視覚障害リハを理解した相談支援者の育成を切望して

 ちょっとした縁で、視覚障害者の文化をリードしてきた「点字ジャーナル」という東京ヘレンケラー協会の出している雑誌に、私の思いを書くチャンスをいただきました。
 通算529号にもなる、この雑誌の2014年度6月号の「リレーエッセイ」に載った記事を、点字ジャーナル編集部の許可を得て、私のブログに掲載します。
 これからは、チャンスがあるたびに、繰り返し自分の意見を、いろいろな方たちに知っていただく努力をしていきたいと思っています。
 興味のある方、是非読んでみてください。

リレーエッセイ
視覚障害リハのことを理解した相談支援者の育成を切望して
視覚障害リハビリテーション協会 吉野由美子

 私は、1968年に教育大学(現筑波大学)付属盲学校高等部を卒業し、二浪の末初めての点字使用の入学生として、日本福祉大学社会福祉学部に入り、1974年に卒業、名古屋ライトハウスあけの星声の図書館(現情報文化センター)に点字図書館業務を行いながら、その頃問題になりつつあった中途視覚障害者の相談を担当するということで就職した。私が大学で学んでいた「社会福祉」を当時の岩山館長が評価してくださったおかげであった。
 そこで私は、初めて人生の半ばで見えない見えにくい状態となった、中途視覚障害者に出会い、「トイレにも一人で行けない」「死んだ方がましだ」と絶望のどん底にいるのべ50人ほどの相談に乗ることになった。付属盲の先輩や同級生を「視覚障害者の平均的姿」と思い込んでいた私にとって、「一人でトイレにも行けない」と嘆き悲しみ、「死んだ方がまし」と口々にいう中途視覚障害者との出会いは、本当に衝撃的なものであり、1970年代初めに、我が国にも導入され始めた視覚障害リハビリテーションについて必死に学び、その頃できる精一杯のこととして、「あはき」の免許を取って、再出発を志す中途視覚障害者には点字指導と盲学校入学のお手伝いをし、高齢中途視覚障害者にはテープ図書の紹介や、俳句や短歌の会のアレンジなど行った。そんな働きかけしかできなかったけれど、それでも働きかけの効果は大きく、「死にたい」と言っていた方たちが、少しずつ前向きに変化して行く手応えを感じ、中途視覚障害者のためのリハビリテーションの普及啓発と、そのサービス体制作りを自分のライフワークにしようと心に決めたのである。
 私的事情で2年後退職した後、私の思いとは裏腹に、23年間視覚障害リハと関わる機会がなく、1999年に高知女子大に赴任し、そこでの地域貢献活動として、私は再び視覚障害リハの普及活動に従事するチャンスを得た。
 私が離れていた23年間の間に、県単位で「視覚障害者自立援助事業」という視覚障害リハに使える制度も出てきたし、入所だけでなく通所や訪問で歩行や日常生活訓練が受けられる施設も増え、ガイドヘルパーの派遣や、日常生活用具の開発も進み、IT技術の飛躍的な発展で、視覚障害者の情報収集やコミュニケーション手段も大幅に進歩していた。 しかし、相変わらず一般の方たちも、中途視覚障害当事者も、家族も視覚障害に対して、様々な支援体制があることや、視覚障害リハの存在も知られていないし、「視覚障害リハに対するニーズはほとんどない」と言い切る行政担当者も多いのである。
 なぜこんな状態が続いているのかについては、様々な要因が考えられるが、私が最も重要な要因だと考えているのは、地域に視覚障害のことを熟知した相談支援者がいないということである。
 未だに福祉の窓口に「視覚障害になった」という理由で相談に行くと、障害者手帳の取得の手続きをとり、「点字の習得」「白杖での歩行」そして「あ・は・き」の免許を取ること」ぐらいしか紹介されない。ちょっとした工夫で日常生活の困りごとを解決できるし、その手助けをしてくれる「視覚障害者生活訓練指導員」などの専門家がいることもほとんど知られていない。点字図書館には、未だに「点字の本」しかおいていないと思っている世間の人たちがほとんどである。世間の視覚障害者に対する認識はイコール中途視覚障害者の認識に他ならない。
 現在視覚障害者の年齢構成を見ると、70歳以上が50%を超えるという超高齢化の状態で、高齢の中途障害者が圧倒的に多い。これら高齢者に「盲学校であ・は・きの勉強」とか「白い杖での歩行」というサービスの情報しか紹介されなければ、それらを利用する気にならないのが当然である。
 人生の半ばで「見えない・見えにくい状態になる」と、「もう自分には何もできない」「死んだ方がまし」というほどのショックを受けるが、障害になった時期が30代ぐらいまでなら、何とかそのショックから立ち直って、視覚障害者として生きて行く道を見つけることができるが、60代になって視覚障害になれば、自力でショックから立ち直ることはほとんどできないし、視覚障害者として生きていけるなどと考えない。視覚障害というのは元々情報障害の要素が大きいが、その上すべてのことにあきらめているので、自分から情報を探す意欲もない。周りの支援者も同様である。
 幼い頃からの視覚障害者は、盲学校に入り、仲間を作り、生きて行くための情報や技術を先輩や同僚から教わることができたが、高齢中途視覚障害者や、障害を認めたくないロービジョンのある人(見えにくい人)には、そのようなつながりは一切ない。
 多くの中途視覚障害者には、現在の視覚障害者向けのすばらしいサービスの情報がほとんど届かない。
 これら取り残されている視覚障害者に情報を届け、時間をかけて励まし、自信を持ってもらうために地域全体を含めて啓発活動がおこなえる、新しいタイプの視覚障害者相談支援者の育成が絶対に必要ある。