盲学校の直面している現実とは

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  昨日は、第8回視覚障害児早期教育研究会の会場になった岐阜盲学校のすばらしさと、このすばらしい設備を実現するために、岐阜盲学校の校長先生や、関係者の方たちがどんな努力をしたかを書いたところで、真夜中を過ぎてしまったので、書くのを止めたのですが、今日は、その研究会の中身の話と、そのことから私が考えたことを書きたいと思います。

  研究会二日目は、朝から「視覚障害乳幼児期からの医療との連携とは」と題するシンポジュームが行われたのですが、そこでは、最近の医療の著しい進歩の中で、妊娠23週、あるいは22週のいわゆる超未熟児といわれているこどもの命を救うことができるようになってきたこと。それらのこどもたちは、非常に高い確率で障害を持つ可能性があること(障害はいくつも併せ持つ可能性がある)。そして、このような超未熟児の発達や、その支援の仕方についての方法は、まだまだ確立されていないことなどが語られました。

  又、これらの未熟児たちが保育器を出て、両親の元で生活できるようになるには、1年から1年半もかかり、その間両親から引き離されているこどもと親との関係の構築の難しさ、「助かっても障害が残ります」といわれた親たちの不安をどう支えるのか。そして、重い障害を持ったこどもたちを育てる親たちの子育てをどう支援するのかなど、沢山の問題点が浮き彫りになりました。

  会場では、まだこどもが保育器に入っている内から不安な心をかかえて、盲学校の教育相談を訪ねてくる親の事例、それらを受け止めて、多分野と連携を取りながら相談に乗り始めている盲学校や福祉関係の視覚障害乳幼児対象の教室での実践など、困難ながら、前向きに真剣に取り組んでいる実践が紹介され、討論が続いていました。

  その討論を聞きながら、一方で私は、違う光景を思い浮かべていました。
  それは、ついこの間行った、盲学校主催の相談会の風景でした。一つのお部屋には、70から80歳代の盲学校卒業生や中途視覚障害者の方たちが新しい視覚障害者用の機器を見に来て、困りごと相談を受けていました。もう一つの部屋では、それこそ重度・重複障害を持った乳幼児をつれた親や、普通校に通うロービジョン児の相談が行われていました。

  今の盲学校に期待されているものは、重度・重複の障害を抱えるかもしれないまだ保育器にいる生まれたてのこどもの不安を変えた両親の相談に乗ることから、重度・重複の障害児を視覚障害という観点を中心にして育ちを支援すること。そして、普通小・中学に通うロービジョン児の支援、いじめなどで心が傷つき、盲学校にやってくる中・高校生の支援、そして、人生の半ばで視覚障害者となり、自己の障害を受け止める暇もなく、生活のため、あるいは他に行く場所がないので、盲学校に職業訓練を受けに来る中高年・老年層の人たちの教育。

  今、ろう・養護学校などの特別支援学校は、障害の重度・重複化、ニーズの多様化で、どこもとても大変な状態です。しかし、その中でもやはり盲学校は、本当に特殊な所だと思います。

  こんな盲学校の教員の専門性というのは、いったいどんなものなのでしょうか。下は0歳から上は、60歳以上の人たちの教育に携わる先生方、寄宿舎の職員の方、扱っている対象がこんなに違うのです。盲学校の中で先生方は、果たして理解し合えるのでしょうか。外との連携の以前に、盲学校の内部での連携は可能なのでしょうか。

  そして、ロービジョン者である私は、さらに気になることがあります。0.1とか0.2とか見える単独障害の人たちは、重複障害のこどもたちや、いろいろと問題を起こす中途視覚障害者の人たちに比べたら、一見手がかからず、問題がないように見えるので、またまたほおって置かれるのではないかと言うこと。せっかく、少し注目されて来たのに。又無視されてしまうのではないだろうかと言うことです。

  私は、中途視覚障害者のリハビリテーションという立場で、視覚障害の世界の研究や実践を始めたのですが、ニーズに突き動かされて、とうとうこどもの問題にも足を踏み入れてしまいました。でも、立場上視覚障害全体を見渡せる幸運に恵まれたのかなとも思います。
  複雑多岐にわたっているのですが、どこにでも顔を出して、真剣に取り組んでいきたいなと思っています。というより、今は、それしかいえない私です。