昨日友人とスミランクルーズの写真を大型テレビに写して見ていたときでした。ふと友人が「吉野さんが『見ることや映像にとてもどん欲なので』、吉野さんといると視覚障害者といることを忘れてしまう」と言ったのです。
「私見ることにどん欲?」と聞き返すと、「うんすごくどん欲だ」と答えてくれました。
私が見ることにどん欲になれたのは、私の周りにいた人達が、私に「見ること」の楽しさとすばらしさを教えてくれて、そして適切なメガネや、様々なロービジョン機器や、そしてアドバイスをしてくれたお陰なのです。
そして見ることにどん欲な私は、このブログのデザインをして下さっている方に「見えることのすばらしさをもっと表せるページをつくって下さい」と頼んで、こんなことができるようになりました。
上の3枚の写真は、スミランクルーズの時に毎朝毎夕デッキに上がって、一眼レフのデジタルカメラで、朝日の登る所、夕日の沈む所を撮っていたものの中で、私がもっとも気に入った3枚です。
この日は、残念ながら水平線の所に雲が垂れ込めていて、太陽は直接水平線から昇ってこなかったのですが、カメラを構えてじっと待っていると、雲間から顔を出した太陽が、何ともいえずきれいでした。
私が生まれた時、先天性白内障のため水晶体は完全に混濁していて光を通さない状態でした。生後6ヶ月の時から水晶体を摘出する手術を受け、6歳の時に凸レンズのメガネをかけて、細かいものが少し見えるようになり、盲学校高等部在学中の16歳の時、ロービジョンケアのオーソリティー谷村先生に出会って、
「そんな自分に合ってないメガネをかけていてどうするんだ」と言われて、適切な度数のメガネを処方していただいてきました。
確か35歳ぐらいだったと思いますが、右の眼が雨の日の窓ガラスのように曇り始めて「失明」の恐怖におののいた時、眼鏡専門学校の鈴木先生に適切な病状の説明をしていただきました。
今も、私の周りには、ロービジョンケアに通じた眼科医さんや教育者の方たちがいて、そして、私はこんなに「見える世界」を楽しんでいます。
60歳になった今でも、私の「見る能力」は少しずつ進歩しているようです。
私はラッキーにも、いつも適切なロービジョンケアを受けて来ました。
でも、まだ多くのロービジョン者が適切なケアを受けられずにいて、「見える世界」を楽しむことができずにいます。
「少しでも見える」と言うのは、すばらしいことです。ロービジョンの人達が、自分のもっている「見る能力」を最大限に発揮できるようなケアが受けられるように、私は「ロービジョンケア」の大切さと効果を訴え続けて行きたいと思っています。