視覚障害リハビリテーションを理解しよう(4)

「視覚障害」296号の表紙」

-中途視覚障害者のQOL向上のために欠くことができない 視覚リハ専門家の存在-

はじめに

 私が視覚障害リハビリテーションの普及活動に関わりはじめた40年ほど前に比べると、現在は、視覚障害者が利用できるサービスの利用条件の拡大やサービスの種類も多様になり、ずいぶん進歩したように思います。
 しかし、それらのサービスの情報や、それをどのようにして利用すれば良いのかについて、そのサービスを提供している行政の方たちや、サービスを必要としている当事者の方たちにきちんと理解されているかということになると、多くの疑問が残ります。特に人生の半ばで見えない見えにくい状態になった方たちが、役所などの窓口で相談をして、利用できる各種サービスの説明を受けても、「その内容についてほとんど理解できていない」と言っても過言ではないと思います。
 今回は、前回に引き続き、私が普及活動の中で出会った印象的な出来事を書かせていただきますが、特に「サービスはあるのにちゃんと使われていない」例に絞って書きたいと思います。

 1 白杖は単なるシンボルケーンではない!!

   私が高知で活動をはじめた最初のころ、視覚障害リハビリテーションの必要性とその効果について話しにいった時です。その市の障害福祉担当者が「私の所では、手帳を取得した視覚障害の方には、直ぐに役に立つように、この白杖をその場でお渡ししています」と言って、長さ1mほどのいわゆるシンボルケーン(視覚障害があることを周りの方に認知してもらうために持つ白い杖)を私に見せてくれ、さらに「まとめて買うと安くなると業者からいわれたので、100本ほどまとめて買って倉庫にストックしてあります」と、少し自慢げに話してくれました。  皆さんも良くご承知の通り、白杖(法律上の正式な名称は盲人安全つえ)は、身体障害者福祉法に規定された視覚障害者用の補装具の一つで、厚労省が定めた全国一律の基準に該当すれば、視覚障害者に給付されます。白杖の主要な役割は、インターネットのフリー百科事典ウイキペディアによると「白杖の主な役割は、安全の確保(前方の障害物や危険の防御)、歩行に必要な情報(段差や歩道の切れ目等のランドマーク)の収集、ドライバーや他の歩行者・警察官などへの注意喚起の3つである。」となっていています。  私がその担当者に「白杖は、シンボルの意味で持つだけでなく、視覚障害者が歩行する時前方の障害物などを発見するための大事な道具です。安全な歩行を確保するために、本人の身長に合わせて、視覚障害者生活訓練指導員(歩行訓練士)という視覚リハの専門家がその長さを決める必要があるものです」というような説明をしたら、ひどく驚いていました。 担当者のこのような誤解によって、一度白杖を補装具として給付されてしまうと、その耐久性によって規定されている期間新たに補装具として申請することができませんから「歩行訓練をきちんと受けたい」と言って訓練指導員の所に相談しに来た方は、自費で自分に合った白杖を購入しなければならなくなるわけです。  残念ながら私は活動中に、何度もこのような例に遭遇しました。  これを読んでおられる皆さんは、「そんなの昔のことですよね」と思われるかも知れませんが、全国各地から講演に呼んでいただいた時に、この話をすると最近でも、うなずく利用者や訓練指導員の方たちが多々おられるので、決して古いことではないのだと思います。  

 2 点字図書館には点字の本しかないから私には関係ない

 「見えなくなってつらいのは本が読めなくなったこと」と話す中途視覚障害の方に、あちこちの相談会場でお目にかかり、そのたびに「点字図書館で録音図書を借りて聞いてみたらどうでしょうか」と進めて見ると、ほとんどの方が「点字図書館って点字の本しかないのかと思っていた」「私点字など読めないから、あんな所は関係ないと思っていた」という反応が返ってきました。
 つい最近も偶然電車の隣の席に座った高齢の方と意気投合して話をしていたら、手帳が取れそうなほど視機能が落ちてしまったロービジョンの方で、「読書が好きだったのに本が読めなくて悲しい」と言うので、例によって点字図書館のお話をしたら、「え!録音図書もあるの」と言う反応が返って来ました。高知の話ではありません。東京の山手線の中での話です。
 「録音図書を借りるといっても、見えづらくなって一人で外出できないからやっぱりだめだ」と嘆く方に「郵送で借りられます」と説明すると「宛名が書けないからだめだ」とか「郵送の費用が払えないし、それに借りるのにお金がかかるんでしょう、年金暮らしなので、費用なんか払えない」等々次々に「利用できない理由」が出て来ます。
 この一つずつの困難点について、本人のペースで一緒に解決していく「人」がいないと、点字図書館の利用に至りません。そなんことが徐々に分かって来たので、高知では訓練指導員が仕事の一環として、利用者の方の依頼を受けて点字図書館への登録手続きの代行、郵送袋の説明など対応しています。
 今、貸し出しされる録音図書のほとんどは、カセットテープではなく、デイジー方式のデータが書き込まれたディスクになっています。このディスクを再生して内容を聞くには、専用の再生機が必要です。この専用の再生機は、日常生活用具になっていて、手帳所持者には、所得に応じた負担額で給付されます。(字数の関係で日常生活用具の詳しい説明はできないので、別に調べてください)
 デイジー方式の録音図書は、カセットのように順番に再生して行くだけでなくて、たとえば、「1」のボタンを押すと第1章が再生されるとか、特定の場所にしおりの印をつけておくと、そこから聞き始めることができるなど、とても便利な仕組みになっています。
 しかし、便利になれば操作も複雑になります。高齢になってから見えない見えにくい状態になった方たちが、この機器を使いこなすためには、繰り返しの練習が必要な場合が多いです。もちろん個人差があり、説明を1回聞いて覚える方もいますが、再生と聞きたいところを聞けるようになるまで、1ヶ月ほど(週に1回練習して)かかる方も珍しくありません。
 請願者の方でも点字図書館を知っている方は沢山いるように思いますが、そのイメージは「点字の本がある所」ということに止まっています。そういうイメージを持った方が見えない見えにくい状態になれば、「点字の本しかない所」という感覚しかありませんから、そういう方たち、まして高齢になって見えない見えにくい状態になった方たちが、点字図書館を利用して読書を楽しめるようになるまでには、上記のような疑問をクリアーして行かなければならず、この課題を解決することに寄り添っていける専門の方が必要だと思います。
 この専門家は、必ずしも視覚障害者生活訓練指導員(歩行訓練士)でなくとも良いのかも知れませんが、中途視覚障害者の家庭に訪問し、そこで時間をかけてお付き合いのできる方である必要があると思います。また、家庭を訪問して、利用者のプライバシーに触れ、様々な相談に乗ることになりますから、相談者としての最低限の倫理を守れることが必須条件だと考えます。
 もし、訓練指導員などの視覚リハ専門家が、各地の点字図書館に配置されていたら、点字図書館の利用ということだけでなく、それを手がかりにして、その方のQOLを向上させるための様々なリハビリテーションへの導入ができると考えますし、何よりも低迷している図書館の登録率も格段に伸びると思います。
 録音図書を利用して大好きな時代小説を楽しめるようになった80歳ぐらいの方が「見えなくなって死ぬことばかり考えていたけれど、こんなに沢山好きな小説を楽しめるんなら、全部聞き終わるまで死ねないな」と言っておられたと、ある訓練指導員から聞き、私は、涙が出そうになるのを我慢するのに苦労した覚えがあります。

 3 ほとんど使われずに仕舞い込まれるなんて!

 ある点字図書館で「録音図書の再生機の使い方講習会」を開いた時の話です。箱に入ったままの何世代か前の再生機を持って来た高齢中途視覚障害の方がおられて、その講習会の担当者が「一度も出してないみたいですけれど」と、その方に聞いたところ「日常生活用具としてこれがもらえるから、『便利だからもらっておいたら』と先輩の視覚障害のある友人に勧められたのでもらったんだけど、どうやって使って良いか分からないから、一度も出してみたことがなかった」と答えられたそうです。この話を笑い話にできるほどだったらどんなに良いだろうと思いますが、こういう事例はあちこちにあるのです。
 日常生活用具は、利用者の収入が少なければ、非常に安い価格で給付されます。(もちろんその差額は、税金から補助されているわけです。)
 それで、「朗読が聞けるんなら良いね」と、ご本人には使う気持ちがあるとは思うのですが、いざ品物が届いて見ると、使い方が良く分からないし、[2]で述べたように、点字図書館の登録の仕方や図書の借り方も良く分からないので、そのままになってしまうということなのだと推測されます。
 日常生活用具の中で、「一度試して、直ぐに押し入れに入れてしまう」ということがとても多いのが拡大読書器です。
 拡大読書器は、カメラから取り込んだ映像を、最大50倍にも拡大できる上に、黒地に白い文字を出すというような白黒反転機能とか、ロービジョンのある方が、読み書きをしたり、遠くのものを見たりするためのとても優れた道具ですが、この機器を使いこなすには、正しい指導と、練習が必要です。
 しかし、そのようなことがロービジョンのある人にほとんど知られていません。
 視覚障害者用の便利グッズを展示している所などで、ディスプレーに映し出された拡大された文字を見て「これなら私も見える」と、とにかく手に入れたものの、自宅でいざ、読みたい新聞や本を、カメラの下に置いて、読みたい部分を探そうとすると、上手く見つけることができません。カメラの下に設置してある横と縦に動くXYテーブルを、あちこちに動かしている内に、目が回って、気分が悪くなり、それで二度と使って見ようとしないということになってしまうのです。
 拡大読書器をロービジョンの方が上手く使えるようになるには、まず、その方の視機能を視能訓練士などにきちんと把握してもらい、それから、その方の見え方と、何を見るためにどのように利用したいかをきちんと調べた上で、視覚リハの専門家と相談しながら機種を選定して、そして、正しい操作法を練習しないといけないのです。
 これらのことが徐々に理解され初めていて、拡大読書器を家庭に届けた業者が、丁寧に使い方を説明していく例も増えて来ましたが、継続的に訪問で専門家が指導したりする例は、きわめて少ないというのが現状なのです。 

 4 視覚障害リハビリテーション専門家の必要性

   障害のない方の多くは、視覚障害者というと全盲の人をイメージし、ロービジョン(見えにくくて生活に困っている方)は、視覚障害者だと思っていません。  また、盲学校があることを知っていても、そこで何がおこなわれているかについては、ほとんど知りません。点字図書館は先ほど述べたように点字の本だけが置いてある施設というイメージしか持っていません。  このようなイメージしか持っていない方が、人生の半ばで見えない見えにくい状態になるのです。しかも、正確にはつかめていませんが、高齢になってから見えない見えにくい状態になる方たちが非常に多いといわれています。  ただでさえ、高齢になると環境の変化に適応するのが難しくなってくる中で、見えない見えにくい状態になって、「一人ではなにもできなくなった」と強いショックを受けるのです。さらに、視覚障害は情報入手障害であり、そこから起因する移動障害とコミュニケーション障害が特徴です。  このような状態にある方たちに、単に制度や製作を説明し、また便利な機器があるから利用しましょうと紹介しても、それだけでは真に生活に取り入れて利用できるようにならないということなのです。その方たちに分かるように説明し、段階を踏んで利用法を教えていく専門家(視覚障害リハの専門家)が関わらない限り、どんなに良いサービスができ、どんなにすばらしい機器が開発されても、宝の持ち腐れになってしまうと私は思っています。  これまでは、視覚障害リハの実際を、私が活動の中で出会った実例を通して書いてきました。これからの2回は、それらの事例を整理して、少し理論立てて、視覚障害者の現状とそのリハビリテーションについて、説明して行きたいと思います。