月日の建つのは本当に早いもので、東京もすっかり寒くなりました。そしてパラリンピックの閉会から2ヶ月ちょっとなのですが、もううんと昔のことのような気がしています。 私がパラリンピックの聖火ランナーに応募して、聖火リレーを行った記憶、それは、とても強烈な物ですが、その記憶も時の流れに押し流されそうです。だから、月刊視覚障害に書かせていただいた記事、とても大切な記録です。出版から1ヶ月経ちましたから、このブログでも皆さんと共用させていただきたいと思います。
1.パラリンピックに関わりたい一心で聖火ランナーに応募
我が国の障害者福祉の発展について研究し、大学の教員として「障害者福祉論」を教えていた私にとって、1964年に東京で開催されたパラリンピック(以下、パラ)は、「障害者は保護されて、病院や施設で過ごすだけの人間」という一般的な意識を変えた転換点として、大きな意義を持っていました。 もちろん、パラに参加したアスリートが、超人的とも思われるパフォーマンスを見せたということもあります。しかし、それ以上に、ヨーロッパやアメリカから選手として来日した障害者が、地域では家族とともに暮らし、職業を持ち、余暇時間に障害者スポーツを楽しんでいる「一般の市民」であるという事実が伝えられたという影響が大でした。パラアスリートという「障害のある市民」と実際に接した我が国の選手や障害者支援に関わった人たちは、「一生保護されて生きる障害者」という考え方を、希望の光とともにポジティブな方向へと変えさせられたのです。1964年のパラは、日本における、本当の意味での「障害者福祉の夜明け」と言っても過言ではないと思います。 そして今回、東京での2回目のパラ開催が決まってからは、バリアフリーの町づくりの推進、車いすが簡単に積めるタクシーの普及、パラで優秀な成績が期待されるアスリートを一般企業が支援するなどの情報が相次ぎました。障害者が一般社会の一員として認められ、暮らしやすい社会の実現への寄与が期待できると、私なりにパラの開催の意義を感じていました。 70歳を過ぎ、腰椎の圧迫骨折で、長い距離が歩けなくなったために電動車いすを使うようになった私は、見えにくさと肢体障害の重複障害を持って生きてきた日常生活が、さらに困難になってしまいました。しかし、高齢視覚障害者のリハビリテーション(以下、リハ)の普及活動をしようとしている私は、このパラ開催の機会に、どんな形でも関わりたいと思っていました。2019年5月、ネットでパラの聖火ランナー募集を知り、「高齢で電動車いすに乗りながら聖火リレーに挑戦する」ことで、高齢者にも前向きなリハの考え方が必要だということを訴えたいと思い、ダメ元で聖火ランナーに応募したのです。
2.聖火ランナーに選ばれて
応募して間もなく、コロナのパンデミックのために、2020オリパラの開催が1年延期となり、その後、2021年の夏に開かれるということが決まりました。しかし、パラの聖火リレーについては何の連絡もなく、応募したことも忘れかけていた2021年7月のはじめ、突然、パラの聖火ランナーデスクから「聖火ランナーに選ばれました」というメールが届いたのです。 緊急事態宣言が出ている中でオリパラを開催するのかという反対意見もあり、「選ばれた」という知らせに、一瞬複雑な気持ちになりましたが、「高齢で重複障害のある私が電動車いすで走ること」できっと何かが伝えられると思い、積極的に参加することにしました。それに、取材を受けるチャンスもあるようですから、世の中にほとんど知られていない「高齢視覚障害者のリハ」について、何か伝えることができるかもしれないという気持ちもありました。
3.挑戦を決めてからのこと
参加の意思を正式に聖火ランナーデスクに伝えると、聖火リレーの場所や、参加するに当たっての条件など、様々な連絡がきました。その中で、思ってもいなかった課題に直面しました。 【課題1】応募時に書いた希望日、8月23日に聖火リレーが実施される地区は府中・調布・世田谷地区でした。私が割り当てられたのは「調布地区」。私の住まいから集合場所まで行くには、電車で1時間半以上かかる上、今まで利用したことのない路線なども含まれていました。実は、コロナで外出を自粛していたこの1年以上、電動車いすで電車に乗ったことがありませんでした。以前は平気だった乗り換えルート探しや、スロープを使っての電車の乗降などに、「できるかしら?」、「ちょっと怖いな…」と思ってしまいました。1年の自粛生活が、こんなに自分の気持ちや行動力に影響を与えているとは考えたこともなく、驚きとともに、今まで感じたことのない不安を覚えたのでした。 【課題2】聖火リレーの際、左手でトーチを掲げながら、右手で電動車いすの運転用スティックを操作して、200メートルの担当距離を走ることができるのか…という懸念がありました。車いすのランナーは、トーチを車いすに取り付けられる「アタッチメント」という器具を使用することができるのだそうです。「電動車いすを使って『一人でトーチを掲げて走る』という挑戦をしたいけれど、万が一走りきれなくて、途中でトーチを落としたりしたらかっこ悪いし…。でも、アタッチメントを付けるのも私の思いと違うし、どうしたらいいんだろう…」。考えあぐねて、聖火ランナーデスクの方に相談したところ、「介助者をつけて協力してもらったらどうですか?」と助言されました。
4.デイサービス施設の指導員の方に介助を依頼
しかし、介助者をつけるということは、簡単な話ではありません。コロナの感染防止のために、ランナーだけではなく介助者も、実施日2週間前から検温結果などを体調チェックシートに記入しなければなりません。また、当日は往復の電車の時間も入れてほぼ10時間以上の拘束だし、私が走る日は平日なので休暇を取らなければならないなど、面倒が山積しているのです。 私は週2回、介護保険で運営しているリハ特化型のデイサービス施設であるエバーウォーク両国店に通っています。聖火ランナーに応募する時から経過を報告していたこともあり、介助者のことを相談したところ、理学療法士で管理者の舟越智之さんが、「常ではできない経験ができるし、喜んで介助者をやりますよ!」と言ってくださいました。 舟越さんは、私が聖火リレーに参加することを施設の利用者の方たちに詳しく説明してくれたり、どういう支えが必要かを他の指導員の方たちと一緒に考えてくれたりしました。その結果、施設全体で私の聖火リレー参加をサポートするという雰囲気がつくられ、とても心強く感じました。
5.私の挑戦する気持ちを尊重
「左手でトーチを持って、右手で電動車いすのスティックを操作して走りたい」と舟越さんに相談したところ、「オリンピックの聖火ランナーがアタッチメントを使っていたから、それを使ったら?」と、最初は無難な選択肢を提示されました。私が、「無理かもしれないけれど、自分の手でトーチを運ぶことに挑戦したいんです」と伝えると、それを実現するための方法を、指導員の皆さんとともにいろいろと考えてくれました。 その方法の一つとして、段ボールで模擬トーチを作り、本物のトーチと同じ重さになるように中にお手玉を詰めて、「これで200メートル走る練習をして、自信をつけたらいいよ」とアドバイスしてくれました。私の挑戦を何とか叶えてくださろうとする気持ちがとても嬉しくて、この模擬トーチを持って、実際に自宅の前の歩道を走る練習をしてみました。 しかし、200メートルを走りきれるという自信がなかなか持てないうちに、緊急事態宣言の延長に伴い、公道での聖火リレーは中止となりました。セレモニーの内容も、世田谷区の都立砧公園で聖火を受け渡す「トーチキス」中心のメニューに変更になってしまいました。 挑戦してみたかったという思いと、ほっとした思いが交錯したというのが、その時の私の偽らざる気持ちです。
6.聖火リレー当日のこと
東京都のパラリンピック聖火リレーは、コロナウイルス感染症対策のため、当初の予定から内容を変更するなどして、8月20日~24日までの5日間で行われました。残念ながら、セレモニーの会場は無観客です。聖火リレーでは、原則として「はじめて出会う3人」が1組のチームとなって、一緒に走ります。私が参加した8月23日は、「DAY4」という名称がついた4日目で、西東京市、三鷹市、府中市、調布市、世田谷区が順に聖火リレーを行いました。スタートは13時55分で、各自治体の所要時間は30分前後です。
(1)集合場所は駒沢オリンピック公園 聖火リレーのイベントの実施場所は砧公園のねむのき広場ですが、集合場所は駒沢オリンピック公園総合運動場体育館でした。幸いなことに、私の住まいから乗り換えなしで、最寄りの東急田園都市線駒沢大学駅まで行くことができます。そこから東急バスに約5分乗り、駒沢公園バス停で下車し、公園内を歩くこと7分で体育館という道のりでした。 この道中で気になることは、「お昼を食べるところが見つけられるか」、「東急バスに電動車いすでちゃんと乗れるか」、「駒沢公園の入り口から体育館までのバリアのないルートが発見できるか」ということでした。電動車いすはとても便利な移動手段ですが、ちょっとした段差で転倒する恐れがありますし、普通の車いすよりも大きめなので、入店できるレストランを探すことなどのほか、初めての場所でバス停を見つけることなどは、よい方の視力が0.15の私には非常に難しい仕事でした。 その大変な仕事は、「ここのサイゼリアにはエレベーターで行ける」、「バス停はあそこ」など、晴眼者の舟越さんが教えてくれて全て解決しました。介助者として同行してもらって、本当によかったです。一人だったら到着するまでにヘトヘトになってしまい、セレモニーどころではなくなっていたでしょう。 (2)入念な打ち合わせとリハーサル 集合時間より1時間以上も早く体育館に着いた私たちは、地下にある「東京オリンピックメモリアルギャラリー」で、1964年の東京オリンピックを中心とした歴史的な展示物を見て楽しみました。その後、公園内を散歩しながら、久しぶりにお日様と自然を満喫していると、集合時間になりました。受付をし、お揃いのユニフォームを受け取って、着替えをすませ、指定された広い集合場所に行くと、私と同様、電動車いすに乗った方や、視覚障害の方など、多様な障害者と介助者の方たちがいました。
リハーサルでは、組織委員会の職員の方と、本物のトーチを一人で持って走れるかどうかの入念なチェックが行われました。トーチは東日本大震災の仮設住宅の廃材を再利用したアルミニウム製で、長さ71センチ、重さ1.2キロ。桜をモチーフにして作られていて、上から見ると、5枚の花びらの形に見えます。オリンピックのトーチが「桜ゴールド」と呼ばれているのに対し、パラのトーチは「桜ピンク」と呼ばれているように、ピンク色が強い感じです。走る距離は40メートルほどに短縮されていましたが、火のついたトーチをちゃんと保持できるかどうか、「介助者の方が後ろについて、ちょっとでもふらつくようなら支えてください」と職員の方からアドバイスを受けました。 聖火リレーを支援している職員の方たちは、「公道で走れなくて残念ですが、今日を楽しんでください」とおっしゃっていました。かけがえのないこの瞬間を、楽しい思い出にしてくれようとする雰囲気が伝わってきて、とても好感が持てました。
(3)いよいよ砧公園での聖火リレー リハーサルと打ち合わせの後、電動車いすが積める専用車に乗り込んで、盛大な見送りを受けた後、砧公園ねむのき広場に到着。午後5時過ぎ、ついに私たちのチームの出番がやってきました。前のチームからトーチに火が移されて、沢山のカメラの前でポーズを取ったり、3人のチームでパフォーマンスしたりしたようなのですが、私はすごく緊張していて、実はこの瞬間のことは、あまり覚えていないのです。後ろについていてくれる舟越さんのサポートを受けながら、何とか無事にトーチを掲げ続けることができ、最終ランナーにトーチキスをした後の安堵感はよく覚えていますが…。この時の様子は、NHKの東京2020パラリンピック公式サイトに動画で出ています(註1)。
(4)NHKのインタビューで思いの丈を語る 午後6時半を過ぎた頃、駒沢公園体育館に戻り、取材に同意したランナーたちは、チームごとにインタビューを受けました。
聖火リレーへの参加は、「高齢者で障害を持っていて、デイサービス施設に通っていても、やりたいことに挑戦することができる」、「挑戦するためには、それを支えてくれるリハが必要」ということをアピールするのが大きな目的でした。本当のことを言うと、「介護保険制度の中で、障害別のケアという考え方が軽視されている」こともアピールしたかったのですが、この場にはあまりふさわしくないように思えました。 そこで、私は「高齢者でもリハを受ければ、こうやってやりたいことに挑戦できることをみんなに見て欲しかった」、「高齢になったからといって、介護を受けるだけではつまらない」という趣旨のことを話しました。最後に、舟越さんに「ひと言」と振ったところ、「パラリンピアンもいずれ高齢になるので、そういう障害を持った高齢者も含めて、全ての高齢者が幸せになるようにリハの専門家として仕事をしていきたい」という、私が伝えたかったことを代弁するような素晴らしいコメントをしてくださいました(註2)。 また、支援者の立場でランナーを務めた方たちが、インタビューでの私の発言を聞いて共感してくださり、お声がけをいただき、名刺を交換することができました。すごい収穫です。
7.後日談――地域に根ざした活動のスタートラインに
聖火リレーのライブ配信を、エバーウォーク両国店の指導員の方が全員で見てくださり、すごく盛り上がっている様子を動画に収めてくださっていました。リレーの次の日に、持ち帰ったトーチとともに、その動画を見ながら利用者仲間に追体験させてくださいました。あまりパラリンピックには関心がなかった利用者の方も興味が湧いたみたいで、トーチに触ったり、写真を撮ったりして、みんなで楽しめるイベントになったことがすごく嬉しかったです。 また、トーチをエバーウォークで展示していたら、興味を持った他地区のケアマネジャーさんが、自分の地区の関係者に宣伝してくださいました。すると、関係者の方々や学童保育の子どもたちがトーチを見に来てくれて、ちょっとしたブームになりました。それがもとで、その地区の勉強会で聖火リレーのお話しをさせていただく機会を得ました。 今までの私の活動は、視覚障害リハビリテーション協会という学際的な専門家と当事者の集まりの中で、いろいろな地域を飛び回ることが中心でした。今回の聖火リレーに参加するという活動は、支援してくださった地元のリハ専門家やケアマネさんをはじめ、一緒にリハをしている仲間たちに、がっちり支えられて実現したものであることを実感しました。さらに、視覚障害畑という枠を超えて、多様なつながりができたという実感も持てました。これらの実感を忘れずに、自分の住んでいる地域から、高齢視覚障害者のリハに関わる問題を、コツコツとゆっくり掘り起こし、解決の輪を広げていきたいと思っています。
註1)私たちの聖火リレー動画は下記URLから視聴できます。
https://sports.nhk.or.jp/paralympic/torch/runners/dbjno0x3/?fbclid=IwAR2Z7tqvBEbl5MmX4oeYmpnoWgzztSQDdFuryYThhtnrC8PrA4hc3xnM92w
(註2)私たちのインタビュー動画は下記URLから視聴できます。8月23日「調布地区を走行予定だった皆さん」をクリックし、その動画の最後の方に出てきます。 https://sports.nhk.or.jp/paralympic/torch/highlights/
写真説明 1.ハンドメイドの模擬トーチを左手に持った、マスク姿の吉野さん。右手には歩行用の杖を持っている。右側にはマスク姿の舟越さん。模擬トーチは段ボール製で、持ち手の先端には中にお手玉が入れられる直方体の筒が3つ付いている。正面には桜の花のイラストが貼られている。
写真説明2.聖火ランナーとして走る直前に行われたパフォーマンス。前の組のランナーとともに、聖火が灯った状態でトーチを思い思いのポーズで掲げている。吉野さんは前列右端で電動車いすに乗り、左手で掲げているトーチを少し心配そうに見ている。吉野さんの左側では舟越さんが笑顔でサポートしている。