高齢視覚障害者をとり巻く諸問題を直視する――支援システムの構築を目指して 第10回 高齢視覚障害当事者の実体験から学んだこと

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雑誌月刊視覚障害11月号の表紙写真
血管視覚障害11月号表紙

コロナウイルスの感染拡大が止まらない不安な11月末。皆さんいかがお過ごしでしょうか。私は、通所リハや通院、買い物以外は、自宅にいて、ルーチンワークになった原稿書きをしています。いつも書いているように1ヶ月はあっという間。月刊視覚障害12月号が出版されたので、11月号の私の書いた記事をブログにアップいたします。今回は、「高齢視覚障害者を取り巻く問題を直視する」を最初から読んでくださっていた高齢視覚障害当事者の方に実体験を伺うことができたので、その体験を記事にまとめました。そこから沢山のことを学ばせていただきましたが、私が一番思ったことは、介護保険と障害者総合支援法によるサービスを私たちが最大限に使って、できるだけ快適な老後を送る権利を行使することが、行政の側も当事者も関係者も、情報を手に入れることが至難の業で、そのため本当に難しいという現実でした。私たちは、等しく制度を使う権利があるのに、今の状態は、とてもおかしなことになっているのだと思います。もっと制作や制度のことが、みんなにわかりやすい形にならなければいけないのだと思っています。

 

私がベランダで育てているシクラメンの写真。この1ヶ月間で、葉が大きく育ちました。お花が咲くことが期待できるかな。
休眠から復活して2ヶ月版建ったシクラメン

この1ヶ月、毎日水やりをしているシクラメン、ずいぶん大きくなってきました。面倒を見る物があるのは良いなと思っています。

はじめに
 本連載を第1回から読んでくださっている当事者から、月刊『視覚障害』編集室を通じて、連載についてのご意見をいただきました。それをきっかけに、電話やメールで、「高齢視覚障害者として今生きている」立場からの貴重なお話を聞くことができました。私のところにだけ留めておくのは、とてももったいないと思い、「連載の一環として、ご紹介したい」とお願いしたところ、快諾してくださいました。今回は、その方の「高齢視覚障害者」としての実体験を取り上げていきたいと思います。

1 Yさんのプロフィールと活動
(1)失明から教員の道へ
 Yさん(男性、79歳)は、全盲の方です。現在は中部地方のある都市で、一戸建てに一人暮らしをしておられます。
 「たぶん先天性の緑内障だったのだろうと、今は思っています」と、Yさんは自身の生活歴を語り始めました。
 1955(昭和30)年、中学2年生の1学期までは、眼の疾患については、ご本人もご家族も何も意識せず、普通に暮らしていたとのことですが、その1学期末の写生の授業の時、Yさんの描いた絵を見た美術の先生から、「眼が悪いのではないか? 眼科に行って診てもらいなさい」と勧められて、地元の眼科を受診しました。眼科医には「トラホームの疑い」と診断され、毎週点眼に通ったものの、良くならなかったそうです。
 そして、忘れもしない、毎年行なわれている学校の伝統行事の登山合宿。宿舎の廊下を走っていたYさんは、柱に左目をぶつけてしまいます。「左目はどうもその時に見えなくなったみたいだ」とYさんは言います。それでも学校には通い続けていたのですが、2学期の中間テストの時、最初はなんとか見えていた試験問題が、見つめている内に霧がかかったように見えなくなってしまいました。事態の深刻さに気づき、大学病院の眼科に紹介状を持って行ったところ、そのまま緊急入院。手術、コーチゾン投与を繰り返しましたが、効果はなく、翌年2月には光覚程度の視力となってしまい、眼科医の勧めで、4月から地元の盲学校に転校することになりました。1学期しか通っていない中学2年からやり直して、1学期の間に、なんとか点字の読み書きができるようになったそうです。
 その時の気持ちを伺うと「大学病院の眼科に入院して治療していたので、治るとばかり思っていたが、見えなくなってしまったので、悔しくて、一時はものに当ったりしたこともあった」とのことでした。見えなくなったあとのめげそうな気持ちを、先生や友人が支えてくれたとも話しておられました。
 高等部専攻科理療科を経て、1963(昭和38)年、東京教育大学教育学部特設教員養成部(現在の筑波大学理療科教員養成施設)に入学。卒業後は、母校である盲学校の理療科教員になり、60歳の定年まで常勤35年、定年後再任用で2年、合わせて37年間お勤めになりました。
(2)授産施設の立ち上げと就労継続支援B型施設での活動
 1980年代に入る頃から、盲学校でも重複障害児の入学が増え、三療の免許が取れない生徒、あるいは免許を取ってもいろいろな事情で就職や開業ができない卒業生が増えてきていました。そのような方たちのために、盲学校の近くに、盲学校の教員や卒業生の親たちが無認可の作業所を作って細々と運営していたのですが、それを正式な社会福祉法人が運営する授産施設にしようという動きが起こりました。Yさんも頼まれて、その授産施設の設立に力を貸すことになります。
 理療科の教師としてYさんは、生徒が三療免許を取れるように最善を尽くしてきましたが、同時に「免許が取れたからといって、それだけでは解決しない問題がある」ということも強く認識しておられました。そこで、就職できない生徒の将来について、少しでも助けになればと考えて、授産施設立ち上げ運動に尽力し、2004(平成16)年の授産施設の発足後(のちに就労継続支援B型施設)は、そこの治療室で勤務して、自らも治療を行なうと共に、後輩の育成に努めてこられたのです。

2 日常生活における障害福祉サービスの利用
 Yさんが64歳の時、家事を担ってくださってきた奥様がマルファン症候群という難病で倒れ、入退院を繰り返すようになり、Yさんも初めて、ホームヘルプサービスを利用することになりました。ヘルパーには、買い物や調理などを担ってもらい、Yさん自身は夜間、奥様に付き添って病院へ行くなどしました。
 奥様は退院時、身体障害者手帳1級を取得していたので、奥様の入浴介助などでヘルパーをお願いし、在宅生活を維持していました。しかし、2010(平成22)年に闘病の甲斐なく奥様は亡くなりました。Yさん70歳の時のことです。
 奥様の病状の悪化に伴い、Yさんは一度、就労継続支援B型施設を退職したのち、2020(令和2)年8月末まで、非常勤職員として治療室での勤務を続けておられました。

3 介護保険と障害者福祉サービスの間で
(1)介護保険への切り替えの度重なる誘い
 奥様が亡くなってからも、Yさんは障害者福祉サービスでのホームヘルパー派遣を受けながら、日常生活を維持していました。ところが、75歳の頃から、「介護保険優先」という国の方針が各地方自治体でも徹底されるようになり、「介護保険へ切り替えるよう」役所から何度か言われたとのことです。しかし、障害支援区分4(注1)と判定されているYさんには、日常生活はほぼ自立していることを考えると、介護保険での認定は、「要支援段階」にしかならないと予想されました。さらに、年金を受け取りながら、非常勤とはいえ所得税を課税されていることなどを考え合わせると、「介護保険サービスでの利用料金が2割負担になる可能性が高い」などといった知識を持っていたので、介護保険への切り替えには応じなかったのです。
(2)介護予防・生活支援サービス事業のデイサービス施設
 77歳の時、Yさんは前立腺癌と診断され、ホルモン注射による治療が始まりました。その副作用として筋力が衰えてきたことと、高齢による聴力の衰えから、今まで白杖を使って単独で通っていたB型施設までの2キロの道のりを歩くことができなくなり、タクシーを使って通勤するしかなくなってしまいました。少しでも歩行能力を維持したいと考えたYさんは、地域包括支援センターなどに相談し、ケアマネジャーから、介護保険の「介護予防・日常生活支援総合事業」を構成する「介護予防・生活支援サービス事業」(注2、3)によって運営されているリハビリ特化型デイサービス施設への通所を提案されました。現在もその施設に通所してリハビリを行なっています。
(3)デイサービス施設での対応について
 「デイサービス施設では、全盲のYさんを受け入れて、他の高齢者と一緒にプログラムを実施していくことに、抵抗や支障はなかったのですか」という私の質問に対して、Yさんは淡々と次のように語ってくれました。
 「受け入れについては、最初からとてもスムーズでした」。利用者は8~12人で、指導するスタッフは4人。朝は全員の準備運動から始まり、その後、個々の力に応じてトレーニングマシーンを使ったトレーニング、脳トレ(注4)、歯科衛生士が指導する口腔ケアなどが行なわれます。「移動は、スタッフが上手に手引きをしてくれて問題ないし、準備運動の時と脳トレの時は、スタッフの一人がそばについて、どのように体を動かしているかを説明しながら手も添えてくれるので、みんなと一緒についていけます」とのことでした。
 このデイサービス施設を運営している株式会社は、障害者のリハビリ施設やグループホームなども運営しているため、視覚障害者に対するケアについても慣れているそうです。
(4)息子さんの同居による問題と、それへの対処
 介護予防・生活支援サービス事業を利用し始めたのと同じ頃、勤務先の都合で息子さんがYさんと同居するようになりました。障害のない家族が同居したことによって、Yさんがそれまで利用していたホームヘルパーの派遣が受けられなくなり、Yさんは有料でのヘルパー利用をせざるを得なくなりました。
 同居した息子さんは、仕事の関係で家事を担うことができない状態だったので、Yさんは、ホームヘルパーの生活援助が利用できなくなったことに対して「実態に合わない」と疑問を抱きました。そこで、障害福祉サービスに関する厚生労働省の「通達」などを調べて、「障害のない同居家族がいても生活援助を受けられることなどの根拠となる資料」(注5)を役所に持ち込み、交渉の結果、再びホームヘルパーの派遣が可能になったのです。
(5)地域生活支援事業のガイドヘルパー利用を選択
 Yさんの居住する自治体では、同行援護事業と共に、「地域生活支援事業」による「移動支援(ガイドヘルパー派遣)事業」も運営されています。同行援護事業では、ガイドが自家用車を利用して同行することはできませんが、Yさんが住む自治体の地域生活支援事業によるガイドヘルパー派遣の規定では、ガイドの運転する自家用車を利用することが可能です。地方都市で、バスなどの公共交通機関が整備されていないところでは、同行援護のサービス内容だけでは、実際には不充分だと考えたYさんは、移動支援事業の利用を続けています。
(6)Yさんの自立生活を維持している制度
 上記のことから、現在Yさんは、障害福祉サービスによる生活援護(ホームヘルパーの派遣)を週3回、介護予防・生活支援サービス事業によるデイサービス施設の利用を週1回、そして、地域支援事業に基づくガイドヘルパーによる通院などの移動支援を受けながら、単身で自立した生活を送っています。

4 Yさんが今後の生活で望むこと
(1)高齢視覚障害者が使える歩行誘導システムの開発
 Yさんは、足の筋肉の衰えと、聴力の衰えが重なり、一人で外出することができなくなってしまいましたが、「毎日、散歩をしたい」と希望しています。しかし、「ガイドヘルパーを毎日頼むことは到底できない」のも現実です。
 そこで「高齢者の使う歩行器に、超音波やGPS機能を取り付けて、誘導してくれる歩行補助具の開発をしてほしい」と、視覚障害者のための歩行補助具を開発しているメーカーにいろいろと意見を述べたが、全然聞いてもらえなかったと残念がっておられました。「こんなに技術が進歩しているのだから、開発する気になればできるのではないか」「高齢視覚障害者が7割もいるのだから、ぜひ考えてほしい」と強く望んでおられます。
(2)より充実したパソコン教室が地方にも必要
 コロナ禍の影響もあり、最近、Yさんも仲間からオンラインでの会議や飲み会などに誘われる機会が増えています。しかし、どんな設備や機器を整え、どのように操作したらいいのか、高齢視覚障害者にもわかるように教えてくれるところは、地元にはないそうです。地域の視覚障害者協会や点字図書館などで開かれるパソコン教室などは、メールの送受信やインターネットの使い方止まりで、Zoomなどのオンライン会議への参加まで教えてくれるところはほとんどないと言います。
 地方でも、ぜひ、Zoomなどの使い方を教えてくれる場所と人材がほしいとも希望しておられました。

第10回のまとめと次回の予告
 1.お話を伺う中で、Yさんは、視覚障害者として生きていくために必要な情報を、努力することで入手できる環境の中におられた「情報強者」だと、私は思いました。実は、私たちが必要とする障害福祉サービスや介護保険についての情報の入手には、たとえ盲学校などの情報を入手しやすい環境にいても努力が必要であり、そのような機関との日常的な接点がない人には、一層困難と言わざるをえません。
 2.Yさんは、視覚障害者にとって必要な障害福祉サービスを利用し、その利点を知り、介護保険で提供されるサービスとの違いを熟知していました。だからこそ、自分らしく生きていくために、障害福祉サービスを主に利用するという選択をし、それを通してこられたのだと思います。今、そういうことのできる方は、残念ながら高齢視覚障害者の中のほんのひと握りの方なのだと私は思っております。
 3.なぜ、そういう状況なのかといえば、視覚障害者のために特化したサービス、特に視覚リハ(ロービジョンケア)について、一般社会でほとんど知られていないからです。使ったこともない、知らないサービスに対しては、「それを使いたい」というニーズは生まれません。
 4.今、視覚障害者の80%以上が中途視覚障害者で、しかも高齢になってからの方の割合も高い中、65歳を過ぎると介護保険のサービスのみを利用している人も多いという状況になっています。必要なサービスを利用できる少数の方と、そうでない多数の方とを隔てているのは「情報格差」です。私たち視覚障害者を支援する専門家は、こういう格差があることを常に認識して、それをなくすにはどうすればいいのかを模索し続ける必要があると考えます。
 5.中学2年で突然失明状態になってから、Yさんは様々な苦難をご自身の精神力と努力、周囲の助けによって乗り越えてきました。そこで蓄えられた知識と経験を駆使して、高齢視覚障害者として解決しなければならない事態に対応してこられた姿は、本当にすごいと感じます。その上で、Yさんに情報格差のことをお話しし、Yさんのような優秀な方でなくとも、必要な方に必要な情報が行き渡ることの重要性について「Yさんのお話を基に書きたい」と申し出たところ、私の考えを理解し、提案を快諾してくださいました。「あとからくる多くの高齢視覚障害者の役に立つことを伝えてください」と言ってくださったYさんに深く感謝いたします。ただ、紙数の関係で、充分にYさんのご意見を伝えられなかったことを残念に思っております。

 次回は、東京都盲人福祉協会に所属し、訪問による日常生活訓練やICT機器の訓練を行なっている白井夕子さんのインタビューを通して、高齢で見えない・見えにくくなった視覚障害当事者が家族・地域社会の中で、居場所と役割を持って暮らしていけるように支援する方法や課題を考えていきたいと思います。

注1 障害者総合支援法の下で、実際に障害福祉サービスを受ける時には、障害支援区分認定審査を受けなければならない。詳細は、下記URLを参照。
 https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12200000-Shakaiengokyokushougaihokenfukushibu/4_9.pdf
注2「公的介護保険制度の現状と今後の役割 平成30年度」(厚生労働省 老健局)を参照。
 https://www.mhlw.go.jp/content/0000213177.pdf
注3 介護予防・生活支援サービス事業によるサービスのみの利用であれば、要介護認定などを省略し、市町村や地域包括支援センターの窓口で「基本チェックリスト」により「サービス事業対象者」と判断されればよい。「介護予防・日常生活支援総合事業ガイドライン(概要)」(厚生労働省 老健局 振興課)を参照。
 https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12300000-Roukenkyoku/0000088276.pdf
注4 脳トレとは、しりとりや言葉遊び、連想ゲームなどにより、手指や足をいろいろな形で動かし、脳に刺激を与える手法で、毎回違ったプログラムを展開する。高齢者が利用するデイサービス施設では、定番のプログラム。
注5 厚生労働省 社会・援護局 障害保健福祉部障害福祉課長通知(平成28年3月10日)「居宅介護(家事援助)の適切な実施について」の中に「居宅介護(家事援助)は、単身の利用者又は家族等と同居している利用者であって、当該家族等の障害、疾病、就労等の理由により、当該利用者又は当該家族等が家事を行うことが困難である者が利用できることとなっている」との記載がある。
 https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc1863&dataType=1&pageNo=1