私の主観的意見
盲学校は視覚リハ施設として理想的
「生活情報科」の取り組みを見せていただいて、この取り組みの中に『中途視覚障害者に対するリハビリテーションシステムの一つの理想の形」を見た思いがしました。
まず第一に「生活情報科」は、「生活の質向上」を教育目標に掲げています。すなわち、移動・歩行、日常生活動作、コミュニケーションという視覚障害リハビリテーションの基礎的な部分を、じっくりおこなうことを通して、その後の自分の人生を考えて行く時間を与えてくれるわけです。
しかも、特別支援教育という土壌は、元々個別のニーズに合わせた、一人一人の発達を支援することを第一の特徴としているので、「さあ先生のしているのを見て、まねをしてください」というようなことができない視覚障害という特徴を踏まえ、一人一人違った人生を送ってきた人たちのニーズに即した個別対応が絶対に必要な視覚障害リハビリテーションの考え方とぴったり一致しているわけです。幼稚部から専攻科まで多くの学級の維持と職業教育をおこなうという関係上、今全国的に盲学校には、生徒一人に平均二人の教員が配置されているので、工夫次第でマンツーマンの対応をする人員を確保できる余地があります。
しかも、学級という形をとっているので、同じ中途視覚障害者同士ふれあうことができ、しかも学校という土台の中にありますから、「学生時代に戻った気分で」再出発をはかる、そんな気持ちになれる場所でもあります。
明治以来、視覚障害児の発達保障と理療科を中心とした職業教育を一手に担い、盲学校で理療科の教育を担った視覚障害のある教員や卒業生の努力により、地域の視覚障害者福祉や文化は向上して来た歴史があり、現在でも視覚障害者ケアの専門的な施設としては盲学校しかない地域もまだ沢山ある中、中途視覚障害者のリハビリテーションにとって盲学校の存在と役割はとても大きいと、秋田県立盲学校の例を見て、私は確信しました。
高等部専攻科生活情報科1
秋田県立盲学校を私が訪問したそもそもの目的は、「盲学校の中に生活の質の向上を目指した中途視覚障害者などのための学科が設立された」と聞いて「どうしてそんなことができたのか」を知りたかったからです。
それなら、いの一番に「生活情報科」のことを書けば良かったのですが、それでは、「なぜこんなユニークな学科を作ろうとしたのか」「なぜその学科が維持できているのか」を、この記事を読んでくださっている方たちに理解していただくことはできないと思って、秋田県立盲学校の理想としていることや、「かがやきの丘」の全体像を書こうとして来ました。
そのようなことをしていたら、こんなに時間がかかってしまい、すっかり世の中秋になってしまいました。
ようやく、外堀を埋めたかなと思い、今日は「生活情報科」のことを書きたいと思います。
PDFファイルで載せた新聞記事は、平成22年度に生活情報科が開設された時のものです。まさに「視覚障害リハビリテーションコース」そのものです。
開設時新聞記事.pdf
外部専門家活用術
「光陰矢のごとし」昔の人は良く言ったもので、本当に毎日が飛ぶように過ぎて行ってしまいます。前回「訪問記3」を書いてから1週間も経ってしまいました。
今回は、視能訓練士(ORT)や理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)等、教職員ではない外部専門家を、秋田県立盲学校がどのように利用しているのかについて、フォーカスします。
盲学校からいただいた外部専門家の活用についての資料は下記からダウンロードできます。参考にしてください。
外部専門家の活用.pdf
はじめに

月刊視覚障害-その研究と情報-は、全国の盲学校や点字図書館で購読されており、活字での発行と共に点字で約600部発行されている。歴史も古く、多くの視覚障害当事者とその支援者に愛読されている。
その雑誌に「視覚障害リハビリテーションを理解しよう」というテーマで、現在の視覚障害者の現状や、その支援の状況について、具体的に分かりやすく書くというチャンスをいただいた。そこで、発行元の視覚障害者総合支援センターの許可を得て、連載した原稿をこの私のブログにも転載させていただくことにした。
なるべく分かりやすく書くつもりなので、当事者の方や家族の方、視覚障害者支援をはじめたばかりの方に見ていただいて、少しでも役に立てていただけたらと思っている。
盲学校見て歩き
訪問記(1)で書いたように、私がこの盲学校を訪問したのは「なぜ教育の分野で中途視覚障害者のQOL向上を目指す生活情報科を作ることができたのか」「それはどのように運用されているのか」を知りたかったからです。
だから最初、このブログにも「生活情報科訪問記」だけを書こうと思っていたのですが、二日間の滞在の中で、それでは、「生活情報科」ができた意味も、そこで学んでいる方たちの楽しそうな学校生活のことも、良く分かっていただけないと感じてしまいました。
それで、今回は、「盲学校全体の私なりの印象」を書かせていただきます。
ロービジョン支援センターについて
今回の訪問では、県立盲学校の新しい取り組みについて、いろいろな資料をいただくことができ、また、その資料を私のブログで公開しても良いという許可もいただいた。
私自身の感想も含めた訪問記は、後3回ぐらいに分けて、書かせていただくつもりだが、ここでは、この8月2日と3日に山形県で開かれた「全日本盲学校教育研究大会(山形大会)」で発表を担当なさった菊池先生の原稿をまずアップさせていただきます。
福祉やリハの関係者は、「全日盲研」に出て、そこで情報を得ることがほとんどできない。すごく敷居が高く感じるし、どのように参加して良いかも分からないから。そんなわけで、とても貴重な資料です。
ロービジョン支援センター.pdf
あきた総合支援エリアかがやきの丘の全体像
「秋田県立盲学校」が「盲学校なのに中途視覚障害者のリハビリテーション」に重きをおいた「生活情報科」というのを開設したらしいという話を聞いて、私は、大変に興味を持って「いつか行ってみたい」と思っていました。
今回、秋田県立盲学校に大変無理なお願いをして、二日間その中を見せていただくことができましたので、その「訪問記」を載せます。
訪問記(1)では、まず秋田県立盲学校が属している「あきた総合支援エリア」というものの全体を貫いている理念について、私の感じたことを中心に書いておきたいと思います。その方が後でこの「盲学校」のことを理解してもらいやすいように思うからです。
「かがやきの丘」のことを詳しく知りたい方は、こちらを見てください。
http://www.kagayaki.akita-pref.ed.jp/
東京の視覚障害リハビリテーション事情を知りたくて、今まで3カ所の施設を訪問させていただいたのだが、7月20日(金)に訪問させていただいた「生活リハビリサポートすばる」でのお話の中に出て来た、眼科医原田先生の「武蔵野市議会への陳情」に基づき、武蔵野市に視覚障害者指導の専門家を置くかどうかを判断するため武蔵野市で委員会を設置して調査を行ったとのことであったが、その調査報告書を見せていただけることになり、また、私のブログで公開しても良いと言うことなのでPDF化してアップすることにした。
武蔵野報告書.pdf
1994(平成6)年の武蔵野市という地区に限られた調査だが、新たに制度作りをする時の参考になる貴重な資料だと考えた。
東京で視覚障害リハを実施している施設を訪問して、いろいろと学ばせていただこうという私の試み、7月の末から猛暑になって、そろそろ夏休みモードも出て来て、少しスピードか鈍ってしまいましたが、そんな中、快く私の訪問を受け入れてくださった、荒川たんぽぽセンター(荒川区心身障害者福祉センター)に8月16日に訪問することができました。
この日も朝から猛暑、亀戸駅から日暮里駅行の都バスに揺られて30分、荒川区役所前の停留所から、私の足で7分程度の場所に、センターはありました。
お話を聞かせてくださったのは、このセンターでの職名が「視覚訓練相談員」の加藤さんとセンター所長の石垣さんでした。
加藤さんは、センターへ就職してまだ2年なのだそうで、センター設立当時からの事情に詳しい石垣所長が同席してくださり、センター設立時の事情や、センター全体の仕事の流れなどを話してくださるというすてきな段取りで、とても和やかにお話を聞くことができました。
私がブログを始めてから、驚いたことに6年も経った。何をやっても飽きっぽくてつづかない私が、「え!6年もつづいたの」である。
そうこうしているうちに、ブログの記事を作る元になっているソフトも古くなってしまい、記事を載せたり編集したりすることが難しくなって来た。
2年半前に高知から東京に引っ越しをしてきて、生活の変化になかなかなじめなかったので、しばしば何もしたくない日が続き、ブログへの記事の書き込みも滞りがちになって来たし、ツイッターなどの簡単な表現手段もあるので、そろそろ潮時だから、ブログをたたもうかと思ったりもした。
けれど、読んでいてくれる人もいるし、どこかに視覚リハのことを書き続ける場所が欲しかったので、ブログを閉じるのではなくて、新しいサーバーに移転して、ソフトも更新して続けることにした。
そして、昨日移転が完了したと言う知らせをいただき、またぼちぼちと書き続けて行こうと思っている。
新しいソフトは、とても使いやすくなっているが、少し慣れるまでは大変そう。
幸いな事に、アドレスが変わらないので、また時々のぞいてみてください。