東京どたばた旅日記1

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 6月10日から16日まで、属していた旅行会社を退職した大井手さんの退職記念パーティーと言うか、古いダイビング仲間の同窓会と言うかに出ることを皮切りに、視覚障害リハビリテーション協会の会長としての挨拶回りをしたり、ロービジョン研究会に出席したりするために、東京に滞在して、あちこちと動き回り、少々疲れたのだが、いろいろと思うこともあったので、日記風に書いておくことにした。

 6月10日(水)
 高知女子大学での社会福祉史の授業を終えたその足で、空港に駆けつけ、午後1時半頃の飛行機で東京に飛んだ。
 午後4時半過ぎに、東京の住まいについて、パーティー開始は、5時30分。
 住まいにとにかく荷物を放り込んで、上野の焼肉店に向かった。

 前日に大井手さんから電話があって「出席者が50人を超すし、私主催者だから、駅まで迎えにいけないけれど大丈夫」とのこと。
 
 実は、ロービジョンの上に方向音痴の私は、新しい所に行くのが大の苦手、インターネットで地図を調べたり、電話番号を見たりして準備したけれど、たどり着けるか本当に不安だった。
 しかも前の日まで、超過密なスケジュールで、その上、1週間分の荷物を持って来たので、もうくたくた。「本当にどうしよう」と考え込んでいたとき、ふと思いついた。
 「私の新しい住まいと上野って結構近いから、もうタクシーでいこう」と

 運転手さんに地図を見せたら、目の前までつれて行ってくれて、無事大宴会に間に合った。
 10年以上会っていなかったインストラクターの方たちと、楽しくお酒を飲んで、帰りも悠々とタクシー住まいまで帰って来た。


  6月15日(月)
  この日は、視覚障害リハビリテーション協会の会長として、また第18回視覚障害リハビリテーション研究発表大会(高知大会)の大会長として、全国盲学校長会会長の文京盲学校長にご挨拶に行く日であった。
 「会議などがあるので、朝9時に来てくださいますか」と言われて、「行きます」と返事をしたものの、飯田橋の駅から、文京盲学校までの道筋が良く分からなくて、「住まいを何時に出たら良いのか、たどり着けるのか」、ロービジョンで方向音痴の私としては、とにかくとてもとても心配だった。
 下記の文京盲学校のホームページは優れもので、全盲用のテキストファイルと、画像の入ったロービジョン者にも分かりやすいページとがあって、私は全盲用を印刷して、手に持って、一般の人は、10分で歩ける距離と書いてあったので、30分以上ゆとりを持って飯田橋駅に着いた。
 http://www.bunkyo-sb.metro.tokyo.jp/pic/access/access_index.htm

 全盲用の文章に従って改札を出て、四角い形の歩道橋を指示に従って曲がって、歩道橋を下に下りたところまでは正しかったようなのだが、あるはずの立ち食いそば屋などがない。

 困って援助依頼をしたのだが、誰も盲学校など知らない。仕方なく携帯を取り出して、盲学校に電話をかけて、「その信号を渡ったら左に曲がって」「端を右に渡って」などと、順番に手がかりを聞きながら、無事盲学校に到着するのに、やはり30分かかった。

 全盲の人用の文章を読み、そして、電話で手がかりを聞きながら、「私は文章でものを理解することがひどく下手になった」つまり画像を見て理解する人間になったのだろうかと思い、点字から図的な頭になったのかなとぼんやりかんがえた。
 また、「聞いた手がかりが覚えられなくなった」つまり記憶力がひどく落ちたと感じた。

 それと同時に、視覚障害者が1人で道を歩けると言うことは、全盲でもロービジョンでも、どのぐらい自分が分かる手がかりを覚えて、そしてそれに集中していられるかと言うことなのかなと、漠然とそんなことを考えた。

 無事校長先生にご挨拶し、お話しが終わって、盲学校を出たら、とにかくどっと疲れて、思わずそこにあったコンビニに飛び込んで、スタミナドリンクを買って飲まずにはいられなかった。

 いやはや、東京は電車に乗ったらどこにでも行けるけれど、目と足の悪い私にとっては、体力気力を尽くさなければならない所である。