戦後の視覚リハの状況と課題 ―私の実践活動の中から見えてきたこと―

月刊視覚障害2025年12月号表紙
私の原稿が掲載された12月号の表紙

 月刊視覚障害12月号の特集テーマは、視覚障害者の戦後80年第3弾、そこで視覚障害リハビリテーションが取り上げられるとので、私の現場での50年あまりの体験に基づいた内容で原稿を書いてほしいという依頼を編集室から受けました。そして、その私の体験を通して、これからの未来に向けて思っていることも書いてほしいと言う素晴らしい依頼でした。そこで、私の当事者として支援者として生きてきた思いを書かせていただきました。雑誌発売から1ヶ月が過ぎたので、月刊視覚障害の許可を得て、私のブログにその原稿を公開させていただきます。私が今考えていることを是非皆さんにも読んでいただければ幸いです。


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戦後の視覚リハの状況と課題
―私の実践活動の中から見えてきたこと―
視覚障害リハビリテーション協会
吉野 由美子

はじめに
 「この頃、病気などで人生の半ばで見えなくなった人が、『見えなくなって何もできない。死んでしまいたい』などと言って訪ねて来るようになってきた。そういう人たちの相談に乗ってあげてほしい」
 1974年3月に名古屋市にある日本福祉大学を卒業した私は、名古屋ライトハウスあけの星声の図書館(現名古屋ライトハウス情報文化センター)の岩山光男館長からこのようなお声がけをいただき、同図書館に就職した。
 生まれつきのロービジョン(弱視)で盲学校出身の私は、その時に初めて中途視覚障害者に出会った。「一人でトイレにも行けない」、「歯ブラシに歯磨き粉が付けられないから歯も磨けない」などと嘆くばかりのその方たちは、私が盲学校時代を共に過ごした先天性、あるいは幼少期からの視覚障害者とは全く違うタイプであった。
 当時、脊椎損傷や頸椎損傷などの人たちに対する労災病院等でのリハビリテーション(以下リハ)が普及しはじめていた。障害者福祉を学ぶことを目指していた私も、興味をもってこの身体的なリハについて勉強していた。中途視覚障害の人たちも視覚リハをきちんと受ければ、きっと自立した人生を送ることができる、要するに「中途視覚障害者のリハも普及させれば良いのだ」と私は思い、「視覚リハの普及を私のライフワークにするのだ」と決意して、いつの間にか50年が過ぎようとしている。
 視覚障害者の戦後80年を視覚リハの分野から振り返る中で、私が当事者として、相談支援者・研究者として、現場で行ってきた二つの実践を通じて、リアルに感じた状況と今後の課題について述べたいと思う。

1.あけの星声の図書館での実践
(1)当時の時代情勢
 まず、あけの星声の図書館での実践について振り返る。昭和30年代(1955年~)になると、栄養失調や梅毒などの感染による先天性の視覚障害者が減少し、糖尿病網膜症や緑内障などの疾患や事故による中途視覚障害者が増加してきた。あはき免許を取得して三療を行うことが、視覚障害者が職業自立するほぼ唯一の道とされていた時代、盲学校には中学卒業後2年であはきの免許が取得できる別科というコースがあり、免許取得が比較的容易であったため、中途視覚障害者の職業自立の手段として期待されており、私も盲学校入学の支援を行った。
 中途視覚障害者のリハの中でも中心となる歩行訓練等の専門技術は、1960年代の半ばに我が国に入ってきて、日本ライトハウスで訓練士を養成する講座が行われるようになった。この養成の対象は既に現場で視覚障害者のケアにあたっている職員が受講するシステムであった。歩行訓練や日常生活訓練は、職業訓練の前段階として行われていた。視覚障害者が学習のために使える文字は点字だけで、音声を録音する手段は、カセットテープレコーダーがようやく普及しはじめたばかりであった。
(2)私が行った主な相談支援
① 中途視覚障害者やその家族などが思い込んでいる「見えないと何もできない」という思いに対し、視覚以外の感覚を活用する工夫をご本人と周りの方に伝え、今後の生活に繋げていけるように努めた。例えば、歯を磨く場合は、歯磨き粉をまず自分の手指につけて、それを口の中に入れてから歯ブラシで磨くことなどを伝えた。
② 身体障害者手帳の取得や福祉制度の利用法などについて説明し、場合によっては窓口に同行した。
③ あはき免許取得のための盲学校入学を支援し、点字の指導や録音機器の使い方などを指導した。
④ 主婦や居場所を求めている方たちには、点字の習得も兼ねての短歌の会などをコーディネートした。
⑤ 図書館に来られない方の自宅を訪問し、点字指導を行ったり話し相手になったりした。
⑥ 視覚障害者グループの料理教室、山歩き同好会などの趣味的な活動サークルを紹介した。
 在職した2年間で延べ50人の相談に乗った。高齢者が多かったので、盲学校への入学者は2人であった。
(3)忘れられない事例
 ある病院のケースワーカーから、「50歳の時に足場から転落して全盲になった人が、生活保護の医療扶助で長期間入院している。しかし、全盲なので退院させる手段がない」という連絡を受けた。ご本人に会うと、移動する際には車いすに乗せられ、排泄はベッドで尿瓶やポータブル便器で行い、食事もベッドで摂るという生活を10年も続けていたという。私は職業訓練の前に生活訓練をしてくれる京都の施設を紹介した。その後、あはき免許取得のために入所した視力障害者センターで、その方は「10年前にこのような施設があることを知っていたら、私の人生は全然違っていたのに…」と語っていた。
 当時は「見えないと何もできない」ということが世の中の常識であった一方で、視覚リハの存在はほとんど世間に知られてはいなかった。

2.ルミエールサロンを拠点として展開した活動
(1)当初の高知県の状況
 1999年、私は高知女子大学社会福祉学部に講師として赴任した。当時、高知県には約4000人の手帳所持者が暮らしていて、65歳以上の高齢視覚障害者が7割、中途視覚障害者が8割以上を占めていると推計されていた。一方で、高知県内の視覚障害者の支援に関わる専門施設は、高知県立盲学校、高知点字図書館(現オーテピア高知声と点字の図書館)、盲老人ホームがあるのみであった。また、視覚障害者に対する福祉サービスとしては、申請者に身体障害者手帳、白杖、点字器などが交付されるに過ぎなかった。他地域と同様に「見えなくなったら何もできない」という社会通念が根強くあり、視覚リハについてもほとんど知られていないという状況であった。
(2)ニーズを顕在化させるための働きかけ
 そのような中、高知県で視覚障害者生活相談・訓練事業を担当していた別府あかねさんと出会った。別府さんは地元出身で、同年3月に視覚障害生活訓練等指導者(以下歩行訓練士)の認定資格を取得して着任したばかりであった。私たちは歩行訓練や日常生活訓練をはじめとする視覚リハの有用性と効果を周知させる活動を開始した。
 まず、相談の依頼があれば病院や自宅を積極的に訪れた。県立療育福祉センター(身体障害者更生相談所)の巡回相談では視覚障害者対象部門を新設した。また、機会あるごとに保健師や介護関係職員、障害福祉の窓口などへの啓発活動を行った。一方で、地元のテレビ、ラジオ、新聞などの取材に応じ、一般への周知にも努めた。
 しかし、歩行訓練などの視覚リハに対する県の年間予算がわずか80万円足らずという状況の下では、別府さんが歩行訓練士として働く基盤も、紹介する視覚障害者用の機器もないという状態であった。
(3)職員提案事業に応募
 高知県では、県職員が行政を改善するために政策を提案し、知事が審査して採用されたものには独自に予算をつけて事業化するというプロジェクトを1997年から行っていた。私は別府さんや県の障害福祉課の関係者と相談しながら、2001年度の提案事業に応募した。
 提案した主な事業内容は次の通りである(注1)。
① 盲学校の教室を利用して視覚障害者用の機器類を展示し、関係者が自由に見学・試用できるようにする。また、機器類の講習会なども開催する。
②視覚障害者巡回相談事業を拡大する。
③ ネットワーク構築の第一歩として、障害福祉課職員、療養福祉センター職員、盲学校教員、歩行訓練士、研究者らで構成する連絡会議を開催する。
④ 当事業には視覚リハの専門家である歩行訓練士の専門職としての関与が不可欠であるため、人件費を確保する。
 提案は採択され、事業の柱の一つである視覚障害者向け機器展示室「ルミエールサロン」が、2001年6月に高知県立盲学校内の空き教室を利用して設置された。
 その後、県内の視覚障害者の約9割を占めているロービジョンの方たちへのケアの充実と、他職種とのさらなる連携を図るため、2004年に2回目の職員提案を行い、こちらも採択された。提案内容は以下の通りである。
① 「ルミエールサロン」にロービジョン用補助具等の各種トライアルセットを置き、選定の参考にしてもらう。
② 視機能評価を行える専門家が県内にほとんどいないため、優れた実践を行っている専門家を県外から招き、研修会等を行うことによって県内に専門家を育成する。
③ トライアル機器を眼科などに貸し出して利用を広げる。
(4)ルミエールプランが成功した要因
 ルミエールプランにおける啓発・ニーズ掘り起こし活動により、ルミエールサロン、巡回相談、研修会などへの来場者数の増加、連携する関係者等の職域の広がりなどの成果が示された。その要因をいくつか挙げたい。
① 歩行訓練士の人件費を確保し、視覚リハサービスを提供する仕事に専念させることができたこと。
② 相談を受ける対象を身体障害者手帳を持っている方たちに限定せず、「見えない・見えにくい」ことで困っているという方たちとその関係者としたこと。それにより、より専門的で細やかな支援に繋げることができた。一方で、生まれたばかりの乳児に対する相談、精神病や脳の障害などを併発した方からの相談など、それまでの視覚リハでは想定外のケースのニーズを顕在化させ、問題解決のために新たな他職種専門家と連携できたこと。
③ 中山間地域で車がなければ生活が難しいこと、高齢中途視覚障害者が多いことなどを考慮し、訪問によるサービス提供・出張機器展示を事業の中心に置いたこと。それにより、地域に潜在化していたニーズを顕在化させることができた。また、当該地域の福祉・保健等の関係者と共に訪問するなどして他職種連携を深められたこと。
④ 訪問により、視覚障害者個々の生活の中での具体的な困りごとを、歩行訓練士などが具体的に把握することによって、個々の生活に寄り添った視覚リハのやり方について提案できるようになったこと。
⑤ 治療で治すことができない眼科患者に対し、保有視覚を有効に利用するロービジョンケアを実施したり、医療機関から福祉施設などを紹介する「スマートサイト」の試みが広がるなど、眼科医療との連携が図れたこと。
(5)開設25年を迎えるルミエールサロン
 サロン開設初期から、歩行訓練や日常生活訓練などの視覚リハサービスは、高知市を除く高知県全域を対象として訪問によって行ってきたため、歩行訓練士1人ではまかないきれず待機者が増加していった。そこで、訓練を受けた方たちがその意義や重要性を主張し、「歩行訓練士増員」の要求と署名運動を2003年と2019年の2度にわたって行い、現在は3人の歩行訓練士が常駐している。
 2024年度のデータでは年間500回を上回る訪問が行われている。その他、歩行訓練士による関係者への様々な研修事業も行われている。

3.視覚リハが未だに普及していない背景
 これまで私の実践について述べてきたが、残念ながら、現在に至っても視覚リハに関する情報は、大変限られたところにしか伝わっておらず、普及しているとはいえない状況である。その理由を歴史の上から考えてみたい。
 第二次世界大戦後に制定された初めての「身体障害者福祉法」は、サービスの対象を更生できる者(訓練などを受けて経済的に自立できる者)に限り、また、法の適用対象は完全に障害別(視覚・聴覚・肢体)であった。
 1960年代の中頃に我が国に輸入された歩行訓練や日常生活訓練の方法や技術は、あはきなどの職業訓練によって自立可能な方たちに対する職業訓練の前段階として導入された。そのため、訓練は医療などの他の分野と連携することなく、視覚障害分野単独で全盲の方に限定して行われることとなり、福祉分野のみでの展開となった。他の身体的なリハが受障直後の病院からはじまる形であるのとは対照的で、その結果、視覚リハは眼科を含めた医療分野からは切り離された存在となってしまった。
 その後、ロービジョンケアの重要性が各種の眼科学会などで主張されるようになり、見えにくい方が徐々に歩行訓練や日常生活訓練の対象とされるようになった。一方で、歩行訓練士が病院スタッフとして働くことは、資格の問題、医療保険との関係等でほとんどできていない。

4.未来に向けて五つの観点からの提案
 ルミエールの活動の中でわずかな環境改善の提案をするだけで、中途視覚障害者が笑顔になり、前向きになる光景を当たり前のように見てきた。また、昨年私が入院した脳神経内科で、脳の障害により全盲になった方が視覚リハのサービスを全く受けられていない状況を目の当たりにし、私の視覚リハに対する考え方が原点に戻った。
 そこで、歩行訓練士をはじめ、当事者団体関係者、視覚リハの普及を願って活動している者は、以下の五つの観点から行動の仕方を見直すべきではないかと考えた。
(1)リハビリテーションの理念に立ち返る
 まず、「自分の人生を自分なりに精一杯生きられるようなリハビリテーションを受ける権利がある」というリハビリテーションの理念に立ち返ることが重要である。高齢、糖尿病、脳障害など様々な理由で中途視覚障害になった人を、全て視覚リハの対象者として認識し、受け入れられるような専門職となることを目指すべきである。
(2)見えない・見えにくい人の全てを対象に
 視覚リハサービスを提供する対象の概念を変革する必要がある。すなわち対象を障害者手帳の所持者とするのではなくて、見えない・見えにくいことで困っている方全てとする。後者は全国に200万人ほどと推計されている(注2)。この数字は決して小さなものではないので、財源についての要求もしやすくなると考える。
(3)歩行訓練士が活躍できる基盤をつくる
 歩行訓練士の専門家としての位置づけを保障するために、資格の取得や財源の確保などについての要求を行っていくことが必要である。医療保険や介護保険でも財源を確保できていない中、大変遠い道ではあるが解決すべき課題である。その際、上記(2)で述べた推計200万人という潜在化したニーズを明確化し、それに対応するサービスが提供できるような方法論を検討すべきである。
(4)視覚リハサービスを提供できる人員を増やす
 歩行訓練士の養成を行ってきた機関などが、見えない・見えにくい方たちを理解するための基礎知識等について、他領域(理学療法士・作業療法士などのリハ関係者、看護師、介護関係者など)の方たちに解説する講座を開き、講座受講者には「視覚リハサービスを提供できる基礎的な資格」を付与することを提案したい。現状では、急性期病院やリハ病院でも視覚リハについての知識をもっている方はほとんどいない。本来ならば、歩行訓練士を医療機関などで雇用することが望ましいが、2024年度時点で実働している歩行訓練士は全国で189人(日本ライトハウス調べ)、さらに、歩行訓練士のほとんどが、歩行訓練や日常生活訓練だけを専門に行っているわけではないという状況では、医療機関が歩行訓練士を雇用することは現実的ではない。
 基礎的資格を得た方たちが病院や介護関係の機関で働くことによって、二つの大きなメリットが生ずる。
① 前述の通り、受障直後からの視覚リハサービスは医療機関ではほとんど行われていない。見えない・見えにくい状態になって「自分は何もできない」と思い込んでいる患者にとって、寄り添いつつ「こうしたらできるよ」と例示してくれる理解者がいることは大きい。
② 視覚リハサービスについての理解が広がり、患者の退院後の進路決定、福祉分野との連携がスムーズになり、福祉分野での歩行訓練士等との連携が容易になる。
(5)視覚リハは他職種との連携で成立する
 3年ほど前から、私は志を同じくする眼科医や歩行訓練士等と共に、日本リハビリテーション医学会、日本生活期リハビリテーション医学会、日本ケアマネジメント学会、その他看護関係の学会に積極的に会員となって参加し、視覚リハに関する広報活動などを行っている。
 この実践は、視覚リハは他職種連携の中でのみ成り立つので、多分野との積極的な交流を行い、相互理解を進めていくことが必須であるという考えに基づいている。また、他領域に視覚リハの存在とその効果についての周知を図ると共に、学術的なアプローチを学ぶことにより、視覚リハの一般化にも繋げていきたいと考えている。
 この五つの提案の実現がどんなに困難なことであるかは承知している。しかし、持続可能な視覚リハサービスの提供体制を作るためには不可欠のことだと思う。実現に向けて皆さんの理解を得て今後も取り組んでいきたい。

(注1)「ルミエールプラン事業に関わる二つの職員提案全文記事」
https://yoshino-yumiko.net/2021/12/post-34.html.
(注2)社団法人日本眼科医会研究班が2009年に行った研究「視覚障害がもたらす社会損失額8.8兆円」 
https://www.gankaikai.or.jp/press/20091115_socialcost.pdf