(5)帰国へ
 帰国はニューアーク空港から。サンフランシスコ経由で帰る。チェックアウト後タクシーで空港へ向かう。空港では吉野氏は車いす。車いすの介助者は行程全て有色人種であったのは、人種による職業の棲み分けができているというのはうがった見方であろうか。ニューヨークからサンフランシスコまで6時間あまり、サンフランシスコから関西空港まで12時間、長時間のフライト後関西空港へ到着する。
 
車いすに乗る吉野氏の写真
車いすに乗る吉野氏

 飛行機出口へ車いすの迎えがきて、モノレールの乗り場へ進む。アメリカでは車いすの利用者は全てにおいて優先的に扱われるがいきなり「お急ぎでなかったら、最後でよろしいですか?」の一言がくる。まわりの乗客も我先に突進していく。いきなりの違いに、たいへんなギャップを感じる。
 関西空港で一泊し、高知へ。機内で吉野氏のみに「お飲物はいかがですか」との問いかけがある。おせっかい。後回しなのに特別扱い…不思議な国である。40分弱で高知空港へ到着、2週間の研修を終える。


4 まとめ

 上記のように2週間の研修を終えた。バリアフリー調査ということで、もっと丹念にまち歩きをする予定だったが、吉野氏と行動をともにしたため、移動そのものに時間がかかること及び吉野氏の体に差し障りがあるため思ったより動けなかった。このこと自体が、ADA法により日本よりはるかに進んだアメリカにおける障害者へのバリアの存在を今もなお感じさせるものである。
 しかし、私たちが見ることのできた範囲内でのアメリカは、エレベーター・スロープ、そして車いすで利用可能なトイレがどこへ行っても完備されており、車いす利用者にはどこにでも行くことができた。視覚障害者に対しては、点字や浮き出し文字など触覚を利用した文字やコントラストに配慮したサイン表示が本当に目に付いた。これらの設備は障害者だけではなく、高齢者や子ども、妊婦など全ての人にとって有効な手段である。まちかどやショッピング街でもたくさんの障害者を見かけた。
 日本との大きな違いとして、点字ブロックの問題がある。アメリカでも見ることはできるが、ごく僅かで鉄道のプラットホームなど本当に一部の場所にのみひかれている。
 視覚障害者の誘導手段としては、歩道の中に歩道をつくる例(芝生とアスファルトの素材感の違いにより判別)や、歩道と路面の間にギザギザの溝を付けた異なる素材で注意喚起を行っている。1人歩きの白杖を持った視覚障害者を滞在中、何度か見た関係上、適切な歩行訓練を受ければこのような注意喚起でも十分単独歩行が可能である可能性があり、さらなる検証が必要である。
 
歩道の中に歩道がある写真
歩車道分離の写真

 ハード面での充実に加えて、障害者連れの私たちに必要なときに適切な援助の手が差し延べられた。利用している施設の従業員だけではなく、まわりの一般の方からもたくさんの手助けをいただいた。大げさではない、さりげないちょっとした手助けが行く先々で吉野氏をうれしがらせていた。
 視覚障害者関係の3施設全てで何度も出てきた言葉がIndependent(自立)という言葉である。とにかくリハビリテーションを行うことにより、単独で生活をさせ、仕事を持たせ、社会的・経済的に自立させる施策である。そのための社会的基盤として、アクセサビリティーが確保されているし、リハビリテーションについても充実している。
 日本との違いを一番感じるのは、医療と行政側の連携がとれており、そこから適切なリハビリテーション機関に結びついていることである。特に視覚障害については、障害者は必ずいちどは眼科医を訪れるはずだと思われるが、その眼科医と福祉行政サイドの連携がとれておらず、適切な情報が当事者に届いていない。そして受障した最初の数年間を無為に過ごしてしまい、大事なリハビリテーションが行われず年数を重ねていくケースがよく見られる。医療と行政側の連携をどうとっていくかが今後の最も重要な課題であると考える。
 盲ろう者のリハビリテーションについては、今後高知県でも考えていかなければならない課題であるが、それまでの生活の背景や障害の程度によって必要とされるサービスが異なってくるため、個人個人に応じたコミュニケーション方法について確保し提供することが重要である。


5 最後に

 今回の研修はたくさんの方々のご協力により実現しました。Carroll Centerへ紹介いただいた(社福)日本ライトハウス 視覚障害リハビリテーションセンター 津田 諭氏、Lighthouse Internationalへは特殊教育総合研究所の新井千賀子氏、HKNCへはNPO法人視聴覚二重障害者福祉センター すまいるの門川紳一郎氏のご協力をいただきました。特殊教育総合研究所の中澤惠江氏には多数の貴重な資料を提供していただいたとともに、不慣れな私たちに海外視察のノウハウを説いてくださいました。
 また、ロサンゼルスの島崎加奈さん、ボストンの篠田明美さんとご家族の皆さんにはアメリカで生活する日本人の障害者として、得難い情報をいただきました。特に、篠田雅志くんには、親子ほど歳の違う私たちのバリアフリーモニターとして活躍してもらいました。
 研修の企画段階からアドバイスいただき、研修中も視覚障害者生活訓練指導員としての立場から専門的な解説をしていただいた別府あかね氏へ、そして、研究者として常に私たちへ適切な知識を提供してくださるとともに、何よりご自身が実験台となり障害者との2週間の生活を私たちに体験させてくださった吉野由美子氏に深く感謝いたします。
 
記念撮影の写真

 
 

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