この春から、私は、日本弱視者ネットワークの会員になり、弱視(ロービジョン)の方達と、自分ごととしてより真剣に勉強したり、活動をしていけたら良いなと思うようになりました。そのネットワークの発行している通信に寄稿させて頂いた記事を、私が書いたままの姿で、ここで紹介いたします。少し長文ですが、読んでいただければ幸いです。
なお日本弱視者ネットワークの「過去の通信」の所にも「人生100年時代をどう生き抜くのか-充実した老後を迎えるために-」というタイトルで公開されています。
人生100年時代をどう生き抜くのか-充実した老後を迎えるために-
吉野 由美子(よしの ゆみこ)
はじめに
白井さんから「会の中で『高齢になった時のことを考えると不安だ』『どんな風に備えたら良いのか』という話題が出るので、そのテーマで何か書いていただけないか」という原稿依頼を受けて、「私の思っていることを書いてみますね」と気楽に引き受けました。
よくよく考えてみると、この問題そんなに簡単なことではないと気づいたのですが、昔「大災害に備えて弱視(ロービジョン)の人は何をしておけば良いのか?」というインタビューを受けた時の、「備えは、今の自分と向き合って、今の生活を大切に生きていくこと」と答えたことを思い出し、そのノリで書かせていただこうと思います。
1 自己紹介
私は、1947(昭和22)年生まれ。現在73歳。先天性の白内障で失明状態(目自身は小眼球)、それと大腿骨が内側に曲がってしまうという肢体障害の重複障害を持って生まれました。白内障の手術は、生後6ヶ月から7歳まで7回に分けて行われました。視覚の発達する時期に光が目に入るようになったことと、その後の光学機器の進歩のおかげで、現在の矯正視力は左目が0.15あります。右目は30歳ぐらいから水疱性角膜症となり0.01。視野障害はないけれど、立体視はできません。
私が学校教育を受けた時は、「弱視はいずれ見えなくなる」という建前の元に、盲学校に入学すると全て点字教育、しかも「目で見てはだめ、手で読みなさい」と厳しく言われた時代でしたから、私の主たる文字は点字でした。ですが、大学受験のために普通の文字も勉強し、読むことはできるようになりました。その後、IT機器の驚異的な進歩のおかげで、今はパソコンを使って普通文字での読み書きを主としています。
初めての点字受験生として、名古屋の日本福祉大学に入学。その後、名古屋ライトハウスの点字図書館に就職して、人生の半ばで見えない・見えにくい状態になった方達の進路相談に乗ることで、視覚障害リハビリテーションとロービジョンケアの普及が私のライフワークになりました。
すごく簡単な自己紹介ですが、これから書く「老後に備えて今を大切に生きる」という私の考え方ができた背景を知っていただける範囲での紹介をさせていただきました。
2 自分の目の状態についてきちんと押さえておくことが大切
40年以上前ですが、私の右目がガラスに水滴がついたような見え方になり、症状が重くなっていきました。慌てて当時ロービジョンケアを推進している大学病院の眼科に飛んで行って診察を受けたところ「小眼球ですね」と言われただけで、水疱性角膜症については何の説明もありませんでした。それに、この時初めて自分の目が「小眼球」だと知り唖然としました。それまでは単純に白内障だと思っていて、その頃実用化されてきた眼内レンズを挿入すればよく見えるようになると信じていたので、本当にがっかりしてしまいました。
この時に、いかに自分が自分の目のことについて知らなかったかを思い知らされました。また、眼科の先生は見え方の変化についてあまり原因を説明してくださらないのだと知りました。これは40年前のことで、今のようにインフォームドコンセントやロービジョンケアなどが普及していない時でしたが。
当時は視覚リハ関係の仕事をしていてたくさんの眼科医と知り合いでしたから、私は必死で自分の目の病気のことや将来のことを勉強するようになりました。そして学んだことは、弱視(ロービジョン)という障害は、慢性の病気を持って生きていることと同じで、いつでも状態が悪くなる可能性があり、絶えずメンテナンスが必要であること。それから、治療の技術や光学機器は日進月歩で、その情報を得ておくことの大切さでした。
今“見えにくくても見えている私たち”が視力を失うことになると、障害のない方が失明したのと同じようにきつい状態になりますから、例え治療にすぐに結びつかなくても眼科医療と縁を切らず、見えにくくなってきた時にも障害のせいにせずに、必ず眼科医を受診することが大切です。
もう1つ、自分の見え方について、きちんと説明を受けておくこと、視野障害のある方は視野図などを見せてもらい、どこでどのように見えているのか自分なりに知っておくことが大切です。こちらから言わないと、眼科の先生は、なかなか説明してくれませんから。できればロービジョンケアを標榜しているところで見てもらっておくのも良いと思います。
3 自分の障害について周囲にカミングアウトすることが大切
もう20年近く前になると思いますが、高知県のルミエールサロンで仕事をしていた頃、見えない・見えにくい方達のための便利グッズの展示会と相談会を役所の障害福祉担当の方の協力を得て開催した時のことです。相談は予約制で、当事者の方や家族の方からの見えない・見えにくいことについての困り事の相談を受け、解決の道筋を少しでも示せるよう、一人一人の困り事をじっくり聞きながら行いました。20年近く前のことですから、弱視の方向けのグッズについてはほとんど知られていなかったこともあり、見えにくい人向けの拡大読書器や遮光眼鏡等の便利グッズを紹介することだけで困りごとの一部が解決する例も多く、幸いなことに笑顔になって会場を後にする方も何人もありました。
その相談会で受付の仕事をしてくださっていた役所の方が、会が終わってから私のところに来られて「実は、私も網膜色素変性症で、視野が狭く、事務の仕事をするのもずいぶん大変だった。でもまだ見えているし、何とか役所の仕事にもついていけているので、自分の病気のことは今まで同僚には一切言わずに来た。今日、自分の病気について話をして、『何かもっと良く見えるようにできないか』と言っている見えにくい方達を見ていて、私も自分の病気や見えにくさについて同僚に話して、もっと配慮してもらってもいいんだと気づき、気持ちがすごく楽になった」と告白されました。この告白は、今も忘れられません。
実は、私自身も「私よく見えないのです」と言えなくて、苦い思いをした忘れられない体験を持っています。やはり40年ぐらい前でしょうか。ある学会で私に声をかけてくださった男性。あちらは私のことをよく知っているようで、視覚リハのことやロービジョンケアのことで1時間以上いろいろと意見を戦わせて、すごく充実した時間を過ごしたのですが、私は、その方の顔もよく見えないし、ネームカードも見えなかったので、未だにその方が誰なのか分からないまま。あんなに親しく意見交換したのに。「私、顔とかよく見えなくて、あなたのこと分からないので名前教えてください」とどうしても言い出せなかった私。今でもその時のことを思い出すと相手の方に悪くて、なんとも言えない気持ちになります。
大まかに言って視力0.1以上見えていたり視野障害がそんなに進んでいない時には、日常の生活は何とか障害のない人と同じようにできてしまいます。いや、できていなくても、そのできていない部分は「自分には不得意なところ」と考えて、見えにくいせいではないと思いたいですし、思える時もあります。「もうちょっと努力すると障害のない人と同じように振る舞える」という幻想を、盲学校育ちで、自分には障害があると自覚している私でも、若いときは何度も何度も持ったことがあります。それに私の場合は、足の障害が他人には分かりやすいので、肢体障害者として扱われることが度々ありました。でも、実際に生活上一番困るのは、細かい部分が見えない、読み書きがうまくできない、人の顔が覚えられないことなどです。
人生の途中で見えにくくなった方達にとって、自分の障害を受け入れて、他人に話すことは、もっともっと大きな困難があるのだと想像に難くないです。視野狭窄がひどくなると足下が見えないから移動に困るなど、困ることが一杯なのですが、一般には「弱視」は理解されにくい障害だし、自分でも「できないのは自分の頑張りが足りないから」と思いがちな障害です。社会では、やはり障害があると低く見られるし、仕事を失うかもしれないし、という不安があるのも当然です。だから「見えにくさ」をひた隠しにして生きている方の相談にもたくさんのってきました。しかし、障害は現にあって、消すことができないので、隠せば隠すほど、自分がもう少し頑張ればと思うほど、周囲とうまくいかなくなります。就職し、仕事の量が増えていったらやっていけなくなります。
きついけれど、今生きているところで自分の見え方や困り事を周りに理解してもらえるように説明し、必要な助けを受けることが、「高齢になってから」に備えることになります。私たちは歳を取るとどんどん頑なになります、変なプライドも高くなります。そうなってから自分をさらけ出すことはとても難しい。今から自分の障害を周りに話して、うまく助けを求められるように訓練しておく必要があります。弱視者ネットワークに入っているお仲間同士で、うまいカミングアウトの方法についても相談すると良いと思います。自分の見え方を説明するためのアプリやツールもありますから、是非活用して、周りに理解してもらった上での付き合いをしましょう。
見えなくて困っている部分は助けてもらい、こちらのできることで相手を助けるという、そんな環境作りをしたいですね。そうは言っても、なかなか難しいですが、私たちから動かないとだめなんだと思っています。
4 身障手帳取得・社会福祉サービスの利用などにまつわること
障害が軽度だと思っている方は、身体障害者手帳(視覚)を申請しない方も多いです。「この程度なら障害者ではない」と思い込んでいる弱視の方も多いですし、軽度の場合「手帳を取っても患者の利益に繋がらない」と思っている眼科医もまだまだ多いので、手帳の基準に該当していても手帳の取得を勧めない眼科医も多いです。
「私ぐらい見えていればまだ障害者ではない」とか「手帳を受ける権利はない」とかいう一種の遠慮の気持ちと、「障害者というレッテルを自分に貼りたくない」という気持ちが交錯して、なかなか手帳取得に踏み切れません。一方、一般社会では、ある程度見えている弱視の人に関しては、視覚障害者と思っていないですから、手帳が取得できることを知らない弱視の方達も多いと推測されます。
「私ぐらい見えていれば、手帳取得の資格はないだろう」という方に、私は「手帳を申請するのは“私たちの権利”で、“資格”については、法律や規則に従って医療的な基準で判断されるので、こちらで気にすることではなく、申請したら良いと思います」と答えています。手帳取得の基準は、結構厳密です。こちらでいろいろと勘案し、遠慮する必要はないのです。
手帳取得を私たちがためらうもう一つの理由は、深層心理の中にも潜んでいると思います。その心理とは「障害者になると、人間として一段価値が下がる」「周りから差別される」という恐れにも似た心理です。
古い古い昔から、障害者は一段低く見られてきたし、差別や偏見の対象でした。それが一般社会の認識で、障害があろうとなかろうと、私たちは、その認識にどっぷりつかって生きているのですから、無意識の内に「障害者」というレッテルを自分に貼ることを避けてしまうのだと思います。
私の弱視の知人が、「生まれつき0.2ぐらいしかなくて、対してひどくないにしても視野にも欠損があったけれど、普通学校に通って、そこそこみんなと一緒にやれてきて、就職してからも仕事も何とかやれていた。それは、ずいぶんきついこともあったけれど、自分の頑張りが足りないと思っていた。そんな中、視力が下がってきて、仕事や日常生活がさらにきつくなってきて、手帳を申請したら4級という診断で、手帳が取れた。手帳が取得できて、すごくほっとした。私が努力してもみんなについていけないのは障害のせいで、私が怠けているからではないのだと思ったから」と言っていました。
この時、私は、「手帳が取れたことで自分の障害を素直に受け入れられるようになったのかもしれない」と思いながら、知人の話を聞いていました。
「仕事や日常生活でハンディがある」と思ったら、気にせず遠慮せず手帳を申請しましょう。「障害者」というレッテルがあっても、「私は私、みんなと同じ人間だ」という気持ちで胸を張るというのは、自分にとっても社会にとっても、とっても大切なことだと思うのです。弱視は、一般に分かってもらいにくい存在ですから、だから余計に、自分で分かる必要があるのだと思います。
しかし、「4級以下(軽度から中度)の手帳を取得することが、本当に私たちの利益になるのか、たいした福祉サービスも受けられないし」と考える方もいると思います。今は、そんなことはないと、私は思っています。
まず、一番大きなメリットは、手帳を持っていると障害者雇用制度が利用でき、障害者のための職業訓練制度が使えます。これは、仕事を探す弱視の方にとっても有利ですし、法定雇用率を満たす必要があり、国からの障害者雇用に対する補助金を受け取りたいと思っている雇用主にとってもメリットです。
また、国の統一基準で運営されている眼鏡や白杖などの補装具の支給を受けることや、地方自治体によって基準が相当に違うのですが、見えにくい人のために開発された機器や日常生活に必要な道具を、「日常生活用具」として1割負担で手に入れることができます。
ところで、手帳を持っていると受けられるサービスについては、障害福祉の窓口が積極的に情報を発信してくれるわけではないと、私は感じています。利用する私たちが福祉の窓口に行って、自分から情報を収集しないとなかなか手に入らないのが実態です。時として、その情報集めはとても煩わしくて、エネルギーを使います。だからこそ、比較的障害が軽く、気力もあって動ける内に、この煩わしさと乗り越える方法を体験しておくことをお勧めします。そして、いろいろと困ったことがあったら、弱視者ネットの仲間達に話して、解決法を教わると良いと思います。
弱視の私たちは、慢性病を抱えているようだと前半で書いたように、障害が重度化してくることが予想されます。そして、私たちは徐々に年を取っていきますから、気力も体力も落ちていきます。そうなった時、福祉の窓口とのいろいろなやりとりを経験しておくことは、じっくりと対処の方法を考えるために、良い準備だと思うのです。
5 障害福祉年金と障害年金のことを知っておこう
私たちが20歳を過ぎると、国民年金・厚生年金などに加入します。そうして、概ね25年ほど掛け金を払うと、いわゆる老齢年金を受給することができるようになります。もし、年金に加入している間に、怪我や病気で重度の障害を負うと「障害年金」を受給することができます。この障害年金受給には、身体障害者手帳の取得とは別の基準があり、その基準を満たすかどうかの審査や申請手続きについては、加盟している年金制度により複雑で、ここで一括して述べるのはすごく難しいです。
また、弱視となった原因が20歳前の病気や怪我によるものであり、障害が重度であると認められると、20歳を超えた時に申請すると、無拠出(掛け金を払っていない)障害福祉年金を受給することができます。障害福祉年金が受けられるようになるかどうかの基準は、手帳の受給とは違った基準があり、独自の診断書が必要です。また、この制度は、社会保障制度の所得保障に当たるので、基準以上の所得がある方は、受給できません。
障害福祉年金が受けられるか、障害年金が受けられるかは、障害の原因となった怪我や病気にいつなったか、そのことでいつ診察を受けたか(初診日と言います)の確定がとても重要なのです。
網膜色素変性症は、その原因が分かっているものの多くが「遺伝性」と言われているので、例えば、就職して30歳になった頃に見えにくさが進み、障害が顕著になって「障害年金」を申請しても、昔は「先天性」と判定されて「障害福祉年金」の対象だと決めつけられることが多々あり、とても大きな問題になっていました。
現在、その点は、当事者団体や、年金に精通した専門家の努力で、ずいぶん改善されてきていますが、それぞれの年金の種類によって、とても複雑怪奇になっています。
年金は、私たちの今と老後を支える大切な所得保障ですから、皆さんが自分事として、自分の加盟している年金のこと、障害福祉年金のこと、障害年金のことに関心を持つことが、人生100年時代に備えるためにとても大切だと思います。
年金問題だけでなく、障害を持っている私たちが、民間の死亡保険や医療保険に入ろうとするとき、実際に保険金を受け取るとき、障害者ゆえに起こる様々な問題に直面します。その時は、諦めずに、弱視者ネットの仲間や、専門家(視覚障害者の年金問題に詳しい社会保険労務士等)に相談し、前向きに対処していきましょう。そうすることで開けてくることが沢山あると思います。
終わりに
私は今、高齢視覚障害者の直面する問題について自分事として取り組んでいます。特に高齢視覚障害者のリハビリテーション(視覚障害を持って高齢になっても、自分らしい生活スタイルを全うできるようにする)を実現したいと思っています。そして何人もの高齢視覚障害者に会ってお話を伺っています。
その中で、若いときから高齢になるまでの生き方が、積極的で前向きで、やりたい事に向かっていた方は、高齢になって視覚障害という問題を抱えていても、前向きで積極的で自分らしく生きておられるのだと感じています。
だから、今、弱視という曖昧な立場で自分を見極めることが難しい私たちも、今、直面している見えにくさから来る問題を一つ一つ解決していくことで、高齢になったときに一層見えにくくなっても、失明したとしても、その時々の問題を乗り越えていけるのだと信じています。そして、私自身にも、そう言い聞かせています。
最後になりますが、実は、このテーマをいただいた時に、私たち障害者が65歳になると、介護保険制度でのサービスを受けることを行政から言われる、いわゆる“65歳問題”についても触れたいと思ったのですが、とてもそこまでは踏み込めませんでした。皆さんに興味と関心があり、機会があれば、そのことを別に書かせていただこうと思っております。