先天視覚障害者のニーズと総合福祉機器展

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 この6月に第6回を迎える高知福祉機器展は、3日間の開催期間に2500人もが参加する総合福祉機器展で、実行委員会形式をとり、各分野の専門家が薦めたい機器を、メーカーのブースという形ではなく、「排泄」とか、「車いす」とかいう用途別に展示して、ユーザーや中間ユーザーが自分に合ったものを探せるようにという、非常に画期的な形をとっている機器展である。
 (高知福祉機器展のことを知りたい方は、インターネット福祉機器展にアクセスを)
 この福祉機器展に、私と視覚障害者生活訓練指導員や盲学校の先生方が「視覚ブース」として参加するようになって3年が経ち、今年で4年目になる。

 私は、今まで総合福祉機器展に「視覚ブース」を出していることについて、誇りに思っていても、「疑問」を持ったことはなかったのだが、昨年12月の2008年度の機器展に向けての最初の会議でのちょっとしたことをきっかけに、違和感というか、疑問が頭から離れなくなった。

 「2008年度の機器展では、入り口の所に、1件の家を仮想的に造って、実際使っている場面を想像できるように、トイレやバスタブやリフトや車いすをおいて、『生活の中でこのように使えるよ』という実感を持ってもらって、もっと詳しく見たい人が各ブースに行ってもらう」という、総合的な展示を企画したい」と事務局の方から提案があった。

 「それはすばらしい企画だ」と私は思った。そして、この総合的な展示スペースに「視覚障害者向け」の何をおいたら効果的だろうと考えたのだが、実は全然当てはまるものを見つけられなかったのである。そのときに「おや、視覚障害者にとっての機器とは何で、そのニーズというのは何だろう」と考え込んでしまった。

 仮想の家の空間の中では、ロービジョン者にとっては、階段などの段差が区別しやすいように色分けやコントラストを考えること、暗すぎたり、さりとて明るすぎてまぶしくないような証明器具を工夫することなどが考えられたが、全盲でしかも生活能力が高い先天の人にとってみると、何も思いつかないのである。
 ある程度トレーニングを受けている全盲の人やそれに近い人も、なれた空間であれば、普通の人と変わりなく何でも一人で出来るのである。特別なバスタブもリフトも車いすも必要ない。

 ではそのような全盲の方たちたちの機器についてのニーズというのは何かというと、「活字など見ることでしか分からないものを、耳で聞くとか、触るとかで分かるようにするもの」である。具体的にいえば、音声時計であったり、音声ソフトとパソコンだったりと、特殊性の高いもので、車いすとかリフトとかそのようなものとは、性格がずいぶん違うのである。

 また、全盲の視覚障害者がこのような視覚的展示をしている総合的な空間に来て、そこに展示してあるものに興味を持ったとしても、視覚に訴える展示の仕方であれば、何も情報を得られず帰るだけになってしまう。

 「このような先天で全盲に近い視覚障害者にとって、総合福祉機器展というものに意味があるのだろうか」という疑問が頭から離れなくなったのである。

 私自身はロービジョンで足の障害を持っているが、実は一昨年勉強に行った、国際福祉機器展では、電動車いすに試乗して見たり、新しい形式の杖を見たり、階段昇降機やエレベーターなど、足の障害については、とても先進的なものが見られておもしろかったが、視覚に関しては、出展数の少なさということも知っていたし、最初から期待していなかったのである。

 「全盲の先天の視覚障害者のニーズってやっぱり他の障害とはずいぶん違うよね」、総合福祉機器展の中に出すことにどんな意味があるのか。考え始めると、ニーズの質の違いをいやでも見てしまうことになり、超えられない溝を感じて、「迷路」にはまりこんだ私である。

 ちょうど連休を挟んで東京で研修を受けることになり、ゆっくりした時間がもてたので、盲学校時代の友人や先輩にこの疑問をぶつけて見た。
 私の話す仮想空間の展示や、総合機器展の話を聞いて、友人曰く「私たちには使えるもの、役に立つものはないな、おもしろくない」といい、その上で、「結局、突き詰めれば視覚障害者は肉体的な介護が必要なのではなくて、文字が読めないというのが問題だからね」、「だいたい障害をひとくくりに考えるのが行けないよ」ともいっていた。

 また「総合福祉機器展に出て行って、そこに展示されているものが自分たちのような視覚障害者にとって役に立つものがない」ということや「ニーズの違い」がはっきりする、つまり対立点が明確になって、初めて、本物の議論が出来るようになるよね」ともいってくれた。
 実は彼らは、視覚障害の人たちがそこだけでまとまってしまわないで、他のいろいろな分野とわかり合うことの必要性について、充分に理解してくれている数少ない私の仲間なのである。

 高知には視覚障害者用常設機器展示室(ルミエールサロン)があり、そこで時間をかけて機器を見て、説明を聞くことが出来るし、自立している視覚障害の人たちは新しい機器などについて独自の情報網を持っている。独自に東京や大阪から人を呼んできて、新しい機器を見たりもしているので、最初から高知福祉機器展に対して期待をしているようにも見えない。
 高知福祉機器展に視覚ブースを出した私のねらいも「他の分野の人たちに見てほしい、家族に高齢で視覚障害になっている人がいたとき、こんな便利なものがあるのかとということを知ってほしい」また、視覚障害だけでなく重複障害の人たちに関わる時、他職種との理解を深めたいなどであって、先天で全盲に近い自立している視覚障害の方たちにターゲットを合わせた訳ではない。一般啓発ということの意義の大きさを考えていたのである。

 それなのに、今この段階に来て、なぜ私の中にこんなに大きな疑問が出たのかというと、一つには、私の中で視覚障害というものに対する理解が深くなって来たということなのかもしれない。
 また、今年の福祉機器展のすぐ次の週に「視覚障害リハビリテーション研究発表大会」があるということ、また、実際に機器展を担っていく視覚障害者生活訓練指導員の業務量が増えて、啓発活動や連携の維持に時間が割きにくくなっているなどのこともあるのだと思う。

 新たに視覚障害者になって行く人たち、その家族、そして視覚と他の障害を併せ持つ重複障害の問題等々考えれば考えるほど、様々な分野の方たちと関わりながら、総合福祉機器展を作って行き、いずれは、常設の総合機器展示室の中に、視覚対応の機器も位置づけて行くことの意義については、一点の疑問もない。
 
 友人の言葉ではないが「対立点が明確になる」中で、次へのステップが踏み出せるかな、また踏み出す努力をしないといけないと考えている私である。
 そして、様々な業務とのバランスや、仲間たちの負担も考慮しながら、先天で全盲に近くエリートでその人たちが自分のニーズがすべての視覚障害者のニーズであるかのように思っている人たちにも興味を持ってもらえる「総合福祉機器展」にしてみたいし、そのような方たちの啓発にも力を入れてみたいなと思う(今は方法すら見当もつかないけれど)。