リハシステムづくり活動で出会ったこと学んだこと
はじめに
私が名古屋ライトハウス明の星声の図書館で、最初に中途視覚障害者との衝撃的な出会いをして、その後高知で視覚障害リハシステムづくり活動をおこない、そして現在に至るまで、私は、その活動の中で様々な人や、出来事に出会いました。その一つ一つの出会いが、今の私の「視覚障害リハビリテーションはこうあるべき」という考え方の原点になっています。
今回は、その中でも私にとって忘れがたいいくつかの出会いや出来事について書かせていただきたいと思います
1 突然視覚を失う(全盲)とこんな風になるのか
もう40年近く前になりますが、バイクの運転中に事故を起こして、そのため全盲になった男子高校生の相談が、病院から持ち込まれて、まだ入院中のその方に病室で会いました。
昨日までは普通に見えていたのに、突然見えなくなって、どんなにショックだろう、どのように話をしたら良いのだろうと、私の方がひどく緊張して、病室に入ると、その人は意外とあっけらかんとしていました。それでこんなことを話してくれました。「失明したすぐあと、クリームパンとイチゴバンを買ってきてもらって食べたんだけど、どちらもただ甘ったるい味がするだけで、どっちがイチゴかクリームか区別がつかなかったんだ。パンの中にはさんであるものの色が見えないと、味もみんな同じに思えて、友だちにこの話をしたらひどくばかにされたけど」
「え、突然見えなくなると味も分からなくなるのか」と思い慌てて専門書を見たら「視覚は、われわれが生きていくのに必要な外界からの情報の8割から9割を提供する感覚であるだけでなく、他の感覚からの情報を統一し、一つのまとまったものとして認識させる役割をもっている」というようなことが書いてありました。すなわち、ものを食べると、当然味覚や臭いも感じているわけですが、見た目や色が、晴眼者にとってはもっとも重要な情報で、その見た目や色が味を決めているということなのです。だから突然全盲になると、「何を食べているのかちっとも分からない」ということになるのです。
失明することがその人の心理全体にどんなに大きな影響を与えるか、私が知るきっかけになったのが、この人との出会いでした。
この男子高校生、若かったからか、失明してまもなく出会って、盲学校や視力障害者センターなど、その当時中途視覚障害者にサービスを提供してくれる期間の情報や、同じような立場の方たちを紹介できたのがプラスになったのか、あるいは、本人の持っている性格や、両親の支えが的確だったのか、それらすべての条件が上手く作用したのか、今となっては充分に分析もできないのですが、見えないという状態を上手く受け止めてくれて、盲学校高等部理寮科を卒業した後、特技を生かして、そろばん塾を開いて成功したのだそうです。
2 視覚障害児の発達支援や両親への支援も大切な仕事
高知では、機械がある毎に視覚障害者用便利グッズの出張機器展示会と「見えない見えにくいことで困っている方たちの相談会」を開催するようにしていました。
ある時、その相談会に就学前のロービジョンのお子さんを連れたお母さんが来て「この子は、0.1ぐらいしか見えていないと眼科医にいわれて、盲学校に行くようにいわれたけれど、歩いたり走ったり普通にできているし、盲学校は遠いし、盲学校には行かせたくない」「普通学校に行かせても大丈夫ですよね」という相談がありました。
子どもさんがどのぐらい見えているのかなどは、訓練指導員が遊びながら観察して、その間に、私がお母さんとお話をすることにしました。
お母さんは、しきりに「この子は普通に生活できているし、普通学校で良いでしょう」と、とにかく私たちに普通小学校に入学させるお墨付きをもらい一心で相談に来たようにみえました。
このお母さん、お子さんがどのようにものが見えているのか、見えないのか、また学習上の障害がどんなものなのかという知識は全くないようでしたし、少し緊張がほぐれてくると「盲学校に相談に行ったら、そこに入れられてしまうのでしょう」と心配そうにいうようになりました。もちろん弱視教育のことも、地域の小学校に通いながら盲学校の先生が支援をしてくれるという制度もなにも知りませんでした。
このお母さんに、「相談に行ったからといって、入学を強制されることはない」ということ、「この見え方では専門的な支援を受けるのが子どもさんの発達に必要」と教育相談を受けるようにとじっくり進め、盲学校と連携を取りながら相談に行っていただきました。
この当時、高知に住んでいる手帳を持っている18歳未満の視覚障害児は26人だったし、盲学校もあるし、私は、この相談を受けるまで、私たちは中途視覚障害者の相談に乗り支援をすれば良いのだと思い込んでいましたが、このことですっかり見方が変わりました。
前回にも述べたように、県療育福祉センターには眼科医もいないし、保健所なども視覚障害児の発達に関する知識はほとんどない状態でした。盲学校は、教育相談という名前で0歳から視覚障害児の相談に乗っていましたが「教育相談」という名称ですから、子育て相談ができると思う親や保健師さん達もいない状態の中では、「私たちは視覚障害リハなので視覚障害児の発達や子育ての相談には乗りません」というようなことはいっていられないと気づきました。私も生活訓練指導員も視覚障害児の発達や重度・重複障害児の視覚認知の問題などについては、あまり知識がありませんでしたが、とにかく勉強をし、専門家に来ていただき、盲学校の教育相談と連携する中で、できるだけ支援するようになりました。
この後も、「生まれつき無虹彩の子どもが外で遊ぶのをひどくいやがる、どうもまぶしいらしいがどうしたら良いか」と保育園の担当の先生が相談して来たり、「先天的に片方の目が全然みえない、もう片方は障害がないが、片目で一人でちゃんと生きて行けるようになるでしょうか」とか、「重い知的障害と肢体不自由があり、目も見えていないといわれているけれど、親から見ると、ものを見ているように思うのだが、この子どのぐらい見えているのでしょうか」などなど相談が次々に持ち込まれ、それは今でも変わらずつづいています。
視覚障害児の発達相談、子育て支援を専門的におこなっている機関は、全国的にも3カ所ほどしかありません。そんな中、「私たちの専門は中途視覚障害者のリハビリです」などといっているわけにはいかないのだと思いました。相談してくださる方たちが、一番その方に適したサービスが受けられるように、コーディネートするのか重要なことなのだと思うようになりました。
3 なるべく早い時期の支援が重要
眼科の先生が、「あなたは視覚障害リハを受けた方が良いですよ」ということは、とりもなおさず「あなたの病気は治りません」と宣告していることと変わらないという考えが、少し前まで、眼科医の間で根強くありました。そんなわけで、眼科で視覚障害リハ(ロービジョンケア)の広報をするということは、とても難しいことでした。
日本眼科医会などがロービジョンケアの重要性を前面に出したことと、高知での視覚障害リハ普及活動の中で、繰り返しロービジョンケアの必要性と効果を啓発して来たことによって、ロービジョンケアに理解を示してくださる眼科医との連携が徐々にとれるようになって来ました。
その眼科医の働きかけで、病院から依頼があり、眼科待合室で視覚障害者用便利グッズの出張機器展示を開くことができました。来てくださった方たちは、その眼科に今通っている患者さんたちで、眼科医さんと看護師さんが、患者さんに「みえにくい人にとって便利な道具があるから見に来て」と声をかけてくださったので、3時間足らずの間に30人ほどの方が来てくださいました。
拡大鏡や、拡大読書器などを並べ、その使い方を説明すると「この拡大鏡を使えば確かに良く見えるけれど、片手がふさがるから、縫い物や編み物では使えない」「両手が自由に使えるものはないかしら」「こんなに近づけて見ないといけないと、使いづらい、もっと遠くから大きくみえるような拡大鏡はないの」等々、見たいこと、やりたいことの目的がしっかりあって、その目的に対して使い勝手が悪い、もっと「良く見えるものはないか」と沢山の注文を受けました。
今まで、福祉施設などで機器展をすると、見えにくい状態になって、長い時間を経過した方たちばかりが来ていましたから、その方たちは、「わー良く見える」とちょっと見えただけで感激してくれましたが、見えることに感激しても、それを使って実際何かをしてみようという意欲的な発言はなかなか出て来ませんでした。それに比べ、今治療中の方たちは、まだ見ることをあきらめていないので、「見たい」「もっと便利に見たい」という反応がびんびんと伝わって来ました。
この経験から、見て何かするということをあきらめてしまわない、見ることに対する意欲が減退しない内に、ロービジョンケア(視覚障害リハ)につなげることの大切さを実感しました。
「自分はもう見ることは無理だ」とあきらめてしまった方たちの話を聞くと、こんな例に良く出会いました。
「文房具屋で虫眼鏡を買って来て試して見たんだけど、全然見えるようにならない、100円ショップにも行って、とにかくいろいろな虫眼鏡を試したけれど、みんな同じで見えない。もう見ることはあきらめなければと思った」というのです。特に高齢の方から良く出てくる話でした。
文房具屋や100円ショップで売っている虫眼鏡は、拡大率がせいぜい良くて2倍程度、レンズの質も悪く、光を充分通すこともできないものです。視覚障害のない方が、ちょっと見えにくい小さなものを拡大して確認するためのものです。だから、ロービジョンの方に適したものではありません。ロービジョン者用の拡大鏡は、高倍率で、レンズの質も良く、光を通しやすくつくってあり、手元が暗くならないようにライトがついているものなどがあり、全然作りが違うのです。しかし、このようなことは、一般にはほとんど知らせていません。
紙数の関係で、書くことはできませんが、ものを拡大して見ることや、拡大読書器を使用することなどについての、間違った考え方が数え切れないほどあります。そんな間違った考え方のために、見ることをあきらめてしまう方がとても多いです。
そのような誤った道に入り込まないようにするためにもなるべく早く専門家の指導を受けられるようにすることが大切です。
今年4月から、研修を受けて認定された眼科医がロービジョンケアをおこなったり、視覚障害リハをしている福祉施設等に患者さんを紹介すると、保険点数が取れる仕組みが導入されましたので、医療との連携が取りやすくなって来ています。
これを期に、早期に視覚障害リハ(ロービジョンケア)に、結びつく仕組み作りがより一層進むように、今後も努力して行かなければと思っています。
4 出会ったことから学んだこと
(1) 人生の半ばで視覚障害になることの影響の大きさと、それを正しく理解することの難しさを、中途視覚障害の方たちに出会う毎に新たに感じています。このことについては、このシリーズの最後の2回ほどに、少し整理して書いて行きたいと考えています。(2) 生まれて直ぐの視覚障害児の発達や子育て支援、親御さんへの支援が、ほとんどの地域でなされていないこと。視覚と他の障害を併せ持つ人たちの視覚障害に関わる支援にも、ほとんどなされていないということ。そこで、視覚障害リハの対象は、0歳から高齢視覚障害者であり、重度・重複障害者も対象であること。年齢などで区別できないということ
(3) 医療からリハビリテーションへ、できるだけスムーズにつながるようなシステムを作ることが重要
(4) (2)と(3)をきちんとおこなうためには、視覚障害リハやロービジョンケアの専門家だけでは無理なので、とにかく地域の様々な資源を総動員して、利用者のニーズに対応できるようにコーディネートできる能力が必須であること。などです。
実は、活動を通じて出会い、そこから学んだことは、まだまだ沢山あり、今回だけでは、とても書き切れないので、次の回も、視覚障害リハビリテーションシステムづくり活動の中で出会ったことと、そこから学んだことについて、書いて行きたいと思います。