今年の春は,とても暖かい春で、東京では,3月の半ばに桜か開花、でも、桜の季節は,花冷えになり、雨も降りましたが,今年は,激しい風が吹き荒れることもなかったせいか、ずいぶん長く満開の桜を楽しむことが出来ました。
そんなとても良い季節なのですが,私の住んでいるマンションでは、大規模修繕工事で、バルコニーに何も置けず,そして毎日タイルの補修や塗装のために、騒音,作業の方達がベランダに入ってくるので,窓も開けて置けず、ちょっぴり憂鬱です。
かわいそうなのは、ベランダで育てていた植木達、工事期間中は,部屋で、私と同居することになりました。そんな中ですが、今シクラメンが満開。植物たちもそれなりに頑張ってくれています。
さて,前置きが長くなりましたが、私がコーデネートさせていただいているシリーズ「視覚リハ(ロービジョンケア)の現場から」の4月号の内容を、月刊視覚障害と著者の金井さんの許可を得て,私のブログでも公開させていただきます。今回は、かつて視覚リハの空白地帯と呼ばれていた東北地方で、3.11東日本大震災の発災後、視覚障害者の支援に携わった貴重な経験を踏まえての、現在、そしてこれからの災害時の支援についての貴重な記事です。
視覚リハ(ロービジョンケア)の現場から2022
第11回 東北地方での視覚リハと防災
~かつて視覚リハ空白地帯だった東北での役割
公益財団法人 日本盲導犬協会
視覚障害サポート部 管理長 金井 政紀(かない まさのり)
はじめに
東日本大震災から12年が過ぎました。その後も熊本地震や西日本豪雨など日本全国で災害は起こっています。東日本大震災が発生した2011年当時、私は仙台市にいましたが、今は横浜で勤務をしています。当時の記憶が薄れていく中で、被災者として、支援者として、見たもの、感じたものから、「防災・減災と視覚障害リハビリテーション(以下、視覚リハ)の役割」について、東北での自らの経験を通して考えてみました。
1.東北唯一の盲導犬育成施設
日本盲導犬協会では、「東北に盲導犬育成施設を」という志のもと、「東北福祉あったか計画」を掲げ、仙台市へ施設建設の支援要請を行ったところ、1995年に仙台市交通局の一角を提供いただき、仙台事務所を開設。1997年には、市職員用のグラウンドを仙台市から無償貸与されることも決まり、2001年、ついに「東北唯一の視覚リハ施設」として「日本盲導犬協会 仙台訓練センター(以下、センター)」が誕生しました。
センターの特徴として、開設当初から盲導犬育成事業だけでなく、視覚リハ事業にも重点を置いた施設となっています。
2.視覚リハを身近に
開設当時は、東北地方の目の見えない・見えにくい人(以下、視覚障害者)が、視覚リハ訓練を受けるためには、盲学校へ入学をするか、栃木県那須塩原市、埼玉県所沢市、北海道函館市にある国立障害者リハビリテーションセンターへ入所をして、訓練を受けることが主流でした。しかし、「長期間、家を空け入所をして訓練は受けられない」「視覚リハ訓練は何をするの?」「訓練は厳しいですよね」という声が少なくありませんでした。また、「盲導犬協会に相談をしたら、盲導犬を持たされてしまうのでは」という声も聞こえていました。
当時の訓練部長は当協会の特性を活かして、訓練士が自宅に伺う「在宅生活訓練」や1週間の宿泊型の「視覚障害短期リハビリテーション(以下、短期リハ)」、視覚障害児とその家族を対象とした「ワン!ぱくっ子サマースクール(以下、障害児キャンプ)」と、次々と新たな形の事業を行っていきました。このような事業展開に、当時は協会内外から「1週間で何ができるのか」など賛否の意見がありました。しかし、協会の「短期リハ」に参加をして、白杖歩行や点字を知り、その後に入所施設での訓練を受けた人もいました。「障害児キャンプ」に参加した時は小学生で、その後、「短期リハ」に参加し、成人して盲導犬ユーザーになった人もいます。偉そうに聞こえるかもしれませんが、視覚リハ訓練の垣根を下げ、身近なものとして協会の存在を知ってもらうことができたのではないかと感じています。
センターは盲導犬育成施設ですから、盲導犬ユーザーを増やすことも大切です。しかし、実際は目が見えにくくなってすぐに盲導犬を持つという流れは多くありません。その中でセンターが関わった盲導犬ユーザーは、白杖歩行訓練を受けて盲導犬協会を知り、その後に盲導犬ユーザーになる人が少なくありませんでした。センターは開設して20年以上が経ちますが、現在も「在宅訓練」「短期リハ」「障害児キャンプ」を継続して行っています。
3.東日本大震災発生
2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生しました。仙台市内で震度6強の揺れとなりましたが、センター内にいた訓練生や来場者、職員や犬も幸いにけがもなく、施設自体の大きな損壊は免れました。そして、発生直後から盲導犬ユーザーや視覚リハ事業利用者の安否確認作業を行いましたが、被災地のセンターからはほとんど繋がらない状況でした。当協会は、仙台市の他に神奈川県横浜市、静岡県富士宮市、島根県浜田市に訓練センターがありますので、他センターから安否確認を行うことができ、次第に状況が分かり始めました。
震災当日にドッグフードが入荷されていたので、犬たちの食事は確保でき、人の食料はセンター隣のコンビニエンスストアから分けていただいたり、職員が持ち寄り、皆で分け合ったりしました。また、震災直後でガソリン確保の保障もない状況にもかかわらず、栃木県から食料や水などの支援物資を届けてくださった人もいました。そのような多くの温かいご支援に職員は励まされ、盲導犬ユーザー宅訪問や安否確認作業を行いました。
4.支援対策本部が立ち上がる
震災当日から約2週間後の3月28日に社会福祉法人日本盲人福祉委員会(以下、日盲委)のもとに「東日本大震災視覚障害者支援対策本部(以下、対策本部)」が設立され、4月1日に当協会は、対策本部への施設提供、職員の派遣、資金確保などの全面支援を決めました。そして、センター内に対策本部宮城県支部が置かれました。ここを足がかりに、被災した視覚障害者が必要としている支援を把握し、必要物資を直接に届けるという対応を始めました。
しかし、ここで問題となったのは、支援に不可欠な視覚障害者の居住地情報が無いということです。そのために、まず視覚障害当事者の会員リスト、点字図書館などの利用者リスト、盲学校の卒業生名簿などから、被害の大きな沿岸地域の視覚障害者リスト作りを始めました。
白杖や音声時計などの支援物資の集積と並行して、全国から視覚リハの専門家が集結して、岩手・宮城・福島3県を訪問し、支援する活動も始まりました。各避難所を回り、視覚障害者がいないかを探しましたが、なかなか見つからず、名乗り出られることもほとんどありませんでした。
行政へ依頼をしても個人情報保護という理由から、視覚障害者の名簿はもらえませんでしたが、同年6月になってようやく「県から郵送する方式」で被災地域の視覚障害者へハガキを送ることができ、困りごとや要望を聞くことができました。被災地域全体で約4,000人に送り、要望があった1,455人の視覚障害者に支援を行いました。
5.震災後も続く支援
ハガキを返信した人、電話が繋がった人とは、震災後も繋がりを持ち続けることができました。日盲委では、被災者へ向けて毎年、電話かけを行い、近況確認を行うなどの支援を継続しました。数年経った後に、災害支援員のメンバーとともに現地の訪問も行いました。
しかし広範囲のため、皆さんに行き渡る継続的な支援ができたかというと、そうではないと思います。しかし、細く長く続けること、今でも繋がっているということが大切だと思います。
1年後、2年後、3年後に、住環境や生活が変わる人もいます。被災者に対して白杖歩行訓練やスマホなどのコミュニケーション訓練なども実施しました。また、被災者の方は、避難所から仮設住宅、そして復興住宅へ移り住むことで、周りに住んでいるのは知らない人ばかり、知らない場所での生活が始まります。そこで、医療機関や地域のコミュニティセンターなどで「見えない・見えにくい方の相談とすぐに役立つ生活講習会」を開催しました。視覚障害当事者には、白杖歩行やパソコンやスマートフォンの操作体験や便利グッズの紹介などを、家族や支援者には、手引き歩行やサポートの仕方を説明させていただきました。
会を重ねるごとに参加者も増えていき、当事者のみならず、医療支援者や施設スタッフなどの参加もありました。内容も視覚障害全般の一般的なものから、鉄道利用講習会というようにテーマを絞った講習会も開催しました。正しい情報を当事者に伝えることはもちろんですが、病院スタッフなどの支援者にも視覚リハに関する情報を伝えることで、通院する視覚障害当事者へ、その情報が早く届けられることに繋がるのではと考えました。しかし、コロナ禍になり、病院での講習会開催が困難となってしまいました。
6.新型コロナウイルス感染拡大の中で
コロナ禍になり、生活や行動に制限が多くなりましたが、オンラインシステムを利用したコミュニケーション手段が広がりました。「Zoom講習会」を企画し、Zoomの使い方を知っていただきました。そして、オンライン交流会を開き、当事者同士のコミュニケーションの場を提供するほか、オンラインによる「盲導犬情報セミナー」を開催。集団での講習会やイベントはできませんでしたが、コミュニケーションが取れる機会は作ることができました。一方で、在宅訓練はマンツーマンで行うことが多く、コロナ禍においても感染対策を取り、各種訓練を継続しました。
7.震災やコロナ禍を通して
ここまで東日本大震災からコロナ禍におけるセンターの活動を書いてきましたが、センターだけの力ではここまでできていなかったでしょう。当協会は東北以外に三つの訓練センターがあったことで、盲導犬ユーザーの安否確認のフォローをスムーズに行うことができました。被災地の視覚障害者支援では、県内の関係団体はもちろんですが、対策本部の活動を知り、全国から歩行訓練士をはじめ、視覚リハに関わる多くの人が支援に駆けつけてくれました。また、当事者や当事者団体、視覚リハ施設、盲学校、眼科医、点字図書館、眼鏡店、機器業者、そして行政との連携も不可欠でした。平時はもちろんですが、災害などの有事の際に他団体と連携できることほど心強いことはありません。
大災害時には、全国からの支援者が集まり一緒に活動することになりますが、時間が経ち、平時に戻っていく中で、最後はその地域で支援を完結することになります。現在47都道府県すべてにスマートサイトがあり、そこへ情報や相談が集約されることが望ましいと考えます。
一方で視覚障害当事者は、まずはご自身で自分の身を守る「自助」を考えることが重要です。災害時に家族がいないかもしれません。次に「共助」です。地域で開催される避難訓練に白杖を持ち、盲導犬を連れて参加しましょう。地域や町内の方々に「地域に視覚障害者がいる」ということを知っておいてもらわなければいけません。国や市区町村の支援となる「公助」は最後になります。
8.地方と都市部の両方を知って
私は東日本大震災時は仙台で、現在は横浜で仕事をしています。時々、「首都圏に大地震が起きたらどうなるのか。どう動くのか」を考えることがあります。仙台のようにすぐに盲導犬ユーザーの支援に当たることはできるのだろうか。仙台では、カバーをする地域に対して現地にいる人だけでは人手が不足していましたが、関係団体が少ない分、情報収集や連携が早くできました。
一方、横浜では支援団体が多く、人手の確保はできそうですが、反対に人の多さが混乱を招く原因にもなりかねません。また、被災状況の悪化の影響を大きく受け、道路状況も悪く、交通機関で動くことも容易ではなくなるといったことも想定されます。スマートサイトに関係する団体も多く、情報収集が困難になる可能性が高いので、平時から災害に備えたシミュレーションをしておく必要があると思います。地方と都市部ではそれぞれに良い面と悪い面を持ち合わせているのかもしれません。
9.正確な情報提供の大切さ
東日本大震災で避難所回りをしていく中で、「音声時計を知らない」視覚障害者が少なくありませんでした。私たちは、「持っていなくても知っているだろう」という思い込みがありました。震災当時と比べ、今はSNSが発達して、たくさんの情報が飛び交い、誰でも簡単に情報を手に入れることができます。だからこそ、発信する側は「正確な情報提供」が必要で大切なのです。ましてや、それが災害時となれば、情報が錯綜しますので「絶対に正確な情報提供」でなければいけません。
少し話は変わりますが、盲導犬に関する情報が意外と世間に知られていないこともあります。「盲導犬は無償貸与」「全盲でなくても取得可能」「仕事をしていなくても持てる」という正しい情報が社会に伝わっていません。「盲導犬は購入する」「全盲でないと持てない」と間違った情報として信じ込んでいる人もいらっしゃいます。
「正確な情報」だけでなく、早いタイミングで情報を届けることも大切です。協会の発信だけでは視覚障害当事者に届きませんので、最近の協会の一つの動きとして、行政へのアプローチを積極的に行っています。窓口に尋ねてきた視覚障害者へ正確な情報を伝えてもらうためです(本件の詳細は本誌2022年8月号の連載第3回を参照)。
10.地域での広がり
センターの在宅訓練は、宮城県や仙台市内だけでなく近隣県でも実施しています。しかし、仙台市から通うため、頻繁に行うこともできず、回数も限られてしまいます。訓練を受けられた方から「もっと、やってほしい」という声がたくさんありました。
その声が大きくなり、県内の視覚障害者をはじめ、スマートサイト団体が行動を起こし、結果として、行政で歩行訓練士を採用するケースも出てきました。それが福島県の実例です。当事者からの要望、それを支援する眼科医、盲学校、点字図書館などスマートサイト関係者の皆様の熱意が伝わり、必要性を行政が理解し汲み取られたのでしょう。かつて視覚リハの空白地帯と言われた東北で実現したことの意味はとても大きいと思います。
おわりに
一人では、或いは一団体ではできることは限られますが、それが複数となることで大きな力になり、大きな花を咲かせることができると思います。災害は起こらないでほしいですが、避けて通れないことかもしれません。しかし、今の日本の視覚リハの連携力があれば、災害後の支援は東日本大震災時よりも、熊本地震の時よりも、心強いものになるのではと信じています。それを実現するためにも、個人も団体も、日頃の備えと準備を決して忘れてはいけないのではないでしょうか。