肉体的被害はなかったけれど精神的には落ち込みました

  「どうしてブログを更新しないの」「地震で被害を受けた」「元気で暮らしているの」など、大地震の後ブログを更新しなかったので、何人かの友人が心配して電話をかけてくれたり、メールをくれたりした。
 そのたびに、とてもうれしくて、「ブログを書かなければ」と思うのだが、いざパソコンの前に向かうと、「また後で」になってしまっていた。
 どうしてそうなってしまったのか。ブログを書き始めるのに当たって、そのわけを書き込んでおこうと思う。

 まず、私は、肉体的にも物質的にも何も被害を受けなかった。こんなに大きな災害があったのに、本当に運が良かったのだと思う。
 
 大震災の起こる前、私の生活はずいぶん慌ただしかった。2月19日からマレーシアで行われた国際ロービジョン学会に参加して、2月26日の早朝に帰国。

  間4日日本にいて、ダイビングクルーズに参加するために、3月3日プーケットに行き、3月10日の早朝成田に帰ってきた。国際ロービジョン学会も、プーケットでのクルーズも、とにかくとても楽しかったし、充実した日を過ごしたのだけれど、楽しい刺激も、刺激をたくさん受ければやっぱり疲れてしまうのは当然で、まして、63歳なので、スケジュール的に無理があったのだと思う。

  3月10日は、死んだように寝て、11日にたまったメールに慌ただしく返事を書き、一段落したところで、大震災が起こった。今から考えると、疲れは全然とれていなかったのだろう。

 私は、とても冷静だったと思う。本棚に囲まれた部屋にいては危険だと思って、トイレに飛び込んで、ドアを開けて、便器の上にじっと座って、長くてゆっくりした揺れに耐えていた。正直に言って怖かったけれど、「こんな時にじたばたしてもしょうがない。体力がないのだから、じっとしている方が賢明」と言う思いがあって、とにかくじっとしていた。
  しきりに十勝沖地震の事を思い出していた。ちょうどあの地震の時、私は体育館でバレーボールを観戦していた。揺れが始まって、観客が一斉に席を立って入り口に殺到しているのを見て、「どうせ体力ないし、障害のある私はじたばたしても生き残れない」と思って、じっと座っていたのだ。今回も同じ判断をして、とにかく座っていた。

  揺れが収まってテレビをつけたら、被害はどんどん広がって行って、いわゆる非常事態になって行った。
  
 そんな状況の中で、何万人という人が亡くなられ、今も過酷な避難生活を送っている人もたくさんいる中で、私が今までこのブログに書いてきたこと。ダイビングや旅行の体験、ロービジョン者としてのいろいろな社会への不満などを、果たして言い続けて良いのだろうかと言う気持ちにとりつかれてしまった。
 
 「非常事態なんだから余計なことは言わないで我慢していた方が良いのではないか」などと言う、何というか弱気な気分になってしまっていた。
  たぶん、心身ともに疲れていたところにきた、この大きな出来事に、冷静に対応しているようで、実は上手く対応できなかったのかも知れない。

  私は、好きな言葉ではないが、「障害者や高齢者を災害弱者」と呼んでいる。そして、やはり特別な支援が必要な人間だ。でも、こんな時には、「節電で町が暗くて歩きにくい」とか「エスカレーターが止まって買い物ができない」とか、そんな事を言ったってと言う、そんな事を考えている内に、だんだんと内向きになってしまっていた。

  確かに、災害直後の緊急事態の時は、そんな事言っていてはいけないのだと思うけれど、さりとて、非常事態だから「障害者は障害のない人より一杯我慢すべき」と言うのも理屈に合わない。今ようや私は、そのように考え始めているし、こういうときに自分の体験は、それなりに役に立つのではと思っている。
 また、せっかく国際ロービジョン学会や、クルーズで経験したすてきな事も、大事な宝だと思い始めている。
  だから、またブログを更新しようと思っている。高齢者や子供や障害者がいる社会の非常事態なのだから、高齢者や子供や障害者も一緒に生きられるようになるべきなんだと思っている。
  なんだか、まとまらなくなりましたが、またそこここで出会った事を書きたいと思う。