニールのズボンを着て雨よけの完全装備をした。スキーや登山ならこの格好で良いけれど、銀座を歩くにはちょっぴり場違いだなと思ったが、とにかく寒いし、濡れたくはないので仕方がない。歩行器の荷物かごには、カメラなどを積んだので、これも雨よけのビニールカバーを念入りにかぶせ、狭くて歩行器が使えない所に備えて杖も持って行くことにした。
3月23日(火) メーカーの方と約束していたとおり、今まで試していた歩行器と新品を交換した。これで、この歩行器が自分の物になった。何となくうれしくて、別に変わった所もないのだが、写真を撮ってしまった。
この歩行器で25日の日に友人と電車に乗って銀座を歩いて見ることになっている。
前にも書いたけれど、私が普段生活しているこの地域で使うならば、とても便利な機器だけれども、バリアフルな町の環境の中では、歩行器は遠出に向いているとは言えないのは分かっている。でも試して見たいし、その事が、もっとみんなが過ごしやすい環境をつくるのに、少しでも役立てば最高だと思っている。
などとかっこいい事を書いたけれど、実際には、私はただの新しもの好きと言うだけかもしれない。
天気予報によると、明日も雨が降って寒いらしい。両手でハンドルを握らないといけない歩行器だから、笠がさせない。雨は最悪なのだが、友人曰く「最悪の条件で試して見るといろいろと分かるのでいいんしゃない」とのこと。果たしてどんなことになるんだろう。
楽しみなような、ちょっぴり怖いような。またその時の事をまとめて書きます。興味ある人は読んで下さい。
2月13日の夕方、高知で荷物を積み終えた私は、このマンションに来ました。そしてちょうど1ヶ月、山のようだった荷物も何とか整理でき、視覚障害リハビリテーション協会の臨時総会も無事終え、毎日の生活のリズムも整いはじめました。
そして昨日、母の一周忌を無事済ませました。母の兄弟も私たちも、みんな結構年を取っていますから、無事な顔を見られただけでもとてもうれしい事です。
今正直、とてもほっとしています。母が亡くなり、そして大学を退職し、第18回視覚障害リハビリテーション研究発表大会を高知で開催し、その事務的な処理をして、そして第11回視覚障害児早期教育研究会でいろいろと役割をさせていただき、そして怒濤のごとく東京に引っ越して来ました。良く無事に乗り切れたなと思います。
そう思う一方で、次から次へとやることがあるのは、割りに楽なのだとも思います。これからは、自分でやることを見つけ、自分の生活を律して行かなければならないわけで、さてどうなるのか、とても不安です。
ここまでこれたのですから、きっとこれからも面白いことに出会いながら、楽しくやって行かなければと思っています。
3月8日(月)に厚生労働省の合同庁舎で、見出しの長い長いタイトルの一般公開があった。
視覚障害関係も6件公開があるとの情報を得て、見学することにした。
機器展を見学する前に驚いた事は、厚生労働省に入るまでのチェックの厳しさ。地下鉄丸ノ内線の霞ヶ関駅から厚生労働省に直接入る入り口の所に、最初の関門があり、用件を聞かれ、顔写真付きの身分証明の提示を求められた。建物の中には受付があって、そこでまた確認をした上ICチップのついたプレートを渡されて、それをゲートにかざしてようやく中に入れた。なんと厳重なことか。
17階の会場に続く廊下は省エネかエコかは分からないが、天井の蛍光灯がほとんど外されていて薄暗く、視覚障害者には不適切な環境であった。
参加者総数160名との事であるが、会場が狭く、人で一杯、しばらく見学をしていると汗びっしょりと言う感じであった。
今日の東京は1日中しとしとと雨が降っている。しかもひどく寒い。明日もこんな天気が続くらしい。
こんな日は、1日家にいてたまった原稿などを書いていたいのだが、先週高知のマンションが売れて、その契約で久しぶりに高知に戻っていたのでずっと買い物をしていない。東京のど真ん中にいて食糧危機もないものだが冷蔵庫に何も入っていないので、今日はどうしても食料品の買い出しに行かなければならない。
このマンションを買うことにした理由の一つが、雨に濡れずにスーパーに買い物に行けること、また連絡通路とエレベーターを使えば車いすになっても買い物ができると言うことだった。
2月23日に試用するためにメーカーからお借りした歩行器は、新型モデルだったので、メーカーの方があちこちで営業をするために必要ということで、私がずっと使っているわけにはいかず、3月2日にはいったんメーカーの方にお返しすることになった。
最初、「ずっと使っていられると良いのにな」と思っていた私だが、せっかくのチャンス、もう1台の歩行器も試して見ることにした。
この歩行器、前はSを試して、安定性と高さは良かったのだが、幅が狭くて、歩く時、また座るときにゆとりがなく、とても窮屈に感じたものだった。
2月27日(土)午後1時から、視覚障害リハビリテーション協会の規約を改正するための臨時総会と、それに付随して企画した研修会が行われた。
国立障害者リハビリテーション学院の講堂は大変広く、その日の出席者46人ではがらんとした感じになるかと思ったのであるが、臨時総会は、議論白熱、とても熱気があって、広い講堂も狭く感じられるほどであった。
規約の改正を提案した執行部の私たちは、それなりに随分準備をして、良い改正案をつくったと思っていたが、出席者からは、前向きな様々な提案があり、議論は、3時間を超えた。