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2007年2月の記事一覧

2007年2月22日

これだから大井手さんとの付き合いは止められない

  今朝大井手さんから連絡があって、手配をお願いしていた現地でのリフレッシュコースの担当者が見つかったということであった。
  リフレッシュコースとは何かというと、私のように1年も2年も海に潜っていないダイバーが受講して、ダイビング機材のセッティングの仕方を確認したり、潜り方を思い出したりするコースのことである。

 ダイビングがバブルといえるぐらいのブームだったときは、あちこちのプールでリフレッシュコースが開催されていて、大きなツアーに行く前に受講すると安心して潜れるという状態であったのだが、ブームが去って、プールの使用料も上がって、ほとんど開催されなくなっていた。ということを私が知ったのは、「長いこと潜ってないので、東京でリフレッシュコースをうけてから行きたいけど」と大井手さんに相談を持ちかけたときであった。

 「プールでのコースなんてやっていませんよ」といわれて、上記の事情を知った私。「え!困ったな、長いこと潜ってないし、不安だな」
 けれどやってないなら仕方がないので、あきらめることにした。

2007年2月20日

ダイエットの後は

  スミランクルーズに行くと決めた昨年12月の末からダイエットを始めた。
  最初は、正月休みを利用して、リンゴダイエット、二日間リンゴだけを食べて、2キロ近く落としたが、新年会でちょっとつきあったらすぐに戻ってしまって不成功。
  仕方がないので、レトルトの糖尿病食とマイクロダイエットでカロリーコントロールしながら地道に体重を落としていくことにした。

  2月に入って、成績をつけたり、論文を書いたりするのが一段落したときに、ハリウッド48時間ミラクルダイエットというのを使って、合わせて3キロ体重を減らした。
  このミラクルダイエットというのは、二日間果物を中心に調合されたミラクルダイエットのジュースだけ飲んで、いわゆるミニ断食の状態にする方法である。
  この二日間のミニ断食を、1週間おいて2回して、そしてようやく60キロを少し割る程度になった。

2007年2月18日

永遠の課題ーダイエット

  私がダイビングに行こうときめたときの体重は、なんと65キロ。身長132センチの私の体脂肪率は、昨年12月人間ドックではかったとき、58パーセントという信じられない数字になっていた。だから、ダイビングに無事行けるかどうかの最大の課題は、体重と体脂肪率を減らすこと、すなわちダイエットである。

  なんでダイエットがそんなに大事かという理由はいろいろとあるが、まず第一に、ダイビングの際に着用するウエットスーツを着られるようにしなければならないということである。

2007年2月17日

1年4ヶ月ぶりのダイビングに心弾ませて

  度々書いているように、私の趣味はスキューバーダイビング、東京都を辞め、大学院に進学し、都立大の助手になり、高知に来るというように、仕事や住むところが変わっても、1年に1度は何とか時間を作って潜って来た。

  でも、2006年は、仕事もとても忙しく、第二次の更年期だったのだろうか、私の体調も精神状態もひどく不調、そして母が大腿骨を骨折したことも重なって、1度も潜りに行くことができなかった。
  潜りに行けなかったのは、1年だけであったが、さっきログブックを調べるまでは、2年以上潜っていないと思いこんでいたぐらい、私にとって、ダイビングできなかった1年は、ストレスだったようである。

  さっきまで2年も潜っていないと思いこんでいた私は、このままでは、私の生活の中から、大切なダイビングが消えてしまうのではないかと言う焦りを感じ、何が何でも近いうちに潜りに行くぞと決めたのは、昨年の12月半ばであった。

2007年2月 7日

  昨日は、盲学校の直面している現実のことについて書きました。0歳児から中途視覚障害者の教育までを期待され、しかも視覚障害者の人数が少ないためと、重複障害児が増加しているために、視覚障害単独の盲学校ではなく、複数の障害児の教育を担当する特別支援学校(総合養護学校)になって行っている所もあります。視覚障害児〈者〉に対する教育や福祉の専門性といったものが保たれるのか、私はとても危惧しています。

  こんな厳しい現実にさらされて四面楚歌の盲学校、でもその中で、ユニークなアイディアを駆使して、その現実に立ち向かおうとしている方たちもいるのです。
  岐阜盲学校長は、その1人です。
  もう少し、そのことを書きましょう。

2007年2月 6日

  昨日は、第8回視覚障害児早期教育研究会の会場になった岐阜盲学校のすばらしさと、このすばらしい設備を実現するために、岐阜盲学校の校長先生や、関係者の方たちがどんな努力をしたかを書いたところで、真夜中を過ぎてしまったので、書くのを止めたのですが、今日は、その研究会の中身の話と、そのことから私が考えたことを書きたいと思います。

  研究会二日目は、朝から「視覚障害乳幼児期からの医療との連携とは」と題するシンポジュームが行われたのですが、そこでは、最近の医療の著しい進歩の中で、妊娠23週、あるいは22週のいわゆる超未熟児といわれているこどもの命を救うことができるようになってきたこと。それらのこどもたちは、非常に高い確率で障害を持つ可能性があること(障害はいくつも併せ持つ可能性がある)。そして、このような超未熟児の発達や、その支援の仕方についての方法は、まだまだ確立されていないことなどが語られました。

  又、これらの未熟児たちが保育器を出て、両親の元で生活できるようになるには、1年から1年半もかかり、その間両親から引き離されているこどもと親との関係の構築の難しさ、「助かっても障害が残ります」といわれた親たちの不安をどう支えるのか。そして、重い障害を持ったこどもたちを育てる親たちの子育てをどう支援するのかなど、沢山の問題点が浮き彫りになりました。

2007年2月 5日

 ブログ休止宣言をしてから10日あまり、まだ書かなければならない論文は残っているのだけれど、どうしても書きたいことが出て来たので、コンピューターの前に座りました。

  先週末、第8回の視覚障害児早期教育研究会に参加するため、会場になっている岐阜盲学校に行きました。名鉄岐阜駅からタクシーに乗り込む時に、「岐阜盲学校分かりますか」と聞くと運転手さんは、「大丈夫地図を見れば分かる」というので、何となく半信半疑でそのタクシーに乗り込んだのですが、やっぱり地図だけでは分からないようで、あちこち迷って、「ここが盲学校です」という所につきました。

  私は、5年ほど前に講演で岐阜盲学校に来たことがあるのですが、その時の建物は古くて、正面玄関も狭かったという記憶がありました。所が「ここですよ」といって運転手さんが車を止めたのは、新しくて立派な建物の前。

  「え、違うでしょう」と私は、いって、なかなかタクシーを降りませんでした。
  しかし、そこが正真正銘盲学校の建物でした。「どうしてこんなにきれいになってしまったの?」

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