2月13日の夕方、高知で荷物を積み終えた私は、このマンションに来ました。そしてちょうど1ヶ月、山のようだった荷物も何とか整理でき、視覚障害リハビリテーション協会の臨時総会も無事終え、毎日の生活のリズムも整いはじめました。
そして昨日、母の一周忌を無事済ませました。母の兄弟も私たちも、みんな結構年を取っていますから、無事な顔を見られただけでもとてもうれしい事です。
今正直、とてもほっとしています。母が亡くなり、そして大学を退職し、第18回視覚障害リハビリテーション研究発表大会を高知で開催し、その事務的な処理をして、そして第11回視覚障害児早期教育研究会でいろいろと役割をさせていただき、そして怒濤のごとく東京に引っ越して来ました。良く無事に乗り切れたなと思います。
そう思う一方で、次から次へとやることがあるのは、割りに楽なのだとも思います。これからは、自分でやることを見つけ、自分の生活を律して行かなければならないわけで、さてどうなるのか、とても不安です。
ここまでこれたのですから、きっとこれからも面白いことに出会いながら、楽しくやって行かなければと思っています。
3月8日(月)に厚生労働省の合同庁舎で、見出しの長い長いタイトルの一般公開があった。
視覚障害関係も6件公開があるとの情報を得て、見学することにした。
機器展を見学する前に驚いた事は、厚生労働省に入るまでのチェックの厳しさ。地下鉄丸ノ内線の霞ヶ関駅から厚生労働省に直接入る入り口の所に、最初の関門があり、用件を聞かれ、顔写真付きの身分証明の提示を求められた。建物の中には受付があって、そこでまた確認をした上ICチップのついたプレートを渡されて、それをゲートにかざしてようやく中に入れた。なんと厳重なことか。
17階の会場に続く廊下は省エネかエコかは分からないが、天井の蛍光灯がほとんど外されていて薄暗く、視覚障害者には不適切な環境であった。
参加者総数160名との事であるが、会場が狭く、人で一杯、しばらく見学をしていると汗びっしょりと言う感じであった。
今日の東京は1日中しとしとと雨が降っている。しかもひどく寒い。明日もこんな天気が続くらしい。
こんな日は、1日家にいてたまった原稿などを書いていたいのだが、先週高知のマンションが売れて、その契約で久しぶりに高知に戻っていたのでずっと買い物をしていない。東京のど真ん中にいて食糧危機もないものだが冷蔵庫に何も入っていないので、今日はどうしても食料品の買い出しに行かなければならない。
このマンションを買うことにした理由の一つが、雨に濡れずにスーパーに買い物に行けること、また連絡通路とエレベーターを使えば車いすになっても買い物ができると言うことだった。
2月23日に試用するためにメーカーからお借りした歩行器は、新型モデルだったので、メーカーの方があちこちで営業をするために必要ということで、私がずっと使っているわけにはいかず、3月2日にはいったんメーカーの方にお返しすることになった。
最初、「ずっと使っていられると良いのにな」と思っていた私だが、せっかくのチャンス、もう1台の歩行器も試して見ることにした。

この歩行器、前はSを試して、安定性と高さは良かったのだが、幅が狭くて、歩く時、また座るときにゆとりがなく、とても窮屈に感じたものだった。
2月27日(土)午後1時から、視覚障害リハビリテーション協会の規約を改正するための臨時総会と、それに付随して企画した研修会が行われた。

国立障害者リハビリテーション学院の講堂は大変広く、その日の出席者46人ではがらんとした感じになるかと思ったのであるが、臨時総会は、議論白熱、とても熱気があって、広い講堂も狭く感じられるほどであった。
規約の改正を提案した執行部の私たちは、それなりに随分準備をして、良い改正案をつくったと思っていたが、出席者からは、前向きな様々な提案があり、議論は、3時間を超えた。
ようやくここでの生活が少し落ち着いて来た私に、また新しい事が起こった。
それは、今日メーカーの方が、3台のスウェーデン製の歩行器を持って、私の所に訪ねて来たからである。
私と歩行器がどうして出会うことになったかと言うと、高知福祉器機展で出会い、すっかり意気投合し、母の後見監督人もしてくれたうえるぱ高知の下元さんが、片方に杖を持っているので、母の骨壺が運べない私の頼みを聞いてくださって、母の49日の時にお骨を持って私と一緒に高知から来て、私の東京のマンションに泊まって行ったのだが、その時に、私の歩き方や重い荷物を背負っていることなどを見て「歩行器を使って見たら」とアドバイスしてくださったのがきっかけである。
段ボール箱に囲まれて押しつぶされそうな気分で一晩を過ごした私、段ボール箱は100箱以上もあった。
2月16日の朝9時に、日通のエプロンさん(荷物出しの女性職員)が来た。中年の女性がたった2人だけ来た。私は内心「本当に1日で片付くのか」と不安な気持ちになりながら、とにかく荷物出しが始まった。
午前中は、7本もある本棚に大量の本とDVDやビディオを収めるのに費やし、午後からは、台所目用品やその他の雑然としたものに取りかかった。

午後6時、エプロンさんが作業を終えたとき、上記の写真のように、とにかく本は本棚に収まり、大量の食器や日常生活の必需品は、とにかくそれぞれの場所に収まってしまった。
今日はいよいよ高知からの荷物が届く日である。
午後1時に荷物が届いて、早速搬入が始まった。7つの本棚、タンスに仏壇などは、こちらが考えていたよりうまく収まったが、その後、段ボールの山が搬入された。

段ボール箱の数は100ぐらいありそうだ。これを明日1日でエプロンさんと呼ばれる荷物だしのプロが整理をしてくれるとのことだが、果たして収納できるのか。
どきどきしながら、とにかく荷物の間で寝ることにした。
2月に入って、連日高知の自宅を片付けるのに悪戦苦闘していたが、2月8日からの最後の5日間は、沢山の友人の力を借りて、何とか無事荷物の分別と掃除を終えることができた。
とにかく高知のマンションは、89㎡もあり、一人で住むにはとても広くて、贅沢な空間だったので、東京から11年前に持ってきて一度もあけたことのない荷物もそのままとって会った。けれど、東京の住まいは、56㎡しかないので、4割ぐらいの荷物は処分しなければならなかった。

しかも、私が引っ越した次の日に、この部屋を買いたいという方が見に来ると言うのだ。私はとにかく掃除が嫌いで、いろいろな口実をつけては、掃除をさぼっていたものだから、流し台には油がべっとり、ガスコンロや魚や機器は焦げ付き放題。こんな現状を見たら、見に来たお客がいやになるのではないかと思って、友人に助けを求めたら2時間もかけて、上記の写真の通り、ぴかぴかに磨き上げてくれて、感謝感激。
きっとそのおかげもあって、この不況のさなか、私の住み慣れた部屋は、見事買い手がついた。
視覚障害児早期教育研究会も無事終了し、いよいよ引っ越し一色になった昨日(2月9日)、高知で視覚リハの仕事を一緒にして来た仲間達が送別会を開いてくださった。

視覚障害者生活訓練指導員の4人の方たち、高知県障害保健福祉課の人達、そして高知福祉器機展で知り合ったうえるぱ高知の仲間達、高知県社会福祉協議会の方たち。20人と言う大人数の、本当に和やかな送別会。
こんなに沢山の方たちが私のために集まってくださった事に、とにかく感激したが、それ以上にうれしかったのは、あちこちで談笑の渦が巻き起こって、今までどこかで顔を見た事があるけれど、ゆっくり話した事がなかった人達が交流をしている姿を見たこと。