早い物で明日から4月、新しい年度が始まります。そして、私が東京に来て1ヶ月半になります。
この間、いろいろ新しい事に出会って、刺激的でとても充実していましたが、その中でも特に歩行器を使う生活は、なかなか面白くもあり、そして日々の生活を、とても楽にしてくれました。
でも最初に歩行器を見た時は、実はすごく抵抗感がありました。正直な所「こんなものは使いたくない」でした。その私の気持ちを分析すると、二つの理由が見えて来るようです。
まず、歩行器を使うことで「自分の障害が重くなった」と言う気持ちになるからです。「私はまだこんなもの使わなくても歩けるし、私の障害はこんなものを使うほど重くない」と言う気持ちです。歩行器を受け入れる事は、自分の障害が重くなった事を自分自身で証明するような気がするのです。
二つ目の理由は、いかにも歩行器と言うような大げさなデザインでしょうか。使って見れば、その安定性に気づきますが、最初見た時はやはりぎょっとします。
私の専門のロービジョンケアで利用者の方に拡大読書器を選んでいただく時、本人もご家族もまず携帯型の小さな物をほしがります。たいていのロービジョンの方が使いやすい、大型のテレビを上に載せた物については、みんな選びたがりません。みんな大げさな物はいやだし、その補助具の持っている機能が良く分からない内は、できるだけ目立たない物を選びたくなるわけです。
歩行器なんか使いたくないと言う最初の気持ちを私に乗り越えさせたのは、これを進めてくれたうえるぱの方たちに対する信頼感と、「私は福祉の専門家で、専門家としてはリハの専門家が良いと進める物を拒否してはいけない」と言う思いと、そして「どうせだから使って試してみようよ」と言う遊び心でした。
歩行器を使って見て、今はとても良かったと思っていますが、最初に私が思ったこと「私の障害はそんなに重くない」「まだこんなものの手を借りなくても歩ける」と言う拒否の気持ちは、とても強い物です。
それと、日本のバリアフリーはまだまだなので、この間の銀ブラの時もそうですが、やはりこれを使うと非常に行動範囲に制約が出るのも事実です。
歩行器を進めてくださったうえるぱの下元さんが、私とのやりとりの中で「杖から歩行器に移行する、また車いすになる、あるいは電動車いすに移行すると言うケースに関わっているとき、移行が遅くて、体に負担がかかって、肩や腰を痛めてしまう人に沢山会っているので、もっと早く移行を進めれば良かった」と言うことを言っておられました。
体に負担をかけ、無理に無理をして、どうしても歩けなくなってしまってから、仕方なく歩行器を使ったり、仕方なく車いすに乗ったりするのを見ているのは専門家としてはとても辛いだろうと思うし、もちろん障害者本人に取っても絶対にさけたい事なのですが、「私はまだそんなに障害が重くなった訳ではない」と言う抵抗感を利用者が乗り越えるのは並大抵の事ではないということを補助具を進める専門化がしっかり理解しておかないと、この拒否感に適切に対応するのは難しいなと思いました。
障害者や家族が持つ「私の障害はそんなに重くない」「大げさなのはいや」と言う気持ちを払拭するのは、「なぜ今歩行器にした方が良いのか」、「なぜ車いすを今使った方が良いのか」と言うこと、つまり症状を悪化させないためと言うことについての説得力のある説明と、そして「試しに使って見られる環境」なしでは実現しないと思いました。
メーカーの方に聞いた話だと、スウェーデンではみんな当たり前にこの形の歩行器を使って町を歩いているようです。それだけ町のバリアフリーも進んでいるのでしょう。
日本でも環境の整備が、もっともっと進む必要がありますし、また、日本のこの狭い環境に会った安全な歩行器のデザインを、メーカーの方たちに是非お願いしたいなと思いました。