自分らしい生き方を支えてくれるロービジョンケアシステム構築を願って

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 2013年度雑誌「視覚障害」に「ロービジョンケア最前線」というシリーズの監修をさせていただいていましたが、その11回目に、私自身の思いを書くチャンスをいただきました。
 その私の記事が載った2014年2月号が発行されて、約1ヶ月経ったので、私のブログにも記事を転載いたします。読んでみてください。

 はじめに

   私は、1947(昭和22)年に東京で生まれました。生まれた時は失明状態で、生後3カ月で先天性白内障と診断され、生後6カ月から6回にわたり水晶体の摘出手術を受けました。盲学校入学直前に分厚い凸レンズメガネを処方され、それまでなめらかに見えていた瀬戸物にひび割れが存在することを知り感動し、16歳で弱視者(ロービジョン者)のことを熱心に研究している生物の先生と幸運な出会いをし、初めて屈折異常の正確な検査を受けることができ、「墨字が読める」喜びを知りました。現在私は66歳になりましたが、デジタルカメラやタブレットPCを使って「見る」方法を教わり、見る能力がどんどん発達しているのを感じています。  今回は、そんな私のロービジョン者としての体験と、視覚障害リハビリテーション(ロービジョンケア)の専門家として出会った事例を通して、ロービジョンとつきあいながら一生自立して楽しく生きていくことを支えてくれるロービジョンケアのあり方について、私なりの夢を語らせていただきます。

 

早期発見と早期ケアがロービジョンケアのキー

 「あなたが今ここまで見えているのは、早期に開眼手術が受けられたことと、早期に適切な視覚補助具の情報を入手し、使い方を教わり、見ることに意欲的だったから」と、一緒に仕事をしている眼科医や教育関係の方にいわれます。
 赤ちゃんは、目に光の刺激が入って、それをたくさん処理していくうちに「見る」能力が発達していく訳ですから、とにかく「見えにくさ」の早期発見と早期の治療、適切な視覚補助具の処方がロービジョンケアの鍵です。生後3カ月で開眼手術を受けることができた私は、その当時にしてはとてもラッキーだったと思います。
 6歳の頃に強い凸レンズのメガネ(4倍ぐらいの拡大率)を処方され、ものの細かい部分が見えるようになりました。そのメガネのまま高校1年生まで生活していましたが、生物の先生に会って、「何でそんなに合わないメガネを使っているんだ」と怒られ、初めて正確に屈折異常の検査をしていただき(ロービジョン者の検査には技術が必要です)、日常生活用のメガネと近用(読書用)のメガネを使い分けることを知りました。強い倍率のメガネは焦点距離も短いので、ものを目に相当近づけないときちんとピントが合いません。これをかけたままで遠くのものを見たらぼやけて見えてしまい、はっきりとものの形を認識できないままになります。ピントが合った形できちんとものが見え、見えているものが何であるかという知識と結びつけができないと「見える」ことにはならないのです。
 人間の適応力というのはすごいもので、合わないメガネであっても、それに慣れてしまうと、もっとよく見えるメガネに慣れるのがひどく大変で、長い間「前の方がよかった」という思いが消えなかったことを今でも鮮明に覚えています。
 現在では、早期対応の重要性が広く認識されてきたので、生まれて3週間ぐらいからメガネを使って矯正したり、2、3歳の子どもたちに拡大読書器などの視覚補助具を見せたりするようになってきています。
 しかし、小児眼科を専門とする医師は数も少なく、その中でロービジョンケアが分かる方はさらに希少です。保健所で行なわれている3歳児検診の視力検査では、親が家庭で簡単な指標を子どもに見せて、その結果で異常のあるなしを判定したり、高価な視覚補助具の補助を受ける根拠となる障害者手帳の発行については、「手帳は症状が固定してからなので、3歳以下の子どもには発行しない」というようなことが未だに行なわれていて、このような制度の不備が早期発見や早期ケアを阻んでいます。

 

学習のために使う主たる文字選択

 私が盲学校に入学した1956(昭和31)年頃には、「弱視の子どもは目を使うと余計に悪くなる」とか「いずれ見えなくなるのだから」という考え方が一般的で、盲学校では点字を教えるというのが常識とされていました。私も入学前まではひらがなやカタカナぐらいは読み書きできていたのですが、教科書はすべて点字で、「目で見てはいけません。指で触って読みなさい」といわれ、指で読むことを習いました。
 見えにくいというハンディを考慮した弱視教育が盲学校で始まったのは、私が中学を卒業する頃からでした。
 大学受験を目指した時、そして就職を考えるようになった時、「墨字を教わっていたら」と何度も考え、弱視教育の制度が整ってから生まれていたらなどと悔しい思いをしたものです。
 そんな私が相談を受ける立場になって、ある弱視クラスを見学した時、重度のロービジョンの児童が本にへばりつくようにして、1文字読んでから次の文字を読むまでに30秒近くかかっているのを見て、とても大きな疑問を感じるようになりました。その児童はとにかく文字をたどるのに必死で、確かに1字1字は読めているのですが、ひどく大変そうでした。本人も「字を読むのは嫌いだ」としきりにいっていました。
 この子が「どんな原因でロービジョンになったのか、今の視力はどの程度で視野の状態はどうなのか、将来もっと障害が重くなることはないのか」など、後で担任に伺ってみましたが、あまり明確な答えは得られませんでした。ただ「親も本人も墨字で学ぶことを望んでいるから」ということが、墨字で学習している根拠のようでした。
 もちろんロービジョンの子どもにはみんな点字で教育すべきなどという考え方は間違っていますが、「墨字が見えるのなら墨字で」という考え方も間違っていると思います。ある程度の速度で読むことができなければ文章の意味を理解することはできないし、読むことにあまりにも労力が必要だったら、読書を楽しむなどということも当然できなくなります。
 まず医学的に本人の目の状態をしっかり確認して適切な視覚補助具を処方し、それで必要な読書速度が得られるかどうか検討して、その上で主に使う文字が、点字か墨字かを決定するのが専門家の役割なのに、それがなされていないことに大きな衝撃を受けました。
 先生方とお話ししていてもう1つ気になったのは、多くの方たちが「墨字を学ぶのは大変だが点字に切り替えるのは比較的簡単」という考え方を持っているのではないかということです。私は進学のためにやむを得ず、まず英語を墨字に切り替えたのですが、初めの頃は目で見た文字を頭の中で点字に変換して理解していた、頭の中での通訳が必要な時期が長くあったことを覚えています。紙数の都合で詳しくは書けないのですが、墨字から点字に転換するのも、点字から墨字に転換するのもどちらも大変な努力がいる作業です。だからこそ、「どちらを主たる文字にするのか」は、特に重い障害を持っている子どもたちに対しては、医学の知見と教育や心理学の知見を合わせて慎重に検討されるべきだと考えているのです。

 

視覚以外の感覚も併せて使えるようにトレーニングを

 私は盲学校で、学んだり読書を楽しんだりする文字として点字をしっかり身につけさせてもらいましたが、そのほかにもう1つよかったこと、それは、視覚以外の感覚からも情報を取り入れ、それを上手く生かして生きていくすべを身につけたことです。「今日何だか声が変ね、いやなことでもあった?」など、友人との会話は視覚以外の情報に基づくものばかりですし、点字の受験参考書などない時代で、録音されたテキストを使って勉強せざるを得なかった中で、視覚以外の感覚に注意を払うことが身につきました。この知らず知らずのうちに身についたことが、晴眼者の間で仕事をし、視覚に依存することが多くなった私のハンディをずいぶん補ってくれています。
 現在の弱視教育の場面では、「視覚をいかに上手く使うか」ということは熱心に教えているように見えるのですが、ほかの感覚も併せて使い、視覚的ハンディを補う指導にももう少し重きを置くべきだと思います。
 視覚以外の感覚の使い方は、実は学校の先輩や同級生との交流の中で自然に身についた部分が多く、そんな自分の体験から、同じような障害を持つ仲間たちとの交流の機会を持つことが、幼い頃からのロービジョン者にとってとても重要だと考えています。
 こんな風に書いていくと、「重い障害を持つ弱視児は盲学校に通うべき」といっているようにとられるかもしれませんが、決してそうではありません。「見えにくい子どもたち」にとって、適正な視覚補助具を使いこなし、「見ること」をトレーニングするのと同様に他の感覚にも注意を向け、使いこなすトレーニングが必要だといっているのです。その両方が受けられるところで仲間にも出会える環境があれば、その場所が統合教育であろうと弱視学級であろうと盲学校であろうと、どこでもよいのです。本人に一番適した場所が選べるようにすべきです。

 

幼い頃からのロービジョン者が失明し時


 
 生まれつき小眼球で、片方の目の視力が0.02、もう片方は光覚という私の知人は、盲学校を卒業し鍼灸治療院を開業して成功し、長年視覚障害者の福祉向上のために様々な活動をし、全盲の知り合いも多く、視覚障害者の世界にも通じていました。その方が50歳を過ぎた頃、原因はよく分からないそうですが突然失明してしまいました。失明した直後、その知人は、4カ月も治療院のシャッターを締め切り、家に閉じこもり、親しい友人にも会わない状態でした。その知人、元気になった後で、「治療に来てくれた人が1万円札を出したら、どうやっておつりを払ったらいいんだろう」とか、「見えないからあれもできない、これもできない」と1日中できないことだけ考えて、どうにもならなかったと話してくれました。幸いなことに、周りに優秀な歩行訓練士や中途視覚障害者のことをよく知っている仲間がいて、今ははつらつと活動もしています。
 相談に乗った事例でこんなものもありました。91歳の網膜色素変性症で視野が5度という方が白内障を合併して失明しました。その方は眼科に行って、「元のように見えるようになりたいので白内障の手術をしてほしい」と懇願したのだそうですが、眼科医は、「元々ほとんど見えていなかったし、それに高齢だし」ということで、「生活相談に乗ってあげてほしい」といい、私に紹介してきたのです。しかしこの方は「元のように見えるようになれば家の中では窓から差す光が見えるし、部屋の照明も見えるから方向も分かるし、今まで通り1人で暮らしていける。とにかく手術を」と望んでいました。
 私が眼科医や福祉関係者に上記のような話をすると、みんなひどく驚くのです。全盲であろうと0.01であろうと、身体障害者手帳の等級は1級。0.01見えているかどうかで、行動に差が出るなどということは想像もつかないことのようでした。

 

私の望むこと、すべきこと

(1)眼科医を始め医療に携わる方たちに、0.01見えるかどうかは当事者にとっては死活問題になることを理解していただき、「治す」のではなくて「ほんの少しの改善」「現状維持」のための手術や治療の研究、技術の発展にももっと重きを置いていただけるよう啓発活動をしたいと思います。

(2)進行性の疾患でロービジョンになった方たちや加齢により見えにくさが進んだ方たちには、その状態に合わせて連続した支援が必要です。これは医療の分野だけでなく、教育や福祉の分野も同様で、1人1人の現状に応じ、いろいろなサービスを選択できる柔軟なシステムを模索することが課題です。

(3)1人1人の眼の状態をきちんと検査し、適した機器を選定し、ロービジョン者が使いこなせるようになるまで教える、そういう視覚リハ専門家が沢山必要です。これらの専門家の必要性については、ほとんど一般に知られていません。専門家の必要性とその育成の重要性についての啓発が急務です。

(4)現在、視覚障害児・者教育や支援活動に携わっているロービジョン当事者の方たちは、私同様きちんとしたロービジョンケアを受けた経験がなく、自己流で自分の見え方を改善するしかなかった時代に生きてきました。そのため、医療やロービジョンケア全体に対してあまり期待を持てず、時には「自己流」の対処の仕方のみを後輩に教えるなどの傾向があると思います。
 ロービジョンケアの進歩はめざましいものがありますし、ロービジョン者のニーズは千差万別です。だからこそ、ロービジョン者の先輩である私たちは新しい情報を取り入れ、眼科医やロービジョンケアの専門家に学ぶ姿勢を忘れずに、これから育つ若い人たちを専門家に紹介し、「自己流」ではない、広い視野の情報を提供するように努めないといけないのだと思っています。