スマートフォンに挑戦して思うこと

私の選んだ東芝レグザのログイン画面 レグザのタッチパネルとアイコン
(上記の写真は、私が使うことにしたスマートフォンレグザ)
年賀状の代わりにと初日の出のブログを書いてほっとしたのもつかの間、あっという間に、今日は1月11日、ぼやぼやしていると2011年もあっという間に終わってしまいそうな勢いで、1日1日が過ぎていってしまう。

 さて、この年末年始の私にとってのメインイベントは、予想に反して、東京での11年ぶりの年越しに感激することではなくて、なんと長年の願望だった携帯電話のスマートフォンへの換え買いをして、それを使いこなすための悪戦苦闘をしたことであった。

  もう3年になるのだろうか、世の中にiPhoneと言うのが出たときに、新しいもの好きの私は、それをすぐに手に入れて試して見たかったのだが、矯正視力0.2のロービジョンの私である。小さな画面とタッチパネルでの操作に、とても自信が持てなくて「見えづらいとこれは無理だ」とあきらめていた。
  あきらめてはいたけれど、心の中では使ってみたくて見たくて仕方がなかったのである。

  昨年の秋を過ぎると、ドコモも次々と新型のスマートフォンを出し始めて、私の「使ってみたい」と言う気持ちはいよいよ加熱していった。
  その反面、「使いこなせないのでは」と言う不安もつきまとっていて、なかなか決断ができないでいるときに、ふと「そうだ同じフォーマカードを使っているのだから、もしスマートフォンが使えなければ、元の携帯電話に戻れるのではないだろうか」と言う考えが頭に浮かんだ。
 それで、すぐにドコモに問い合わせたら「そうです」と言う答え。考えて見れば当たり前のことだけれど、「いつでも前に使っていたものに戻れる」と言うことに気づいて、「それでは使えるかどうかやってみよう」と言う気になった。

  こうなると、おもちゃを前にした子供のようにわくわくして、すぐに近くのヨドバシカメラに飛んでいって、機種選びをはじめた。皆さんわかっていると思うけれど、ロービジョン者の見え方は千差万別だ、画面が見えるのかどうか、使いこなせるかどうかは、とにかく現物を自分で確認して見ないと、カタログやネットの説明を見たってわからないのだ。試して見るしかないのである。




アイパッドとレグザの大きさを比較した写真

 ロービジョンに詳しい人に、ドコモが出しているタブレット型のスマートフォンが「画面が大きくて拡大も充分できるから良いのでは」と進めていただいていた。
 実際に実物で確認すると、アイパッドとほぼ同じぐらいの大きさのもので、確かに画面は大きくて良いのだが、電話の機能を外で使うときには、ブルーツースを使ったイヤフォーンマイクを装着しないといけなくてとても不便。携帯電話とは言えない代物であった。
 「画面が大きいから良いわけではないよね」と言うことで、タブレット型は却下。

  次にお店の人が進めてくれたのは、スリディー映像が見られるタイプのもの。だけど、私の左右の目の視力差が激しくて、絶対に立体映像は見ることができないとわかっていたので、この機種も却下。  次に定員さんが進めてくれたのが、そのときまだ発売日しか決まっていなかった「レグザ」と言う機種。液晶画面が4インチあって広かったことと、ワンセグ機能があったので、その機種を購入することにした。

  機種を決める過程で、何人かの定員さんと話した。もちろんみんなロービジョンのことなど知らない若い方だったけれど、私に対する対応の仕方の質というのは、びっくりするほど違っていた。
  ロービジョンのことは何も知らなくても、きちんと対応してくれた定員さんは、私の話を良く聞いてくれて、私のニーズを理解できる能力が高く、「見えない」と言うことをそれなりにイメージできるようであった。また、とにかく機器のそれぞれの特徴に精通していて、「この特徴が良いと思う」と言える人が、良い相談に乗ってくれる人だと言うことがわかった。

  「見えないということのイメージ」の能力は、いったいどうやって育つのかな、どこで差がつくのだろうなどと、目的とは関係のない変な関心まで持ち、何回もお店に通った。

  予約殺到でなかなか手に入らなかった「レグザ」がようやく手に入って、今日で20日経つ。はじめは、タッチパネルが上手く使えなくて、かかって来た電話に出ることもできない状態で、「やっぱりだめか」と思ったのだが、ちょうどクリスマスとお正月の楽しい気分、おもちゃを扱うように楽しみながら、しかも真剣に、何時間も取り組んでいたら、少しずつ進歩して来ている。

  実感として、スマートフォンと言うのは、小さなパソコン。自分流に使えるようにするには、新しいパソコンの環境を整えるような技術がいるのだと思う。また見えるとか見えないとかの問題は、確かに大きいけれど、とにかく慣れることの重要さを感じている。
 
  私が、今スマートフォンの画面を見て、自分に必要なことができるという背景には、長年のパソコンとの格闘とか、アイパッドを使ってタッチパネルに慣れることとか、画面を読むために使う、拡大レンズを上手く使いこなせることとか、とにかくいろいろな要素が重なっていてできるんだろうと思っている。
  画面が見えるから使えるのだとか、見えないから使えないのだとか、どうもそんなに単純なことではないようである

  たかがスマートフォンのことで、こんなに長い文章を書いてしまった。ある意味で、私にとってスマートフォンというのは、それほどおもしろいおもちゃなのだ。また、ロービジョン者がものを見ると言うことのプロセスを知るのにも、もしかしたら良い研究材料なのかなと思ったりしている。
  とにかく、まだ当分楽しめそうだ。