形式ではなく中身の問題

  母のことで書き込みをしたときに、「介護療養病棟をなくしてしまってどうするつもりなのか」と書いたので、私が「介護療養病棟」という制度を残したいと思っていると誤解されているのではないかと思い、改めて私の思いを書いてみようと考えました。

今の状態の母が、安全に穏やかに生き、そしてほんの少しでも「生きていて良かった」と思えるような生活の質を確保するためには、体調の維持と鼻腔栄養の管理のために、医師・看護師・栄養士が必要です。そして、おむつ交換や入浴などの日々の生活を維持するために介護職が欠かせないことは明らかです。母の骨粗鬆の状態は末期的で、くしゃみをしても骨が折れるかもしれない状態だそうです。そんな母の手足の拘縮を防いで、少しでも生活の幅を広げるために、理学療法士が関わって、看護や介護の方たちと一緒に、車いすに移動させ、少しずつ座位を保てる時間を長くしながら、窓の外を見せてくださったり、中庭に出たり、そして、口から安全にものが食べられ、母の好きな味が味わえるようにするために、言語療法士の方が嚥下の訓練をしてくれています。

  これだけの専門の人たちが関わって、母はここまで回復してきているのです。
  今の介護療養病棟には、「いろう」といって、胃に穴を開けて管を通して、そこから栄養を補給している方、鼻腔栄養の方、そして身体的にも重篤で認知症の進んだ方が多く入院しています。この方たちは、母と同じく上記のような専門家が力を合わせてケアしているからこそ生き続けて行けるのだと思います。

  「病院は生活の場ではないから、介護療養病棟の高齢者が長く生活するのに適さない」、それで療養病棟を閉鎖し、特別養護老人ホームやケアハウス、老人保健施設などの数を増やしてそちらに移すか在宅に返すというのは、特別養護老人ホームや老人保健施設などが、上記のような専門スタッフを揃えて、介護だけでなく医療的なケアと、リハビリが継続的にできるようになるなら、すばらしいことだと思います。

  でも実際は、特別養護老人ホームもケアハウスも、老人保健施設も、医療スタッフはほとんどいない、リハの専門家もいない。雇えるような制度になっていないのですから。
  そんな体制の中で、今療養型に入院しているような高齢の方たちは、受け入れられるはずがないのです。受け皿が整っていないのに、また財政的な理由で、医療スタッフの充実した制度をつくる予定もないのに、「介護療養病棟を閉鎖」したら、そこに入院している方たちだけでなく、介護する家族も、本当に悲惨な目に会うしかないでしょう。

  もう一度いいます。介護療養病棟という形を残して欲しいのではありません。医療的ケアと介護とリハビリが充分に保障された場所が絶対に必要だといいたかったのです。
  最後に、医療とリハと介護の専門スタッフがただそろっていれば良いのではないことも明らかです。本当の意味での質の高いやる気のある専門家がそろっていないといけません。
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