ロービジョン者と慢性の病気を持つ人との質的相違

  私のブログに書き込みをしなくなって,気がつけば2ヶ月になる。本当に月日の経つのは早いものだ。
  私が、ブログにこんなに記事を書かなくなったのには,たぶん二つ理由がある。
  一つは、私が会長をしている視覚リハ協会の理事会と言うのが,メール会議で行われて,それが1ヶ月に1週間開会されるのだが、その議長を私が務めているので、パソコンが仕事場になってしまって、会議の最中には,パソコンなど見たくも触りたくもなくなるからである。

 もう一つの理由、それは,私の右眼の症状の変化に,私が一喜一憂して,少し鬱っぽくなっているからだと思う。

  私の右眼の角膜混濁は、確か35歳の頃から始まって、その時診てくれたドクターには、いずれ混濁がひどくなったら,角膜移植だと言われていた。それから30年以上、年に1度ぐらいは、混濁がひどくなって痛みが出ることはあっても,すぐに元に戻っていた。

  元々左眼が0.2近く見えていて優位眼だったし,「もし右眼の状態が悪くなっても,大して影響はないだろう」と、この1月まで軽く考えていた。
  今年の1月半ばに,朝起きたら,右眼の見え方がいつもと違い、少し痛がゆさもあった。「今回もすぐに収まる」と思っていたのに,状態がどんどんひどくなって、この4月から角膜移植では、トップクラスのドクターの所に通うようになった。

  3月から5月の終わりまで、右眼には常にごろごろ感やひりひり感があって、抗生剤の入った目薬や軟膏を使っても、そのごろごろ感やひりひり感は治らなかったので、ついにレーザーで石灰化した上皮を削って平らにし,上皮を張りやすくする措置を決断するところまで行ったのだが、6月に入ったら嘘のようにその痛みがなくなったので、主治医に相談して,様子を見ることにした。

  今日は、その主治医に会う日で,半日かけて病院に行って来た。幸いな事に,上皮は上手く張っていて、症状も安定しているので,まだ処置はしなくて良いと言う事になった。
  処方箋をいただいて、ほっとして家に戻って来たけれど、「またいつ症状がぶり返すか分からない」と言う事は,私も良く分かっているので、完全に心が晴れると言うわけにはいかない。

  今年の1月、角膜の内皮細胞の減少がある限界を超えて、右眼の症状もある限界を超えた。
  私の意識の中では,それまでは右眼は見えにくいけれど,別にそれが普通の状態(ロービジョンと言う障害のある状態)だったのだが,今は,いつもいつも気にしていなければならない、慢性の病気を持った状態になってしまった。
  
  右眼の視力はこうなる前、0.05で、今日の視力検査で0.02。確かに視力は落ちたけれど,昔から優位眼は左眼だし、今は傷みもないし、現実の生活から見ると,今も昔もたいした違いはないはずなのに、どうしてこんなに気持ちに負担になるのか,自分でも良く分からない。
  良く見えている左眼が悪くなったわけではない。右眼の方も,我が国で最高水準の技術を持つドクターに診ていただいていて、最善を尽くしている。これから先の事も、そのドクターに相談していれば心配はないはずだ。それなのに,どうしてこんなに不安なんだろうか。

  たぶん、これが「障害」を持つと言う事と,「進行する病気」を持つこととの違いなのかなと思う。失明する心配などないのに,こんなにしんどい。
  「こんな根拠のない不安感に負けないで」と自分を励ますが、この不安、たぶんこれから私の意識から消えることはないのだろう。

  この何とも言えない不安をバネにして、「患者にとって,当事者にとっての本当の意味でのロービジョンケアとは何か」と言う事を,突き詰めて見たい。そんな事をスローガンのように考えている私である。