福祉労働139に小さな記事を書くチャンスをもらいました

 私の今の個人的な活動目標は、「視覚障害」にまつわる、世の中一般の間違った常識と言うか、イメージを、少しでも払拭するために、書いたり話したりすることです。
 ちょっとしたきっかけで知り合った「福祉労働」と言う、福祉関係で働いている方に広く読まれている雑誌の編集者に、そのことをお話したら、今年1年4回にわたって、「視覚障害(ロービジョン)について、記事を書くチャンスを与えていただきました。その編集者の方と、出版社(現代書館)の許可を得て、書いたものを私のブログにも掲載いたします。

「勝手な時だけ見えないふりをする人と誤解されて」

  私が会長を務めている視覚障害リハビリテーション協会は、眼科医、歩行訓練士(視覚障害者生活訓練指導員)、視能訓練士、教員など視覚障害のある方たちを支援する専門家の集まりで、会員は約400名です。そこでは、視覚障害のある方に関するあらゆる問題を研究し、情報交換をして、支援の質を上げようと研究発表大会なども開催しています。

  世の中の人たちは、視覚障害者というと、全然見えない人をイメージし、点字を使っているということと、盲学校があるということぐらいはご存じだと思います。でも、視覚障害者の9割はロービジョンといって、見えにくいけれど、視覚からの情報が使える方たちだし、高齢になってから視覚障害になる方が多いので、点字の読める人が非常に少なくなったなどは、ほとんど知られていません。そのため、皆さんの施設にもいる「見えない見えにくい人」が、適切な支援を受けることができずに、とてもつらい思いをしています。そこで、この機会に、私の日々の活動の中で知った「間違った視覚障害者への対応」の例をあげて、少しでも視覚障害のある方に対する支援がしやすくなり、支援する側もされる側にも役に立つ情報を書いて行きたいなと思います。

  ある特別養護老人ホームの介護職員の方が「私のところにいる目の悪い利用者は、外に買い物に行く時や食堂などに移動する時は、見えなくて怖いから手を引いて欲しいというのに、自分の部屋に帰ると、小さな字の文庫本を出して読むし、『あれ、肩に髪の毛がついているから取ってあげる』なんて、すごく小さな物でも見えている。全く勝手な時だけ見えないふりして、わがままで困る」と愚痴を聞かされました。

  一口に「見えにくい状態(ロービジョン)といっても、その見え方は、見えにくくなった原因によって千差万別です。網膜色素変性症という難病で見えなくなると、写真のように「視野狭窄」になります。足下は見えないから、段差も分からない、移動は一人では難しいけれど、中心部は見えいるので、その見える範囲なら、小さな文字も読めるし、髪の毛だって見つけることができます。これとは逆に、加齢黄斑変性症という病気で見えにくくなると、中心部分が見えなくなります。ちょうど見たいところが抜けてしまうので、本などは読みにくくなりますし、見えている部分で人の顔などを見ようとしますから、変な方向から相手を見たりします。足下は良く見えるので、自転車などに乗ることもできます。

  ロービジョン者(見えにくい人)が100人いると、その見え方は100通りあるといわれていますし、日本に約150万ほどいるだろうと推計されているこの人たちの「見え方」と「生活のどこで困るのか」ということも、ほとんど世間には理解されていないので、「わがままだ」とか「勝手な時に見えないふりをする」とかいわれて、とてもつらい思いをしています。
 利用者の中に視覚障害のある方がいたら、その行動を良く監査してあげて、その方の話を良く聞いてあげてください。沢山声かけをして、周りの様子を説明してあげてください。そして、利用者を「視覚障害」という観点から見直していただけたらと思うのです。

 上記の内容をPDFファイルと、ワード形式でダウンロードできるようにしておきます。興味のある方は、そちらでも見てください。

 「勝手な時だけ」.doc

 福祉労働139吉野.pdf