長い旅路を振り返って

 今日で8月も終わり、時の経つのは本当に早い。夏休みを取ってインドネシアのマナドでダイビングをして、名古屋の学会に出て、そして京都で学生の実習指導をし、戻ってきたのが8月27日。この旅行の話を書こうと思いながらあっという間に4日が経ってしまった。

 8月15日朝一番の飛行機で高知から東京に移動した。成田からシンガポールに発つのは16日の夜なので、16日の朝高知を発っても充分間に合うのだが、私は良くトラブルに巻き込まれるタイプで、何度も間に合うか間に合うかと言うどきどきを味わっているので、ゆとりを持って前の日に東京に出た。

 世の中はUターンの時期、朝一番の飛行機しか取れなかったので、午前9時には羽田にいて、新宿のホテルに直行。アーリーチェックインのリクエストが通っていて、10時半には部屋に入れた。約2週間の休みを取るために、とにかくハードなスケジュールをこなしてきたので、涼しいホテルの部屋でひたすらゆっくりした。

 16日は午後1時過ぎにホテルから成田行きのリムジンに乗り、3時過ぎに成田で友人に会って、ゆっくりチェックイン。7時15分にシンガポールに向けてテークオフ。

 17日の午前1時過ぎ(時差1時間なので日本では午前2時)に空港に着き、トランジットホテルに入る。
 17日の10時過ぎにシンガポールからインドネシアのマナドに向けて出発。約4時間でマナド到着。ちんたらちんたらとしていて、1時間もかかってようやく入国。リゾートホテルの迎えのバスに乗って、約1時間。ようやくホテルに到着。

 バスの中から国旗が見えて、あちらこちらでお祭りをやっている。最初なんだろうと思ったが、独立記念日だと思いついた。そう日本の植民地支配からインドネシアが独立した日であった。

 18日から23日まで6日間、1日3回のダイビング。朝8時に桟橋から船が出て、3回のダイビングを終えると午後4時ぐらいになっている。部屋でゆっくりして、町に出たり、マッサージをしたり。そんな風に、リゾートでの7日間はあっという間に終わった。

 友人は、仕事の都合で先に帰ったので、帰路は1人で行かなければならない。
 24日の午後1時頃ホテルを出発。マナドの空港でシンガポール行きの飛行機が1時間以上遅れるのを知った。
 シンガポールでは5時間近く時間があるので、スペシャルラウンドを予約してもらっていたが、とにかく広くて、1人でたどり着けるか心配であったので、車いすを使うことを頼んでおいた。

 一緒にダイビングをした日本人の方達と一緒に、「バクソ」と言われるつみれ入りのおそばを食べてゆっくりおしゃべりをして時間をつぶした。午後4時過ぎようやくシンガポールに向かって離陸。

 7時過ぎの空港に着くと車いすが待っていてくれた。すぐにラウンジに。シャワーを浴びて、軽食を食べて、マッサージをしてもらって、3時間はあっという間。午後11時過ぎ成田に向かって出発。

 25日の朝7時45分に成田に無事到着。名古屋で午後1時から始まる視覚障害乳幼児研究会に直行するため、10時出発の中部国際空港行きの便に乗り継がなければならない。
 国際線から国内線への乗り継ぎは初めてだったし、間に合うかとても心配だったので、ここでも車いすを使わせてもらったら、8時半には名古屋行きのゲートに着いていた。
 名古屋行きの飛行機の中で、中部国際空港でも車いすの使用を進められ、使わせてもらって名古屋行きの名鉄線のホームに送ってもらった。

 お陰で1時から名古屋市内で始まった研究会に間に合った。名古屋で一泊、研究会が終わった後新幹線で京都に移動。
 27日午前に実習指導をして、午後3時半の便で伊丹から高知に戻ってきた。

 ダイビングから引き続きの仕事。成田から名古屋、そして京都とさすがに疲れたけれど、我ながら良くやれたと思っている。
 足が悪く、しかも眼が悪い私である。馴れない環境の所をこれだけ移動して、無事旅を終わることができたのは、空港での障害者向けサービス、つまり車いすの利用と、友人や周りの方達の協力のお陰だと思っている。

 重い荷物を持って、標識を眼で確認しながら、必至になっていたら、きっとこの大移動は上手く行かなかっただろうと思う。今障害者向けのサービス、本当に良くなっている。「何でも自分でやる」なんて突っ張らないで、このサービスを利用して本当に良かった。今後も安心して海外に出ようと思った。