2005年7月25日香川盲学校での講演記録

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下記の講演記録は、香川盲学校の先生がテープ起こしをしてくださったものをそのまま掲載させていただきました

  講演でお話しした内容は、会場の雰囲気や、その時の勢いなどによるところが大きく、このような形でブログに掲載するかどうか随分迷ったのですが、私の経験が、視覚障害児を初め障害のあるこどもさんを育てておられる方たちに、何かの形で役に立つかもしれないと思い、アップすることにしました。
  なお、2時間にもおよぶ講演のデータおこしをしてくださった、香川盲学校の先生方に感謝いたします。 2006年11月9日 吉野由美子


乳幼児教育相談 養育懇談会

視覚障害児を育てるポイントを教えます
私の体験をベースにして



高知女子大学 社会福祉学部 助教授 吉野 由美子先生

 実は私自身もロービジョンです。先ほどの紹介では0.1と出ていますが、精密に測ると0.2くらいあるんだということが最近分かりました。昔は弱視教育というのがなく、私が盲学校にいる間は点字教育をずっと受けてきました。点字教育を受けてきて、後から大学受験をするために墨字の勉強をしたので、結構変なところでいっぱいケアレスミスをしていることがあります。もし、ミスがございましたら、お許しください。

ます。(写真を見ながら)あの、何でこんなのを出したかと言いますと、実は、香川でお話をさせて頂くというのはすごく印象的でして、どうしてかというと、昭和35年、私が12歳で小学校6年生の時、東京教育大附属盲学校の選手として、点字毎日と毎日新聞社が共催していた点字と珠算の全国競技会というのに出場するため、この香川まで来させて頂きました。今と違って3等車っていうのに乗ってきて、宇高連絡船を使って、確か十何時間かかって来ました。その時一緒に来た仲間で、ここに大きな図体をしているのが私ですけれども、私が弱視で、写真に写るのが嫌いでこの横を向いている人が全盲で、あと3人選手で来たのが弱視でした。でもこのころは、盲学校に入った人はみんな点字を教わる時代でしたので、私もこれだけ見えるのにしては珍しく、ちゃんと触読ができて、大学の試験、公務員試験全部、点字の触読で1時間40ページ以上は読めました。今、実は20ページも読めないんですが。これは確か屋島で撮った写真だと思います。これは栗林公園です。すごく長い旅でした。後ろにいっぱいいるのは親で、修学旅行気分で、珠算大会に出るよりも旅行するといった感じで、親も結構楽しんでわいわい言いながら付いてきました。昔ですから、そんな四国になんて行くのは滅多になかったですね。私がなぜ、とても印象に残っているかと言いますと、実は足が悪くて、自分の障害をなんで意識するようになったかというと、盲学校ですけど、相当見えていたので、目の障害を意識するより、足が悪いのは障害者なんだっていう意識の方が先だったんですね。実は、運動能力なんかはみんなよりすごく劣っていましたので、そういう意味でずいぶん強いコンプレックスを持っていたんですけど、実はこの点字競技会に来たときに、金比羅さんに行ったんですよ。それで、みんなは奥社までがんばったんですけど、私は中社まで行ったんですね。中社まで登れたっていうことで、すごく大きな自信がついて、実は登るより降りる方がずっと難しいんですが、降りてこれた。とっても自信がついたのを覚えています。この盲学校にとても強い思いがあって、そこでお話させて頂くことはとってもうれしかったです。
 さて、早速本題に入らせて頂きたいと思います。
 「子育てのポイント教えます」なんて書きましたけれど、実は私はずっと福祉畑の勉強をしてきた人間で、教育に携わったのは大学生の教育が初めてで、それも50歳になってからです。去年、視覚障害乳幼児研究会というのを高知で開催したことがあって、それで池田先生達が間違えて、私がそういう教育のことでいろいろ話しができると思ってくださったみたいで、呼んでくださったんですけれど、実はそうではないので、自分の体験の話をしながら福祉をやっていて、しかも障害をもって社会で生きてきた人間として何を感じたか、みたいなお話をさせて頂ければいいなあというふうに思っています。
 先ほどご紹介頂きましたけれど、1947年生まれ、昭和22年、戦争が終わってまだ2年しか経ってなくて、よく分かんないんですけど、私の障害ももしかしたら、私が母のおなかにいる時にろくなものしか食べられなくて栄養失調が問題なのではないか、と言われたような時期でした。そんな混乱期に東京で生まれました。母にとっては私は初めての子どもでしたけれども、私が3ヶ月になったときにどうも他の子と違うと母は気づいてくれたみたいです。ぎゅっと手を握ったまま開かないとか、ちょっとした音でびくっとすごく怖がるとか、目を見たら濁っているとかいろいろ分かってくれたみたいで、そして、3ヶ月でほとんど目に光が入ってないということに気づいてくれたようです。とてもこれは幸いなことで、生後6ヶ月の時から、7回くらいに分けて、先天性の白内障ですけれど、手術を受けました。水晶体の中のものは、小さいうちはどろどろしているそうですね。袋の中に液体が入っていて普通はそれが透明なんですけれど、私の場合は、白く濁っていて全然光が入らなかったんです。それを少しずつ、昔はほんとにメスで角膜を切り開いて出していくという形の手術で、局部麻酔でやりました。1回ではとても耐えきらないので7回に分けて7歳ぐらいの時まで繰り返して水晶体を全摘しております。これは4歳ぐらいの時のアルバムから引っ張り出してきました。いろんな意味で幸いだったと思いますけれど、父がやみ商売なんかで結構もうけてくれまして、お金を持っていたので、それをずいぶん使って良い医者を探してくれて、目も足も早期に治療を受けることができました。後で福祉をやって、すごく分かったんですけど、人間って平等とかいろいろ言いますけれど、実はそうではないんですね。生まれたところの条件とかいろんなものですごく変わりますよね。特に、まだ昭和20年代でしたから、情報やいろんな意味での格差が東京と地方ではすごく違っていました。私は、話しを先に進めますと、6歳の時に初めて+16Dという、ずいぶん厚手の4倍のレンズをかけました。これ、今、持っているのは8倍のレンズですけど、昔は技術が悪くてこれよりもっと厚く感じましたけれど、それを初めてかけました。今も鮮明に覚えているのは、トイレの金隠し、瀬戸物の台っていうのは、私はそれまでは白い1枚板だと思っていたんですけれど、この16Dのレンズをかけて、近づいて見たらいっぱいひび割れが入っているので驚いて「えー、ひび割れてる」って言って、感激して母に話して、トイレの金隠しのひび割れでこんなに驚くのかと思ったらしくて母の方がびっくりしたみたいです。ただの白い、滑らかな一枚板に見えていたのがそうじゃない、違ったというのが分かりました。
 盲学校なんていうものも知らなかったですね。実は盲学校は昭和23年から義務化されていたんですが、東京のど真ん中に住んでいてもそんなものがあるというのを知らなかったようで、普通学校に就学相談に私を連れて行ったんですけれど、入れてもらえなくて、そしたら私立の学校だったら入れてくれると思ったらしくて、その時目白の駅のすぐそばにあった有名な女子の私立学校、そこに私を連れて試験を受けさせに行って、とんでもないって断られたようですね。とっても困って、たまたま遠い遠い友人の何とかの、肉屋の娘さんっていうのが全然見えなくて、その人がどうも盲学校に通っているらしいというのを聞いて、そこがたまたま東京教育大附属の盲学校でそこへ連れて行ってくれましたが、これもよく覚えているんですけど、入学式だかはじめの式だかは覚えてないんですけど、みんながお歌を一生懸命歌っているんですね。講堂の方で。で、私はそれを聞きながら試験を受けていました。すごくもめたというのを後で聞きましたけれど、つまり、足の障害もだいぶひどかったもので、みんなとかけっこすると、みんなが運動場の向こうまで走って行くんですけど、私は運動場のまだ1/3ぐらいのところで、立ち止まって、みんなが向こうに行っているのをじっと見てるっていうのが私の記憶の中にあって、私の障害っていう意識は、私は足が悪いんだというところから来たようです。
 さっき、人間平等じゃないんだという話しをしましたけれども、その時にですね、まだ12歳くらいの人とかが、やっと盲学校のことが分かって入ってきたりとか、それから、実は開眼手術を受けないで来ている人がたくさんいました。先天性白内障の人が結構多かったんですけれども、早く光を入れないと、目の見る機能は発達しないんですね。例えば10歳くらいで開眼手術を受けても、見る力は伸びないんですね。私は、まだ3ヶ月くらいの時に発見されて、6ヶ月で手術を受けられるというのは大変ラッキーなことで、それで、今0.2くらいまで視力が出て、見る能力がずいぶんついたのだろうと思っています。
視覚障害の中で、弱視と全然見えない障害者を比べると、9割くらいがほとんど何らかの形で視力があります。残りの人たちは1割くらいが明るい暗いも分からない全盲と言われています。ということも含めて私自身がロービジョンだっていうことも含めて、先にロービジョンの子育ての話しから入りたいと思っています。ロービジョン、弱視ってとても分かりづらいんですね。この中でも、自分のお子さんが弱視の方が半分くらい、全然見えない方が半分くらいと、ちらっと池田先生から伺ってますけど、実は弱視のお子さんってとても、分かりづらくて、自分のお子さんがどんな見え方をしているのかということも実はあんまり分からないことが多いんですね。香川盲学校ではもう、なさっているかどうか分からないんですけど、今、いろいろな体験キットがあってですね、弱視体験っていうのができるんですけれども、せっかくパワーポイントを使うので、ちょっと遊んでみようかなあと思ってこんなのを作ってみました。これが一応正常眼の見え方だと考えています。0.2くらいになるとこんな感じですね。一応人が立ってることや周りの大きな字とか見えますね。これ、0.06とか0.08くらいの見え方ですね。まだ、人が立っているのが分かりますね。周りの字やなんかは見えませんけど、家とか結構はっきり分かりますね。これ、0.04くらいの見え方です。あの、あくまでもシミュレーションです。一応近眼的な見え方のシミュレーションは、カメラで作りやすいので、こんなシミュレーションをしているんですけど、こんな見え方です。例えば、先天性の白内障とか、いろんなことでレンズを取っちゃったりして十分に屈折矯正していないと、こんな感じに見えますね。網膜色素変性症などの視野の障害のある方で、これは重度の視野障害です。でも、もうみなさんご存じだと思いますが、実はこういうふうに見えているわけではないんですね。これ、5度です。こういうふうに見えていたらありがたいんですけど、ありがたいっていうのはどうしてかというと、見えてる範囲と見えない範囲がはっきりするからですね。実は、こんなトンネル状に見えてるわけではありません。シミュレーションではできないので、こういう見せ方をしていますが、視野障害というのは見えてる部分と見えていない部分の境目が無いと言われていて、いきなり何かが出てくるっていう感じだそうです。その、見えてない部分の認識というのはないそうですので、ですから、視野障害が始まった最初の頃っていうのは、ほとんど視野障害になったっていうのは分からないですね。これ、中心暗点って言うんですけど、こういう形で黒く見えているわけではなくて、中心の見たい部分がすぽっと抜けるという言い方をします。ふっと消えてなくなるんだという表現をします。それは、そこだけがない。これは、加齢性黄班症とか、未熟児網膜症なんかの方で、やられた部分に、新生血管というのが出てきて網膜をだめにしてしまうんですけど、やられた部分の細胞が壊れてしまった部分がたまたま中心にあるとその中心が抜けるんですね。どうでしょう皆さん、こういう絵を見たこと、体験したことがありますか。体験をしておられるというので安心しました。それほど、逆に言うと、ロービジョンって分からない。悪いことに白内障と視野の狭くなる網膜色素変性症が重なったりとか、いろんな病気が重なるのがあって一人一人見え方が全然違います。ですから、親御さんも実は自分の子どもさんが本当はどういうふうに見えていてどんなところで問題を持っているのか、とってもよほどよく観察していないと実は分からないっていうのが弱視、ロービジョンの問題でもあります。そうすると、これもよく分かっていらっしゃると思いますが、目っていうのは素晴らしい道具ですので、実はほんのちょっと明暗が分かるか分からないかだけでも、全然見えない方とは違うんですね。だから、視野・視力を温存することやほんのちょっとのどのくらい見えているのかをきちんと理解して頂くことや、それを周りのものが分かっているっていうのは実は大事なことなんですけれども、世間的にはですね、それがそういうふうにとても大事だっていうことが一般的に分かっているかというと、分かられていない。実は眼科の先生もあんまりそういうことが分かっているのかっていうと、分かっていないんです。この10年くらいの間にずいぶんロービジョンのケアとかが大事だっていうことが言われているのですが、一般の人が分かっていないということはなかなか親御さんもそういうことを知るチャンスが少ないんですね。ここにいらしているお母さんは、勉強をなさっているようなので、安心なのですが、さっきのポスターは実は啓発用に作ったもので、高知でよさこい国体が行われたときにあれを並べて一生懸命啓発をしたんですけれども、ほとんど世間で知られていません。その辺で逆にロービジョンの子どもさんをもった親御さんというのは逆に情報を得づらくて難しいってこともあります。それから、子どもの見え方を十分理解してくださいって言ってもですね、特に、屈折異常を早く矯正することからロービジョンケアが始まるんですよっていうお話しをしてもですね、実はそれができる眼科の先生とか、それができる場所がとても少ないんですね。今、非常に早期には、生まれて3週間くらいには眼鏡をかけさせたりします。でも、眼科の先生がそういう意識の無い方も結構たくさんいらっしゃって、眼鏡をかけるのは3歳くらいと言う方や、子どもさんがきちんと扱えるようになるのが学齢ぐらいだからそのぐらいからって、いうようなことをおっしゃる方もまだまだ多くて、きっと皆さんもある面では苦労なさってるのかなというふうにも思います。去年ですね、ここでもロービジョンケアの学会が眼科学会の中で香川でも取り上げられていたようですし、福岡の柳川というところに柳川リハビリテーションセンターというのがあるんですけれど、ここなんかでは、すごくロービジョンケアを一生懸命していて、いろいろな検査法をしながら、完全にその方の見え方を確認しながらいろいろ早期にしていくようなことをしています。それで、重複障害をもっていて、重症心身とかですね、知的障害の重いお子さんなんかの今の調査では8割くらいが実は、視覚の障害を併せもっているというというふうに言われています。もちろんここにいらしている方は視覚障害ということを気づかれて、それに対応しなければいけないということで見えておられるのですが、一般にはそれがほとんど知られていなくて、実は養護学校や何かで通っておられる方の中にすごくたくさん、ロービジョンの方がいらっしゃいます。目からの情報というのはとてもたくさんの情報を入れてくれますが、そのことについてあまり配慮をされていない、見え方の把握と矯正について配慮されていません。その中で一番配慮されていないこと、視覚障害の人たちもそうなんですけど、ほとんどの人にあるんですけど、羞明、まぶしさ、そのまぶしさをコントロールするだけで見え方がずいぶん変わるんだっていうことについての配慮が、実はほとんどされていないというのが現状です。それは、見え方についての大変関心のある方でも、実はこのまぶしさについては知られていないことがとても多いです。一つ、研究をなさっている方を紹介します。以前、聖カタリナ大学にいらして、今、埼玉の浦和大学の方に行かれた香川スミ子先生という先生が、東京都の心身障害者福祉センターというところがありまして、そこで視覚障害乳幼児の子育ての相談というのを20何年やっておられました。その中で統合保育の時の留意点とかいろいろご相談を受けていて、全盲のお子さんからロービジョンのお子さんまでのいろいろな相談にのっておられたんですけど、その先生の書かれた子育てのポイントのことを出して、先生の書かれた本、雑誌のぬき刷りをですね、ページの中に入れ込んで印刷をさせて頂きました。ポイントは、小さな時期のロービジョンのお子さんの子育てのポイントっていうことで書いたんですけど、これは特にロービジョンでもいろんな方がいらっしゃいますが、0.3くらい見えているお子さんに特にありがちなんですが、障害のスポットのところに目がいっちゃうんですね。そこだけ気にして見ることにだけ注意がいくんですね。実は感覚の発達というのは子どもの全体のその発達の中の一つのポイントに過ぎないんですね。視覚ってすごく大きいんですけども、いろいろな人間ていうのは後で全盲のところでもっとお話ししますけれども、いろんな感覚を使ってその統合の中で生きていて、ロービジョンの子どもさんはそれなりにいろいろ工夫をするわけですね。私なんか、たまたま盲学校に行って全盲のお子さんの育てられ方をしたので、よけいそうなんですけど、触っての感じとか、メモを取りませんから記憶力が伸びるとかですね、そういうことをいっぱいしました。デパートなんか昔はむき出しのまんま(商品が)出ていたので、私が小さい頃行くと見るよりも触るのがとってもおもしろくてセーターのふわふわ感とか毛皮のあの何とも言えない感触とか、デパートは実は冬の方が面白いんです。今、残念ながらみんなビニールカバーがしてあるから、つまんないんですけど、触るのとっても面白いんですよね。それで、私、昔は誘惑に勝つのがすごく大変だったんですけど、髪の毛の長い人が信号で目の前に立っていると触ってみたくなるんですよね。髪の毛ね、みんな風合いが違うんですよ。人間の髪の毛って一人一人みんなね。とっても柔らかそうに見えて触ってみるとパーマかけすぎてるらしくてざわざわしているやつとかとっても滑らかで柔らかで触り心地の良いのとか。小さいとき、5歳くらいの時にやたらと触ってみたくなってお母さんをずいぶん困らせて。分かるんですよね、前の人、そっと触ったつもりでもちゃんと感づいてくれて振り向くんですよね。だけどとっても楽しかったです。触った風合いっていうのも見た感触とずいぶん違うんですよね。私は0.2くらいで、実は0.2出たのは矯正がきちんとできた16歳くらいからなんですけど、その前は0.02とか0.04くらいしか出てなかったので、どっちかというと触覚の感覚を覚えていることが多いですね。全部含めて、もっと広い意味で香川先生がおっしゃってるんですけどいろんなものを使って伸ばしてあげてくださいということを言っています。それから、見る環境の整備のことです。後でちょっと絵で遊んでみようと思っていますけど、コントラストを高めたり、大きくしたり、近くに寄って行って見たりとか、いろんな工夫、部屋の採光の明るさとか、さっきのまぶしさをカットすることだとか、そういうことをしながら本人に合った見やすい環境をどうやって作るかっていう工夫をしてあげるということがでてきますね。それから、見ることに対する興味、特に見え方の非常に厳しい子、放っておくと見る範囲が非常に狭いので見るおもしろさが分からない。よほど手を貸してあげないと、光るもので遊ぶとか単純なゲームとか積木とか、いろんな工夫をしたものを持ってこないと面白くないんですね。見るって面白いのだと分からないんですね。そういう工夫をするとか、日常生活の様々な部分でたくさん話しかけをしてあげて、そばに近づいて見せてあげて、ということをしないと見られない、というのがあります。香川先生の本をそのまま持ってきたんですけど、こうやっても見づらいのでみなさんの印刷物の中ではもっと見づらいと思うんですけど、実は写真だけ抜きたかったんですけど、私の技術ではうまくいかなかったんです。図の1のところ見て頂くと、1歳児なんですけど、お部屋から出て行かなかったロービジョンの子どもさんらしいです。廊下の明かりをつけてあげて、もう一つの方も明るくしてあげたら、初めてはいはいをして、廊下を見るようになったという時の写真です。香川先生いろんなところに訪問をしては、そこの環境の中でどうやって育てたらいいかを教えるのをとても大事になさっていたんですけれど、明るさを変えただけでですね、はいはいをする距離がどんどん変わって遊びの範囲が広くなったっていう例で写真を出しています。その下の写真ですけど、これは、テレビにうんと接近して見ているもので、本人の見る興味を優先させて、本人の一番取りやすいところを容認してくださいということなんですね。テレビは走査線の問題がありまして、あんまり近くで見ると害があるのではないかとかいろいろあって心配して、「そんなに近くに寄っちゃいけないよ」とかいうことを、私も小さい頃によく言われた記憶があります。それから、コントラストを上げると見やすいんですね。テレビは普通、周りの明かりを消して白黒のコントラストをぐっと上げて見ると目に良くないと言われます。だけど、弱視の子にとってはその方が見やすいんですね。真っ暗にして見た方が分かりやすいんですね。そういうふうに、その子にあったのは何かっていうのを見つけてあげるのがすごく大事なんですね。それで、よく、障害が重い、軽いというので、附属盲学校にいたときの逸話なんですが、うちの子の障害はこうで、とか、重いと大変で私の方が軽いので、とかということを言う方がいらっしゃるんですけど、重いは重いなり、軽いは軽いなりの難しさがあるんですね。どうしてかというと、例えば、統合教育なんかをなさっている方で、親御さんを怒って泣かせたことがあるんですけど、うちの子は普通の子と同じようにさせたい、例えば、こんな、目立つ眼鏡とか単眼鏡とかをお勧めしたんですけど、その人は0.2以上見えていたんですが、学校でいろいろいじめとかあるからだと思うんですけど、生活の中では例えば、0.2くらい見えてると、ほとんどこういうの(レンズ)を使わなくても普通の生活の中ではやっていけるので、つい、親御さんとしては大げさな道具とか使わせたくないんですね。子どもと、周りのお子さんと比べて同じように振る舞えるっていうのは、日本人って同じっていうのをとっても大事にするものですから、なかなかそういうものをつけたがらない。軽いお子さんほど、自分の親御さんもそうですけど障害とか認めたがらないというのが多くてですね、なかなかね。その辺でご相談にのっているときに適切な補助具や適切な対応をするのが難しいってことがあるんですね。だから、軽いから障害がうまく乗り越えられて良いのかって言うと、私はそうじゃないと思っているんです。特に、その適切な視距離とか行動とか、他の人と同じようにやらせたいんですね。できそうなお子さんほどそういうふうにさせたがるんですけど、それはすごく違うって思うんです。子どもであるほど正直です。見やすいととっても喜ぶし見えないとだめなんですけど、結構大人がその辺を既成概念に当てはめようとして邪魔してることが多いんですね。これはその続きなんですけど、年長児のお子さんのことなんかも書いてあるんです。見て頂きたかったのは絵本を見ている子どもさんなんですけど、見る興味を引き出すためにコントラストや形のはっきりしたものを見せるようにしましょうっていうアドバイスをしていらっしゃいます。これもみなさんよくご存じだと思いますけど、こういうロービジョンの方向けのキットを実は使いこなせるようになるのは小学校の高学年くらいにならないとなかなか、うまく使いこなせないのですね。というのは、きちんと距離を合わせたりピントを合わせたり、この下のCCTV(拡大読書器)なんかはしっかりしたピント合わせとかをしないとなかなかうまく見えないので、使いこなせるのはなかなか後なんですけど、こういうものを身近において気楽に使える環境を早めに持たせてあげるとですね、後で抵抗なく使えるようになります。これ何かって言うと、いろいろな病気でこの○が付いているところはこういう症状がありますよっていうのを一括して出しているんですが、今赤いところで示しましたけど、これだけ、どの病気でも実はほとんどの病気にさっき言った羞明、まぶしさを感じるというのがあります。ところが、意外と、なぜかですね、このまぶしさというのは本人も意外と訴えないんですね。これは実は中途視覚障害者の方達のための啓発に作ったものですが、小さな、ロービジョンのお子さんっていうのは特に障害が重くない場合には、9歳くらいまでは自分の見え方と他の人の見え方の違いというのを子どもさん自身も十分認識出来ないことが多いんですね。何となくあちこちに躓くとか何とかというのはありますけれど、なんとかついていけてしまう。どうも、自分は他の子と違うらしいっていうのは分かっているんだけど、まだ知的な発達が十分でなくて、他の子と比べたり、自分の見え方をうまく表現することが非常に下手ですね。そういう中でも特にこのまぶしさはうまくいきません。こんな例があります。重症心身のまぶしさを持っているお子さんで、重症心身のお子さんは非常に重いのですので、いつも寝ているんですね。寝かされているというか、立ってられないので旅行なんかに行っても寝てるんですね。寝てるというのは寝た姿勢をとってるということです。そのお子さん、学校に行ってもいつも目をつむって眠ってばかりいると思われていたらしいんですね。そしたら、まぶしさがひどかったんですね。外に出るとき、お散歩するときには必ず寝てる。幌をかぶせてあげると、目がぱっちり開くようになった。学校の中でどうしていつも寝ているかというと、上に蛍光灯がついてますよね。これでまぶしいんですよ。それで、その姿勢とか、いる位置を変えたら、それだけでうんと目を開けて活動性が高まったそうです。そんなの、当たり前かもしれないんですけど、盲学校でも実はこういうことたくさんやってるんですね。さっきのCCTV、拡大読書器を窓の明かりの方に向けて置いていて光が差し込んで、そういうところで子どもさんに見せてる盲学校なんていうのに実はお目にかかるんですけど、まぶしさを取ったらずいぶん違いませんかって言ってやってみたら、「あれっ、えっ!?」って「よく見える」って言うんですね。まぶしさの対策ってこんなことがあります。で、意外と知られていないものに、遮光レンズっていうのがあります。いわゆる、外から見てるとサングラスみたいなんですけど紫外線のまぶしさだけをカットする眼鏡です。いろんな色のものがあります。眼科の先生も結構知らない人が多いんですが、サングラスと区別をつけない。これをかけると、周りのコントラストも実は上がる効果もあります。
 また、きちんとした評価をする必要があります。視力ってどんなものかっていうのは意外と知られていません。こういうランドルト環で測ったものが視力です。とそれと、視野はとても大事な要素ですね。ほんとだったらこういう視野図を書いてもらうんです。それで、どこの部分に欠損があるかというのをきちんと理解しておく必要があります。小さなものはルーペを使って拡大し、それで見えないんだったら、さらに拡大をすればよいし、それでも見えなければCCTVを使わないとだめですよね。0.01くらいしか見えない人でCCTV使って36型か38型を使って文字を拡大して写して、それで弁護士試験に挑戦している人もいます。反射がきつくて見えにくいので、たいていは白黒反転にした方がほとんどの人はこの方が見やすいです。これ、コントラストの話しです。これ、点字ブロックに見立ててるんですけど、点字ブロックはなぜか黄色がやたらと多いですけど、ロービジョンの子はあれを使ってずいぶん歩いています。何を見ているかというと、それがつながっている先は盲人の施設だったりして、そういうものを見ているんですが、こういうコントラストにしたら歩きやすいです。これだとちょっと見づらいですよね。これだともっと見づらいですよね。この感じ、この盲学校の床と点字ブロックの感じに似ていますよね。もっとコントラストを高めたらロービジョンの人もあれ、使えますね。点字ブロックというと足で触ってみるだけってみんな思っているかもしれないですけど、実は違うんですね。こういうコントラストの取りかたもありますね。反射が少なくて見やすい。コンピュータで今、ソフトで文字をいろんなふうに変えられます。こういう色で見ている人もいます。一人一人みんな違いますから、弱視の子って。どんなコントラストの見え方が本人にとって見やすいか、とっても気持ち悪くて私たちが見えないような色、背景が良いっていう人もいます。メリハリがはっきりしていると、こうして見やすいです。反射のことを考えると、こうするとずいぶん楽になります。例えば、中途障害者の啓発のためのものですが、お皿一つにしても、メリハリつけるとずっと見やすくて取り残してしまうようなことがないですよね。こんな工夫があるということです。
 ずいぶん、ロービジョンの方のことで時間を取ってしまいましたが、ちょっと全盲の子どもさんについて基礎的なお話だけしておきます。
 全盲児について、生まれたばかりの赤ちゃんですけれど、体のところだけが、自分の触っているところだけが世界なんですね。養育環境が非常に悪くて、ちゃんとおむつを取り替え、ミルクもちゃんとやるんですが、全盲の子って放っておくと非常に静かで手がかからないので、そのまま寝かせっぱなしにして、お母さんは忙しく働いていた、そういうお子さんがいます。あまり刺激を与えないとどうなるかっていうと、こうやって背ばいをして、移動するようになってきます。それほど自分の手の届くところというか足も含めて全体が届くところが自分の世界なんですね、そのまま放っておくと。これもすごく当たり前のことなんですけど、人間、人って3週間くらいからしっかり目って見えていますが、見よう見まねで、それこそ大人が立って歩いているというのも見て自然に姿勢の取り方とかを覚えていつの間にか覚えて、まねをして慣れる、そういうことができません。分かりやすく今、全盲の方のために、と言っていますけど、非常に見えづらいロービジョンの方のお子さんも同じです。目からの、見よう見まねの情報が入らないんですね。盲学校の先生が書かれたもので面白いものがあるので、少しだけ。目を使って人は立っているというのを表していますけれど、見て覚えるんだよっていうことなんです。姿勢が非常に悪いって言うけれども、それは、ちゃんとした姿勢ってどういうものか見てないから分からないって言う。お相撲さんみたいな歩き方はとっても安定性があって、つまり、地面に接地している場所が大きくて安定性があるから、ああいう歩き方をしているんだということをちょっとユーモラスに書いています。これで、悩まれたようなお母さんいらっしゃいますでしょうか。私、筑波大の盲学校の時にだいぶ経ってから実習に行ったときにご相談を受けたことがありますので本当の話です。よくあるようです。それから、女の子のお母さん達が困るのは生理が始まったときに見えないから分からなくて始末ができないんじゃないかって悩むお母さんいらっしゃいます。実は全然違いますね。独特の感覚がありますので、本人にも絶対分かります。でも親御さんは見えないからだめじゃないかととても心配されますけれど、女と男の違いっていうのを早いうちに触らせてあげないと本当に分からないんですよね。というように、いろいろな形で具体的に経験して説明を加えてあげないと、実は、特に知的障害のない全盲のお子さん、知的にきちんと発達しているお子さんは言葉の中でいろんな概念を手に入れることはとても長けています。いろんな意味で、例えば色とかの概念なんかもちゃんと自分たちで作るし想像もするんですよね。いっぱい想像します。だけど、それが現実のいろいろなものと非常に大きなズレを実は生じているということをあまりみんな知らない。それと、統合教育なんかでやっているお子さんや盲学校の中でもそうなんですけど、全盲の子に何かをやらせるのって、大変手がかかるんですよね。全部指示して触らせてやってこうやって片づけなさいよって言って、指示しなきゃならないので、昔、盲学校でもそうだったんですけど、弱視の比較的見えてる子に「あんた、これやんなさい」って言って、中学ぐらいになると例えば体育の後の片づけだとか、こういう講演の後の椅子の片づけだとか、みんなそういうのやらせちゃうんですね。統合教育なんかやってるお子さんではどうなるかって言うと、先生が道徳教育の対象にしちゃうわけですね。親切にしましょうね、っていう形になって、靴まではかせてあげたりというところもあるんですね、実際。そうなると実体験が一番必要なのに、ほとんど実体験をしないで、大きくなっちゃう。私が行った筑波大附属の盲学校では、すごい進学校ですよね、そこから大学に出してます。今、年間で30人くらい大学に行ってますけど、いろんな盲学校では知的障害のある子がとても多いんですね。学校の先生方は知識を教えたくて先生になられた方が多いので、たまたま知的障害の無い全盲のお子さんがいると、一生懸命学力をつけるのに努力をされる。で、頭がすごく良いお子さんが出てくるんですけど、ほとんど実体験してないですね。今のお子さん全体にそうですけど、受験勉強なんかでがんばっているお子さんもそうですけど、社会福祉で私教えていて、すごく困るんですけど、自分で掃除もしたことがない、雑きんも絞ったことがないような人に、料理も作ったことがない人に高齢者の介護とかおかゆの作り方とかそういうのを全然知らない人に教えなきゃいけないのはとても大変です。今、私は全体にすべてのお子さんが障害児状態になっているのかなあと思うくらい実体験が少ないお子さんが増えているんです。特に自分で見ることができない見づらい人には、この実体験をたくさんさせてあげることと、言葉で具体的に補足説明してあげないととんでもないことになるんですね。経験させることはとても大事なんだけど、経験のさせ方が問題だと書いておられたので、載せておいてみました。一番いけないのは、全盲のお子さんや相当見えづらい弱視のお子さんもそうですけど、連れて回るの大変なので、それでつい、何をするかっていうと、特に小さいときは車に乗せてあちこち移動させる。そうすると、どういう経過をとってそこに行って何をやったのか全然実は分かんないんです。普通の子どもだと見てて移動距離の中でもいろんなもの発見して楽しめるんですけど、実はなんにも身になってない、っていうようなことをここに書いておられます。
 たくさん工夫した刺激を与えてください。これはもう、全盲の方でも弱視の方でも当たり前です。同じことです。工夫の刺激は、ここでいろいろ先生方が皆さんにいろんな形でやり方を教えてくださってると思うんですけど、どうぞ学校だけの部分でそれをなさらないで頂きたいと思います。家の生活の方がずっと長いんですね。ここで教わったいろんなことをしてくださってるとは思いますが、家の中で是非実践してほしいなと思います。これも同じです。本当は買い物なんかどんどん連れて行ってあげて、難しいですけどね、今、スーパーなんか嫌がりますからね。でも、いっぱい触ったり、近くに寄って見たりしないと分からないんですよね。全盲の人が見えてないとか、相当見え方の悪い方が見えてないというのは割に想像つくんですけど、実はある程度見えてる人が細かいところが見えてないというのは意外と分かってないんですね。私、大学に行かなきゃならなくなって、名古屋だったので、東京の大学は難しくてだめで、名古屋の大学に行きました。その時に自分で料理を作るのを初めて親に教わりましたけど、エビの背わたを取れって言われたんですね。なんだか全然分かんなくて、親がびっくりして見えてないのかって言うから、そんなもん見えないって言ったら、初めてそれこそこういうレンズ持ってきて見たんですね。黒いひもみたいなものが、8倍に拡大したら分かりましたけど、それを取らないとだめなんだよって教わってお互いに学んだんですけど、母は私がよく見えてなかったっていうことに初めて気がついたみたいですし、私も細かい部分が見えてないんだなということがよく分かりましたけれど、そういう誤解はいっぱいあるんです。これを一番実は今日言いたかったんですけど、障害のある方のご両親って完全に二つに分かれるんですね。どういうふうに分かれるかって言うと、一つはどうせこの子達にいろいろ教えてもだめだし、手をかけてもあんまり世の中の役にも立たないし、みたいなので、絶望して捨てちゃう人なんです。放っておくんです、本当に。例えば盲学校に入れたらお任せしてほとんど何もやらない人、ここにいらした方はそういうことじゃないんだと思うんです。もう一つの形は非常に過保護な方です。何でも手を出してやってあげちゃうんですね。それから、こんなのもありますよ。たくさんお金を貯めてこの子に残してやろうっていうんですね。そういうのも含めて。とにかく危ないからやめましょう、危ない、危ない、といって何でもやらせない親御さんがいます。すごく極端な言い方をしています。私、児童相談所で実は長く勤めてきて障害のある子どもさんのお母さん、お父さんはなかなか、ニュートラルな人いないなって思うんです。どっちかです。すごい偏ってますね。どっちも責任は社会にあると思うんです。情報があんまりないから、絶望しちゃうんですよね。障害のある子ども、どうせうまく育たないだろうと、勝手に絶望しちゃうか、一人でちゃんと生きている人の情報もあまり入りませんので、つい、自分亡き後はみたいなことを考えるんですよね。この間、10ヶ月の未熟児網膜症のお母さん、10畳くらいの部屋のこっちで子どもが遊んでいてお母さんこっちで相談してる。子どもさんは保育士さんが遊んでくれていたんですけど、子どもさん、ちらちらとお母さんの方を見て、安心して遊んでて、お母さんは私たちと話していました。そのお母さんが私に言ったのが、「この子、こんなに見えなくて私が死んだ後、年をとって、この子一人で生きていけるんでしょうか」。私も飛び上がるほど驚いて。どうも、0.2以上見えているんですね。だってちゃんとこんな隅からお母さんの顔を確かめながらお母さんがいるなって確認しながら遊んでるんですもの。十分見えているのに、ああ、こんなふうに親って心配するんだなあって思って、感激しました。同時に、だからこそ、親御さんが一番難しいんですよ。障害のある子どもが自立するのに親がとっても大きな障害になることがあります。何でも自分でやってあげてしまうから。それやりたいっていうことがいろいろ出ると、そんなの危ないからやめようとか。
 私、大学受験したんですけれど、名古屋の日本福祉大学という大学と東京の社会事業大学の受験日が同じだったんです。名古屋だったら9割、東京だったら五分五分と言われて、浪人2年もしていたので、名古屋の受験をして名古屋に行きましたけれど、親は心配したみたいですけど、出してくれたし、一事が万事、私がやりたいということはたいてい何でもやらせてくれました。それで、私はこういう風になれたんだろうなというふうに思っています。もちろん配慮はしなければならないです。無茶苦茶なことをやらせるわけにはいかないんですけれど、いろいろ配慮した上で、本人がやりたいっていうことは一度はチャレンジさせて、障害があるからこれはだめ、あれはだめ、こっちはだめ、あっちはだめっていう育て方は多分、最悪なんだと思います。ちょっと変な図を描きました。難しくて分かりづらいかも知れないんですけど、今、障害ていうのをどういうふうに世間、世の中が見ようとしているかということなんですが、これは国際生活機能分類で、これは国連のWHOというところがしています。今までは障害っていうのは、障害の部位だけ見てたんです。目が悪い、目が悪いからって何でもその責任にしてたんですけど、例えば、環境が変わって誰でも点字が読めたり出来たら、例えば、極端な話、文字が読めなくっても全然困らないでしょ。仕事がそれで全部済めばいいわけですよね。それから、本人がすごく前向きな人で少々なことで困らないようなものの考え方をしてたら、障害があっても、同じ障害があっても全然その人の生き方が違いますよね、アクティブだと。それから、病気や変調があっても医学的に進歩してそれがどんどん少なくなれば、その活動性を損なわないで済みますよね。というふうに、いろんなところの要素が実は障害には影響を与えているじゃないですかと、同じ障害でも。だから、例えば、さっき言ったように個人因子の部分で活動性が高まって何でも積極的にチャレンジすれば、それは、参加っていうのは社会での役割を果たすこと、生きがいをもって生きるという意味なんですけど、どの部分の要素を強化しても、その部分で活動性を高めて社会に参加出来るようにすれば、最後、社会を変えてやればいいわけです。活動性が高まって、障害があっても生き生きと生きられるじゃないですかっていうのが、今のこういう考え方。これは、どこの部分がどういうふうな状態なのか、じっくり分析して、その状態の悪いところを直しましょうっていう、直せない部分ももちろんありますよね、医学的な部分。もうこれ以上、今の世の中では無理、だったら、環境を変えてやりましょうよとか、活動性を高めてやりましょうよというものの考え方をして、これを評価の基準の中で作って、その一人一人に一番合った、その強化できる部分から強化していこう、そして、最後に社会自体を変えてやろうみたいなものの考え方を今するようになっています。
 これが最後のメッセージです。特に小さいうちは、親御さんがどんなふうにその子どもさんを考え、どんなふうに理解してくださって、どんなふうに主張してくださるかということがとても大事なことです。ここに、重複障害のお子さんのお母さんもたくさんいらっしゃると思うんですが、実は今、盲学校では、そういうお子さんたちをどうしていくかというのはあんまりよく分かっていないんです。特に進路の問題でそうです。というのは、盲学校というのは明治12年に日本に初めて出来たときに何を目的としてできたかっていうと、要するに長く伝統をもってきていた視覚障害者の特別な仕事とされていたあんま・鍼・灸・マッサージの技術とか理論を十分に吸収できて、接客ができるような常識をもった視覚障害者を今まで徒弟制度の中で育ててきたんですけど、そういうのが廃止になったから、それを教育の中で育てようっていうことで、盲学校っていうのが日本にできたんですね。その伝統っていうのはずっと、長く生きていて、まだまだ実は死んでないんですね。だから、昭和40年くらいから知的障害もあるお子さんが増えてきているんですけど、実はその人たちにどういう進路を与え、つまり、理療科の三療の免許を取れない人たちをどういうふうに指導したらよいかとか、どういう進路を与えたらよいというのは実は盲学校では一番苦手の範囲なんですね。それは、成り立ちからなかな抜けられていないからなんです。私が何を考えているかというと、それをやるのは親御さんの仕事だと思っています。自分の子どもさんの進路です。盲学校は残念ながら専門家ではないんですね。なろうと一生懸命努力しておられますけれども、まだそこまで達していないんです。実は、知的障害の養護学校は一番後に出来ました。そして、進路は今でもとても難しいので、そこの親御さんは何をやったかというと、自分たちで作業所を作って、重い子どもさんをそこへ迎え入れて、ということをなさっていたんですね。なぜか、視覚障害のところからは、そういう動きが起こってきません。どうしてだろうって思います。まだまだ、三療の流れの部分が強いんですね。免許さえ取らせればという意識が一つは大きいというのがあります。とても優秀な人たちは大学に行って新職業に、という方向に走ってしまいますけれど、もっと重い障害のある方たちの中の動きが非常にまだ残念ながら緩慢です。もう、障害のある人のことを親がまず一番の理解者にならなければいけないし、育ってきたら少なくとも知的に障害のない当事者は自分たちのことを自分たちでやらないといけないんですけれど、そうでなければやっぱり、親御さんの、家族の力がとっても大きいです。その方たちがものを動かしていかないとなかなか先に進まないということがあります。先生だけの力ではうまくいかないので、最後はそれをどうしても申し上げたかったなと思っています。