ロービジョンケアーと眼科高度医療の発展を

  気がついたら今日は5月。ブログの記事を書くのも20日ぶりだ。
  実は,この間私は無気力状態と戦っていて、ブログを書こう書こうと思いつつ、どうしてもその気になれなかったのである。

  私の精神状態を沈み込ませているのは,私の右眼の角膜の混濁がひどくなってきたからである。
  
  私は先天性白内障で、生後6ヶ月の時から7回にわたって濁った水晶体を摘出する手術を受けた。今と違って63年も前に受けた手術だから、レザーメスなどはなく,メスで角膜を切開した。その結果、右眼の角膜の内皮細胞が沢山失われてしまったらしい。幸いな事に左眼の内皮細胞は正常値のようだ。
 内皮細胞は,角膜の水の循環を管理している細胞で、脳細胞などと同じように再生しない細胞なのだそうだ。

  私が35歳の時だったか、ある日、右眼が雨の時の磨りガラスのような見え方になって、びっくりして、その当時「ここがすばらしい」といわれている眼科を片っ端から訪ねて、そして、この症状は,内皮細胞の減少によるもので、根本的な解決策は,角膜の移植しかないと言われていた。
  
 最初に症状が出て,医者巡りをしたときは、右眼の失明も含めとても深刻にその症状を受け止めていた私だが、幸いな事に,今までは年に1回程度、春の頃と体調が悪い時などに,右眼に症状が出ても、いつの間にか消えてしまうので、「私の右眼はこのまま死ぬまで持つだろう」と思い込むようになっていた。

  今年の1月半ばに,また右眼に症状が出た。「いつもより症状が出るのが早いな」と思っていたが,さほど気にしないでいると、朝起きてまぶしくて眼が開けられないようになり、そのうちにひりひり観のような痛みとも何とも表現のしようのない状態になった。
 
  「いつもとなんだか違うな」と思って,近くのかかりつけの眼科に行って診ていただいたところ「確かに前見た時より混濁がひどくなっているようだ」「ここの設備では充分に検査ができないので、角膜の専門外来など検査設備の整っている所に行った方が良い」と言うアドバイスを受けた。
  その後、少し症状が改善されたりしたので、仕事にかまけてほっておいた。たぶん私の中で「今回もこのまま過ぎて行く」と言う期待があったのだと思うし、最終宣告的な事はイヤだと言う気持ちがあったのかも知れない。

  3月の終わりごろになると,私のその淡い期待もむなしく,また混濁も傷みもひどくなってきたので、私と一緒に研究をしてくださっている「視覚障害者の眼の専門家」の眼科医に相談したら、早速診てくださって、「角膜の専門医」に紹介をしてくださった。

  4月の半ばに、その先生の所に行って検査を受けて、「内皮細胞」が減っているのだと言うことと、「ここまで進んでいると,内皮の移植では無理で,するならば角膜の全部の移植」と言う結論を伺った。
  ただ、私の眼は小眼球で,しかも構造的に眼軸がとても長い状態なので,移植によって網膜剥離を起こすリスクもあること、また、元々右眼の視力は,左目よりずっと弱くて,主に左目で物を見ていると言うこともあって、角膜移植によるメリットがそれほど期待できないなどの説明を受けた。
  この診察を受けたときは、なぜか右眼の症状もあまりひどくなかったので,しばらく経過観察をしながら,とりあえず対処療法をすると言うことで、1ヶ月後にまた診察を受けることにして帰ってきた。

 それから10日経って、私は仕事で高知に出かけた。その最中に右眼の痛みがひどくなり、処方された目薬をさしても状態が改善しなくなってきた。そこで、高知でロービジョンケアをしておられる先生の所で事情を説明したら、すぐに診てくださって、とりあえず「軟膏」を処方していただき、症状がずいぶん楽になった。

  30年以上前に「いずれは移植が必要になる」と私は言われていて、だから私なりに勉強してきたつもりであるが、いざ症状が出たら,「いつもとは違う」と分かっているのに「たいした事はない」と否定して,眼科医に診せるのを引き延ばしいてる自分を見つけたし、毎日眼の症状の変化で,すごく動揺を来す自分を見つけた。私は視覚リハの専門家で、万が一失明したってちゃんと生きていけることを充分に知っている人間のつもりだが、「見えなくなりつつある右眼に対する恐怖」や「どうぞ進行が止まって欲しい」と言う切なる願いは,それはとても表現できないほど、私を圧倒して,押しつぶしそうになる。

  また、この間、地元の開業医さん、そして視覚障害の眼になれている専門家、そして角膜外来で,角膜の難病と向き合っおられる専門家を次々に訪ねてみて、各先生方の眼科高度医療についての腕の違いと,検査などの器具や設備の違いを目の当たりに見てくる事になった。

 そしてつくづく思うのだが,ロービジョン当事者が眼科学や眼科医に期待する切なる願いは、「治すことは無理でも,今の見え方を維持して欲しい」「痛みなどの症状から解放して欲しいと言うことであると言うことだ。
 また、私は仕事柄東京にいるときも,そして高知に行ったときも,私の眼の状態をすぐに理解してくださって、今できる最善の治療をしてくださるドクターに巡り会えたのであるが、それでも、実は精神的にはとてもつらいのである。
 私はこんなに幸運なのだが、その幸運を手に入れるために,すごく努力しなければならないわけだ、これは間違っていると思う。すべてのロービジョン者が,私と同じような状況になったとき、その状態を理解してくれ,とりあえず今できる最善の治療をしてくれるドクターに会えるべきだと思うし,治療を受けるのは権利だと思った。

  ともすれば、自分の眼の症状に一喜一憂して,鬱状態に引き込まれて行きそうな私の,次なる目標は、リハビリテーションとしてのロービジョンケアを誰でも必要な人が受けられるようにすることに加えて、ロービジョン者の眼の症状が進行したとき,最善の医療を受けられるシステム作りだと,今漠然と考えて,自分を奮い立たせるように努力しようと思っている。

  まとまらない文章になってしまいました。お許しください。