本論文は、高知女子大学紀要第52号に搭載したものである。
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  表題 「中途視覚障害者の自立支援システム構築」をめざす活動から見えてくるもの

                       ー高知県での実践活動を中心にー

 

 

                                         吉野由美子

 

Practice activity for establishment of The Adventitiously Blinded Person`s independence support system   

      ---- focussing practice in Kochi Prefecture  -----

 

 

要 旨

 本稿は、高知県における中途視覚障害者自立支援システムづくりという3年半の実践活動の課程を正確に記述することを第一の目的とする。

 第二の目的は、この実践活動を通して、潜在化しているニーズの掘り起こし方法・新しい専門分野技術の普及・行政機関との連携の取り方について、いくつかの新しい手法を提起することである。

                                  summary

 

 This paper sets it as the first purpose to describe correctly the course of practice activities of three years and a half called the production of a Adventitiously Blinded Person independence support system in Kochi Prefecture.

 The second purpose aims at raising some new techniques about how taking cooperation of special field of study and technology,and how digging up the potentialized needs, and governmental agency through this practice activity. 

 

 

 

 キーワード 中途視覚障害者 自立 支援 リハビリテーション

              視覚障害者生活訓練指導員

 

  KEY WORES Adventitiously Blinded Person   independence

                         support   Rehabilitation

                     Rehabilitation Teacher For Blinded Personttt

   

 

  はじめに

 1999年4月、高知女子大学社会福祉学部に赴任してきた私は、1974年から2年間視覚障害者の相談業務担当者として勤務した名古屋ライトハウスあけの星声の図書館で遭遇し、強烈な印象を受けた障害者福祉上の取り残された課題に、研究者として実践家として、高知県でいつか取り組んで見たいと言う強い思いを持っていた。

 この取り残された課題とは、急速に増加していく糖尿性網膜症や、網膜色素変性症という難病等によって人生の半ばで視覚障害を持つことを強いられ、適切な援助を受けることもなく、社会の中で孤立状態に置かれ、途方に暮れている多くの中途視覚障害者への自立援助システムの確立と言う課題である。

 中途視覚障害者が、適切な援助を受ける機会もなく、社会から孤立し、つらい生活を強いられている状態は、私が名古屋ライトハウスに勤務していた25年前も、現在も、一部の大都会をのぞいては大差のない状態で、高知県も同様の状態であった。

 1999年6月、私は偶然に、日本ライトハウスで1年間の養成研修を終え、視覚障害者生活訓練等指導員[1]の認定資格を取得して高知に戻ってる人が、県盲ろう福祉会館で働いていることを知り、その方に会うこととなった。

 その方によると「歩行訓練や日常生活訓練を希望する視覚障害者が殆どいないと言う理由で、視覚障害者生活訓練指導員としての専門職に就くことが出来ず、今、臨時職員として盲ろう福祉会館の管理事務を行いながら、月に5日ほど、訓練業務に従事している」、「あまりにひどい状態なので、もう辞めたい」とのことであった。

 「視覚障害者生活訓練指導員」と言う専門職は、中途視覚障害者の自立支援システムの中心的役割を果たす重要な存在であるが、そのような専門職があることも一般に殆ど知られておらず、実働している視覚障害者生活訓練指導員の数も全国で250人程度と言われている。そんな貴重な存在が、たまたま高知県にいるのに、行政機関も当事者もそのことに気づかず、生かそうともしないと言うのは、あまりにも怠慢であり、もったいないことであると考え、私は、25年間取り組みたいと思ってきた、中途視覚障害者自立支援システム確立と言う課題に、高知県の現状に見合う手法をつかって取り組むこととした。

 本稿は、高知県における中途視覚障害者自立支援システムづくりを通して、視覚障害者生活訓練指導員の活動基盤を整備していく3年半の課程を正確に記述することを第一の目的とする。

 また、この実践活動を通して、潜在化しているニーズの掘り起こし方法・新しい専門分野・技術の普及・行政機関との連携の取り方について、いくつかの新しい手法を提起することを第二の目的としている。

 近年、県立大学の役割としての地域貢献の重視、県立大学教員の地域貢献活動の重要性が指摘されている中、本稿は、筆者の地域貢献活動の活動記録という意味も持っていることを付け加えておきたい。

 

 

  1  システム確立の必要性を認識するための基礎知識

 (1)高知県という地域

 ●全体状況

 高知県は、面積の80パーセント以上が山間地域で、県民は約81万人、少子化・超高齢化は、我が国でトップクラスのスピードで進行している。所得水準は、沖縄県に次いで低い。中山間地域・過疎・所得水準の低さなど様々な原因が複合的に作用して、障害者・高齢者に対する福祉サービスの整備は遅れ、現在でも福祉サービスの中心は、施設ケアーである。住み慣れた地域で暮らし続けるための在宅福祉サービスの整備は、高齢者分野・障害者分野ともにこれから整備して行かなければならない状態である。人口に占める入院ベット数・社会的入院の率も、我が国で1・2をあらそう状態である。 

 ●高知県の視覚障害者

  高知県には、身体障害者手帳保持者で3712人(2001年度末現在)の視覚障害者が住んでおり(全国にいる視覚障害者は、約30万人、その内65際以上の高齢者の割合が70パーセント以上、中途視覚障害者の割合も、高知県のそれと類似している)、そのうちの約1000人が高知市内に在住している。18歳以下の児童は130名以下と少なく、70パーセント以上が65歳を越える高齢視覚障害者、70〜80パーセントが、人生半ばで視覚障害者となった中途視覚障害者であると推計される。

 視覚障害者に対する判定や相談業務に関しては、県立療育福祉センター相談班(身体障害者更生相談所と知的障害者更生相談所の機能を併せ持つ)がおかれているが、眼科医が雇用されていないこと、地理的条件などで、身体障害者手帳の判定は、地域の指定医に委託され、相談班で直接視覚障害者の現状を把握する機会が少ない。

 市町村役場や福祉事務所等の相談窓口も、非常に希にしか相談のない視覚障害者についての情報がほとんどなく、手帳交付や白杖などの補装具支給に関する最低限の業務を行っている状態である。

 視覚障害者に対する専門機関としては、教育機関としての県立盲学校、高知市の市民図書館の中に点字図書館があり、高知県全域の視覚障害者に読書の機会とともに様々な情報を提供して来た。また、盲ろう福祉会館の中に盲人ホームがあり、盲老人ホームが県内に1カ所ある。

 

 (2)中途視覚障害者になるということ

  視覚とは、われわれが生きていくのに必要な外界からの情報の多くを入手する感覚である。我々人間の眼(視覚)の情報入手能力は、あまりにも優れているため、視覚に障害のない人たちの生活は、ごく自然に、「見る」ことを前提とし、眼からの情報を入手に頼り切って営まれている。それゆえ、その視覚を突然失うか、あるいは非常に見えにくい状態になると、歩行すること・活字を読むこと・食事をとることなど、日常生活すべてに支障を来すこととなる。

 同時に、視覚は他の感覚からの情報を統一し、一つのまとまったものとして認識させる役割を持っている。それゆえ、中途視覚障害者となると、他の感覚器から入ってくる情報はバラバラで統一性のないものとなり、心理的にひどく不安定な状態になる。

 歩けない、読めない、一人で食事もできない、「見えなければ何もできない」と、強い絶望感におそわれて、多くの中途視覚障害者が一度は自殺を考えるほどである。

 「失明したすぐあと、クリームパンとイチゴバンを買ってきてもらって食べたんだけど、どちらもただ甘ったるい味がするだけで、どっちがイチゴかクリームか区別がつかなかったんだ。パンの中にはさんであるものの色が見えないと、味もみんな同じに思えて、友だちにこの話をしたらひどくばかにされたけど」とは、19歳で失明した人の印象的な言葉である。 

 

(3)中途視覚障害リハビリテーションと視覚障害者生活訓練指導員の役割

   ●上記のように、強いショックを受けた中途視覚障害者に対しては、早期の援助(リハビリテーション)が必要であるのはいうまでもないことである。

 この中途視覚障害者に対するリハビリテーションの基本的な考え方は、「基本的には、障害を受ける以前すなわち、晴眼時に獲得した多くの、知識等を含む能力をベースにし、そこに若干の新たな知識等を含む能力を付加して、新しい行動様式を再構成していくことである」で、すなわち、視覚障害があっても生活できるような工夫を積んでいくことから始まる。一般にリハビリテーションとして考えられている「機能回復訓練」とは、考え方を異にし、視覚に頼り切った生活様式から、視覚を使わなくても、あるいは非常に使いにくい視覚をうまく活用出来るように、生活様式を変容していくことであると考えられている。

 中途視覚障害者のリハビリテーションは、基礎的な訓練と教育的部分と職業訓練からなっている。

 基礎的訓練とは、歩行訓練(最終的には、白い杖を使って一人で歩行できるようになる訓練)、コミュニケーション訓練(点字の読み書きの訓練、音声ワープロなどを使ってコミュニケーションの手段を獲得する訓練)、日常生活動作訓練(文字どおり、日常生活のあらゆる場面、洗濯、掃除、料理をつくるなどの所作を、視覚に頼らずに行えるような技術を身につける訓練)からなっている。これらを修了したあと、あるいは、これらと並行し、教育的・職業的リハビリテーションが行われるのが、順当な方法である。残念ながら現在は、中途視覚障害者が基礎的訓練を受けるための入所施設が非常に少なく、また、在宅での訓練提供施設もまだまだ整備されていないため、基礎的訓練を受ける機会が非常に乏しく、多くの中途視覚障害者は、家に閉じこもり無為に時を過ごしている状態である。

  ●視覚障害者生活訓練指導員とは、上記の視覚障害リハビリテーション、特に基礎的訓練の部分を重点として視覚障害者の指導を担当する専門家である。

 視覚障害者生活訓練指導員は、現在、大阪の社会福祉法人日本ライトハウス視覚障害リハビリテーションセンターと、埼玉の国立身体障害者リハビリテーションセンターの2カ所で、厚生労働省の委託による養成講座が行われ、この講座を受講し修了すると認定資格が得られる。

 私が1999年に高知で出会った視覚障害者生活訓練指導員は、日本ライトハウスにおいて、1年間の研修(2001年より、養成課程終了年限は2年となった)を終え、認定資格を受けて戻った方である。

 

 (4)視覚障害リハビリテーションの考え方とシステム化・制度化が我が国に普及しない原因

  視覚障害リハビリテーションの基本的考え方と、中途視覚障害者の早期発見から相談援助・訓練などの課程のシステム化と、施設の整備、専門家としての視覚障害者生活訓練指導員を視覚障害リハビリテーション関係施設に必置する必要性などということについては、関係者の間では語られていることであるが、残念ながら、未だに我が国に普及しているとは言えない。

 その原因としては、1)我が国の障害者福祉は、10年ほど前まで、障害を持った人たちの職業的自立に重点を置いて、施策が進められて来た。その中で、我が国の視覚障害者は自立できる職業として、400年を越える伝統を持つあんま・マッサージ・はり・灸があったため、視覚障害者のリハビリテーションとは、この職域に入れるような教育を受けることで事足りるというように、一般も、視覚障害当事者も考えていた。2)視覚障害者の人数が30万人少しと、肢体不自由者などに比べ少ないため、その要求やニーズが把握されにくいこと。3)視覚障害者特に全盲者に対する、一般の障害像が、神秘的力を持つ一部のスーパーマン的視覚障害者の存在を誇張する一方、「眼が見えないと一人では何も出来ない」という絶望的なものであるため、視覚以外の感覚を駆使して、生活が改善できるという発想を持ち得ないこと。 4)感覚障害者の、ニーズは、他の障害に比べ、つかみにくいこと。などが上げられる。

 なお、視覚障害リハビリテーションの存在や必要性が充分に認知されていない中では、その専門家である視覚障害者生活訓練指導員の存在も専門家としての力量も、一般に認知されないのは必然であり、現在に至るまで、資格の形態も認定資格であり、法的にも、視覚障害関連施設への必置義務ももうけられていない。そのため、上記養成課程を修了し、視覚障害リハに携わろうと志したもの600名以上(過去30年にわたって養成課程を修了した方たちの数)だが、この業務に従事している人たちは、250人以下という状態である。

 

 

  2 基盤確立のための活動にとって重要であると考えた点

 上記1で記述した視覚障害リハビリテーションの我が国への普及度と、中山間地域と過疎・財政難など不利な条件を持った高知県という地域特有の状況を考慮し、視覚障害者自立支援システムの確立を高知県でめざす活動を成功に導くため、前提としなければならない考え方は、下記の通りである。 

 1 視覚障害リハと、視覚障害者生活訓練指導員の仕事内容についての広報啓発活動が重要である。

  2 ニーズの掘り起こしについて

     1)中途視覚障害者の相談・援助・訓練に関するニーズは多くあるが顕在化していない

          2)「あったら良いな」という願望がほんとうの意味でのニーズになるには、サービスをつかって見て、便利さを実感して、はじめて本物のニーズとなる

          3)上記2)と高知県の地理的環境、視覚障害者の移動に対するハンディを考えた時、出前でのサービス提供がニーズ掘り起こしのカギとなる。

  3 高知県のように貧しく、新しい社会資源の開拓が望めない所でのシステム造りは、医療・福祉・教育など関連専門職種の行政の枠を越えた連携によってしか成り立たない。 

  4 今までいなかった新しい分野の専門家(視覚障害者生活訓練指導員)が、受け入れられるには、保健師・介護支援専門委員など既存の専門家が、生活訓練指導員を実際使って見て、その専門家を有用なものと認めなければならない。

 

 

  3 1999年度と2000年度の活動とその成果

 (1)マスコミなどを使っての広報・啓発活動 

 幸い、当該視覚障害者生活訓練指導員(生活訓練指導員と略す)は、若く魅力的な女性であり、いわゆる「歩行訓練士」の仕事の珍しさと相まって、新聞・テレビ・ラジオなどに取り上げられるチャンスが多かった。報道内容は、1年目は、「どうして歩行訓練士になったの」などというものが多かったが、2年目になると、訓練事業そのものにスポットが当たるようになり、中途視覚障害者の現状やケース事例などを通して訓練事業の啓発をおこなうことが出来るようになった。特にラジオは視覚障害者にとって有益な情報源であると考えたので、ラジオのインタビュー番組への出演を心がけ、実際にラジオを聞いての問い合わせも出てくるようになって来た。

 また、家に閉じこもっている中途視覚障害者や、病院のベットの上で途方にくれている中途視覚障害者に情報を発信するためと、他の専門領域の方たちに、生活訓練指導員の仕事を理解してもらうため、当該生活訓練指導員自らが、積極的に理学療法士会・作業療法士会・眼科医師会などの会報に、視覚障害リハビリテーションについての原稿を登載させていただいたり、視能訓練士の勉強会に参加したりした。

 

 (2)視覚障害リハの専門家を招いての講演会活動など 

 1999年10月に、「視覚障害リハビリテーション講座・社会参加と自立を考える会」を高知市障害者福祉センターのリハビリテーション講座の一環として開催していただき、視覚障害当事者15名を含め、約60名の参加者があった。また、2000年2月には、高知県療育福祉センターの専門家向け研修会の一環として、「眼科医師関連職員研修会」を開き、眼科スタッフ10名を含め68人の参加者を得た。尚、この研修会から、弱視メガネに造詣の深い地元業者の協力を得て、視覚障害者向け機器展示を行った。

 2000年12月に「ロービジョンケアーの実際を学ぶ」、2001年3月には「高知県の視覚障害者自立支援システムの構築をめざして」と言うシンポジュームを企画し、両方とも、170人以上の参加者があった。 

  これらの研修会を開くにあたり、予算がなかったこともあって、既存の研修プログラムの中に位置づけてもらう努力をしたり、なるべくいろいろな所に広報を行うこと、そして、機器展示に際して、地元を初め、全国の業者に出展を依頼するなど、こまめな努力が実り、研修会を行うごとに、参加者人数が増えるだけでなく、他職種・他領域とのネットワークが広がっていくのが手に取るように分かった。 

 

 (3)巡回相談と勉強会

 上記したように、高知県は、面積の80パーセント以上が山間地域で、東西に細長い三日月のような地形である。このような地理的条件のため、中心部との情報格差がひどく、また、視覚障害者の移動に対するハンディキャップも大きいため、高知市での啓発活動や、講演会・機器展示会などだけでは、他地域の視覚障害者のニーズを掘り起こすことは、不可能であると考えた。

 そこで、2000年度からは、高知県療育福祉センターが実施している巡回相談事業の一環として、出張相談会と勉強会を行うこととした。高知県療育福祉センター更生相談班(身体障害者更生相談所)では、年に何回かの巡回相談を行っていたが、眼科医や、視覚障害者生活訓練指導員などの視覚障害に関する専門家が雇用されていなかったために、視覚障害に関する巡回相談は、それまで行われていなかったのである。その部分を補う形で、巡回相談を企画実施した。

 2000年度の実施場所は、野市町、奈半利町、佐川町、吉川村、土佐市、土佐清水市、中村市の7ヶ所で、視覚障害当事者への相談を行うだけでなく、便利グッズの展示や、午後には、地元保健師・在宅介護支援センター職員・障害福祉課の職員などを対象に「視覚障害についての勉強会」をおこなった。

 

 (4)2年間の活動成果について

   表1 視覚障害者生活訓練指導員の2年間の活動実績

 

  1999年度

 訪問訓練 53回

 訪問相談 11回

 巡回相談  0回

 講習会   6回

  計     70回

 

  2000年度

   訪問訓練 84回

  訪問相談 44回

  巡回相談  7回

  講習会  36回(20)

   計  171回

 *( )内は土日、年休での活動

 注 表1は、別府あかね他「視覚障害リハビリテーション啓発活動」 第10回視覚障害リハビリテーション研究発表大会論   文集登載のデータを筆者か表形式につくりなおしたもの

 表1の通り、視覚障害者生活訓練指導員が業務を開始した、1999年度と、2000年度を比べると、特に、訪問訓練、訪問相談に著しい増加がみられ、啓発活動の効果が現れている。

 また、1999年度の終わりには、高知市内で歩行訓練や日常生活訓練を希望する視覚障害者が増加し、そのことを高知市が評価して、2000年4月から視覚障害者生活訓練指導員の、人件費を0.5人分負担出来るような予算措置を行った。その結果、2000年度から、当該生活訓練指導員は、「視覚障害者自立生活支援事業」に専念できることとなったのである。 

 

 

  4 県職員提案事業への提案とその結果 

  (1)職員提案事業への提案

 1999年までは、県の実施していた「視覚障害者生活訓練事業」の予算は、年60万円(1ヶ月5万円)であった。なぜこのような状態であったかについて、今確認するすべはないが、「この事業に対するニーズがない」と言う言葉につきるのではと、容易に推測できる。

 そこで、この2年間、マスコミの取材を受けたり、先進地域から講師を呼んでの研修会を行ったり、高知県療育福祉センターと巡回相談に出たりと、あらゆる機会を利用して、視覚障害リハと視覚障害者生活訓練指導員の仕事の中身を県民全体に理解してもらえるよう活動を行って来た。その経過は、上記した通りである。

 県・市とも視覚障害者生活訓練指導員の必要性を認め、その活動を高く評価してくれるようにはなったが、生活訓練指導員の資格が認定資格であって、法律上生活訓練指導員を視覚障害関連施設に置く根拠がどこにも明記されていない状況。県の財政状況が厳しく、既存事業の見直しなどの厳しい状況の中で、この事業に対するこれ以上の予算措置は、所管課の理解と、担当職員の方たちの熱心な努力だけでは、とても望めない情勢であった。

 そこで、県職員提案事業に応募することで、この事態の打開をはかることとした。

 県職員提案事業とは、「県の施策に様々なアイディアを導入すると同時に、県職員の政策立案能力を高めること」をねらいとして、橋本県知事が1997年から行っている施策で、毎年7月に募集があり、県職員であれば、どんなテーマについても自由に応募することができる。知事は、約1億円の独自裁量予算を持ち、県職員から提案のあった事項については、書類に目を通すだけでなく、すべてヒヤリングを行って、有用と認められた提案が採択される。

  提案内容は、下記の通りである。

 

 ルミエール(フランス語の光)プランの提案

   ー福祉・教育の枠を乗り越え、高知県の視覚障害者の生活の質向上をはかる事業ー

 1 提案理由 

  高知県には、現在4千人を超える視覚障害者が暮らしておられるが、その7割が、65才以上の高齢視覚障害者で、人生半ばで視覚障害者となった中途視覚障害者が、全体の8割以上を占めている。視覚障害者への教育・福祉サービスは、従来幼い頃に障害者となった人たちに適したシステムであったため、急速な高齢化と中途視覚障害者の増加に対応出来ない状態である。そのため、中途視覚障害者は、生活の維持・歩行・生活訓練などの基礎的リハビリテーションサービスを充分受けない状態で、職業自立を目指して盲学校に入学することが多く、又、糖尿病などを原因とする障害者は、腎臓透析などの重複的な様々な障害をもっていることが多いため、従来通りの教育的なアプローチだけでは、充分な成果を望むことは出来ない。一方、県が福祉サイドから行っている「視覚障害者生活相談・訓練事業」は、この1年徐々に充実してきているが、ハード、ソフト面とも決定的に不足している状態である。

 この状態を打開するため、盲学校の豊富なハードと教育実践から出た視覚障害者に対する指導技術と福祉サイドのもっている、様々な福祉サービス、生活相談や歩行訓練、日常生活訓練などのノーハウを有機的に合体させることによって、高知県在住の視覚障害者の生活の質を大幅に向上出来ると考える。

 

 2 事業の達成目標

 視覚障害者、家族、その方たちに関わる保健師、看護婦、介護支援センター職員などが、福祉の窓口、教育の窓口など、どの窓口からアプローチしても、必要な情報が提供され、満足のいく適切なサービスを受けられるようなネットワークを造ることを最終目標として、本事業は、その第1段階とし、下記の事業を実施する課程で、異職種の方たちが相互に充分な情報交換と理解が出来ることを目標とする。

 

  3 事業の内容

     (1)盲学校の一般に開放可能な空き教室を利用し、本プランで購入する拡大読書機、弱視用レンズなど、光学的機器をはじめ、視覚障害者用の便利なグッズを展示し、県の視覚障害者、家族 関係者が自由に閲覧・試用出来るようにする。

    (2)盲学校の解放可能な教室や本プランで購入した機器類を活用し、盲学校教員・視覚障害者生活訓練指導員・研究者などを講師とし、保健師、看護婦、ホームヘルパー、介護支援センター職員など、視覚障害者と出会う専門家を対象に、視覚障害者への理解を深め、処遇技術などを紹介する講座を開催する。

    (3)本年度、療育福祉センターで行った視覚障害者巡回相談事業を拡大し、障害福祉課、障害児教育室・盲学校教員、視覚障害者生活訓練指導員、研究者等が(2)の機器類をバスに乗せて、県内の遠隔地、中山間地区など、高知市に出て来にくい所に、年3−4回出張し、視覚障害者の出前相談、専門家に対する出前講座を開催する。

    (4)視覚障害者に対する自立支援事業先進地域から講師を招き、講演会を開催する。

  (5)上記4つの事業などを円滑に進め、相互理解を深めるため、県障害福祉課に調整役をお願いして、連絡会議(事例研究会のような形式張らない会議)を開催する。

会の構成は、県障害児教育室・障害福祉課・療育福祉センター・盲学校教員・弱視学級担任・視覚障害者生活訓練指導員・保健師など・研究者(吉野)などとする。

 

  4 視覚障害者生活訓練指導員の人件費を県で一人分保障すること

 上記プランを円滑に運営し、充実したものにするためには、視覚障害者のリハビリテーション専門家である「視覚障害者生活訓練指導員」が、高い専門性を発揮し、教員や他の専門職と対等な立場にあること、当プランに充分な時間がさけることが必要不可欠の条件であるので、県は、「視覚障害者生活相談・訓練事業」内容を拡大し、「遠隔地巡回相談」「啓発活動(2年後に迫った、全国障害者スポーツ大会のサポーター、ボランティアの養成も重要となる)」などの要素も加え、視覚障害者生活訓練指導員を専門家としての身分保障のもとに、一人分の人件費を保障するべきである。

 

 5 必要費用について

  視覚障害者生活訓練指導員人件費 400万

 展示品購入費など                200万

                計600万程度

       注 提案文章が長いため、一部を省略した。

 

 

 (2)採択された提案事業の概要

  ルミエールプランは、「教育と福祉がその枠を乗り越え、連携して視覚障害者の生活の質を向上させる」と言うアイディアを、知事に認められ、採択されることになった。  応募から採択決定までに5ヶ月以上の期間を有するので、その間に、県・市の視覚障害者訓練事業に関わる情勢も変化していった。所管の県障害福祉課の担当者たちが、その変化に柔軟に対応してくれ、また、県障害児教育室などの広範な協力を得て、プランは、「教育と福祉の連携」という言葉にふさわしい、充実した内容となった。

 それは、下記の通りである。

1)盲学校の利用可能な教室に視覚障害者用の機器や便利グッズを常時展示し、  自由に試用出来るようにする。

2)視覚障害者用機器や便利グッズを持って、県内をまわり、当事者に見てもらう  だけでなく、家族や専門家に対する啓発活動を行う。

3)視覚障害者生活訓練指導員の給与水準を、常勤公務員行政職の水準とする。

4)盲学校の教員を、日本ライトハウスで実施している研修(3ヶ月)に派遣する。また、その間臨時教員を盲学校に配置する。

5)視覚障害者に対する自立支援事業先進地域から講師を招き、講演会を開催す  る。

6)本支援事業を円滑に運営するとともに、視覚障害者リハに関わる専門家のネットワークを構築することを目的として、関係者の連絡会議を開催する。

 

 (3)提案事業採択が与えた二つの好影響について

 職員提案事業採択が、今後の高知県中途視覚障害者自立支援システム造りに与えた好影響についてまとめると、その第一は、視覚障害者生活訓練指導員の給与水準を人並みのものとして保障することが出来たことである。給与水準の保障は、今後高知県で必要が生じれば、優秀な視覚障害者生活訓練指導員を安定的に確保することを可能にし、視覚障害者生活訓練事業の永続性を保障する基盤が出来たことになる。   

 第二は、盲学校の教員が、3ヶ月のリハ研修に出ることで、教育の立場で視覚障害者リハビリテーションを理解することのできる、教育と福祉の世界の架け橋となれる人材を養成でき、教育と福祉の連携を確かなものに出来ることである。

 

 

  5 職員提案採択後(2001年度以降)の活動

 (1)視覚障害者向け常設機器展示室「ルミエールサロン」の活動

  150万という貴重なお金で購入した視覚障害者向け機器を、有効に活用するため、ルミエールサロンの運営方針を以下のように定めた。

 1)展示品選定について  

 職員提案事業は単年度事業で、事業遂行のために組まれる予算も単年度限りのものである、また、展示品購入額が150万円であること、展示品を見に来る人たちの多くが、高齢中途視覚障害者であることが予想されたこと、品物の説明がしやすいことなどを考慮して、展示品は、視覚障害者に紹介し、少しのアドバイスで、すぐ日常生活に役立つ比較的安価なものを中心にした。パソコンのハードや音声化ソフト・拡大読書機や弱視レンズなど高額なもので、しかも技術の進歩に応じて、新しい機種などがどんどん出てくるものについては、最低限度のものをそろえて、その他については、地元業者の協力を得て一時的にサロンに貸し出してもらったり、年に1〜2度は、大きな視覚障害者向け機器展示会を企画して、そこで見てもらうことを考えた。

 2)必ず機器の説明をしながら見てもらうこと

 実際に機器を自由に触り試用することは、視覚障害者が正しいもの選びをする条件として欠くことが出来ないが、その条件が整っただけでは、決して充分だとは言えない。特に、視覚障害という障害の特性や、視覚障害者のための機器について殆ど知識のない中途視覚障害者や家族・関係者の方たちにとっては、それらについてのきちんとした説明がなければ試用することも出来ないのが実情であろう。このような実情をふまえて、機器などの正しい情報の提供が視覚障害リハの大切な要素であるという前提に立ち、ルミエールサロンを見たい方たちには、必ず予約をしていただき、視覚障害者生活訓練指導員を初め、視覚障害リハに関わる専門家が、必ず機器の説明をすることにした。 

 3)サロン設置の成果について

 ルミエールサロンは、2001年6月15日にオープンしたが、それから、2002年10月末までに、約250名の利用者があった。視覚障害当事者・家族の利用者がもっとも多かった。その方たちにとっては、展示品を見ることによって、補装具や日常生活用具選びのヒントとなり、また、視覚障害者向けの新しい商品の情報入手のチャンスとなった。 また、教育関係者・行政職員・ソーシャルワーカー・ヘルパーなど多方面の方たちが研修の機会としてサロンを訪れ、「視覚障害者のためにこんなに多くの便利な道具があること」・「便利グッズを使い工夫を行えば、視覚障害者の生活も豊かになること」などの理解を深めることに役に立った。 

 それと同時に、「あることは知っていたが、はじめて来てみて、思ったより明るい所ね」・「授業で体育や習字もやるのね」など、サロンが設置されている盲学校に対するイメージの変革にも役に立った。

 「私たちの所にもこれぐらいの便利グッズおいてあるけれど、こんなに活用されていないわね」と、視察に来たある県の行政担当者が漏らしていたが、この言葉が「展示しっぱなしにしない」という方針でやってきたルミエールサロンの成果のすべてを物語っていると考える。 

 

 (2)巡回相談と依頼機器展示

 1)巡回相談の定例化

 2000年度に引き続き、高知県療育福祉センターの事業の一環として2001年度には、室戸市・西土佐村・安芸市・窪川市など6カ所で巡回相談と勉強会を行った。また、2002年度は11月までに、南国市・宿毛市・土佐清水市・奈半利市などで、6回の巡回相談と勉強会をを行い、年度中に佐川で後1回の巡回相談と勉強会を行う予定で、視覚障害者向け巡回相談と勉強会は、県療育福祉センターの事業として定例化するようになった。

  この定例化した巡回相談と職員提案で採択された「出張機器展示」が2001年度からはセットで行えるようになったため、潜在化していた視覚障害者、特に中途視覚障害者のニーズ掘り起こしに大いに貢献することにになった。

 すなわち、長期に視覚障害の状態に置かれ、あきらめきっている人たちは、「困ったことがあったら相談に乗ります」と言われても、「困ったこと」を認識することも出来なくなっているのであるが、「視覚障害者向けの機器を見に来る」と言う目的で、機器を見、生活訓練指導員や私が、機器の説明をし、「新聞を見る」・「孫の写真を見る」など、今まで出来なかったことが出来る可能性があると認識する中で、「そういえば、こんなことにも困っているのだが、良い解決法はないか」と、新たなニーズを提示してくるようになって来るからである。

  2)依頼出張機器展示

 職員提案事業採択に伴い、2001年度には、保健所・難病連絡会・点字図書館

など、県下10カ所、徳島県2カ所から「難病の網膜色素変性症交流会」や「市の健康福祉祭」などに、出張機器展示の依頼があり、県障害福祉課・療育福祉センター職員とともに、出張機器展示を行った。健康福祉祭などでの出張機器展示では、一般向けにロービジョン(弱視)の疑似体験を行いながら、見えにくいと言うことや、視覚障害者向け機器について理解を深めるよう工夫した啓発活動を行った。また、網膜色素変性症の交流会などでは、巡回相談と同じく、当事者向けの相談コーナーも設け、ニーズの掘り起こしに努めた。

 

 (3)視覚障害リハ先進地域から講師を招いての研修会の開催

 2001年度は、療育福祉センターの研修会予算の他、職員提案で採択された予算も使い、下記の通り4回の研修会を実施した。

616日(土)「視力に心配のある子どもたちへの支援について」

 講師:香川スミ子(聖カタリナ女子大学講師)

719日(木)「視覚障害者向けパソコン研修に関する講習会(援助者向け)」

 講師:岡田弥(日本ライトハウス)

1015日(月)「盲導犬体験会」

 講師:日本ライトハウス 中村徹外2

3 10日(日)「視覚障害者の自立支援は病院から」

 講師:山田幸男(信楽園病院内科医)

 覚障害者生活訓練指導員(別府氏)

 県教育委員会障害児教育室1名 県立盲学校教員2名 

 安芸保健所保健師1名 

 視能訓練士(視能訓練士の勉強会から1名)

 高知市元気いきがい課(視覚障害者訓練事業担当保健師) 

 高知市障害者福祉センター(ソーシャルワーカー、ピアカウンセラーなど)

 高知市点字図書館職員   (4)連絡会の開催とネットワーク構築

 「『ルミエールプラン』をを円滑に運営するとともに、視覚障害者リハに関わる専門家のネットワークを構築することを目的として、関係者の連絡会議を開催する」と言う、提案主旨に基づいて開催された連絡会議のメンバー構成は、下記の通りである。

 高知女子大学(吉野)

 県療育福祉センター1名 県障害福祉課事業担当者

  連絡会は、全体で4回行われた。

 ●5月に開かれた第1回連絡会議では、自立支援事業の全体像説明と、盲学校に設ける常設機器展示室(ルミエールサロン)におく機器や便利グッズの希望を聞くこと

 ●8月と1月の第2回と3回の会議においては、事業の進捗状況報告や、講演会講師の選定、新しく購入する機器の希望取り

 ●3月に行われた第4回会議では、1年間の総括がそれぞれ中心議題であった。

 この連絡会議は、自立支援事業の円滑な運営にとどまることなく、回を重ねるごとに、上記メンバー間の情報交換と忌憚のない意見交換の場となっていった。このような行政や職種の枠を越えた専門家同士のつながりの必要性が徐々に認められるようになり、2002年度も県障害福祉課が事務局となって、継続されることとなった。

 連絡会議継続は、中途視覚障害者の自立支援システム造りの核となりうる可能性を秘めていると、私は考えており、提案事業が採択されたことでの、大きな副産物と考える。

 

 

  6 3年半の活動の成果と今後の課題

 (1)成果について

 2で述べた活動に際して前提とした考え方に従って、視覚障害者生活訓練指導員の働く基盤づくりを中核とした、中途視覚障害者自立支援システム構築に関わる、約3年半の実践活動の成果については、下記の表2が、雄弁に表している。


 

  表2 2001年度視覚障害者生活相談・訓練実績総合表 

 

 

 高知県

 

  高知市

 

 その他

 

 合計

 

 

 訓練

 

 47

 

   36

 

 

 83

 

 

 

 

 相談

 

  

 

   16

 

 

 24

 

 

 

 

 ルミエールサロン

 

 18

 

   22

 

  120

 

160

 

 バリアフリー関係

 

  16

 

   13

 

    10

 

  39

 

 研修

 

  29

 

    

 

   10

 

  42

 

 

 

 

 巡回相談

 

   

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

124

 

   90

 

   140

 

 354

 

 

 

 注1 表2は、視覚障害者生活訓練指導員(別府あかね氏)の平成13年度実績報告書飼料のデータを、筆者が加工したものである。

 注2 表中のルミエールサロンとは、ルミエールサロンの機器の説明、機器購入の相談などの業務を表す。バリアフリー関係は、建築物への点字ブロック敷設や、町づくりなどでの視覚障害者に対する配慮などについての相談や助言を意味する。その他は、相談などの依頼が高知県・高知市以外のもの(例えば国土交通省)を表す。

 

 表1と比較してみると、活動実績の数量的比較において、2001年度は、2000年度の2倍以上になっているが、それ以上に目立つのは、仕事の依頼者・活動内容の広範囲化であろう。

  視覚障害者生活訓練指導員の活動実績の数量的増加、特に訪問訓練・訪問相談の増加は、

潜在化していた中途視覚障害者(先天の方も含めて)のニーズの顕在化のバロメーターであると考えられる。また、数量的増加とともに、仕事の依頼者・活動範囲の広がりは、他の専門家や行政担当者などが、視覚障害者生活訓練指導員の専門性を認め、中途視覚障害者(先天の方も含めて)の自立支援システムの中核的存在として、認知したことへの証拠であると考える。

 

 (2)今後の課題

 中途視覚障害者の自立支援を効果的に行う上でのカギは、中途視覚障害者が、視覚障害をもってから、なるべく早期に、またスムーズに、医療のみの援助から、視覚障害リハビリテーションの分野に移行することである。この移行をスムーズに行うためには、医療分野と福祉分野との連携が欠かせない。

 上記したように、この3年半の様々な活動を通じて、福祉と教育の連携は、その基盤が出来つつあるが、医療との連携については、まだまだこれからの段階である。医療との連携を構築するため、今までの活動のどこが不十分であり、今後どのような工夫が必要であるか、分析し、今後の活動方向を模索する必要があろう。

 また、中途視覚障害者自立支援システムの中での、福祉と教育との連携も、まだまだ、人と人とのつながりの段階を出ていない。行政担当者も教員も常に人事異動の可能性があるので、人が変わっても維持できるシステム造りは、これからの大きな課題となろう。

 

 

終わりに

 (1)活動の前提とした考え方について  

 1)この3年間半の活動を通して、高知県における視覚障害者生活訓練指導員の仕事量   の5倍の伸び、仕事依頼者・活動内容の広範な広がり状況を見る時、筆者が、中途視覚障害者自立支援システム構築と言う活動の前提とした考え方はほぼ正しかったと考える。

 2)県職員提案採択から、その後の活動についての県障害福祉課などの行政担当者との学びあいを通して、この考え方に、5番目を付け加える必要があることを、筆者は学んだのである。

      5 自立支援システム造りには、行政担当者の理解を得て、活動に参加してもらうことが絶対的に必要である。

      5の1 行政担当者を予算獲得と予算執行時の対応の専門家と考えるべきである。

      5の2 障害者福祉各分野の専門家は、障害者福祉担当行政官を、障害者福祉については、何の知識ももっていない、他分野の専門家と考えて、その他分野(地方行政における予算獲得専門家)に理解される言葉を用い、福祉上の潜在化しているニーズについて説明し、予算獲得の必要性を納得させなければならない

      5の3 行政施策は、現実的な枠組みの中でつくられるので、新しい社会資源づくり(システムづくり)の要求は、行政担当者を納得させるだけの現実的ものでなければならない

 

  (2)筆者の研究者としての課題

  高知県における中途視覚障害者の自立支援システム構築のための実践活動は、県立大学教員として、地域貢献活動としての意味は大きかったと考える。

 しかしながら、障害者への援助方法の一分野としての視覚障害リハビリテーションについての研究者と言う視点から見ると、

 1)活動の前提となった考え方とその実践は、高知県と言う地域独特の様々な条件下で成り立ったものであって、その内のどの部分が、視覚障害リハビリテーションシステムの他地域への普及という観点から普遍的な手法となりうるかは、今後厳密な精査が必要である。

  2)中途視覚障害者への個別援助方法についての研究は、まだ手もついていない状態である。

 これら研究者として残された課題については、高知県における中途視覚障害者の自立支援システム造りと言う、実践的課題に取り組みつつ、今後とも筆者が向かい合って行かなければならない課題である。

 

 最後に、本稿は、筆者が第10回・第11回視覚障害リハビリテーション研究発表大会論文集に登載した論文他2編を論旨に沿って、統合・加筆したものであることを付け加えておきたい。

 

 

  参考文献

1)トーマス・キャロル著 樋口正純訳 「失明」 日本盲人福祉委員会   

2)「視覚障害リハビリテーション」第54号 日本ライトハウス 2001年6月発行

3)日本ライトハウス21世紀研究会編 「日本ライトハウス80年の歩み」 

  日本ライトハウス 2002年10月

 

 

補足資料

  ルミエールプランの予算と決算

 ●事業予算と決算

   ●予算

(1)      常設機器展示

 盲学校の利用可能な教室を利用し、視覚障害者用の便利グッズを展示する。

(予 算)需 用 費       200,000

     備品購入費      1,300,000

(2)      視覚障害者自立支援に関する研修会開催

 視覚障害者に対する自立支援事業の先進地域から講師を招き、研修会を開催する。

(予 算)報 償 費    100,000

旅   費    150,000

需 用 費     50,000

使用料及び賃借料 154,000

(3)      視覚障害者生活訓練指導員人件費

(予 算)委 託 料   3,440,000

(4)      盲学校教員視覚障害リハビリテーション研修会派遣

 盲学校の教員を1名、視覚障害リハビリテーション研修会へ派遣し、盲学校における生活訓練・歩行訓練の体制の充実を図る。

(予 算)

旅   費  457,000千円

負 担 金  100,000千円

 

 

●決算 

  表 ルミエールプラン決算報告 (2002年3月31日現在)

 

 

 

予算額

実績額

差額

 

 

職員提案分

通常分

職員提案分

通常分

職員提案分

通常分

常設機器展示

 

1,212,000

288,000

1,500,000

1,102,444

294,000

1,396,444

109,556

-6,000

103,556

 

需用費

150,000

50,000

200,000

187,035

50,000

237,035

-37,035

0

-37,035

 

備品購入費

1,062,000

238,000

1,300,000

915,409

244,000

1,159,409

146,591

-6,000

140,591

研修会

 

454,000

0

454,000

305,942

0

305,942

148,058

0

148,058

 

報償費

100,000

 

100,000

100,000

 

100,000

0

0

0

 

旅費

150,000

 

150,000

153,967

 

153,967

-3,967

0

-3,967

 

需用費

50,000

 

50,000

0

 

0

50,000

0

50,000

 

使用料及び賃借料

154,000

 

154,000

51,975

 

51,975

102,025

0

102,025

人件費

 

448,000

2,992,000

3,440,000

448,000

2,984,272

3,432,272

0

7,728

7,728

 

委託料

448,000

2,992,000

3,440,000

448,000

2,984,272

3,432,272

0

7,728

7,728

盲学校教員派遣

 

557,000

0

557,000

462,640

0

462,640

94,360

0

94,360

 

旅費

457,000

 

457,000

362,640

 

362,640

94,360

0

94,360

 

負担金

100,000

 

100,000

100,000

 

100,000

0

0

0

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2,671,000

3,280,000

5,951,000

2,319,026

3,278,272

5,597,298

351,974

1,728

353,702

 



[1]  歩行訓練や日常生活訓練など視覚障害リハビリテーションに携わる専門職の呼称はまだ統一されていない。厚生労働省では、「視覚障害者生活訓練等指導者」要請課程と称している。本論文中では、「視覚障害者生活訓練指導員」と呼ぶこととする。

 

2 引用文献 芝田裕一編著 「視覚障害者の社会適応訓練第2版」  社会福祉法人日本ライトハウス視覚障害リハビリテーションセンター 1994年