眼科医療とロービジョンケアは常に連動して

 
 

早く医者に相談しなければ、しかし

 

 3月5日頃だったと思うのですが、夜中にトイレに起きて、トイレの明かりをつけたら眼の中に何か黒い物が沢山見えました。その黒い物、不思議なことに明るい部屋に入ると、すぐ見えなくなりました。「あれこれなんだろう」と一瞬びくっとしたけれど、すぐに消えたので、その時は気にせずに再び眠りにつきました。
 翌朝暗い部屋で目が覚めて、明かりをつけたら、また黒い物が眼の中に見えました。そしてすぐに消えました。眼の硝子体にはゴミみたいな不純物があって、それが白い壁を背景にすると、時々とぐろを巻いた蛇のように見えたりすることが良くあったので、「またそれかな」と思ったのですが、何だか様子がいつもと違うのです。
 私は、高度近視で網脈絡萎縮もあるので「網膜剥離」を起こしやすから気をつけるように主治医から言われていましたし、仕事関係で読んでいる「ロービジョンケア関係」の本でも、そんなことが書いてあったことが頭をよぎって、「剥離がついに来たか」と、絶望的な気分になりました。
 しかし、その黒い物は、明るいところに行くと、すぐ見えなくなるし、パソコンでの作業にも特に不便を感じないし「気のせいかな」と、また、そのことを打ち消して、そんなことを10日ほど繰り返しました。

 

症状を認めたくない気持ちとの戦い

 暗いところで見える何か「黒い物」は、増えもしないのですが、減ってもくれません。
昼は、別にそういう物は見えないのですが、パソコンに向かっていると、なんとなく「きらきらした感じ」が眼の中にあって、所々、メガネの曇りを通しているように見えにくい箇所も出てきたような。「気のせいだ」「いややっぱりおかしい」、早く眼科医に診せた方が良いことは100も承知しているのですが、一方で「気のせい」であって欲しいと言う逃げの気持ちが強くて。
 それに、なかなか気楽に眼科医にいけない理由がもう一つ、それは、私が67年前に先天性の白内障手術を受けて、メスを入れて濁った水晶体を摘出したことの後遺症でしょうか、光彩癒着が酷くて、アトロピンなどの散瞳薬を入れても、ほとんど瞳孔が開いてくれず、右眼の角膜は混濁していて、たとえ瞳孔が開いても、網膜の様子は見えない。眼底が見えなければ、眼科の先生も診断しようがない、そんな訳で、よほどこういう眼になれているところでないと、眼科に行っても難しい、そういうことが分かっているので私の逡巡は、余計酷かったです。
 そんな訳で、ようやく、こういうときにいつも相談している、ロービジョンの眼に詳しいN先生に相談するまでに10日かかってしまいました。

 

やはり餅は餅屋です


 
 私は、3月17日からちょっとしたイベントに出席するため、第二の故郷高知に行く予定になっていました。「高知に無事行きたい」と言う気持ちも、なかなかN先生に相談しなかった理由かもしれません。とにかく、とうとう自分をごまかしきれなくなって、高知行きの二日前の夜、N先生に電話をして、症状をお話ししました。すると「加齢によってゼリー状の硝子体が、変化してくるのはみんなに起こることで、それは病気ではないけれど、変化が起こった時に網膜などが引っ張られて出血したりすることもある」「少量ならば吸収するのを待てば良いのだが」「とにかくやはり早く医者に診てもらう必要がある」と言われました。私が高知に行く予定であることと、どこで診てもらったら良いかを訪ねると「それなら高知のM病院H先生に診てもらうのを進める」と言われました。確かにH先生は、高知でロービジョンケアの普及に力を貸してくださった先生で、私が高知にいる間は、ずっと私の主治医をしてくださり、しかも網膜の専門家で、私の眼のことを良く知っておられる方です。N先生曰く「たぶんそうではないと思うけれど、もし緊急に手術が必要なら、H先生に引き受けてもらえば良い」と言われました。
 確かにあそこなら、あの先生なら安心です。それもありかと思いました。
 夜遅い時間なのに、非礼もかまわず、すぐにH先生にお電話して、二日後に高知で診ていただき、「緊急の場合は手術もしましょう」と言っていただき、高知へ行きました。

 

驚くべき検査技術と検査機器の進歩

 高知空港から病院に直行、すぐにH先生とお話し、そして検査、散瞳薬をつけて、10分も経たないうちに、眼底写真を撮影する部屋に「えっ!、こんな短い時間では、絶対に瞳孔開かないし、眼底写真を撮るなんて無理」と思いながら、視能訓練士の方の誘導で、何枚も写真を撮りました。「撮れましたよ」と視能訓練士の方は言うのですが、私は、半信半疑、今まで上手く撮れたことなどないし。
 H先生のところに再び呼ばれて、私の眼底の写真が出ていました。「この写真で見える範囲では、剥離は起こっていません」と言われ、混濁の酷い右眼には、超音波で網膜の様子を検査する機械をあて、そして「剥離は起こっていない」との診断を受けました。検査が始まってから、2時間足らずでした。
 H先生の説明によると、私の眼底写真を撮った機械は、開発されたばかりのもので、ちょうどデモ機として、試用していて、後5日ほどでメーカーに返すところだったとのこと、私なかなかラッキーでした。
 私には原理は良く分からないのですが、魚眼レンズのような光学的なものを使って、狭いところから広い範囲を撮影できるのだそうです。とにかく本当に、この機器の進歩と、検査技術の進歩に驚くばかり
 診察の結果、見える範囲では剥離は起きておらず、出血もないが、加齢での硝子体の変化はあるし、高度近視の問題、最新の技術でも見ることのできない外側の部分で剥離が起こっていると、他にも影響が及ぶなどのこともあり、「経過観察」と「緊急時に対応可能な主治医を作っておくこと」が必要と言うことになりました。
 そこでN先生とH先生の紹介をいただき、東京で角膜の方を見ていただいている同じ系列の大学病院の専門の先生を紹介していただき、予定のイベントも無事終えて、東京に戻ってきました。

 

この経験から思うこと


 1 私のようなロービジョンのある者は、進行性の慢性病を抱えているのと同じ、いつも眼科医療の、しかも最新医療から離れてはいけないし、最新医療が必要。視機能は、できるだけ保持したいです。たとえ0.01だって、残っていることが大事です。
 2 私は、視覚リハ協会の活動の中で、N先生にもH先生にも出会い、他にも沢山のロービジョンのことに詳しい先生方と出会うことができました。だからこんなことができたのですが、これを私の「役得」にしておいてはいけない。全国どこに住んでいるロービジョンの方で、難しい眼の状態の方が、最新の医療を受けて、保有視機能をできるだけ保っていけるようにしなければならないこと。そのシステム作りが私の次の夢になりました。
 3 今回も味わいましたが「失明するのではないか」と言う恐怖は、一人ではとても立ち向かえない、「剥離なら一刻も早く医者に診せるべき」は、いやと言うほど分かっていても、一人では、なかなか踏み切れない。助けてくれる仲間や専門家が必要です。
 4 M病院で見た最新の検査機器、そして視能訓練士さんの最新の検査技術、特に財政的ななことを考えると、一般の開業医で整えられる者ではないので、開業医で難しいケースが出たら、それを託せる、M病院のような病院との連携システムが絶対に必要。
 5 私は角膜の専門家をずっと主治医として見ていただいていますが、網膜の問題はまた別の専門の先生がいます。いざ手術となれば、角膜にしろ網膜にしろ、影響し合う訳ですから、眼科医の方同士の連携が必要。
 6 今のところは、視力低下など起こしていませんが、今後は分かりません。観察や治療をしていただいても、視機能が落ちたら、その段階で、新しい視機能に対応するロービジョンケアが必要ですし、もっと落ちたら、全盲型のケアが必要になります。それを連続しておこなえる、そんなシステムが必要。

 ロービジョンケアは、やっぱり奥深い。今度の経験は、すごく貴重な体験でした。でも、できたらもうしたくない体験ですが。また何回も味わうのだろう、この体験。