ブログ休止宣言をしてから10日あまり、まだ書かなければならない論文は残っているのだけれど、どうしても書きたいことが出て来たので、コンピューターの前に座りました。
先週末、第8回の視覚障害児早期教育研究会に参加するため、会場になっている岐阜盲学校に行きました。名鉄岐阜駅からタクシーに乗り込む時に、「岐阜盲学校分かりますか」と聞くと運転手さんは、「大丈夫地図を見れば分かる」というので、何となく半信半疑でそのタクシーに乗り込んだのですが、やっぱり地図だけでは分からないようで、あちこち迷って、「ここが盲学校です」という所につきました。
私は、5年ほど前に講演で岐阜盲学校に来たことがあるのですが、その時の建物は古くて、正面玄関も狭かったという記憶がありました。所が「ここですよ」といって運転手さんが車を止めたのは、新しくて立派な建物の前。
「え、違うでしょう」と私は、いって、なかなかタクシーを降りませんでした。
しかし、そこが正真正銘盲学校の建物でした。「どうしてこんなにきれいになってしまったの?」
校長室に通された私は、早速校長先生にお話しを伺ってみた。
「盲学校は、今から4年前に新築しました。大学付属の看護学校が校外に移転したので、その跡地に移って、土地が30億円、建物に30億円かかったので、計60億円の費用がかかって、今児童生徒合わせて60人だから、ちょうど1人1億円というところです」と校長先生が説明してくれました。
「今どこでも財政難だし、しかも盲学校は生徒も減っていて、どうやってこんな立派な建物が建てられたのですか」と私。
すると校長先生曰く「建物を新しくする計画は、もう15年越しにあったのです。周りからは校外に移転するようにいわれたけれど、同窓会の方たちが視覚障害者は移動が不自由だから、都会にいないといけないし、慣れた所でないと行きにくいと言って強く反対していました」「ちょうど看護学校が移転することになって、その建物をそのまま使うように行政側からはいわれましたが、その建物は、視覚障害児の特性に合っていないから、新築すべきだとがんばって、同窓会の人たちも応援してくれ、はじめはなかなか理解してくれなかった行政の方たちも、良くわかってくれて、もったいないという市民の方たちを、みんなで説得してこうなりました」とのこと。
(左:盲学校の象徴塔 真ん中:廊下の工夫 右:手すりはこどもの身長に合わせて)
見学をさせていただいて、まず感じたのは、木の廊下の広さとぬくもり、明かりは、天井にふんだんについているのですが、全部点灯していてとても明るい。あちこちにセンサーがあって、人が近づくと自動点灯してくれる。廊下のドアの前には、足で踏むとふくらみが感じられてドアの場所が分かる工夫がしてあり、壁の手すりは、こどもの身長に合うよう、上下2本設置してある。
(1人1人の目の状態に会わせて使いやすいよう機器が設置された教室)
(機能が充実した特別教室)
(広くてゆったりした図書室)
児童生徒1人1人の眼の状態に適したように、拡大読書器やレンズのおいてある教室や、大画面テレビや音声パソコンが設置された視聴覚室、機能充実の調理実習室、広々と明るい図書室など、見て回ると本当にすばらしい設備である。
このほか、全面床暖房の体育館、個室と二人部屋に自立生活実習室も備えた寄宿舎、シックで清潔な待合室のある治療室等々
見学を終えて、校長室に戻った時に、私はまた聞いてしまった。
「視覚障害児は少ないのに、よくこんな建物をたてられましたね」と
「視覚障害児が少ないのは統計的に当たり前のことで、少ないからといって、教育の保障がされなくて良いということではないでしょう。」「それに少ないから、少々予算をかけても全体から見たらそんなに大きな負担にはならないでしょう。」「もし100万人のこどもがいたら、一人に少しずつお金をかけても多額になるけれど、少ないからこそたいしたことにはならない」と校長先生はおっしゃった。
この校長先生の考え方、逆転の発想というか、とてもユニークというか。
「今財政危機だから、既存の建物と資源で」「新しいものを要求しても無理だし」と私は、ずっとそのように考えて活動をしてきたが、本当にそうなのだろうか。工夫次第で、予算を獲得できるのではないだろうか。可能性をはじめから否定してかかってはいけないのではないか。盲学校見学をし、校長先生の柔軟でユニークな発想を伺っているうちに、私はそんな風に思えてきたのである。