京都の紅葉きれいでした

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北野神社庭園入り口から見た色とりどりの紅葉
(北野神社の庭園の入り口で見た紅葉) 後ろにひときわ目立つ銀杏の黄色が見事です。 
北野神社の庭園、紅葉をバックにして一枚
 北野神社の庭園、紅葉が見渡せる所で、ガイドさんに取っていただいた写真です。携帯のカメラ機能でもこんなに良く撮れます。

北九州での講演について

小倉城の背にして、私一人の写真 私を講演に呼んでくださった現地の野村さんたちと記念撮影

 この11月と12月にかけては、肉体的にも精神的にも、とても忙しかった。視覚障害リハビリテーション協会の役員任期が今年度一杯なので、次期役員選挙が始まり、1ヶ月にわたって立候補の受付がおこなわれ、「沢山の方たちが立候補してくださると良いけれど」とはらはらさせられた。
 雑誌「視覚障害」の原稿の他にも、いくつか原稿を書いた。
 そして、11月の末からは、毎週講演とか会議とかで遠出をするというスケジュールで、楽しいけれど、どきどきはらはら。このブログへの書き込みもなかなかできなくて、今日になってしまった。

視覚障害リハビリテーションを理解しよう(3)

「視覚障害」295号の表紙」

リハシステムづくり活動で出会ったこと学んだこと

はじめに

私が名古屋ライトハウス明の星声の図書館で、最初に中途視覚障害者との衝撃的な出会いをして、その後高知で視覚障害リハシステムづくり活動をおこない、そして現在に至るまで、私は、その活動の中で様々な人や、出来事に出会いました。その一つ一つの出会いが、今の私の「視覚障害リハビリテーションはこうあるべき」という考え方の原点になっています。
 今回は、その中でも私にとって忘れがたいいくつかの出会いや出来事について書かせていただきたいと思います

視覚障害リハビリテーションを理解しよう(2)

「視覚障害」294号の表紙

-高知での視覚障害リハシステムづくり活動から学んだこと-

はじめに

1976(昭和51)年、東京に戻りたい、親元で暮らしたいという思いに勝てず、名古屋ライトハウスあけの星声の図書館を退職して東京に戻った私は、ちょうどその頃東京都で始まった障害者雇用枠での公務員試験を受験し、幸い合格して1977年から11年間東京都児童相談センター(中央児童相談所)で電話相談や障害児施設への措置業務を担当しました。
 40歳になった時、もう少し深く福祉を学び直したいという気持ちから都を退職し、日本女子大の大学院に入り、終了後都立大(現在の首都大)人文学部社会福祉学科助手になりました。そこで7年半働いた後、社会福祉学部を新設するに際して「障害を持った教員が一人いたら学生の教育に良い」ということでお誘いがあり、1999年(平成11)高知女子大学社会福祉学部に赴任しました。
 この23年間の視覚障害者の世界とは全く縁のない世界で生きた経験は、すべて私の人生の肥やしとなって、私自身を成長させてくれましたが、その間、ライフワークにすると心に誓った「視覚障害リハビリテーション」に携わるチャンスはほとんどありませんでした。
 そんな私を「視覚障害リハビリテーション」に再び駆り立てたのは、私の赴任と同時期に「視覚障害者生活訓練指導員(歩行訓練士の呼び方の方がなじみ深いでしょうか)」の認定資格を得て高知に戻ってきた女性との運命的な出会いでした。そこで、今回と次回は、高知での活動の中で経験したことを中心に書きたいと思います。

第13回日本ロービジョン学会ポスター発表

 10月6日と7日におこなわれた第13回日本ロービジョン学会学術総会でボスター発表をおこなったのであるが、その際、思ったより多くの方たちが説明を聞きに来てくださったため、ハンドアウトがなくなってご迷惑をかけた。
 そのハンドアウトとをPDFファイルでこのブログに載せるので、興味のある方は見てください。
ポスタータイトル「高知県における視覚障害リハビリテーションシステムづくり活動から見えてきたこと」
2012ハンドアウト資料-1.pdf

 なお、ハンドアウトでも書き切れなかったことについては、厚労省科学研究の分担研究者として、高知県の活動について詳しく述べたものを、ダウンロードして見てください。
007-吉野分担報告書.pdf
なお、厚労科研の冊子全体をダウンロードしたい方は、下記からできます。
「総合的視覚リハビリテーションプロトコール開発」 
http://www.shikakuriha.net/index.html 

足立区障がい者福祉センターあしすとを訪問記

 東京の視覚障害リハビリサービスに携わっている方たちを訪問して、その現状から学び、高知という現場を離れて東京に戻って来た私に、今何ができるのか考えようと言う計画、7月と8月に順調に施設訪問をさせていただいていたのだが、学会発表の準備や、視覚リハ協会の理事会などが入っていた9月は、訪問をお休みせざるを得なかった。
 二つの学会発表と一つの講演を終えて、ようやく一段落ついた10月12日(金)に、訪問を再開することができた。
 今回の訪問先は、「足立区障がい福祉センターあしすと」、お話を聞かせてくださったのは、社会リハビリテーション室相談担当の荒井さんと、スタッフの皆さん、そして週に1度、視覚障害リハ専門の講師として参加している加藤さんであった。
足立区障がい者福祉センターあしすとホームページは以下の通り 
http://www.city.adachi.tokyo.jp/shogai-c/shisetsu/fukushi/asistsougou.html

ホームライフのインタビューを受けて

 1ヶ月ほど前に、日本点字図書館が貸し出しと製作を担当しているデジタル雑誌「ホームライフ」の「みどりのアンテナ-この人と一時を-」というコーナーに出て欲しいと、担当の方からお誘いがあって、「視覚障害リハビリテーション」について」話ができるならということで、出させていただきました。
 その音源をいただいたので、制作者の許可を得て、ここに載せます。30分を少し超えるものです。興味のある方は下記をクリックすると聞けます。
 インタビュアーと編集がとても上手くて、私の言いたいことが良く出ていると思いましたので。

2012年10月ホームライフ.mp3

視覚障害リハビリテーションを理解しよう(番外編)

雑誌「視覚障害」293号の表紙写真

はじめに

 1ヶ月などというのは、瞬きする内に過ぎてしまうような気がするのは、年を取ったせいなのでしょうか。
 先月から雑誌「視覚障害」に「視覚障害リハビリテーションを理解しよう」という連続記事を書かせていただいていますが、その10月号が出ました。
 今回は、「番外編」として、秋田県立盲学校を訪問した時のことを、まとめて書いていますので、それを出版元の許可を得て、このブログにも載せたいと思います。
 少し長くなりますが、興味のある方は、読んで見てください。

熟女3人旅物語

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 1970(昭和45)年に入学した日本福祉大学。初めて親元を離れ、しかもクラス3人という盲学校から、いきなり学年400人の大学。時代は学生運動の最後の時期。心細い下宿生活の中で、たまたま下宿が一緒だったり、サークルが同じだったりして親しくなった友人達と、4年か5年ぶりに会うことにしました。
 ダム湖を見下ろす展望台で二人の友人を撮る
同じ場所で私ともう一人の友人と すっかり没交渉になった時期もありましたが、会うととたんに昔に戻って会話が弾む。やはり学生時代の友達はかけがえのないものです。
 お互い白髪も増えて、ずいぶん年取っていますが。

秋田県立盲学校訪問記-付録

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 訪問記を読んでくれていた私の友人から「あなたが盲学校で話をした様子が秋田県立盲学校のホームページに載っていいたけど見た」というメールがありました。
 「え!私全然知らなかった」と思い、いそいで見て見ると、確かに載っていました。「この記事書いた方が、私の話のどこに関心を持ってくださったか」が分かって、とてもうれしかったです。
 生徒さんに話をする機会を与えていただいて改めて感激しました。

 県立盲学校のページ、盲学校の活動が楽しく分かるようになっているのを改めて発見しました。私のつたない文章では表せなかった生き生きした「生活情報科」の生徒さんの様子が良く分かります。私も時々のぞかせていただこうと思っています。興味のある方は、下記から私の話の様子が見られます。

http://kagayaki.akita-pref.ed.jp/mou-s/topics/detail.html?id=371