東京の視覚障害リハビリサービスに携わっている方たちを訪問して、その現状から学び、高知という現場を離れて東京に戻って来た私に、今何ができるのか考えようと言う計画、7月と8月に順調に施設訪問をさせていただいていたのだが、学会発表の準備や、視覚リハ協会の理事会などが入っていた9月は、訪問をお休みせざるを得なかった。
二つの学会発表と一つの講演を終えて、ようやく一段落ついた10月12日(金)に、訪問を再開することができた。
今回の訪問先は、「足立区障がい福祉センターあしすと」、お話を聞かせてくださったのは、社会リハビリテーション室相談担当の荒井さんと、スタッフの皆さん、そして週に1度、視覚障害リハ専門の講師として参加している加藤さんであった。
足立区障がい者福祉センターあしすとホームページは以下の通り
http://www.city.adachi.tokyo.jp/shogai-c/shisetsu/fukushi/asistsougou.html
1ヶ月ほど前に、日本点字図書館が貸し出しと製作を担当しているデジタル雑誌「ホームライフ」の「みどりのアンテナ-この人と一時を-」というコーナーに出て欲しいと、担当の方からお誘いがあって、「視覚障害リハビリテーション」について」話ができるならということで、出させていただきました。
その音源をいただいたので、制作者の許可を得て、ここに載せます。30分を少し超えるものです。興味のある方は下記をクリックすると聞けます。
インタビュアーと編集がとても上手くて、私の言いたいことが良く出ていると思いましたので。
はじめに
1ヶ月などというのは、瞬きする内に過ぎてしまうような気がするのは、年を取ったせいなのでしょうか。
先月から雑誌「視覚障害」に「視覚障害リハビリテーションを理解しよう」という連続記事を書かせていただいていますが、その10月号が出ました。
今回は、「番外編」として、秋田県立盲学校を訪問した時のことを、まとめて書いていますので、それを出版元の許可を得て、このブログにも載せたいと思います。
少し長くなりますが、興味のある方は、読んで見てください。
1970(昭和45)年に入学した日本福祉大学。初めて親元を離れ、しかもクラス3人という盲学校から、いきなり学年400人の大学。時代は学生運動の最後の時期。心細い下宿生活の中で、たまたま下宿が一緒だったり、サークルが同じだったりして親しくなった友人達と、4年か5年ぶりに会うことにしました。
すっかり没交渉になった時期もありましたが、会うととたんに昔に戻って会話が弾む。やはり学生時代の友達はかけがえのないものです。
お互い白髪も増えて、ずいぶん年取っていますが。
訪問記を読んでくれていた私の友人から「あなたが盲学校で話をした様子が秋田県立盲学校のホームページに載っていいたけど見た」というメールがありました。
「え!私全然知らなかった」と思い、いそいで見て見ると、確かに載っていました。「この記事書いた方が、私の話のどこに関心を持ってくださったか」が分かって、とてもうれしかったです。
生徒さんに話をする機会を与えていただいて改めて感激しました。
県立盲学校のページ、盲学校の活動が楽しく分かるようになっているのを改めて発見しました。私のつたない文章では表せなかった生き生きした「生活情報科」の生徒さんの様子が良く分かります。私も時々のぞかせていただこうと思っています。興味のある方は、下記から私の話の様子が見られます。
http://kagayaki.akita-pref.ed.jp/mou-s/topics/detail.html?id=371
私の主観的意見
盲学校は視覚リハ施設として理想的
「生活情報科」の取り組みを見せていただいて、この取り組みの中に『中途視覚障害者に対するリハビリテーションシステムの一つの理想の形」を見た思いがしました。 まず第一に「生活情報科」は、「生活の質向上」を教育目標に掲げています。すなわち、移動・歩行、日常生活動作、コミュニケーションという視覚障害リハビリテーションの基礎的な部分を、じっくりおこなうことを通して、その後の自分の人生を考えて行く時間を与えてくれるわけです。 しかも、特別支援教育という土壌は、元々個別のニーズに合わせた、一人一人の発達を支援することを第一の特徴としているので、「さあ先生のしているのを見て、まねをしてください」というようなことができない視覚障害という特徴を踏まえ、一人一人違った人生を送ってきた人たちのニーズに即した個別対応が絶対に必要な視覚障害リハビリテーションの考え方とぴったり一致しているわけです。幼稚部から専攻科まで多くの学級の維持と職業教育をおこなうという関係上、今全国的に盲学校には、生徒一人に平均二人の教員が配置されているので、工夫次第でマンツーマンの対応をする人員を確保できる余地があります。 しかも、学級という形をとっているので、同じ中途視覚障害者同士ふれあうことができ、しかも学校という土台の中にありますから、「学生時代に戻った気分で」再出発をはかる、そんな気持ちになれる場所でもあります。明治以来、視覚障害児の発達保障と理療科を中心とした職業教育を一手に担い、盲学校で理療科の教育を担った視覚障害のある教員や卒業生の努力により、地域の視覚障害者福祉や文化は向上して来た歴史があり、現在でも視覚障害者ケアの専門的な施設としては盲学校しかない地域もまだ沢山ある中、中途視覚障害者のリハビリテーションにとって盲学校の存在と役割はとても大きいと、秋田県立盲学校の例を見て、私は確信しました。
高等部専攻科生活情報科1
秋田県立盲学校を私が訪問したそもそもの目的は、「盲学校の中に生活の質の向上を目指した中途視覚障害者などのための学科が設立された」と聞いて「どうしてそんなことができたのか」を知りたかったからです。
それなら、いの一番に「生活情報科」のことを書けば良かったのですが、それでは、「なぜこんなユニークな学科を作ろうとしたのか」「なぜその学科が維持できているのか」を、この記事を読んでくださっている方たちに理解していただくことはできないと思って、秋田県立盲学校の理想としていることや、「かがやきの丘」の全体像を書こうとして来ました。
そのようなことをしていたら、こんなに時間がかかってしまい、すっかり世の中秋になってしまいました。
ようやく、外堀を埋めたかなと思い、今日は「生活情報科」のことを書きたいと思います。
PDFファイルで載せた新聞記事は、平成22年度に生活情報科が開設された時のものです。まさに「視覚障害リハビリテーションコース」そのものです。
開設時新聞記事.pdf
外部専門家活用術
「光陰矢のごとし」昔の人は良く言ったもので、本当に毎日が飛ぶように過ぎて行ってしまいます。前回「訪問記3」を書いてから1週間も経ってしまいました。
今回は、視能訓練士(ORT)や理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)等、教職員ではない外部専門家を、秋田県立盲学校がどのように利用しているのかについて、フォーカスします。
盲学校からいただいた外部専門家の活用についての資料は下記からダウンロードできます。参考にしてください。
外部専門家の活用.pdf
はじめに
月刊視覚障害-その研究と情報-は、全国の盲学校や点字図書館で購読されており、活字での発行と共に点字で約600部発行されている。歴史も古く、多くの視覚障害当事者とその支援者に愛読されている。
その雑誌に「視覚障害リハビリテーションを理解しよう」というテーマで、現在の視覚障害者の現状や、その支援の状況について、具体的に分かりやすく書くというチャンスをいただいた。そこで、発行元の視覚障害者総合支援センターの許可を得て、連載した原稿をこの私のブログにも転載させていただくことにした。
なるべく分かりやすく書くつもりなので、当事者の方や家族の方、視覚障害者支援をはじめたばかりの方に見ていただいて、少しでも役に立てていただけたらと思っている。
盲学校見て歩き
訪問記(1)で書いたように、私がこの盲学校を訪問したのは「なぜ教育の分野で中途視覚障害者のQOL向上を目指す生活情報科を作ることができたのか」「それはどのように運用されているのか」を知りたかったからです。
だから最初、このブログにも「生活情報科訪問記」だけを書こうと思っていたのですが、二日間の滞在の中で、それでは、「生活情報科」ができた意味も、そこで学んでいる方たちの楽しそうな学校生活のことも、良く分かっていただけないと感じてしまいました。
それで、今回は、「盲学校全体の私なりの印象」を書かせていただきます。