㈬4日目(研修11日目)
 世界で唯一の視覚・聴覚の2つの障害を併せ持ついわゆる盲ろう者のためのリハビリテーション施設であるHelen Keller National Center(以下HKNC)へ訪問する。高知県では現在のところ盲ろう者向けの特別の施策は行っておらず、盲ろう者に対する
ノウハウを探るための訪問である。
 ニューヨークから鉄道で40分ほど行った郊外にあるため、駅へ向かう。日本のように毎日同じホームを使うわけではなく、日によってホームが違うため、切符売り場脇にある掲示板で何番ホームかを確認してホームへ進む。だいたい5分前ぐらいにホームの発表がある。この掲示板は天井近くにあるため、弱視の吉野氏には見えない。         
 HKNCのあるポートワシントン駅はアクセサブル。分かりやすい位置にスロープが配置されていた。
掲示板
スロープへの誘導の写真
スロープの写真
掲示板
スロープへの誘導
スロープ

 行き方を事前に問い合わせした際、ここからはタクシーを使うようにいわれたので、その通りにする。ゴルフ場が近所にあるのどかな雰囲気のところに建つ。
 最初にやりとりをしたGeneさんが玄関で待っていてくれた。日本への訪問歴もあるGeneさんは少し日本語も話せる。いきなり「こんにちは、私がGeneです。」と挨拶してくれた。その後、Alison Burrowsさんに今日の予定を教えてもらい、各部署を回っていく。訓練は歩行・生活技術・コンピューターなどがある。
 施設の名称どおり奇跡の人で有名なHelen Kellerのゆかりの施設で、施設内にはたくさんの写真が貼られている。
 この施設でも「訓練の目標は仕事を持つこと」と言われる。しかもいわゆる福祉作業所のような所ではなく、デパートなど一般の職場で働くことを目標とする。盲ろう者とは移動の困難性もさることながら、コミュニケーションの障害が大きい。そのため、盲ろう者を雇用する職場に対し、コミュニケーション方法等の指導を行うこともある。HKNCの中でも数名の盲ろう当事者の職員が雇用され、指導に当たっている。
 仕事をするためにヘルパーをつけることがあるのか訪ねると、基本的にはひとりで働けるようにトレーニングする。この施設でも夏休みのアルバイトの重要性について話をされる。夏休みの8週間程度のアルバイトという働く経験をすることが将来の自立にうまく作用することが多い。アルバイトの受け入れを行った会社がその後正規の職員として雇用することもあるらしい。会議等で通訳が必要なときは、通訳費用は会社が負担する。2000年には10名、2001年には10人の盲ろう者がHKNCを経て就労している。(年間、65名が訓練を受けている)
 仕事を持つことを目標としているが、そのためには当然日常生活や単独歩行の技術を身につけることが前提となる。料理や洗濯等の仕方を学んだり、バイブコール(火事、ドアベル、電話などを振動で伝える)の利用方法を学ぶ。トレーニングがある程度進むと、近所のアパートで実際に暮らす訓練をおこない(必要な場合はヘルパーがつく)、単独での生活への準備をする。
 
整頓された冷蔵庫の写真
調味料入れの写真
バイブコールの写真
整頓された冷蔵庫
調味料
バイブコール

 施設側のご厚意で、実際の歩行訓練を見せてもらう。20歳の盲ろうの男性で知的障害も重複しているケース。聴覚は全ろうに近い状態だが、視覚はかなり残っていて、色も簡単に判別できる。聴覚障害のため言語の獲得がうまくできておらず、コミュニケーションが難しい。文字も読めない。
 訓練は信号の横断方法について。教室で模型を使用し何度も練習後、車で近くのショッピングセンター前へ移動する。駐車場で下車後、信号までの移動も大事な訓練。他の車などに注意しながら歩く。色を確認し何度か信号を渡る。模型での練習の成果もあり、上手に歩行できる。ご褒美にショッピングセンターでアイスクリームを買う。これも大事な訓練。先生にお金をもらって自分で払い、お釣りを返す。
 車でHKNCへ帰ってから、別府氏が持参した折り鶴をお礼にプレゼントする。Vサインを上機嫌でもらってくれた。
 
模型を使用する訓練の写真
信号を待つの写真
横断中の写真
模型を使用する訓練
信号を待つ
横断中
信号を見るの写真
アイスクリームの注文の写真
お釣りを返すの写真
信号を見る
アイスクリームの注文
お釣りを返す

 別府氏は高知県で視覚障害者の生活訓練を行っている。現在県内で活動している訓練士は彼女1人。最初の視覚障害関係の施設Carroll Centerで、自分自身は歩行訓練士という専門職でありながら、英語が話せないことで自分の存在が視覚障害者から認知されないということに大変ショックを受け、なんとか自分の存在をアピールしたいと、名刺用に点字シール(しかも4人分)を作ったり、折り紙を折ったり、夜中まで頑張っていた。この気配り(点字器と折り紙を日本から持参していた)、一生懸命さが吉野氏をはじめとするたくさんの人を引き付けている。
 その後、スタッフトレーニングを行っているSister Bernadette Wynneさんにお話を伺う。HKNCは大人のための施設だが、子供時代から関わっていかなければ特にコミュニケーションの訓練などについて、困難さが増してしまう。そこで、地域の学校、幼稚園、家庭にアプローチし盲ろう児へ訓練を行っている。アメリカでは現在でも、幼少時に家庭内の誰かが、学校に行かない事を選択し、家庭のなかに閉じこめてしまうことがまれに見られるとのことである。
 日本と同様、高齢化に伴い近年高齢の視覚・聴覚の重複障害者が増加している。高齢になって盲ろう者となったものに対しては、特別の援助が必要になってくるのでそういったプログラムを用意している。したがって、HKNCは年齢により21歳まで、21歳以上、高齢者の3つのグループ分けをしている。
 プログラムはコミュニケーション手段を持つ盲ろう者への伝統的な訓練と言葉を学ばず、また社会経験の欠如により他者の手助けがないと生活できない者への訓練の2種類がある。
 世界中で盲ろう者への指導者のための技術指導を行っており、センターでも年に数回セミナーを行っている。盲ろう者への指導はコミュニケーションの問題で、訓練が途切れ途切れになるため多くの技術が必要であるとのことで、毎年大勢の専門職の人が世界中から集まっている。
 ランチをはさんで5時間以上の訪問後、列車で帰る。ニューヨークのペンシルベニア駅で白杖を持った人がいると思ったら、横に歩行訓練を見せていただいた指導員の方がいた。信じられないような偶然で、互いに驚き会うとともに、白杖のシンボルとしての有効性を再確認した。
 アメリカ最後の夜、しかし英語地獄の緊張で、相当疲れていた私たちは近所で食事をした後、明朝4:30の出発に備えて早めに休んだ。
 
 

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