ひとくちメモ:ハンディキャップルーム
障害者が使い易いように配慮された部屋です。例えば、ドア幅は車椅子が通る広さになっている、部屋とバスルームの段差がない、バスタブの高さが高い、などがあります。高知県内では高知新阪急ホテルなどにありますが、まだまだ数が少なく値段も若干高くなります。
「日本から社会福祉について勉強しにきました。部屋が空いていればで良いのですが、1部屋HCルームを使わせていただけないでしょうか?」
上の依頼のおかげか、吉野氏が障害者だからなのか本当のところは解らないが、無事1部屋一般の部屋とHCルームを使わせてもらった。せっかくなのでどこが違うのか調べてみた。主な違いとしては、HCルームには低い位置にも除き穴がある、クローゼット広い、バスルームの扉が引き戸、バスルームに手すりがある、便器の高さ・洗面台・バスタブが高いことがあげられる。
車いす利用者を想定していると考えられ、全体的に高く作っている。しかもアメリカ仕様で一般ルームも日本のものより高めに作られており、身長132cmの吉野氏にはかなり使いづらかった。
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一般ルーム |
HCルーム
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除き穴 |
155(cm) |
155(cm)+120
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チェーンロック |
155
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155
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ドアノブ |
98
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98
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洗面台 |
86
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90
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便座 |
38
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49
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バスルームの入口 |
72
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82
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バスタブの高さ |
35
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40
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2つの除き窓
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バスルームへの引き戸
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手すりのついたトイレ
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その他では、ホテル自体は1973年に建築されているため、いわゆるバリアフリー建築とはなっていない。そのため、ホテルフロント正面のバーでは、3段のステップ分の高低差の解消のため、リフトを設置している。その他では、3段の階段には1段目と3段目に白いラインで注意喚起を促している。
また、ホテルフロントは地階へあるため、1階車寄せから地階へ向かう階段(絨毯で覆われているタイプ)では、段の始まりと終わりに絨毯自体へ白いラインを入れていた。
エレベーターは内部の階数ボタンの横に点字+白黒反転の浮き出し数字、各階の扉のすぐ横にも点字+浮き出し数字での表示があった。
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バーへのリフト
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白いラインのある階段
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エレベーター内部ボタン
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まだ外は明るかったので、ホテルの周りをチェックしようと外へ出た途端、ホテルの真ん前で、白人の車いす利用者と黒人の杖利用者が大声で唾を吐き掛け合う、杖は振り回す大喧嘩を目撃した。その横を別の白人が「ニグロの・・・・(聞き取れず)」と呟きながら通り過ぎていった。ノーマライゼイション極まれり!という印象と、根強い差別感を見た気がした。
高知県立盲学校出身でロサンゼルス在住の島崎加奈さんに会う。島崎さんは弱視で高等部の途中から、一般の高等学校へ転出、大学卒業後、アメリカで牧師の勉強をし、現在はCentenary
United Methodist Churchで副牧師を務めている。
車で30分ぐらいでサンタモニカのビーチへ着くということなので、一緒にタクシーでビーチへ向かう。ホテルへむかえにきてくれたタクシーにはスロープがついて、車いすでも利用可能なバンタイプだった。
また、車内には車体ナンバーが白黒反転の墨字(いわゆる普通の文字)による浮きだし文字と点字が並記されたプレートがあり、視覚障害者にも配慮されている。(この点墨両方のプレートはその後、私たちがアメリカ国内で利用した全てのタクシーに掲示されていた。
ビーチに到着して、まず目に入るのが駐車場内にたくさんある障害者用スペース。また、駐車場の床面が木製であり、なごやかさを感じる。車止めは青や赤にペイントされておりコントラストがあって見やすい。
駐車場内の公衆トイレには、たくさんのサインがあり、様々な人に対応したものとなっている。(移民が多く、また旅行者が多い土地柄のためか?)
海岸へ降りる階段はザラザラ感のある白いラインがある。車いす等は駐車場からトンネルを通過してジョギング・サイクリング道から海岸へ出られるようになっている。ビーチには最近、高知でも見られるようになってきたボードウォーク(巾240cm)があり、車いす等でも散策できるよう配慮されている。障害者に配慮した経路についても、きちんと目立つところに表示がでており、迷うことなくアクセスが可能になっている。そのせいか、ビーチ・まちかど等で車いす・杖・歩行器等の使用者をよく見かけた。
昼食をとったビーチ近くのレストラン「Ocean」のトイレも白黒反転の浮き出し文字・点字並記のサインがあった。このトイレには、部外者
が立ち入れないように鍵があり、レストランの利用者のみその暗証番号を教えてもらえる仕組みになっていた。その鍵が視覚障害者も利用できるボタンタイプであった。
レストランへ向かう途中、音声式信号機、しかもいわゆるピヨピヨカッコウと鳴る日本と同じタイプの信号機を設置している交差点を発見した。アメリカでは音声式信号機は見かけないと聞いていた。ただし、あまりにも早く赤と青が変わるので、視覚障害者が単独でこの交差点を音声をもとに横断するのは難しいのではないかと感じた。実際、杖歩行の吉野氏は「先生、さあ渡りましょう!」という私たちのかけ声とともに急いでなんとか横断できるという状態であった。
また、自転車道と歩道が完全に分離されていて、歩行の安全性が確保されている。歩道から車道へ出る箇所には注意喚起のためぎざぎざ感のある素材で視覚障害者に対し、情報提供を行っている。
日本でバリアフリーというと、ともすれば多数派の車いす利用者等肢体不自由者についてのみ目が向きがちであるが、アメリカでは少数派の視覚障害者にも配慮されたものがたくさんあり、視覚障害者へのリハビリテーションに携わっている別府氏はしきりに感心していたことが印象的である。
島崎さんからはロサンゼルスでの障害者事情についていろいろお聞きした。その中でも、IDカードを医師の診断により取得すると、タクシーに通常料金の約1割で利用できる(残額は州が負担)ということに驚いた。移動困難が伴う障害者へのサービスが進んでいることを目の当たりにした。
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歩道と自転車道の分離
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歩道と車道の境目
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IDカード
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また、日本では、障害者が様々な問題に直面したとき、適切な相談場所がないことが問題点としてよくあげられている。島崎さんが牧師としていろいろな相談を信者から持ちかけられる話の中(例えば、ホームレスの障害者が困っていて援助した話など)で、教会がソーシャルワークの活動の一端を担っていることが推察されることは興味深い。(もちろん、日米の宗教観の違いにより、同じことがすぐさま日本で行えるとは思えないが・・・)
帰りは、吉野氏と島崎さんは、島崎さんを迎えに来たご主人の車で先に帰ってもらい、残りの3人で路線バスを利用することとした。
偶然、途中で電動車いすの利用者が乗車し、ご厚意により写真を撮らせていただいた。(路線バスは私たちが見る限り全て障害者シンボルマークの掲示があり下のようなリフトがついていると推察される。)
ホテルへ到着後、島崎さんお勧めのコリアンフードの豆腐レストラン「TOUFU」へタクシーで向かう。ここのトイレにも女性用○、男性用△、青白反転のトイレサインがあり、「ここへもか」と徹底ぶりにロサンゼルスのすごさ、ADA法の浸透ぶりを見た。
計画の段階からいちばん楽しみにしていたDisney
Land Parkへ向かう。1日目、なかなか交通手段を確保できず、不安になった吉野氏が、私たちがサンタモニカからのんびりバスで帰っている間に現地のツアーに申し込みをしてくれていた。ホテルまで迎えに来てくれたマイクロバスに乗って空港近くのツアー会社事務所へ。そこで、各ホテルから集まった人々が、各ツアーごとに別れて出発するという合理的なシステム!事務所で料金を払い、パスポートと帰りのバスのチケットをもらう。事務所はもちろんバリアフリー。最初はいちいち感激していた私たちも、どこへ行ってもバリアフリーなので、当たり前・・・という気分になってきた。ただし、バスは普通のステップしかないバスであった。
バスから眺めるロサンゼルス郊外は、歩車道ともに広く、走行しやすいだろうな、という印象。高層ビルも少し郊外へ出ると極端に少ない。土地の狭い日本とは、そもそも条件が違うことを再確認する。
ディズニーランドといえばバリアフリーというぐらい、障害者へのサービスについ
ては日本でも定評があるが、それを本場アメリカで体験しようというのが今日の企画である。吉野氏には車いすに乗ってもらって検証する。(車いすはレンタル料$7(¥875)+保証金$20(¥2,500)でメインエントランス右手すぐのところで借りることができる。)
駐車場までしかバスは行けないので、そこからはトラムへ乗って行くことになる。歩行中、駐車場入口に点字ブロックを発見する。しかも黄色いラインと併用されていた。アメリカやヨーロッパでは点字ブロックは一般的でなく、アメリカ国内では、初めての発見である。
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点字ブロック
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ひとくちメモ:点字ブロック
正しくは視覚障害者誘導用ブロックといいます。視覚障害者は足裏や白杖から伝わってくる感覚、また、弱視者は視覚(色のコントラスト)を利用して歩行しています。視覚障害者にはたいへん有効な手段ですが、雨に日にすべりやすい、車いす利用者へのバリアになっているなどの問題をはらんでいます。
入場後まず、車いすをレンタルして、行動を開始する。車いすは自走式でなく介護者が押すタイプ。アメリカ人仕様で日本のものより少し大きめ。車いすは濱田・國澤が交代で押す。(二人とも介護の専門ではないので、車いすを押した経験がほとんどなく、吉野氏はたぶん怖い思いをずいぶんしたはず)
ハード面のバリアフリー度は基本的に全てアクセサブルになっている。トイレサインはここでも○、△が一部使われている。各アトラクションの階段はほとんどコントラストに配慮されたものであった。車いすや杖の利用者も多く見かけたし、白杖を使用している視覚障害者も見かけた。
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女性トイレサイン
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男性トイレサイン
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サイン点字付き
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車いす利用者がいるグループは順番待ちをする必要がなく、優先的に人気のアトラクションに乗れるというのはかなり有名であるが、実際どのような扱いを受けるのか知っている人は結構少ないと思う。正規の入口ではなく、出口から入っていくのが正解であった。最初知らなくて、普通の入口へ行くと、すかさずスタッフが
「車いすの方はこちらへ」
と、案内してくれた。注意してみれば、サインもきちんと出ている。
障害者が優先的に入場できるシステムについては、賛否両論あるかもしれない。しかし、実際体験して感じたのは障害があるということは不便でいろいろな場面で時間がかかる、早くのせてもらったからといっても、結局そのほかの場面では障害のない者の倍以上の時間がかかっている。これぐらい優遇させてもらってもいいじゃないか、ということである。(9−11以来入場者が減っているため、この恩恵は今回の訪問ではあまり受けられなかったのであるが・・・)
バリアフリーになっているといっても、スロープやエレベーターまで遠回り、しかもスロープやエレベーターがすぐに見つかるとは限らない。障害ってほんとうに不便!というのが私たちの正直な感想である。
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入口全景
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障害者入口案内サイン
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ディズニーランドはたしかにバリアフリーの施設である。しかし、全体的に少し傾斜があったり、アトラクションの乗り場へのアクセスでは、長い坂が延々と続いていたり、車いすを押しているとかなりしんどい部分があった。(腰に持病のある濱田は翌日腰痛が出た。)それでも、車いすの利用者には段差を解消するなどして、バリアが一定解消されているが、施設の広大さのため杖利用者にとっては、たいへん歩きにくいと思う。というよりまず、歩けないだろう。1900年代初頭のアメリカを再現しているというコンセプトのためだとは思うが、各施設(アトラクション・トイレ等)への誘導等の案内サインが少なく、地図と現在地を確認、何度も何度も迷いながらぐるぐる廻った。
ただし、私たちがスロープの位置を探したり、うろうろしているとすぐに近くのスタッフが声をかけてくれ、案内をしてくれる。なんの問題もないところでは、ほっといてくれるが、困るとどこからともなく救いの手がさしのべられる。たいへん自然でしかも暖かさを感じる応対をしていただき、従業員教育の確かさを感じた。しかも、日本で障害者に対して行われる「特別扱い」の仰々しさもなく、吉野氏はたいへん楽しめたようである。
以下は吉野氏がアメリカから知事へあてたメールの抜粋である。吉野氏の興奮ぶりがよくわかると思うので、吉野氏の許可のもとに転載する。
橋本知事
高知女子大学吉野とルミエールサロン4人組
お久しぶりです。・・・省略・・・
実は、私とルミエールサロンの3人、つまり別府あかねと、県障害福祉課の濱田と療育福祉センター國澤は、今アメリカボストンにいます。
どうしてボストンにいるかと言うと、濱田と國澤は、県の能力開発センターの海外研修企画にバリアフリーの町調査の企画で応募して企画が通り、私は、それに便乗して、成田学長の海外特別研究企画を出して(視覚障害者リハビリ施設研究)を出して受け入れていただき、それに別府さんを巻き込んで、アメリカ14日間の研修にきているのです。
まず、ロスアンゼルスで、高知出身の弱視の牧師さんに会って、ロスでの障害者の暮らしぶりを聞き、サンタモニカのバリモニ、そしてディズニーランドでの調査をしました。
ディズニーランドでは、私が車いすを使って、1日様々な乗り物に乗ったり、買い物をしたりしました。私の感想。アメリカは、アメリカ人障害者差別禁止法の影響が、予想以上に浸透していて、エントランスのバリアフリーはもとより、表示の浮きだし文字や、点字の表記がどこでも当たり前にありました。
ディズニーランドのバリアフリーは、前から知っていましたが、東京での体験の時には、サポートがひどくぎこちなかったのですが、こちらは、本当に自然で、私も子供に返った気分で、そして、サポートしてくれている別府さんたちに、あまり気兼ねせずに、心から楽しく遊ぶことができました。・・・(省略)・・・
事務的感覚で言えば、ディズニーランドでバリモニなんて言って、遊んでるように見えるかもしれません。大学の教員は、せっせと教育だけしていればよいように見えるかもしれませんが、今回私と行動を共にしてくれた、県職員の方たちも、別府さんも、生でアメリカの差別禁止法の実体にふれて、すごく刺激されたと思います。・・・省略・・・
ロサンゼルスでの滞在は、この日で終わり。翌日、早朝からボストンへ向かう。
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