ブログ休止宣言をしてから10日あまり、まだ書かなければならない論文は残っているのだけれど、どうしても書きたいことが出て来たので、コンピューターの前に座りました。
先週末、第8回の視覚障害児早期教育研究会に参加するため、会場になっている岐阜盲学校に行きました。名鉄岐阜駅からタクシーに乗り込む時に、「岐阜盲学校分かりますか」と聞くと運転手さんは、「大丈夫地図を見れば分かる」というので、何となく半信半疑でそのタクシーに乗り込んだのですが、やっぱり地図だけでは分からないようで、あちこち迷って、「ここが盲学校です」という所につきました。
私は、5年ほど前に講演で岐阜盲学校に来たことがあるのですが、その時の建物は古くて、正面玄関も狭かったという記憶がありました。所が「ここですよ」といって運転手さんが車を止めたのは、新しくて立派な建物の前。
「え、違うでしょう」と私は、いって、なかなかタクシーを降りませんでした。
しかし、そこが正真正銘盲学校の建物でした。「どうしてこんなにきれいになってしまったの?」
奇跡みたいなことが
今週の日曜日に盲学校主催の「相談会」にルミエールの機器の説明者兼相談担当者として参加して来ました。
今障害児の教育については、いわゆる特別支援教育体制という新しい体制に移行しつつあります。
特別支援教育体制の中では、盲・ろう・養護学校などの障害児専門学校は、特別支援学校という位置づけになって、地域の障害児教育のセンター的役割を果たすと同時に、傷害のる人たちを児童の時だけでなく、生涯にわたって支援していくことを期待されています。
そんなわけで、今年度から盲学校が地域に出て行って、視覚障害乳幼児の相談から地域の学校に通っている視覚障害児の支援、そして卒業生のアフターケアー的な相談まで活動の幅を広げるようになったのです。

(写真は、私が裸眼で文字を読むときの様子)
久しぶりに盲学校時代の後輩がひどく沈んだ声で電話をかけて来た。
「新しい職場に変わったのだけれど、周囲が自分の障害をちっとも理解してくれない。日常生活は普通にできるのを見て、何でも普通に見えると誤解して、小さな字の書類を平気でまわしてくる。自分は『弱視なので読めない』と言っても、『だって普通に歩けるではないか』と言って、納得してくれない。」
電話をかけてきたその後輩、先天性白内障の手術のため無水晶体眼で、矯正視力が0.1、視野にも障害がないし、暗順応もほぼ正常だから、確かに日常生活で困ることはほとんどないかもしれない。しかし、ピントを合わせたり拡大したり縮小したりするための水晶体と言うレンズがないので、細かいものを識別したり、字の読み書きなどになると、とたんに困るのである。
「こんな自分のことをどうやって周りに分かってもらったら良いのか分からない」とその後輩、とても情けなそうな声で訴えてくる。
同じような経験を沢山して来た私だが、後輩に的確な答えをすることができず、私も引きずられるように沈んだ気分になってしまったのである。
先日書いた「久しぶりに母と話ができました」に今日二つのコメントをいただいた。
私の正直な気持ちに、正直に答えてくださったコメントに、とても励まされた。
先週から仕事が始まり、なぜだかすごく疲れていて、今コンビューターの前に座っても、頭がボーとして、まともな文章も浮かんでこないのだが、とにかくいただいたコメントに対して、一言どうしても言いたかった。
正直に自分の気持ちを書いて良かった。これからも、母の介護について揺れ動く自分の気持ちは、正直に書きたいと思ったし、今日のコメントは、私にその勇気を与えてくださった。ありがとうございます。
東京でのこと、今年度の高知福祉機器展の新しい試み。沢山書きたいことがあるのだが、今日は無理。まともな文章になりそうもないので、終わりにします。
昨年暮れから、何となく精神的に落ち込んでいて、年明けに少し回復したようだったけれど、やはりすっきりしなくて、その気持ちを何とかしたくて、延ばし延ばしにしていた東京に行くことにしました。
そんなこともあり、母の所には、年明けに1回行っただけでした。
実は、この1ヶ月ぐらい、私が訪ねても、母は、ほとんど眠っていて、反応も鈍く、私だと言うことを分かっていてくれるのだろうかと言う、そんな危惧もあって、そのことが、私の気持ちを落ち込ませた一つの原因だったのかもしれません。
精神的にも肉体的にも少しずつ衰えて行く母を見ていることがつらくて、口実をつけて訪問を避けてしまっている私、そんな自分が自分でいやになる私。このような葛藤は、結構つらいものです。
とにかく、10日ほど母の所に行っていなくて、今日やっと、訪ねました。
そうしたら、「久しぶりね、東京に行っていたらしいわね」と、私の顔を見るなり母が話しかけて来ました。久しぶりに聞く母の声、本当にうれしかったです。
「年始のお墓参りをしてきたよ。今度の和尚さん、すごく金儲けが上手いという噂だけど、とにかくお墓に行く度に、墓石が増えているのよ。そろそろ足の踏み場がないって言うぐらい増えているの」と母に言うと、にっこり笑って頷いてくれました。
会話は、15分ぐらいしか続かなかったけれど、母の顔色も良くて、ほっとした私です。
主治医の先生・看護師さん・病棟の方たち、そして母を訪ねてくださっている仲間たち、ありがとうございました。
所で、3泊4日の東京の旅について、書きたいことが一杯です。もう少しまとまったら紹介したいと思います。
沢山のコメントありがとうございました
ゆっくりとした正月休みもあっという間に過ぎて、今日は、仕事始め。でもやっぱりどこか寝ぼけていて、スターターがかからない中、予約していた歯医者に行きました。
行って早々に、がりがりと削られた上、予想通り、歯は3本入れなければならなくて、相当にお金がかかることが分かり、「今年も前途多難」とがっくりしていたら、昨日の書き込みに、沢山コメントをいただいて、とってもうれしかったです。
うん、仲間はやっぱり良いですね。皆さんに励まされて、これから「社会福祉士の国家試験」直前合宿をしている学生を励ましに行って来ます。
今年も何か良いことが起こりそうな気になって来ましたよ。本当にありがとうございます。
出かける前に、急いでお礼を書きました。またゆっくりと書き込みますね。
明けましておめでとうございます。
旧年中はいろいろとお世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。

(写真は2007年1月2日初泳ぎの後で鏡の前で撮りました)
今年の私の目標、
5キロ体重を減らすこと
1回は、ダイビングに行くこと
母と共に健康に過ごすこと
昨年は、いろいろとあったからでしょうか、人付き合いが好きで、いつも前向きの私が、少々疲れてしまって、心も内向きになっていました。それで、2週間以上ブログの書き込みを休んでしまいました。
書き込みを休んでいる間に2006年が終わり2007年になりました。年末年始の休み機関は、私にとって良いリフレッシュ期間になりました。見たかった映画を2本(武士の一分と硫黄島からの手紙)見て、スカパーで懐かしいドラマの集中放送を見て、本当は好きなのに忙しくて日頃はしていない煮物などの家庭料理をつくって。
12月の半ばに入った人間ドックでコレステロールの値が高いので、落とさないといけないと言われて、体が重くて仕方がないので、2007年は再びダイエットに挑戦することにしました。そこで1月2日に初泳ぎをして、決意を確認しました。
そんな訳で、皆様への年末年始のご挨拶がこんなに遅くなってしまいました。
母に会いに行く度にいつも頭をよぎるのは、母はいつまでこの介護療養病棟にいられるだろうかということである。私が、なぜそのような不安を抱くかというと、国が打ち出している、療養型の病床を、38万床から15万床に減らすという方針をうけて、高知県でも、現在8000床ある療養型のベッド数を、2000〜3000床に減らすという方針が出ていることを知っているからである。
そんな不安を抱いている中、先週ある会議で医療制度改革(私は改悪だと思っているが)にとても詳しいドクターとお話しするチャンスがあって、その話を聞き、私の不安は、憤りに近いものに変わっていった。
療養型病床には、医療区分というのがあって、患者さんの状態がどの区分に当てはまるかによって、病院が受け取れる診療報酬が格付けされている。医療区分は、3段階に別れていて、3が、一番医療度が高く、1が一番低いということであった。


(左の写真は、母がテレビに注目しているところ 右は、うとうとしているところ)
今日は、久しぶりに何も予定の入っていない土曜日、歯医者の診察を終えた足で、母のところに行きました。
三日ほど前に母のところに行ってくれた知人が、「テレビを見ませんか」と誘ったら、「見たい」と母が答えたので、テレビカードを探したのだけれども見つからなくて見せられなかったと連絡してくれていました。
その連絡に対して、私「え! ほんとうかな」と実は思っていたのです。
私は、高知福祉機器展の活動をする中で、沢山の看護師さんや理学療法士の方たちと出会い、友達づきあいをさせていただくようになりました。そして、その何人かが、定期的に母のところに様子を見に行ってくださって、忙しくてなかなか母に会いに行けない私をサポートしてくださっています。私、本当に助かっているのです。
この何ヶ月か、随分弱ってきてしまった母、特に11月末に呼吸の状態が悪くなって、「もしかして」と思ったこともあって、そして、私が会いに行くと、いつもほとんど眠っている母を見ていましたから、「母がテレビを見たい」と言った」とか、「今日は、いろんな話をしてくれました」と言う友人たちの連絡を見ると、精神的に落ち込んでいる私を励ましてくれているのかなと、そんな風に思っていました。
それで、「テレビを見たい」と言った言葉は、あまり信じていませんでしたが、せっかく働きかけてくださっている友人のことを思い、今日は、病院の方にお願いして、電源を差し込んで、アンテナをつないでもらい、テレビカードも買い直して、テレビが見られるようにして見ました。
1年に1度、私は人間ドックに入ることにしている。そろそろ父が糖尿病になった年に私もなるし、とにかく日頃不摂生をしていて、運動もろくにしていないのだから、自分の健康状態がとても不安だからだ。
ドックに入るときは、検査の待ち時間に読めるだろうと思って、読みたい本をもって入ることにしている。実際は、検査と検査の間には、そんなに時間がなくて、いつも読み残してしまうのだが。
今年は、三宮麻由子さんの「目を閉じて心開いてー本当の幸せって何だろうー」岩波ジュニア新書(2002年6月第一版発行)をもっていった。
三宮さんは、4歳の時に病気で失明した方で、エッセイストとしてとても有名である。そして、私も卒業した東京教育大学付属盲学校(現筑波大)の後輩にもなるので、その著作を前から一度読んでみたいと思っていたのである。
検査の合間を縫って読み進む内に、私の体験とダブって、心を突き動かされる箇所に出会った。