1年に1度、私は人間ドックに入ることにしている。そろそろ父が糖尿病になった年に私もなるし、とにかく日頃不摂生をしていて、運動もろくにしていないのだから、自分の健康状態がとても不安だからだ。
ドックに入るときは、検査の待ち時間に読めるだろうと思って、読みたい本をもって入ることにしている。実際は、検査と検査の間には、そんなに時間がなくて、いつも読み残してしまうのだが。
今年は、三宮麻由子さんの「目を閉じて心開いてー本当の幸せって何だろうー」岩波ジュニア新書(2002年6月第一版発行)をもっていった。
三宮さんは、4歳の時に病気で失明した方で、エッセイストとしてとても有名である。そして、私も卒業した東京教育大学付属盲学校(現筑波大)の後輩にもなるので、その著作を前から一度読んでみたいと思っていたのである。
検査の合間を縫って読み進む内に、私の体験とダブって、心を突き動かされる箇所に出会った。
三宮さんは、盲学校と言う視覚障害者ばかりの狭い世界を飛び出して、いわゆる普通学校で学ぶことを切望して、何回も何回もトライするのだが、その夢は叶うことはなく、絶望の淵に追いやられるのであるが、盲学校の先生の「高等部に進めばアメリカ留学のチャンスがある」と言う言葉に励まされて、気持ちを切り替えて、アメリカ留学を果たすのである。
留学してみて、「盲学校で学んで良かった」と思い直すのである。思い直したきっかけとして、「盲学校で受けた歩行訓練が広いアメリカの高校の中を歩くのに役立ったこと」「点字で手紙を書くときの折り線の工夫がアメリカの視覚障害者にうけたこと」「英語を点字で書くときの略字を充分にマスターしていたこと」などの例を上げておられた。
実は、私も盲学校時代、普通学校に行きたくて仕方がなかった。私は、三宮さんより、20歳ぐらい年上で、視覚障害者が盲学校の外で学ぶなどと言うことは、不可能と考えられていた時代だったから、彼女のように実際にチャレンジしたことはなかったが、「視力が0.1もあるし、どうして盲学校で学ばなければいけなかったのだろう」「もう少し遅く生まれていれば統合教育が受けられたのに」と言う思いは、大学を卒業してしばらく私の心から離れなかったのである。
ちょうど私が大学生の頃は、障害者運動も参加で、「普通学校に通う」と言うことが可能になり始めた頃であったから、「私は、なぜ盲学校だったのか」と言う恨みに近い思いは、なかなか消えなかった。
けれど、社会人になり、普通校で学んで、点字の読み書きも充分にマスターできないまま、「障害がある人に親切にしましょう」などと言う、道徳教育の対象にされてしまい、自分で様々な経験ができなかった方たちに会うようになって、私の考え方は、ずいぶん変わったのである。
現在あちこちで呼んでいただいて講演する時に、私は必ず「盲学校でしっかりした点字教育を受け、沢山のすばらしい先輩や同級生に生き方を教わってとても良かったと思います」とお話ししている。
私は、点字で大学受験もしたし、公務員試験も受けた。1時間最低40ページは読めないと時間が足りなくなる、沢山の問題を読みこなすだけの実力をつけてもらった。中学生という多感な時期に、視覚障害のある友達と「障害をもってどう生きるべきか」議論するチャンスもあった。そしてその友人たちには、今でも折に触れて、特にいわゆる晴眼者の中で生きていくのに疲れてしまった時に、貴重なアドバイスをうけることができる。
盲学校で、視覚障害者として生きる基礎をつけてもらって、そしてそれを基盤に晴眼者の世界でがんばってきたのである。
視覚障害児には、ある時期きっちりとした専門教育がうけられる場が必要である。そして、盲学校は、その専門教育の方法や技術を受け継ぐ場である。
今、盲学校に通うこどもたちの多くは、視覚だけでなく他の障害を併せ持っている。また、高等部には、中途視覚障害者が沢山入学してきている。
そんな事情や、先生方の人事異動の早さや、様々な要因が重なって、今盲学校に蓄えられているはずの、視覚障害児に対する専門教育の方法も技術も失われつつあるように私には思えてならない。
三宮さんの著書を読みながら、私の思考は、どんどん飛躍していってしまった。
所で、人間ドックの検査結果であるが、やはり悪玉のコレステロール値が高く、要注意と出てしまった。
明日からダイエットをしないといけない。来年の目標は、体重5キロ減ということだろうか。