午前7:30発のユナイテッド航空174便でボストンへ向かうため、早朝5:30にホテルを出発する。たまたまホテルの前に止まっていたタクシーに乗るが、車の後ろからスロープが出てくるタイプで車いす等に対応している。スーツケースを入れるにも大変便利だった。障害者に便利なものは他の者にとっても便利ということが実証される。㈪ 2日目(研修5日目)
タクシーの運転手さんは、エチオペアの出身で大学時代は陸上選手として活躍していたらしい(大学はこれで入学したと言っていた)。プログラマーとなり就職していたが、9−11の影響でレイオフとなり、今、アルバイトで運転手をやっているとのことであった。やはり、爪痕は大きい。(この研修の期間中、9−11の話は途絶えることはなかった)
まず、チェックイン。関空でチェックインした際、吉野氏について「車いす必要」のデータを入れてくれていたが、ようやくここで威力を発揮して、大変スムーズに車いすが迎えに来てくれる。車いすの先導で迷うことなく一気にゲート前まで連れて行ってくれる。車いすを介助してくれた女性職員と吉野氏の会話
職員「あなたは飛行機が好きなの?」日本だったら飛行機に搭乗前の乗客に向かって、職員が不安をあおるような言動をすることは絶対ないと思うが、文化の違いを感じる。
吉野「別に好きじゃないけど、乗らないとボストンへは行けないでしょ。」
職員「私は嫌い。特に、今は絶対乗りたくない。だって怖いでしょ。」
搭乗後の席は、いちばん後ろの乗務員の控え室の一番近いところ。これもたぶん吉野氏が障害者であることが理由かと考えられる。飛行機内の唯一の日本人、しかも障害者連れ・・・いちばん手が掛かるときっと思われたのだろうか。
5時間余りのフライトの後、ボストンへ到着する。今回は車いすが約束どおり迎えに来てくれていた。空港へは濱田のいわゆるメル友の篠田明美さんが迎えに来てくれいる。
篠田さんは平成8年夏からご主人と3人の子供さん(雅士くん(13歳)、早希ちゃん(11歳)、朋大(8歳))とボストンへ在住。長男の雅士くん(昭和63年8月生まれ)は二分脊椎により車いすを使用している。現在、Chenery Middle Schoolの7年生。
障害のある子供さんとボストンで普通に暮らしていることを、とある雑誌のホームページで知り、今回のアメリカ行きを思いついてすぐ連絡を取り、約半年間いろいろと情報提供をしていただいた。
ひとくちメモ:二分脊椎先天的に脊椎骨が形成不全で、その発生部位以下の神経障害を起こします。発生部位によって、下肢機能の麻痺や変形、知覚障害、膀胱・直腸障害による排泄障害がみられます。このため、一人一人の状態は異なります。
ボストンでの滞在は、Boston Marriott Copley Place Hotel。このホテルでも1部屋ハンディキャップルームを手配したら、2部屋ともハンディキャップルームをアレンジしてくれた。ロサンゼルスでのホテルと違う点は、シャワーのフックが低い横の使いやすい位置にあり身長の低い吉野氏も大変使いやすそうだった。
ホテル全体のバリアフリー度としては、メイン入口の自動回転ドア(2分割)には身障マークのボタンがあり、ボタンを押すと回転が遅くなる配慮があったこと。また、エレベーターには各階に浮き出し文字、点字表示があり、中のボタンは白黒反転浮き出し文字と点字表示があった。
荷物を部屋においてすぐ、篠田さんの自宅へ向かう。ボストンが初めての私たちのために、わざわざ観光地を通ってボストン郊外Belmontまで約30分で到着する。車いすの雅志くんをはじめ、子供たちにも対面する。子供たちは簡単な日本語のヒアリングはできるけれど、話すのはほとんど英語。篠田さんは日本語で話しかけ、子供たちは英語で答えるという不思議な会話にまず、びっくり!子供たちは最初の1年日本語学校へ通ったが、その後地域の小学校へ通っている。
お茶をいただいていると、篠田さんの友達のえつこさんも到着。えつこさんはアルバイトでガイドをしていらっしゃり、翌日私たちにボランティアで付き合ってくれることになっている。
「安全な牛肉を食べてもらおうと思って・・・」と大量のローストビーフ・大根のサラダ、それにお味噌汁(久しぶり)の夕食をいただきながら、いろいろとお話を伺う。
雅志くんはアメリカでDisabled Athleteの修行中(主にモノスキー、ロードレース、スレッジホッケー、ウィ—ルチェア—バスケットボール)とのことで、さわやかなスポーツ少年である。篠田家のしっかり者の長男として、下の2人の妹弟の羨望の的となっているのが、よく分かる。どうやら、勉強もできるらしい。えつこさんの連れてきたお子さん2人と一緒に子供部屋でわいわい遊んでいた。
「別に冬に半袖を着ていても誰も何も言わないし、車いすに乗っていても別に取り立てて人と変わっているわけじゃない。みんな違っていて当たり前。その意識が浸透しているから、すごく住みやすい。」
えつこさんのとても印象的な言葉である。
雅志くんが普通の男の子として、小さなBelmontという町でどのように暮らしているのか大変興味を抱いた私たちに対して、篠田さんから雅志くんの通うChenery Middle Schoolへの訪問を、翌日アレンジしてくれる申し出があり、本来はまちづくりの調査予定だったが、ありがたくお願いする。帰りはえつこさんの車でホテルへ・・・
至れり尽くせりの1日が終了する。
みんなで記念撮影
今日の待ち合わせ場所のChenery Middle Schoolの正面玄関前へタクシーで向かう。㈫ 3日目(研修6日目)
約束の時間に無事、篠田さんと会えたものの見学の許可はおりなかった。9−11以来セキュリティに非常に敏感になっているらしく、また学校で爆弾騒ぎも最近あったそうで、難しくなっている。
その替わりにということで、雅志くんが以前通っていたボストン郊外にあるMassachusetts Hospital Schoolへ見学依頼を電話で行うと、すんなり許可がおり、車で向かう。Coordinator of AthleticsのCarynさんが案内してくれる。
Massachusetts Hospital Schoolは1904年、小児麻痺児のための施設として設立され、増改築を繰り返して現在の形になっている。敷地面積は約100a.あり、プール、ボウリング場、バスケットコート、トレーニングルーム、ラジオステーション、トラック、馬場、講堂などがある。当然、全ての施設はアクセサブルなものとなっている。
養護学校が併設され、寄宿舎に入舎し、教育を受けている。車いす(電動含む)の利用者が全体の約80%。施設の利用料は基本的に無料であるが、医療費のみ保護者が負担する必要がある。入所が必要な場合はその費用をTOWNもしくは保険会社が払う。
プール ジム ボウリング場 体育館 ラジオステーション 教室 講堂
ジムでは、ハンディキャップ用の各種の自転車があり、みんなで順番に体験乗車したり、雅志くんのやっているアイスホッケーの室内練習用具を見せってもらったりした。体育館に普通の自転車に器具を取り付けてバランスをとりにくい人も乗れるものに改良した自転車があり、吉野氏がそれを試して大喜びするなど、貴重なものをたくさん見せていただいた。
屋内練習用アイスホッケー 改造自転車 改造自転車アップ
常時医療を必要としない子供はかなり重度の障害のある者も利用している。印象的だったのは、施設内の雰囲気がたいへん明るかったことである。見学中通りがかった新型の電動車いす(車いすのシートが上下するタイプ)の試乗をしている女の子に、
「動かしてよ!」
とお願いしたら、本当に自慢げに動かして見せてくれるなど、子供たちもたいへん楽しそうに過ごしている。
毎年、夏にはキャンプを行っており、そのときのビデオを見せてもらった。録画・編集等全て利用している子供たち自身で行っている。ほんとうにいろいろな活動にチャレンジしていて、障害のない子供が一般に経験する全てのこと(なんと肝試し大会まで)を障害児も楽しそうに体験している。ボランティア活動の盛んなアメリカらしく、地域の障害のない子供たちがボランティアスタッフとして一緒に参加しているの
も興味深い。
コンピュータールームには、一人一人の障害特性に応じた支援機器を備えている。もちろん市販されている支援機器もあるが、近くのカレッジの学生の協力によりスポーツ用の機器を含め、開発・改良された機器も数多く見られた。
まばたきによるPC入力装置 ジョイスティック キーボードカバー
高知県でいえば、療育福祉センターと障害者スポーツセンターを合体させたような施設といえるが、あまりの規模の違いに圧倒されながら、施設を後にする。
昼食をとりに、ボストン一賑やからしいQuincy Marketへボストン一美味しいというクラムチャウダーを食べに行く。いわゆる観光の下調べは4人とも全くしてなかったので、えつこさんにおまかせする(実は篠田さんも初めてだったらしい)。当然のようにアクセサブルで、しかも誘導サインが分かりやすい。
エレベーターへの案内 サイン拡大 スロープへの案内
歩いて5分ぐらいのところに港があり、チェックに行く。ここも基本的にアクセサブルであり、船着き場まではスロープで車いすでもアクセスでき、車いすのまま乗船できるよう配慮されていた。床面が木製の遊歩道、トイレへはもちろんスロープが付いている。
船着き場スロープ 遊歩道 トイレ
ちょうどこの日は篠田さんたちの住むBelmontでクリスマスツリーの点灯式があるというので、別府氏と3人で篠田家へおじゃまする(吉野氏はかなりお疲れのようでホテルでお休みされていた)。時間まで、E&Cプロジェクト(現在の財団法人共用品推進機構)が1996年11月に作成した「みんな一緒〜雅士くんの1学期〜(花王情報作成センターと共同企画)」を見させてもらう。極端にいえば、「優しいお友達や先生に支えられて、雅志くんはがんばってお友達と一緒に学校へ通いました」という内容で、篠田さんいわく、
「久しぶりに冷静に見ると、ばかやろう!って感じ・・・」
5年前に日本で作られたビデオなので、仕方がないとは思うが、アメリカで本当に普通に生活している雅志くんたちにとって見れば、たいへん違和感をおぼえるものであったようである。
「今、雅志が日本へ帰ると怒るだろうな・・・傷つくかな?でも、今の生活が当たり前と思ってしまうのも問題かもしれない。」
まだまだハード面・ソフト面ともバリアだらけの日本、私たちがアメリカへ来て5日間いろいろなことに感激したことの裏を返すと、それだけ日本は遅れていることを意味する。
時間になったので、点灯式へ子供たちも一緒に向かう。Belmontの街を車いすで快走する雅志くん。スポーツで鍛えている彼は、少々の坂も簡単にどんどん先へ進んでいく。お小遣いをもらって雅志くんが友達のところへ行ったと思ったら、後で女の子と歩いている姿を発見する。本当に普通の13歳の男の子の生活を満喫している。
消防車にのったサンタクロースが来て、たくさんのクリスマスソングの後、GodBless Americaを参加者全員で歌って、クリスマスツリーのライトが点灯する。クリスマスツリーにはたくさんの星条旗がささっていて、9−11の影響を感じる。
テイクアウトの中華料理を買って帰り、晩ご飯を食べて、タクシーでホテルへ戻る。
ボストン郊外NewtonにあるCarroll Centerへ訪問する。「視覚障害者のリハビリテーションシステム確立」が研究活動と地域貢献のテーマである吉野氏が訪問を熱望した視覚障害者のリハビリテーション施設である。㈬4日目(研修7日目)
主に対応してくれたのはRehabilitation Services 及びInternational TrainingのVice PresidentのRabih Dow氏、ご自身も視覚障害者である。
Carroll Centerは世界で最初に中途視覚障害者のリハビリテーションを理論化したThomas J. Carrollが1936年に設立したのが始まり。視覚障害となることは視覚だけではなく、他の感覚、家庭生活などたくさんのものを失う(20の喪失)ことに注目し、先天的な視覚障害者と中途障害者のリハビリテーションを理論化し、歩行だけではなく他の分野でのリハビリテーションを始めた。
メイン建物 研修風景 「この施設で行われる訓練のゴールは、仕事に就く(あるいは復帰する)ことです。」
という一言から説明が始まり、意識の高さにまず驚いた。(日本では視覚障害者、特に中途視覚障害者が職業を得るのはたいへん難しい。)
訓練期間が16週間、基本的に同じ敷地内にある寮で生活しながらの訓練を行うので16週間で十分とのことである。利用者は35〜40歳が最も多い。
1975年からはロービジョントレーニングを開始する。進行性の病気による視覚障害者に対しては、他の感覚の訓練など全盲のトレーニングも併せて行っている。
「まだ視力が残っている段階で他の感覚のトレーニングは難しいのではないか、特に網膜色素変性症など思春期に発症し、10代半ばでトレーニングをおこなうのは難しくないか」
との問いには
「見えないところがあるから、その他のトレーニングも大切だし、するべきだと指導している。政府としても早く働けるようになってほしいと思っている。再トレーニングは難しいので、両方一度に訓練している。確かに思春期の訓練は難しいが5〜10年後に(必要なことをトレーニングしてくれて感謝している)といってくれる人が多い」
と回答いただき、施設のカリキュラムについての自信をうかがえた。
ひとくちメモ:網膜色素変性症思春期に発症し、「夜盲」「視野狭窄」「羞明感(まぶしさ)」を特徴とする進行性視覚障害です。発症当初は比較的視力が残っていることもありますが、進行すると前述の症状と視力低下をきたします。症状や進行の早さには個人差がありますので、ひとりひとりの見え方は違います。
夏休み期間中には、14歳以上の子供を対象にトレーニングを行っている。カリキュラムは1.コンピュータ、2.社会性、新しいことを身につける、3.仕事の基礎的トレーニングの3つである。加えて、統合教育が一般的なアメリカにおいては、日常生活でほとんど他の視覚障害児者と交流することがない子供たちが他の視覚障害児者と交流できることも大きな目的と考えられている。
コンピュータの訓練については、コンピュータのスキルを学ぶことはもちろん第一の目的であるが、一緒に過ごすことを嫌う子供もコンピュータを通して交流することも大きな成果の一つである。
社会性のトレーニングについては障害児にとって大変重要な訓練である。一般的に、障害のある子供は活動が制限され、社会経験が障害のない子供と比較して少ない。この施設では、学校や家庭では経験することが難しい活動の機会を与えている。例としてErik Weihenmayer氏の例を挙げていただいた。彼は2001年5月、エベレストに視覚障害者として初めて登頂に成功したが、登山を始めたきっかけは、少年時代に当施設のサマーキャンプで登山を初めて経験したことによる。
仕事の基礎的トレーニングはどんな仕事をしたいか、向いているかなど仕事を始める準備を行う。銀行の利用の仕方や上司とのやりとり、コミュニケーションなどを学び、実際アルバイトを行ったりする機会が与えられる場合もある。子供によっては大学へ入学するための準備(どういう風に情報を得るか、どうやって学生生活を送るかなど)を行う。
アメリカでも日本と同じように本人には何もさせず親や家族が抱え込むパターンは多いとのこと。夏休みの訓練にきた中学生の男の子が初めてベッドメーキングをした、とか初めて自室の掃除をした、ということは往々にしてあるらしい。何でも自分でしてみて、体験し社会経験を積むことが重要。
高知では(というより日本全体の問題であるが)、受障後かなりの年数、閉じこもってしまい、リハビリテーションに結びつかないケースがよくあるため、どういう風な形で中途視覚障害者がリハビリテーション施設の情報を得るのか質問した。
中途視覚障害者にリハビリテーションの施設情報を提供するのは、まず医師が行う。医師は視覚障害者の所在情報を役所に届け出る義務があり、連絡を受けたワーカーが本人により詳しい情報を提供する。リハビリテーションを受けなければ、サービスを受けられない仕組みになっている。つまり、パソコンを政府から給付してもらいたい視覚障害者は、パソコンを利用するための訓練を受けなければ給付してもらえない。たいへん合理的なシステムである(日本では、役場から給付を受けた機器が押入の中で眠っている・・・という話をたまに聞く)。
個人にとってプライバシーの侵害にならないか尋ねると、サービスが必要なければ断ればいいだけとのことである。サービスを受ける権利があるにもかかわらず、それを知らされないことの方が大きな問題であるということのようである。
今回の訪問では、各専門家や施設ごとにそれぞれの専門性を尊重し、発揮していることが印象的だった。例えば、視覚障害者を発見した医師は本人にリハ施設を紹介し地元のワーカーに連絡する義務があり、ワーカーは本人に情報提供し家族や心理面のサポートをする。訓練施設は決められた期間内に専門施設としての役割を十分発揮するために各スタッフがそれぞれの領域で仕事をしている。
日本でも、全国的に眼科医がロービジョンケアや視覚障害リハビリテーションに目を向け始めている。高知でも、医療と福祉の連携の仕組みを早急に作っていかなければならない。
早朝8時から午後3時頃まで、本当に熱心に情報提供してくださり、多くのスタッフの方からお話を伺った。ホームマネジメント、歩行訓練、木工、コンピュータなどそれぞれの部所で担当の方の熱心な説明を受けた。この施設はたいへん視察が難しいと聞いていたので、短時間の訪問ができるだけでもありがたいと感じていたが、利用者の皆さんと一緒に、ランチまでごちそうになって一同で感激した。
ホームマネジメント 木工作業 パソコン授業
ホテルへ戻った後、濱田・國澤・別府氏の3人で、ニューヨークへ向かうアムトラックの駅までのアクセスを研究する。階段、エスカレーターを使わずに・・・というのは結構難しい。それでも、なんとか経路を確認して、長い1日を終える。
駅へ向かう途中のエレベーターへの誘導サイン
この日はバリアフリー調査を行う。日中は吉野氏・別府氏とは別行動で動き回ることにした。
まず、Rowers Wharfへ向かう。段差があるところには必ずスロープが付いており、障害者もアクセスしやすく、また、近くに水族館がある関係もあり、ベビーバギーが必要な小さい子供連れもたくさん見られた。
スロープ誘導 スロープ 家族連れ多い ここからは、ホエールウォッチングの船が出ている。受付ブースの横にはしっかりと障害者シンボルマークが付いた誘導路も出ていて、障害者も安心して参加できるようになっている。ホエールウォッチングは人気が高いようで、大勢の人だかりがあった。時間の都合で船に実際に乗って試すことができず、実際の船の中のバリアフリー度についてはチェックできていない。
ブース横の誘導路 誘導路全景 徒歩で地下鉄の駅に向かう。ボストンの地下鉄は駅によってアクセサブルかどうかが違い、駅の路線図には身体障害者のシンボルマークによって見分けられるようになっている。
路線図上の表記 サインの説明 専用スペース バリアフリー化としては、スロープ・リフトで対応するものと、車体とプラットホーム自体がバリアフリー化されているものの2種類があるようだった。
スロープ リフト リフト取扱い説明 日本美術が充実していることで有名なボストン美術館へ行く。館内の案内マップに障害者向けのアクセスサブルな経路の案内があるところはさすがでさる。
視覚障害者が美術品を楽しむ場合、視覚によることができていないので、立体作品などについては、作品にふれて楽しむことが一般的である。日本でも視覚障害者が触って楽しめる常設の美術館もあり、企画展は全国各地で行われている。ADA法のあるアメリカにおける現状はどうか、彫刻の前で監視をしている職員に次の質問をした。
「視覚障害のある友達がここへ来たがっているんだけど、彼女はこれを触って見ることができますか。」
答えは一言、「No!」と素っ気なく言われた。
たとえばレプリカを作るとかいろいろ視覚障害者へ情報を提供する方法があると思うのだが、残念である。
ボストン滞在は最終日ということで、篠田さん一家と夕食をご一緒するため、待ち合わせのハーバードへ向かう。
篠田さんからの提案で、雅志くんと一緒に地下鉄でレストランへ向かう。「雅志と一緒に地下鉄に乗ったら勉強になるだろうと思って・・・」という気配りがたいへんありがたい。その前にCDがほしいという雅志くんのリクエストにより街での買い物にお付き合いする。車いすで人混みを抜けていく雅志くんに対し、通りすがっていく人たち、店の従業員など、全ての人が特に気に止めるでもなく、自然に接している。地下鉄プラットホームへはエレベーターで下りていく。強烈な臭い!最悪だ。しかも水たまりがある。でも、雅志くんにはこの経路しかないので一緒にお付き合いする。子供達の会話は基本的に英語だが、このときばかりは、私たちに
「おしっこぉ?」
と日本語で尋ねてくる。「たぶんね・・・」
ホームから地下鉄入口はフラットで車いすでも簡単にアクセスできる。吉野氏のような杖歩行者も簡単に乗り降りできる。地下鉄の中でお兄ちゃんに寄ってきて甘える妹弟が何ともいえずかわいらしい。
地下鉄から下りて、地上へ出ろうとエレベーターに乗ろうとすると故障で動かない。よくあることらしく、駅員をよんで階段を車いすごと担ぎ上げてもらう。子供でしかも自走式の車いすだからそこそこ軽くて良かったようなものの、大人で電動車いすだと大変なことになる。
エレベーターに乗る トラムの中 下車する雅志くん トラム入口 改札を通る 階段を担がれる
駅からレストランまで快走する雅志くん。少しぐらいの段差はへっちゃらでぐんぐん突き進む。あとからついていく私たちは「この段どうやってわたったんだろう?」といいながら追いかけていく。
レストランではご主人も一緒に、楽しく食事をいただいた。篠田さん一家がアメリカで感じたこと、私たちが感じたこと、いろいろ話をさせていただき、ボストン最後の夜が終わった。