奇跡みたいなことが
今週の日曜日に盲学校主催の「相談会」にルミエールの機器の説明者兼相談担当者として参加して来ました。
今障害児の教育については、いわゆる特別支援教育体制という新しい体制に移行しつつあります。
特別支援教育体制の中では、盲・ろう・養護学校などの障害児専門学校は、特別支援学校という位置づけになって、地域の障害児教育のセンター的役割を果たすと同時に、傷害のる人たちを児童の時だけでなく、生涯にわたって支援していくことを期待されています。
そんなわけで、今年度から盲学校が地域に出て行って、視覚障害乳幼児の相談から地域の学校に通っている視覚障害児の支援、そして卒業生のアフターケアー的な相談まで活動の幅を広げるようになったのです。
相談が行われた四万十地区は、保健師や福祉の担当者が熱心な所で、事前の広報活動が行き届いていたことと、盲学校の卒業生への個別のお知らせが効果的だったので、30人以上もの視覚障害者が集まってくれました。
私と視覚障害者生活訓練指導員、それと県の障害福祉課の担当者は、大人の方たちの相談を担当しました。大人というよりほとんどが高齢の視覚障害者でした。
80歳近い方が来て、「先天性の白内障で、けがをして網膜剥離にもなって、ほとんど見えないので、音声の使える何か良いものはないかと思って来た」といわれたので、最初は、音声時計などを見ていただいていましたが、本を読んだりするのがお好きだということだったので、拡大読書器というカメラを使って字を拡大してテレビ画面に映す機器を見てもらいました。
そうしたらなんと「文字」が読めたのです。
本当に何十年も文字を読んでいなかったその方は、飛び上がって喜んで、早速この機会を手に入れるために、役所で手続きをするといっていました。
(上記写真 左拡大読書器の一種 右視覚障害者用文具 )
実は、高知で拡大読書器をもって、相談にまわっていると、「あきらめていたのに文字が読めた」とか「孫の写真が見えた」などで喜んでいただく視覚障害者の方たちに度々出会うのです。
こうした光景に出会うことは、もちろんとてもすてきなことですし、私たちのやりがいでもあるのですが、次に必ず「もう少し早く、こんな機器のあることを知っていたら、私の人生変わっていただろう」という言葉が続くのです。
拡大読書器が今のように普及し始めて、少なくとも15年以上経ちました。それなのに、実は、そんなものがあることすら知らない人がまだ沢山いて、見ることができるのに、見ることをあきらめた生活を強いられているのです。
「見えた見えた」と喜んでもらえるのはとてもうれしいけれど、「もっと早く知っていたら」という言葉を聞かなくてすむように、さらに啓発活動に励まなければと、複雑な思いをする一瞬でした。
今年の6月に行われる第6回高知福祉機器展に参加して、1人でも多くの高齢者・障害者を支援する専門家の人たちに拡大読書器をはじめ、沢山の視覚障害者用便利グッズを見てもらって、印象にとどめてもらって、見えなくて困っている人たちの隅々に情報を届けたいという思いを新たにしました。
また、巡回相談も出張機器展示も沢山やって、移動が困難な山間地の高齢の視覚障害者に情報を届けたいと思いました。
福祉の情報は、一番必要な人の所にもっとも届きにくい(届けにくい)のですから!!
視覚障害者用の機器をはじめ福祉機器のことを知りたい方は、インターネット福祉機器展へどうぞ
しばらくブログへの書き込みを休みます
今、2本の論文の締め切りが迫ってきています。
同じ書くということでも、ブログを書くのと論文を書くのでは大違い、プログを書くのは楽しくて気楽ですが、論文は、ひどく緊張して肩の凝る作業です。
時間は限られている中、何か書こうと思うとき、ついつい楽しく書けるブログを先に書いてしまいます。そして時間がなくなってしまって。
だからしばらく書き込みを休むと宣言して、論文に集中しようと思います。