(4)ニューヨーク
 ㈰ 1日目(研修8日目)
 ニューヨークへはアムトラックで向かう。飛行機の方が一般的であるが、鉄道の調査も行いたかったので、アムトラックを利用する。2日前に経路を探索しておいたおかげでスムースにホテルから徒歩10分ほどで駅に到着する。窓口でチケットを見せ、ホームの番号を確認する。改札はないのでそのままエスカレーターで地下のホームに向かう。スーツケースがあるので、エスカレーターは少し不便だが、1番ホームにはそれと階段しかないので仕方がない。(他のホームへは有り)
 
駅へ向かうエレベーターの写真
ホームへのエレベーターサインの写真
階段・エスカレーターの写真
駅へ向かうエレベーター
ホームへのエレベーターサイン
階段・エスカレーター

 日本ではホームには必ず、
    1番 10:00発 ○○行き
という掲示があるが、それがない。しばらく待ち、発車5分前に構内で私たちの乗る列車2253号が使用するホームが1番から2番へ変更となった旨の放送がある(もちろん英語、駅の放送は日本同様聞き取りにくい)。吉野氏の「なんかホームが変更になったって言ってるよ。急いで!」という声とともに、大急ぎで向かいのホームへ移動する。しかもエレベーターはない。慌てふためいて移動していると、列車が到着する。
 駅の係員が荷物の移動を手伝ってくれる。手伝いながら、トランシーバーで女4人移動中である旨を連絡してくれている。通りすがりの男性も一緒に重いスーツケースを運んでくれる。困ったときには本当にすぐにどこでも援助の手がさしのべられる。(今回は本当に助かりました。)
 無事、列車に乗ったあと、「聴覚障害者だったらどうするんだ?」という疑問がふつふつと沸き起こる。到着ホームの変更は珍しくないとのこと。掲示もないし、今回のような場合はたぶん乗り遅れてしまう。
 アムトラックは快適。車いすでも乗車可能。トイレも広々としている。
 
トイレサインの写真
トイレ内部の写真
通路の写真
トイレサイン
トイレ内部
通路

 3時間余りでニューヨークペンシルバニア駅へ到着。アクセサブルだが、タクシー乗り場が見つからない。駅の周りをぐるっと一回りしてようやく発見して、ホテルへ向かう。
 ニューヨークでの滞在先はHilton New York。言わずと知れた高級ホテルで、ニューヨーク1の規模らしい。今回は9−11の影響もあり「まぁ、何かあったときのために」とホテルは料金よりも交通の便利さと安全面を強調し手配してもらったため、びっくりするようなホテルにばかり滞在した。このホテルはホテルの巨大さゆえ、出入り口からフロントの位置がわかりにくい。出入り口は3分割の回転ドア。脇に自動ドアも併設されている。特筆すべきはホテル前の歩車道との小さな段差をセメントで埋めていた。段差には黄色にペイントされていた。
 今回もHCルームを1部屋手配してもらう。設備はだいたい今までの2つのホテルと同様で、広いスペース、バスルームに手すりがついていること、シャワーが可動式の蛇口がついていること、トイレの便座が高いことなどの違いが見られた。
 
HCトイレの写真
ノーマルトイレの写真
HCシャワーの写真
ノーマルシャワーの写真
HCトイレ
ノーマルトイレ
HCシャワー
ノーマルシャワー

 荷物をおいてさっそくその辺をチェックしに別府氏と濱田・國澤は街へ出る。ホテルは高級ショッピング街に近く、またクリスマス前の日曜日ということもあり、たくさんの買い物客であふれていた。歩道はもちろん、デパート、高級ブランド店など全てアクセサブル。入り口には障害者のシンボルマークがついたボタンがあり、自力で重い扉があけられない障害者はそのボタンを押して扉を開け、出入りができるよ
うになっている。入ったあともエレベーターを利用してほんの3段程度の段差もクリアできるような工夫がみられる店舗もあった。また、複数の入り口があり、その一部がアクセサブルとなっていない店舗では、ほかの入り口へ回ってもらう表示が適切に出ている所などあり、興味深かった。
 
ブランド店入口の写真
入口誘導の写真
ブランド店入口
入口誘導

       
 夕食に訪れたレストランは、ベトナム料理のお店でとにかく込んでいた。店自体余り大きくなく、入り口も狭い場所だったが、なんとか車いすでのアクセスも可能で、車いすの利用者も訪れており、ほんとうにどこででも障害者を見かけた。


 ㈪ 2日目(研修9日目)

 せっかくのニューヨーク、まちづくり調査をかねて自由の女神を見に行く。地下鉄で行こうとしたが、世界貿易センターの真下を通っていた路線で、途中から行けなくなりタクシーを利用する。
 ニューヨークの地下鉄もボストンと同じく、駅によってアクセサビリティが異なっている。公共交通手段として地下鉄は元気な人、高齢者や女性等はバスを利用しているらしい。ちょうど朝の通勤時間帯の混み合った時間に利用したため、大勢の人が利用しているものの障害者の姿はなかった。新型の列車の中には路線の各駅と現在どこを走っているかわかる掲示があり、アクセサブルな駅には障害者シンボルマークを付けることにより、車内でもアクセサビリティーについて確認できるようになっている。自分がどこにいるかわかるというのも、私たちのような旅行者にとっても安心感があり助かる。車内放送は駅に着いたらその駅名をいうぐらい、異なる路線への乗換駅では、その旨伝えられるというシンプルさである。
 
歩道からの階段の写真
車内入口の写真
車内表示の写真
歩道からの階段
車内入口
車内表示

 タクシーの車内で、世界貿易センターの跡地の前を通る。復旧作業を行うクレーン車や瓦礫の山、たくさんの犠牲者の写真がお供えされているコーナーを見ると、一同胸が締め付けられる思いがする。
 自由の女神のあるエリス島へ向かうフェリーのチケット売場へ到着する。9−11以来テロの危険性があるため、自由の女神には行けないことがここで判明する。(相変わらず、なんの下調べもしていない。)自由の女神の前を通る湾内を一周する遊覧船があると言うことなのでそれに乗ることとする。かなり急なスロープで船内に入るが、吉野氏が登る際には周りの男性が両脇から支えて補助してくれる。船内には優先シートもあり、障害者も安心して乗船できる。デッキへ上る階段は車いすではアクセスできない。ただし、私たちが乗った船には残念ながら吉野氏以外の障害者の姿はなかった。
 
スロープの写真
優先席の写真
スロープ
優先席

 下船後、バスでチャイナタウンへ食事を取りに行く。バスはアクセサブルで階段がフラットになり昇降リフトへ変わる構造である。バスの中は女性(しかもかなり高齢の)が多い。車内では特にアナウンスはなく、視覚障害者は自力ではおそらく下りることはできないと思われる。地理に不案内の私たちは、どこを走っているのかは、地図と通りの名前を確認しながら目的地へ進む。運転手に行きたい場所を伝えていたので、自分たちの下りる場所はちゃんと教えてもらって、バスを降りる。
 
バス入口の写真
階段の写真
稼働中の写真
 バス入口
 階段
 階段からリフトへ

 チャイナタウンは今まで私たちが見てきたアメリカと違い、まさにアジア的な混沌とした世界。まわりはほとんど東洋人で安心感はあるが、歩きにくい。しかも道がわかりにくく、吉野氏を限界寸前まで歩かせてしまった。歩道脇の店舗もアクセサブルでないものが多く、違和感をおぼえた。
 遅い昼食のあと、お疲れの吉野氏はタクシーでホテルへ、残りの3人はまた地下鉄に乗ることとする。地下鉄は自分の降りる駅さえわかっていれば、バスに比べると乗りやすい。この時の駅はエレベーターでホームまで下りることができるアクセサブルな駅だった。
 
地下鉄へのエレベーターの写真
階段の写真
地下鉄へのエレベーター
階段

 翌日の訪問先のLighthouse Internationalの場所を確認しに行く。ホテルから歩いて15分ぐらいの所のニューヨーク市の中心にある。視覚障害者向けの様々な商品を販売する店舗が併設されているが、周りの高級ブランドショップに決して見劣りしないお洒落さで、本当に気楽に入れる雰囲気だった。私たちもどんな商品があるのか興味津々で中へ入り、いろいろと物色した。障害のない人も気軽に利用しており、日本における福祉関係の店につきまといがちの陰鬱とした空気が全くなかったことが印象的であった。
 その後、ぶらぶらしながらホテルへ戻った後、暗くなってからロックフェラーセンターのクリスマスツリーを見学に行く。
 
 

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