3.11 あの時、わたしは 東日本大震災をふり返る Vol.6(月刊視覚障害2021年10月号に掲載)

月刊視覚障害2021年10月号表紙の写真
月刊視覚障害2021年10月号表紙

私が入っている「ヤマネット」というメーリングリストがあります。たぶん300人以上のメンバーがいますが、第28回視覚障害リハビリテーション研究会を盛岡で開催した時に、そのことを一つのきっかけにして、山形や福島など東北地方の方達が中心になって立ち上げたMLで、私も情報交換をしたくてメンバーに参加させていただいたのです。そのMLが、「庶務係」と自ら言って、丁寧に面倒を見てくださる山形の三浦さん達の努力で、今は全国にメンバーが広がっています。視覚障害当事者を中心に、細やかな日常の出来事から、最新情報まで、本当に多彩にわたるやりとりがなされています。
 そのMLで、三浦さん達が企画されて東日本大震災から10年経つのを期に「3.11あの時私は」というタイトルで、メンバーの方達の「あの時」をML上で発表することになり、その発表を「雑誌 月刊視覚障害」がシリーズとして取り上げるこという発展になりました。

 私も、その企画に載せていただき、3.11自分が何をしたか、そして視覚リハ協会長として、その後の支援に本当に少しだけ関わる中で思ったことを書かせていただきました。
 私は、東京にいて、直接の被害は受けていなかったし、そんなにつらい思いをしたわけでもなく、このシリーズに参加して、月刊視覚障害に原稿を出させていただいて良いのか、その資格はないように思ったのですが、「3.11の後の視覚障害者支援」の中で、いわゆる中途視覚障害者の方達にいかに視覚障害支援の情報が届いていないかを痛感したこと、その改善に取り組まれた皆さんと共に、ほんの少し動く中で感じたことを、10年後にもう一度記事にして置くのも良いのかもと思い、三浦さん達のお力添えもあり、10月号に掲載させていただきました。
 いつものお約束で、雑誌発行から1ヶ月経ったので、全文を私のブログで紹介させていただきます。このシリーズ、今7回目になっていますが、その時のことを書かれた方達のリアルな思いが、とても素晴らしく、これからの災害対策で考えさせられることも一杯です。できれば、皆さんにシリーズ全てを読んでいただけたらなと思っています。前置きが長くなりました。以下内容です。

 3.11 あの時、わたしは-東日本大震災をふり返る Vol.6

あの日の私のこと
 「3.11」の前日、私は海外でスクーバーダイビングを楽しんだ後、東京都墨田区にあるタワーマンションの10階にある自室に戻ってきました。明くる日の「あの時」は、確か昼まで寝ていて、遅い昼食を取った後、録画していた時代劇を見ながらボーッとしていました。すると、大きなゆっくりとした揺れを感じました。長周期地震動と言うのか、とにかく大きくてゆっくりでした。慌てた私は、四角い箱の構造で、丈夫だろうと思ったトイレに飛び込んで、便器に腰掛けて揺れが収まるのを待っていました。10分以上揺れが続いたような気がしましたが、さて、よくわかりません。テレビはついていましたが、録画の時代劇が流れていたので、地震に関するニュースを知るよしもなく、揺れが収まって、トイレを出て、慌ててNHKに切り替えて事実を知りました。その後、津波のこと、次々に入ってくる信じられないような光景を、ただ、呆然と見ているだけでした。
 たまたま外の公園から、私の住んでいるマンションを見ていた方が「グニャグニャ揺れていて、まるで漫画の世界のようだった」と後で話しておられました。
 私は旅行から帰ったばかりで、食料がほとんどなかったのですが、電気と水道は無事、エレベーターの復旧に時間がかかりましたが、「お米と醤油があるから、1週間は大丈夫」と心の中で考えていました。

ロービジョン(弱視)の私の戸惑い
 自宅のタワーマンションでひどい揺れに遭って、怖い思いをしましたが、幸いライフラインが止まらなかったので、命の危機を感じることもなく生活できていた私ですが、原発事故による節電の影響がロービジョンの私には結構こたえました。
 小さな文字や標識などは見えない私は、目的地に行くための色の目印として、ビルの広告を頼りにしています。屋上にある大きな広告塔や、壁面に設置されて明るく輝いて見える電子看板などです。しかし、あの時、そのような広告は、ほとんどが節電のために消されてしまい、私にとっての目印がなくなりました。公共の建物や駅構内なども、軒並み節電で薄暗くなっていて、安全に移動することが困難でした。この状況は、東京でもずいぶん長く続きました。後でロービジョンの知り合いにいろいろと聞くと、皆さん同じように困っていました。
 通勤が難しくなった人もいました。あのことをきっかけに、白杖を持つようになったという話もたくさん聞きました。あの混乱の中では、私のようなロービジョンの困りごとは取るに足らないもののようにも思えましたが、ようやく最近は、「見えにくい」という障害について、一般にも知られるようになる中で、大きな災害の時の問題点として認識されるようになってきたことは、不幸中の幸いと感じています。
 一方で、地球温暖化を防ぐために、これから様々な省エネ対策が取られ、節電を求めるコマーシャルも盛んに放送されるようになってきています。もちろん、二酸化炭素の排出量を減らす試みはとても大切ですが、明るさの必要な高齢者や私たちのような見えにくい人のことも、取り残さずに考えてもらいたいものだと思っています。

被災地の視覚障害者支援でわかったこと
 震災発生後、日本盲人福祉委員会、日本盲人会連合(現・日本視覚障害者団体連合)、日本盲導犬協会などが中心となって、東日本大震災視覚障害者支援対策本部が立ち上げられました。当時、私が会長を務めていた視覚障害リハビリテーション協会も、微力ながら、歩行訓練士などの専門家を被災地に派遣したり、津波で流されてしまった白杖やラジオ、音声時計などを、必要な方に届けたりする支援活動を徐々に始めました。しかし、避難所を巡っても、当事者が見つからないということがたくさんありました。地域に暮らす障害者の名簿の不備だけでなく、様々な理由から、自分が視覚障害者であることを隠して生きている方の多いことや、避難所では暮らせないために、自宅に残っている方の多いことなどを知りました。
 個人情報の保護という難しい問題から、手帳所持者の情報がなかなか得られない中、宮城県において、行政と連携して支援案内を手帳所持者に郵送するという方法をとりました。
 宮城県から発送した支援案内が当事者の手許に届きだすと、対策本部には問い合わせの電話がたくさん入り始めました。その多くが「音声で時間を教えてくれる時計があるんですか」というような内容であることに驚いた対策本部では、実態を把握するために、支援を希望される方に住所確認で電話をした際に、質問を行いました。その結果、「音声機器や用具があることを知らない」が43%、「日常生活用具制度を知らない・利用したことがない」が56%という、衝撃的な事実がわかったのです。
 同じ視覚障害者でも、幼い頃からの方は、盲学校や視覚障害者福祉協会などを通じて、いろいろな情報を得るチャンスがあるのですが、中途の方は、そういう枠の中からはみ出してしまっていて、なんの情報も持っていないことを、この時、あらためて視覚障害者団体は気づくことになったのです。当時は、中途視覚障害者と幼い頃からの視覚障害者との必要な支援の違いについて、まだまだ十分に知られていませんでした。
 東日本大震災の視覚障害者支援の中から、このような実状が明確になってきたことで、問題の大きさを再認識しました。この貴重な経験が基となり、2016年に発生した熊本地震での支援、2018年の西日本豪雨の際の支援などに、本当に少しずつですが、体制ができてきているのだと思います。しかし、必要な方のところに必要な情報が伝わらないという状況は、まだまだ解消されてはいないのだと日々痛感しています。

災害時の視覚リハ専門家
 視覚障害リハビリテーション協会では、3.11で被災した視覚障害者を現地で支援する際に、歩行訓練士など、視覚リハ専門家を派遣するように主張しました。しかし、「安否確認ならば、別に視覚リハ専門家でなくてもいいのでは」、「なぜ専門家が必要なのか」という意見が自治体などからあり、専門家の必要性がなかなか理解されなかったという記憶が強く残っています。
 3.11の地震と津波によって、住み慣れた場所の環境が激変してしまうという状況の中で、視覚障害者は、避難所や、仮設住宅、復興住宅など新しい環境で、安全性を確認した上で、生活を営んでいくことになります。その不安を取り除くためには、視覚リハ専門家の的確な情報支援と、新しい環境に馴染むための訓練が必要なのです。しかし、残念ながら、歩行訓練や日常生活訓練のようなものがあることすら、ほとんど周知されていない状況でした。視覚障害者への支援に対して視覚リハ専門家を派遣する必要性などについて、国や地方自治体は全く無関心という、私にとっては、先に述べた音声機器などへの不知と同様に、衝撃的な事実となりました。
 東日本大震災の被災地支援の中で明らかになった問題点は、一つ一つ蓄積されて、その後の大きな災害支援において、少しずつ生かされてきていますが、今、整えられようとしている、いわゆる災害弱者を念頭に置いた支援体制作りの中でも、視覚障害者への対策は別扱いになっているように見えます。
 日常の様々な営みの中で、私たちは、見えない・見えにくい自分たちのことについて、もっと世の中に発信していかないといけないと思いますし、視覚リハサービスがあることや、その効果についても、もっともっと、世間に発信していかなければならないと感じています。
 普段の活動が、きっと災害時の支援にも生きるのだと考え、今後も啓発活動を頑張っていきたいなと思っています。

(参考文献)加藤 俊和・原田 敦史:「東日本大震災の1年~日本盲人福祉委員会の活動報告~ ―立ち上げから現地支援まで―」. 『視覚リハビリテーション研究』 第1巻 第2号, pp.73-85, 特集, 2012年6月15日.