高齢視覚障害者をとり巻く諸問題を直視する――支援システムの構築を目指して 第5回 視覚障害リハビリテーションが今まで我が国に普及しなかった理由―歴史的な背景を検討する

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月刊視覚障害5月号の表紙
月刊視覚障害5月号の表紙

本当に月日の建つのは早いですね。明日から7月です。そしてジメジメとした梅雨シーズン。コロナウイルスがジメジメに弱いと良いのですが、東京都の感染者数は少しずつ上昇していて、梅雨だから、夏だからウイルスの勢力が衰えるという明確な証拠はないようです。私も高齢者、介護保険のデイサービス施設に通所している身なので、人に感染させない、私も感染しないという覚悟で、自衛している毎日です。
 さて、今日私の手元に「月刊視覚障害7月号」が届きましたので、いつものお約束で6月号の内容をアップします。梅雨時で気分爽やかと言う訳にいかない中、取り上げている話題は、少し理屈っぽい話ですが、「なぜ視覚リハは我が国の制度の中にきちんと位置づけられていないのか」について、私なりに意見を書かせていただきました。読んでいただいて、ご意見など聞かせていただければ幸いです。

はじめに
 高齢視覚障害者をとり巻く問題について、過去4回の連載の中で、「視覚障害リハビリテーション(以下、視覚リハと略す)の方法やその効果ばかりか、視覚リハに携わる専門家の存在さえ、一般社会だけでなく、医療をはじめ福祉や介護などの専門家にも知られていない」ということを度々述べてきました。
 今回は、高齢視覚障害者をとり巻く問題について、視覚リハの方法と専門家の養成システムが、我が国に導入された過程やその後の社会的な背景などからアプローチしてみようと思います。視覚リハの存在それ自体が、我が国ではそれほど知られていない、という問題の原因を理解することによって、解決への手がかりを筆者なりに探していきたいと思います。

1 障害者を社会の責任でケアするという考え方の始まり
 病気やけがなどによって障害者になるということは、20世紀に入るまでは、「個人の問題(不幸)」と考えられてきました。ところが、度重なる戦争と兵器の飛躍的な発達による戦死者・負傷者の増加、産業の発展に伴う鉱山や鉄道などの事故の大規模化などが進むと、障害を負うということは、個人の問題ではなく、社会的な問題であるという認識が、欧米などで生まれてきました。特に、国民の戦意や愛国心を維持するためにも、国は傷痍軍人を放置しておくことができなかったのです。そこで、障害者福祉の考え方や、障害を負っても、できるだけそれまでと変わらない社会生活を送れるようにするための「リハビリテーション」という考え方が生まれ、我が国にも明治の終わりから大正時代にかけて紹介されました。

2 我が国の視覚障害者の職業教育の特徴
 皆さんもご存じの通り、我が国の視覚障害者は、音曲やあんま・マッサージ・指圧、鍼、灸(三療)の施術などを主な職業として、独自の集団を作り、自分たちの生活を守ってきたという他国にはない歴史を持っています。「当道座」と呼ばれる中世以来の組織は、独自の官位を持ち、師弟関係によって職業技術を維持・継承していました。世界初の視覚障害者のための教育機関とされる鍼治講習所も、杉山検校によって設置されたものです。
 明治維新によって当道座を失った視覚障害者は、自ら立ち上がり、盲学校を設立していきます。京都・東京を皮切りに、全国の盲学校で、音曲・鍼按などの職業教育が始められました。
 第2次世界大戦後、我が国にも障害者福祉や障害者に対する職業訓練という考え方が本格的に取り入れられました。従来とは異なる新職業も模索されましたが、中途視覚障害者の職業訓練の中心になったのは、やはり三療業でした。
 一方で、点字の図書や雑誌を出版し、それらを集めた点字図書館を作ろうという動きも起こります。視覚障害者への文化的な保障や情報提供の中心となった点字図書館は、各地の盲学校卒業生を中心とした当事者団体に運営が委託され、盲学校の敷地内や近辺に設立された例も少なくありません。
 歴史のほんの一端を見たに過ぎませんが、我が国の視覚障害者は、独自の集団を形成し、自分たちの職業や権利、文化を守り、育んできたといえます。それにより、戦後の障害者福祉制度が確立されていく中でも、他の障害に先んじて福祉制度を築く力を持った一方で、それは、一般社会とは切り離された特殊な社会の中で起こったことだったと私は考えています。

3 視覚リハの方法の導入と専門家の養成の歴史
 歩行訓練の方法・技術は、アメリカで失明軍人のために開発・体系化され、政府の後押しによって一般に普及したものです。我が国には1960年代の中頃、フーバー(Richard Edwin Hoover)らによって開発された歩行方法フーバー・テクニックが伝えられました。1970年には、日本ライトハウスがアメリカ海外盲人援護協会(American Foundation for Overseas Blind=AFOB)と共催で、講師を日本に招き、初の「視覚障害者歩行訓練指導員講習会」を開催しています。
 この講習会は1972年に厚生省(現・厚生労働省)の委託を受けて、「盲人歩行訓練指導員研修」として、毎年、開催されるようになりました。受講者は、既に視覚障害関連の施設や盲学校などに勤務していた方で、現場の必要性によって講習を受けるという現任研修的なかたちは、現在の日本ライトハウスの養成方法にも踏襲されています。
 海外から講師を招聘し、受講者の多くが現職の方だったことなどから、初期の講習期間は1~3カ月と短く、歩行訓練の方法のみを指導していました。
 1990年になると国立身体障害者リハビリテーションセンター学院(現・国立障害者リハビリテーションセンター学院。以下、国リハ学院)に視覚障害生活訓練専門職養成課程が開設されました。指導内容も歩行訓練だけでなく、コミュニケーション訓練、日常生活訓練などの社会適応訓練が加わり、職名も「視覚障害生活訓練専門職」とされています。日本ライトハウスでも1994年から「視覚障害生活訓練指導員」となりました。
 現在、日本ライトハウスの視覚障害者生活訓練等指導者養成課程では、歩行訓練を半年、歩行訓練以外の生活訓練を半年、その後1年間、現場での実習と、通信やスクーリング等で学ぶことになっています。各課程は分割して受講することも可能です。国リハ学院では、1999年に2年制に移行しており、全課程を一度に受講する必要があります。現時点では2つの資格とも、各団体が独自に認める認定資格に留まっています。

4 眼科医療との関わりがなく導入された視覚リハ
 けがや病気で手足が欠損したり、脳梗塞などの後遺症による麻痺で体を自由に動かせなくなったりした、いわゆる身体障害者に対するリハビリテーション(機能回復訓練)が、我が国に導入されたのは、1950年代の終わり頃で、その方法や技術は、労災病院や身体障害者施設に治療の一環として急速に普及していきました。欧米で開発されたリハビリテーションの方法・技術は、その有用性と必要性を認識した先進的な医師たちの後押しにより、大学病院などから欧米に派遣された医師たちがその方法と考え方を習得し、日本に定着させたものです。リハビリテーションに携わる理学療法士や作業療法士も、国家資格として医療制度の中にきちんと位置づけられて発展してきました。
 一方、歩行訓練や日常生活訓練などの方法や技術は、全盲の中途視覚障害者を対象に、視覚障害者にサービスを行なう福祉施設などの現場の必要に応じて導入されたもので、眼科医療とはかけ離れたところで、独自に発展してきました。また、身体障害者手帳の所持者の内、視覚障害者の割合は低く、視覚障害福祉関係の現職者が他の業務と兼務してきたこともあり、養成人数も、専従者の人数もたいへん少なかったのです。

5 職業的リハビリテーションの前段階としての視覚リハ
 1949年に制定された最初の身体障害者福祉法では「更生(経済的自立)」を目指すことが障害者の義務とされ、リハビリテーションサービスを受けても更生の可能性がないものは、訓練の対象から除外されていました。歩行訓練などの視覚リハも、他のサービス同様、主に三療の職業訓練の前段階として、訓練施設に入所するかたちで提供されていました。そのため、専業主婦や高齢の中途視覚障害者は、1970年代後半までは訓練の対象になっていませんでした。
 しかし、そのような考え方は、ノーマライゼーション思想やインディペンデント・リビング、クオリティー・オブ・ライフ(QOL)などといった概念が紹介され、国連の提起した国際障害者年(1981年)の運動などを契機に、障害者の権利が認められる中で、我が国でも大きく変わっていきました。その結果、社会参加やQOLを高めるためのリハが認められるようになり、視覚リハも、地域での、在宅での生活を維持するための通所や訪問での訓練が増加してきました。ところが、「見えなくなったら何もできない」「盲人に対するサービスは白杖の交付と点字盤の支給、盲学校での三療免許の取得」という社会一般のイメージがあまりにも強く、地域に開かれたはずの視覚リハサービスへのニーズは、ほとんど拡大していきませんでした。
 一方、高齢視覚障害者の増加や社会情勢の変化などにより、入所型の訓練施設へのニーズは急速に減っていきました。

6 ロービジョンケアとスマートサイト
(1)医療と視覚リハの間の溝
 私たち人間は、視覚からの情報に頼って生きていますから、中途視覚障害者の7~8割は自殺を考えると言われるほど、その絶望感は強いものです。そんな状況では、眼科医は「あなたの目はもう治りません」とは告げられません。しかも、先に述べたように、我が国の視覚リハは、医療とかけ離れたところで発展してきたため、治療できず視覚障害になってしまった患者に視覚リハサービスを紹介することもできません。だから、医師は失明を宣告することなく、患者も「治らないのではないか」と思いつつ、藁にもすがる思いで病院に通い続け、それで精神的・肉体的に疲弊してしまい、視覚リハにつながらないか、つながるまでに長い期間がかかるという状況が続いていました。
 1970年代に、眼科病院で歩行訓練士を雇い、視覚リハにつなげようという試みもありましたが、広く普及はしませんでした。
(2)2つのスタート
 治療の限界がある見えない・見えにくい方たちを視覚リハのサービスにつなぐために、2005年にアメリカ眼科学会が開発・推進したのが「スマートサイト」というシステムです。アメリカ眼科学会のウェブサイトに、視覚リハに関する情報を集めたパンフレットが掲載されていて、眼科医は、良い方の目の視力が0.5以下の患者に、それを印刷して渡します。見えにくいことで生活に不便を感じた患者は、自分の意思で連絡することができます。眼科医は、「失明宣告」をするわけではなく、また視覚リハについての知識がなくてもできるという仕組みです。
 治療をしても充分な視機能の回復が見込めない方に対して、少しでもその見え方の改善を図る「ロービジョンケア」は、我が国でも1990年代の後半から、徐々に医療や福祉に広がりつつありました。日本眼科学会などが「病気を治す」「病院としてケアする」のと同様に「見えない・見えにくい方たちのその後の生活をできるだけ快適なものにする」ために、速やかに適切な視覚リハサービスに結びつけることも、眼科医の重要な仕事であるとの考え方を打ち出しました。
 ロービジョンケアが、地域の視覚リハサービスとの連携の中で行なわれなければ患者の生活の質を改善できないことが理解されるようになったことと、2012年に「ロービジョン検査判断料」が医療保険点数として認められたことなどが重なり、スマートサイトの考え方は、我が国でも急速に浸透してきています。
 我が国のスマートサイトは、都道府県ごとに、眼科医会が視覚リハの関係者と話し合ってリーフレットを作り、地域連携を進めていくかたちで取り組まれています。2020年4月時点で、38都道府県でリーフレットが作られて、医療から福祉・教育などへの連携がスタートを切ったところです。
 ロービジョンケアとスマートサイトの普及により、医療との連携がほとんどなかった我が国の視覚リハは、医療とつながるきっかけをつかめたと言えます。見え方に異常を感じた人は、必ず眼科を受診するので、これは視覚障害リハビリテーションの普及にとって、非常に大きなチャンスなのだと思います。

第5回のまとめと次回の予告
 1.第5回では、我が国で視覚リハが普及してこなかった理由を歴史的な背景と社会情勢の変化という要素から分析し、解決策を模索するという試みを致しました。
 2.視覚障害という厳しいハンディを持って生き抜くために、視覚障害者は古くから、団結して生きる術を身につけ、同時に一般社会とは別の特殊な社会を形作るということにもなりました。少なくとも、障害のない人にとっては、視覚障害者たちの営みについて、ほとんど情報がない状態でした。そんな中で、人生の半ばで視覚障害となった時、「どうやって生きていけばいいのか」という情報にはなかなかたどり着けない状態でした。
 3.視覚リハがあまり普及していない理由の1つは、視覚リハ自体の一般への伝わりにくさがあると思います。たとえば全盲の中途視覚障害者に対する視覚リハとは、視覚から得ていた情報の代わりに、触覚・聴覚など他の感覚から得た情報を組み合わせて、日常生活を送れるようにすることだと私は理解しています。全盲の方の手を取ってテーブルと椅子の背の位置を知らせれば、それで向きが分かって座ることができます。しかし、専門家のこのような指導は、視覚に頼り切っている人たちには想像もつきません。機能回復訓練などと異なり、たいへん理解されにくいのです。
 4.ニーズの掘り起こしや広報活動のためにほとんどエネルギーを使うことができない、という状況もありました。視覚リハサービスは、視覚障害に関する法律に規定された施設や、自治体から「中途失明者緊急生活訓練事業」を受託した当事者団体等が提供していますが、視覚リハ専門職を一人雇って専従させるほどの仕事量がないとみなされ、また財源的にも、専従の専門家を雇用する基盤はありませんでした。そこで、「訓練を受けたい」と言ってきた方のみに、サービスを提供するという状況でした。
 5.さらに、いわゆる身体障害者に対するリハビリテーション(機能回復訓練)のように、医療体系の中での位置づけができなかったことも理由としてあげられます。
 6.視覚リハサービスの大きな財源である「中途失明者緊急生活訓練事業」や「地域生活支援事業」は、都道府県や市区町村の独自予算によって運営されています。全国一律の「自立支援給付事業」や介護保険サービスと違い、政府が事業実施についてのデータを把握していないため、国の政策から抜け落ちてしまっていると考えられます。
 7.今後に向けた対策として、以下のようなことが考えられます。まず、眼科医療の中で「ロービジョンケア」の重要性が認識され、スマートサイトが普及することにより、眼科医からの紹介ケースの増加が見込まれます。これは、視覚障害当事者のみならず、専門家にとっての大きなチャンスです。ただし、眼科医から紹介されてくる患者には、ロービジョン(見えにくさのある方)や高齢者も多いと推測されるので、多様な見え方を考慮した視覚リハの方法の充実が急務となります。
 8.視覚障害者に対する支援の施策を考える際、これまで、その対象は身体障害者手帳所持者の約31万人でしたが、高齢化社会の進行と共に、「見えない・見えにくいことで困っている方」は約164万人いると推計されています(日本眼科医会の推計)。介護保険でサービスを受けている方や、見えにくくて困っているけれど手帳を取得していない方たちも視野に入れた視覚リハの提供体制を構築する必要があります。
 9.超高齢化社会を乗り切る「地域共生社会」の実現に向け、国では現在、多分野の専門家を地域の資源と見なして、この超高齢化社会に起こる問題を解決していく戦略を立てようとしています。実は、視覚障害者を支援する立場の私たちは、この戦略の中に含まれる専門家としてカウントされていないのだと私は考えています。かつてのような独自集団に閉じこもるのではなく、私たち専門家の存在を知ってもらい、この輪の中に入って、見えない・見えにくいことで困っている方たちに、今まで培ってきた専門技術を提供できるようにしていくための、あらゆる方策を考えていく必要があります。

 第6回は、高齢視覚障害者がきちんと視覚リハを受けることの効果について、実例を紹介する予定です。