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2006年11月の記事一覧

2006年11月29日

【写真:いも天】
写真は、いなり寿司と間違えて買ってきた「いも天」
  今日は、何となく時間の調整が上手く行かなくてお昼ご飯を食べ損なってしまったので、大学への道すがらタクシーを待たせてコンビニに飛び込み、いなり寿司とインスタント味噌汁を買って、授業に行く前に急いで食べようとしました。

  研究室で、いなり寿司の包みを開けて「あれ!」と絶句してしまいました。
  私がいなり寿司だと思って買ってきたものは、なんと高知名物のいもの天ぷら(いも天)だったからです。
  いなり寿司といも天、茶色いところや、形も良く似ているのですが、それにしてもショックでした。おなかはすいているし、時間もないので、いも天を食べてお茶を飲んで、とにかく授業に行きました。

  ロービジョンの私は、この手の間違いを良くやるのです。ものを拡大するメガネをかけて、じっくり見ればこんな間違いはしませんが、急いでいたり、「これがそうだ」と思いこんでしまっていると、とんでもないミスをします。
  この辺が、ロービジョンと言う障害のやっかいなところです。特に私ぐらい(矯正視力0.2)の視力があると、日常生活は無難にこなしているように周りには見えるのですが、細かい部分はちゃんと見えていないので、道で知り合いに会っても挨拶もできなかったり、「この人は私の知っているあの人だ」と思いこんで親しそうにしゃべったら、全然違う人だったり、鏡を使って広く見せているお店などでは、もっとおくがあるのだろうと思って、鏡にもろにぶつかってしまったり。デパートの一枚ガラスのドアは、何もないように見えて、入ろうとしてがしゃんとやったり。

  こんな風にいろいろと奇異な振る舞いをするので、ロービジョンの人は、結構誤解されることが多いのです。
  ほんと、やっかいな障害です。
  いも天は、とてもおいしかったですが、さすがに腹持ちは悪いので、夕方には今度は巻き寿司を買って食べました。

2006年11月28日

カード今日の母
左の写真 母の誕生日に介護の職員の方がつくってくれたカード
右の写真は、今日の母(うとうととしています)

  先週末は、東京に出張、昨日は、夜遅くまで会議があって、今日もまた、授業と夜の講習会の合間をぬって母の所に行きました。

  病室に入って行くと、ちょうどリハビリの方が母の足をさすっていてくれる所でした。「お母様25日誕生日だったんですね」と言われ、消灯台の上に置いてある誕生日カードを指し示されて、そうだったと、私は、突然母の誕生日を思い出しました。
  母は、この25日で86歳になりました。

  母は、足をさすられながらうとうととしていて、なかなか私に気づいてくれませんでしたが、何度か呼びかけると目を開いてこちらを見て、分かったようでした。
  「ゆっくり話してくださいね。」と言ってリハの方が帰った後、またひとしきりうとうととしていましたが、目を開いてこちらを見たタイミングに「お母さんいくつになったの。もう86歳だよね」と私。でも、まだはっきりしない様子でした。

  「ねえ、来年でお父さん死んでから12年経つんだけど13回忌って来年やるんだったっけ」と私。
  実は、忙しさや何やかにやで、父の7回忌は、すっかり忘れていて、あっと思った時は、もう過ぎてしまっていたと言う、そんな苦い経験をしていましたし、父の13回忌までは見届けたいと、いつか母が言っていたことを急に思い出して、うとうとしている母にそんな質問をぶつけて見ました。
  そうしたら、意外にもはっきりと「そう、来年やらないとね」と言う返事が戻って来て、とても驚きました。

  そんな短い母との会話の後、またうとうとと眠ってしまった母。
  「ああ、こういう風に徐々に弱って行くんだな」と母の顔を見ながら考えている私。

  帰り際にまた、リハの担当の方に会って「だんだん意識がぼんやりして行くんですね」と言ったら、「私もできるだけ声をかけて見ますね」と言ってくださいました。
  そう、私ももっと来て、母に声をかけて刺激を与えて、と、そう思う一方で、87歳になって、長いこと病気と闘って、このまま穏やかに、違う世界に旅立って行ってもらいたいと言う、そんな気持ちも動きました。

2006年11月23日

これこそノーマライゼーション

  昨日、仕事仲間の視覚障害者生活訓練指導員と、キムチ鍋をつつきながら四方山話をしました。明日は休日です、気がついたら午後10時になっているほど、話が弾みました。

  その人曰く「吉野さんのブログ、視覚障害のある方が、パソコンの音声ソフトを使ってインターネットから情報を得ることのトレーニングに使っています」とのこと。「音声でのアクセスビリティーが良いので、使いやすい」とのことでした。
  そうか、良かった、このプログをデザインしてくださった方が、いろいろな所でアクセスビリティーに気を使ってくださったことにまず感謝をしました。だって、これでも視覚障害者にとって住みやすい社会をつくろうと言う活動をしている私ですから、まず、ほっとしました。

  「でも、見た目はちょっと間延びした感じがしない。見だしの所を1行開けると、随分行と行の間が空いてしまうし、目で見るとかっこよくないね」と私が言うと
  「文字が相当大きいので、文章全体が画面に入りきらないし、しょっちゅうマウスでスクロールしないといけなくて面倒ですね」と、相づち。

  「それと、論文などを掲載しようと思ったとき、いちいちテキストデータを打ち込んで、図や表を整え直したりすると、面倒だしかっこわるいし、PDFファイル形式(雑誌などをそのまま、画像などの形で掲載するやり方)で掲載したら楽なのだけれど」と私。
  「それはやめてくださいね。PDFは、すべての音声対応ソフトで読めるわけではないし、視覚障害のある人からは批判も強い」と相手。

  「そうね。でもアクセスビリティーを高めようとすると、面倒だし、かっこも良くないね。見栄えという意味では、若い人などには受けないしね」と私が言うと。
  「でも、普通に見えてる人は、面倒だけど、マウスでスクロールしたり、見るためにいろいろな手段が使えますよね。でも、音声しか使えない人には、この形が良いわけで、その方法しか利用できない人に会わせることが重要ですよね」と相手が言った。

  「普通に目が見える人にとって、ちょっと不便だったり、手間がかかったり、かっこわるくても、それしか利用できない人に合わせる」。そうだこれがノーマライゼーションと言う考え方が現実の形となった社会なのだ。と私は、気づいた。
  ノーマライゼーションと言うのは、「こども・働き盛りの人たち、高齢者・障害者の誰もが、住みやすい社会を目指すこと」であるから、そうなると、当然のことながら、一番物事にアクセスしにくい人が、アクセスできるようにすることなのだ。

  今朝目が覚めて、なぜか一番最初に浮かんだ考えがこんなことだった。ノーマライゼーションの実現には、手間がかかり、みんな少しずつ我慢しないといけないのだ。なぜか妙に納得してしまった。

私もばりばりの団塊の世代

  休日の朝は、布団の中でもこもことしているのが私は、たまらなく好きだ。もこもこしながら、枕元のテレビのスイッチを入れると、NHKが休日の番組編成で、9月23日に嬬恋で行われた、吉田拓郎を中心にした9時間コンサートの特集をやっていた。
  何となく見ている内に、どんどんその世界に引き込まれてしまった。

  吉田やかぐや姫の歌を聴きながら、なぜか涙も出てきた。
  初めての点字受験生として、1969年に大学を受けたとき、「トイレに一人で行ける」などと、学力以前の質問をされて、屈辱的な気分になったこと。
  東京都に障害者雇用枠で就職したが、最初から仕事をさせるつもりのない上司の下で「窓際族」となって、「私が今辞めてしまったら、障害者と言うのはこんなものだと言われてしまうから、3年はがんばらなきゃ」と毎日思いながら出勤した何年か。
  どうしてもこのまま一生を終われないと思って、安定した東京都を辞めて、40歳で大学院に進学したこと。歌を聴きながら、そんなことが次々に頭に浮かんで来る。
  
 画面に映っている人たちも、みんな私と同年配、髪に白いものが混じって、ちょっと皮膚がたるんでいて。でもみんな楽しそうだ。
  私も、ばりばりの団塊の世代。「意固地でつきあいにくい」と他の世代の人たちからは言われながら、でも結構がんばって来たなと思っている私である。

  本当は、今日やらなければならないことが一杯あるのだが、今日は、すてきな完全休養日になりました。
  所で、コンピューターのことについての説明これで間違ってないだろうか。また、吉田拓郎はこれで良かったかしら。コンピューターはただのユーザーだし、漢字には自信がないので、もし変なことを書いていたら、どなたか指摘してください。

2006年11月21日

携帯で写した母の顔母の写真2枚目
(携帯のカメラで撮った今日の母)

  1週間ぶりで母の顔を見に行きました。
  先日、私が母に会いに行った時は、時間が短かったせいか、私が会いに来たことも覚えてもらえていなかったし、ここのところは、熱が出たりして体調も良くないせいか、ほとんど話もできていなくて、会いに行くのが何となくつらくなっていました。

  所が、「体調まあまあだそうです。喉の痛みだいぶましだそうです。今日は頷くだけでなく声に出してお話してくれました。」と、午前中母を訪ねてくれた友人からのメールが届いていたので、もしかして、今日は少し話ができるのかなと期待しつつ、病棟に入って行くと、母のリハビリを担当してくださっている方がめざとく私を見つけて「ここのところ、体調が悪くて、ベッド上で体を動かすことも、やっと出来るようになりました。今日は、珍しくご自分の方から話をしてくれましたよ。早く行ってみてあげてください」とのこと。

  急いで母の病室に行くと、鼻腔栄養で食事中、とても良く眠っていたので、「ああ今日も空振り」と思いながら、「お母さん」と声をかけると、目を開いて「今 朝?」と問いかけて来ました。
  「夕方の5時」と私が答えると、「そう」と言って、また目を閉じてしまいました。これで終わりかなと思いながら、のどが渇いていたので、もってきたペットボトルからごくごくとお茶を飲んでいたら、「随分飲むのね」と突然母が言って、それからひとしきり、年賀状の注文の時期になったことや、私が歯を抜いたことなど話が弾みました。

  1時間ほど母の所にいて、「そろそろ帰るね」と言うと「気をつけてね」と言ってくれました。
  母と私が高知に来て、もう8年になろうとしていますが、高知でのほとんどを母は病院や老人ホームで暮らしていて、私が会いに行って、そして帰るときにはいつも「気をつけて」と言ってくれていました。
  今日は、久しぶりに昔に戻ったみたいで、ちょっぴりうれしい気持ちになりました。

2006年11月20日

この論文は、日本眼科紀要57巻4号272-277ページに登載したものを転載許可を得てブログ上で公開したもの

        高知県の実情に適した連帯づくりをめざして

               高知女子大学社会福祉学部
                 吉野由美子

和文要約

 本稿は、視覚障害者生活訓練指導員を中心とした各専門機関・専門家の連帯を軸とした、高知県での「視覚障害者自立支援システム」構築過程を記述したものである。

和文要旨

 キーワード ニーズ 視覚障害リハビリテーション ロービジョンケア 連帯 

1999年以前の高知県では、歩行や日常生活訓練などの視覚障害リハビリテーションやロービジョンケアについての情報がほとんどなく、理解もされていなかった。そのため、それらに対するニーズも顕在化していなかった。
 ニーズがなければ、そのニーズに対するサービス提供システムを造り出すことはできない。そこで、啓発活動を通してニーズの掘り起こしからはじめなければならなかった。
 同時に「県職員提案事」などを活用し、盲学校などの既存の社会資源を活性化し、視覚障害者生活訓練指導員という専門職を他の医療・福祉教育分野の専門職の人達に理解させる活動を行った。
 これらの活動を通して、ニーズが掘り起こされ、社会資源が活性化し視覚障害者生活訓練指導員を軸にした、医療・福祉・教育関係者の連携が広がり深まりを見せつつある。

2006年11月18日

  1週間ほど前からブリッジにしていた古い虫歯がうずき始めた。実は、この歯、今年の4月にも痛むようになって、掛かり付けの歯医者さんに行ったのだが、その時「支えにしている歯の骨が歯周病にやられているので、抜いて新しく作り直さないとだめです」と言われていた。

  歯をかぶせるのに使ったのは、今はやりのセラミック、他の歯の色と変わらない白で、ちょっとおしゃれで金額も高かった。「つくってからまだ2年ほどしか経っていないし」、抜いて作り直せば、またお金もかかるし。などと考えている内に、とりあえず痛みもなくなったし、「様子を見せに来てくださいね」と言われていたのに、何となく歯医者に行くのがいやで、足が遠のいてしまった。
  半年間は、何事もなく痛みもしなかったので、ドクターはああいったけど、収まってこのまま行くのだろうと、淡い期待をかけていたが、1週間前から、ごまかしようもなくなり、ついに今日診察を受けに行った。

  行くとすぐにレントゲンを撮って、半年前の写真と比べながらドクター「あっ半年前にはあった骨がすっかり溶けてしまっています」「随分歯周病進んでしまったですね。ちゃんと来て消毒していればここまで進まなかったのに」と言う。骨がなくなっているのは、目の悪い私でもはっきり分かった。「抜くしかありませんね」と言われ、その場で抜いて、そして、今麻酔が切れかけて少しずつ痛み始めている。

  ドクター曰く「痛みがなくても歯周病はすすみますよ」「治ったわけではないのですよ」と。私は、歯周病のこの性質を知っていたが、日常痛みがないのと、お金のこともあるし無視していたのだ。そして、「抜く」と言う最後の言葉を聞きたくないので、医者を避けていたのだ。

  私の父は、糖尿病が原因で亡くなったが、素人の私が見ても、症状がひどくなって、どんなに医者に行くように進めてもなかなか行かなかった。今になって思えば、「糖尿病」と最終的に宣告されるのがいやで、また不安で病院を避けていたのだろうと。この何日かの私の気持ちも同じようなものだった。ただ、私の場合は、お金が惜しいと言う、ちょっぴり欲張りな気持ちだったのだが。

  病気の症状がきつければ、手当しなければいけないという気持ちになるけれど、歯周病をはじめ、私の角膜の病気や緑内障も普段は症状がほとんどない。けれど、メンテナンスは常に必要なのだが、日常の忙しさにかまけ、忘れてしまう。いや、忘れたいのかもしれない。そして、結局ひどいことになる。
  
  障害と言うのも、ある意味で慢性の病気と似たようなもの。メンテナンスが必要だが、続けてするのは難しい。そして最後には、ひどいことになるのである。
  抜いた傷口が痛み始めたので、今日は、これで終わりにする。

2006年11月15日

  今日は、母の入院している病院の近くで三つも会議がありました。会議と会議の間に1時間半近く時間があったので、午後3時頃母の所をのぞきました。
  点滴は、もうしていなくて、「気分はどう?」と聞くと、「まあまあ」との答えでした。「寒くない」、「大丈夫」との答え。20分ほど母の枕元にいて、ナースステーションに立ち寄ると看護師さんから「熱が下がって落ち着いて来たので、ベッドサイドでのリハは、開始できそうです」とのこと。「良かった」と思い、あわただしく次の会議に駆けつけました。

  所が夜家に戻り、メールをチェックしたら、私の後で母の様子を見に行ってくれた友人から
 「体調はまあまあだそうです。吉野先生お出でていましたか。とお聞きすると来ていないと言っていました。寂しそうでした。聞かなかったら良かったと反省しています。」とのこと。

  あーあです。枕元にいた時間が短かったからか、私のアピールが悪かったのか、「ちゃんと話してくれていたのに」とがっかり。
  次は、もっと長くいて、アピールしなければ。

  とにもかくにも、母の熱が下がって、尿の濁りも取れて、少しずつでもリハが開始できるようになって、ほっとしている私です。

2006年11月13日

 昨日、5日ぶりに母に会いに行きました。抗生物質の効果と、病棟の皆さんのケアのお陰で、母の熱は下がりましたが、尿に濁りがあって、水分バランスも悪いとのことで、水分の点滴が行われていました。

  5日ぶりに会った母は、「気分は悪くない」」と言っていましたが、何となくさえない表情で、すぐにうとうとしてしまい、ほとんど話もできませんでした。「どんどん体力が落ちて行くんだな」。私はとても不安になり、老いていく母に何もできない自分の無力さから、病棟から逃げ出したくなる気持ちにじっと耐えていました。

  そんな気分でいた時に、ウエルパ高知のブログを読みました。
  そこには、公立なのにすばらしいケアをしている特別養護老人ホームのことがあり、経管栄養になってしまった人にも食べられるようになるかもしれない「ソフト食」のことが書いてありました。「母ももう少し元気になったら、もしかして」と言う、そんな希望が出て来ました。

  母はがんばっているのです。私が弱気になってあきらめてはいけないと気を取り直して、見守って行きたいと思います。

 2006年12月9日(土)に行われる特別講演のお知らせです。
 下記をクリックすると、案内チラシを読むことができ、印刷も可能です(PDF)。
2006年12月9日の講演会について

2006年11月 9日

  昨日私が書いた日記に、早速ウエルパ高知の下元さんからコメントがあり、またブログにも関連の記事が掲載されました。それを見て、私なりに考えたことを書きたいと思います。

  リハビリテーションという言葉の定義は、一般社会の障害者観の変化と人権意識の高まりの中で、大きな変遷を遂げて来ました。詳細は略しますが、障害者を鍛えて、経済的に自立できるようにするというのがリハビリテーションの目標であった時代から、約40年を経て、国連の障害者行動計画の中でのリハビリテーションの定義は、三つの大切なことを提起しています。

  1 リハビリテーションの4つの分野とその役割分担
    医学的・教育的・職業的・社会的リハビリテーションがあること

  2 リハビリテーションは、障害をもった個人が新しい人生を踏み出し送るために有用な手段を提供すること

  3 リハビリテーションとは時間を区切ったプロセスであるべきこと

  1は、リハビリテーションが、機能回復のための運動療法というような狭いものではなく、「全人的復権」を支える広範囲の営みであることを表しています。
  2と3は、それまでのリハビリテーションが、ともすればいわゆ専門家が障害者本人の人生設計や意志を無視して、勝手に目標を決めて、だらだらと無制限に訓練を繰り広げて来たことへの強い反省から出た定義である。
  たとえば、「あなたの目標は歩けるようになること」と専門家が決めて、来る日も来る日も歩く練習をするが、訓練を受けている本人にとって、「なんのために歩く必要があるのか分からない」「どこへ歩いて行くのかの目当てがない」、まるで歩けるようになるために生きているような、かつての福祉施設の中で行われていたリハビリとは、こんなものだったことに対する、反省なのです。

  所がこの「時間を区切ったプロセス」という部分が、誤解されているのか、利用されているのか、医療財政の危機と結びついて、「この症状には半年」などのようになってしまったように、私には思えるのです。

  昨日の日記で紹介した方は、とても活発に活動し、充実した人生を送っておられますから、姿勢を直して、将来の体への悪影響を防ぐために、時間を割くのかどうか、それは、私には分かりませんが、少なくとも、そのような方法があり、場所があるべきだし、セラピストからきちんとしたアドバイスを受けるべきだと思います。
  その上で、セラピーを受けるのかどうかは、本人が決めることでしょう。でも、今は、アドバイスを受けることも、セラピーを受ける場所もありません。
  それは、上記のリハビリテーションの定義に反することだと思うのです。
  時間を区切ったプロセスという真の意味を、皆さんもう一度考えて見て欲しいです。
  
  私の角膜はだいぶ弱ってきていて、眼圧のメンテナンスも重要になってきています。仕事柄、私の回りには、沢山の専門家の方がいて、いつでも適切なアドバイスをしてくれます。それで今も、20年前とそれほど遜色なくハードワークをこなしていけているのだと思っています。
  障害と共に年を重ねていくすべての人たちが、適切なメンテナンスを受けられるようにするべきだと思います。

2006年11月 8日

1 母の熱が下がったこと

 昨日と今日は、夜遅くまで会議があって母の所には行けないことがわかっていました。熱のことが気になって、電話で確認しなければと思っていた矢先、母の所を訪問してくれた友人から、こんなメールが届きました。
  「熱も下がり36度6でした。今朝から寒いのでまた車椅子に乗った際に使っていた小さいひざかけやまたカーディガン、靴下があったらいいかと思います。表情はよく話しをしてくれました。よろしくお願いします。」

  私は、仕事のために、高齢の母を高知に連れてきてしまった親不孝者だけれど、高知で福祉の仕事の中で知り合った仲間が、母のことをこんなに親身に考えてくれるようになって、高知に来て良かったと思うし、福祉の仕事をしていて良かったと思っています。そして、母の熱が下がって、ほっとしました。

2 中年になったら本当に仕方がないの

  夕方、ある会議で40歳を過ぎている脳性マヒの方に会いました。
  久しぶりに会ったその方は、前屈みになって、足を引きずるようにして、ひどく不自然な格好で歩いていました。「大丈夫ですか、きつくないですか」と思わず私は、声をかけ、「医学もリハビリも随分進歩しているから、歩く姿勢の改善ができるのではないですか」というと、その方が「背筋も弱くなったし、年だからこんなものでしょう」と答えました。

  脳性マヒの方は、中年になると、無理な姿勢のために沢山の二次障害が出てくると聞いていましたが、それは随分前の話で、きちんとリハビリを受ければ、そんな風にはならないとも聞いていました。
  本当に「年だからしょうがない」のでしょうか。何か方法はないのでしょうか。だって、あんな不自然な姿勢をしていたら、内臓にだってひどく負担がかかると思うし。
  どなたか良い方法をご存じだったら教えてください。

3 地域の人がトラブルを相談する所がない

  夕方の会議は、障害者福祉関係の会議でしたが、その中でこんな意見が出ました。
  「近くで暮らす障害者の人と、トラブルがあって、どう上手くつきあって行けば良いか、どう対処して良いか分からない健常者が、そのことを相談する窓口がない」「障害者をどう理解すれば良いか、どうすれば上手くつきあえるか教えてくれる所が欲しい」
  なるほど、障害者やその家族が困った時の相談窓口は不十分ではあってもありますが、地域の障害のない方たちが、近所の障害者との関係をどのようにしていったら良いのかを相談に乗ってくれる所というのは聞いたことがありません。
  こういうところ、必要だなと思いました。

2006年11月 6日

サイトワールド展示会場風景
 (写真は、11月2日のサイトワールド展示会場風景)

  2006年11月2日から3日間、東京の墨田産業会館サンライズホールで、「サイトワールド」という視覚障害者向けのイベントが開催されると聞き、私は、向学のために参加することにした。

  「世界初の視覚障害者向けイベント」と案内チラシの上に書いてあったが、あまりピントこなかったし、たいした期待もなく、11月2日の開場間際に産業会館のエレベーターの所に行った。
  そこには、どこからこんなに集まってきたのだろうと思うほどの視覚障害当事者と、ガイドをする人たちがいて、私は、度肝を抜かれてしまった。
  展示会場は、上の写真のごとくごった返し、クーラーが効かないほどの熱気でむんむんしていた。出展業者・団体は、38。拡大読書器・音声パソコンソフト・ロービジョン用グッズ、点字プリンターなど、まさに視覚障害者の機器の見本市といった感じで、どのブースにも人が群がり、ゆっくり話もできない状態であった。

  展示会場の上の階では、学会・音楽演奏・講演会・音声解説付き映画の上映などの多彩なプログラムが行われていた。

  とにかく視覚障害当事者の数が多いのにびっくりした。主催者のお話では、3日間に配る予定でつくった500部の点字プログラムが、初日の午後3時には完売していて、どうやって増刷しようかと大騒ぎ。どうも関東一円から当事者が集まっているようで、地域の盲人会がバスを仕立てて、団体で来ている様子も伺えた。

  良く見ていると当事者の方たちは、中高年の方が多く、幼い頃からの視覚障害者で、ロービジョンというよりも全盲に近い方たちが多いように思われた。

  とにかく、この動員力には感動し、機器の説明を受ける人たちの熱気にも感動したのだが、何か強い違和感を感じ、今日までそれがぬぐえないでいるのである。
  このすばらしい動員力、展示物の多さと新しさ、この熱気、どれをとってもさすがだと思うのだが、それでもどうしても釈然としない。なぜだろう!!

  今でも、その違和感の原因が全部分かった訳ではないが、今一つだけいえるのは、会場にいる方たちが、本当に視覚障害者の世界の関係者ばかりで、とても閉ざされた世界だと感じたからだろうということである。
  主催者の方たちのねらいの一つは、一般の方たちへの啓発ということなのだと伺った。第1日目の風景を見る限り、その点においては、成功だったとはいえないのではないだろうか。

  高知の片田舎で、視覚障害者の福祉やリハビリ活動を行っていて思うことは、高齢の中途視覚障害者が多いことだ。その人たちは、自分から行動したり情報を入手する力が弱い。このサイトワールドに来ている視覚障害者の方たちとは、随分層が違う。自分で動いて情報を入手できず孤立している人たちに情報を届けようとするなら、地域の保健師や、ホームヘルパーや、病院・施設の職員の方たちを介するしかないと私は思っている。
  サイトワールドでは、そういう他分野の専門家がいなかった気がする。

  もちろん視覚障害当事者向けのこのような会を行う意義はとても大きいだろうし、東京などの都会でなければできないことだと思う。けれど、3日の会の内、1日ぐらいは、いわゆる視覚障害のことを何も知らない人たちに向けて、もっと開かれた催しにして欲しいと切に願う次第である。

  サイトワールドを企画なさった実行委員の方たちは、近々反省会を行うと伺っている。どうぞ、古い視覚障害の世界だけを対象にしないで、もう少し違う状況、違う対象のことも見ていただきたいと望む次第である。

  福祉の仕事の中で知り合った友人が、何人かでことあるごとに母の様子を見に行ってくださっては、何かと私に報告を入れてくれます。今日の朝もメールで
 「吉野さん一昨日からお熱がでています。今朝は37.7度です。抗生物質の点滴を明後日までするそうです。尿路感染かもしれないと言っていました。早く治るといいのですが」

  この週末は忙しさにかまけて母の様子を見に行かなかった私、急に不安になってしまって、あわてて様子を見に行きました。
  不思議ですね。私はどちらかというと薄情な方だと思っていて、普段はあまり母のこと気にしていないのですが、「熱が出た」などと聞くと、突然不安になったりして。これが親子の情とかいうものなのでしょうか。
  枕元に行ってみると、いつもより少し疲れたような顔をしていましたが、それほど気分も悪そうでなかったので一安心しました。

  看護師さんも「冷やしたらお昼過ぎには、37度5分まで下がりました」といってくれました。
  所で、母は、骨折した後、おむつ交換が頻繁にできないので、膀胱にカテーテルを入れて、尿をとっています。もう6ヶ月近くになります。
  大腿骨の状態が安定したので、カテーテルを抜いて、自力で排尿するようにトレーニングするかどうかについて、主治医の先生も大変迷っておられました。おむつ交換が頻繁になれば、母の負担がひどくなるし、また自力で排泄するためのトレーニングも内臓に負担をかけるからということでした。

  「カテーテルを入れていると、尿路感染が起こりやすくなります」ともいわれていました。母は、この11月で86歳になります。母にとって何が良いケアーなのか、すごく難しいなと思いました。

  こんな風にこれからもいろいろなことが起こり、気持ちが揺れながら、1日1日が過ぎて行くのだなと思っています。早く熱が下がると良いのですが。

2006年11月 4日

  3ヶ月前から準備してきたこのページを正式に公開する前に、私の親しい友人に見てもらい批評してもらいました。

  最初に言われたのが「白地に黒のデザインの方が読みやすいよ」ということ。

  実は、このデザインにしたのは、これが見えづらい(ロービジョン)の人には、とても見やすいからなのです。見えづらさをかかえている人たちのほとんどが、まぶしさを嫌うのですが、白い紙のようなものは、反射がきつくて眩しいので、それだけで見えづらい人たちは、すごく読みづらいのです。
  次に見えづらい人を悩ますのは、コントラストが悪いことです。たとえば白い地にピンクとか薄みどりとかで書いたようなものは、見た目にかわいくて穏やかで良いのですが、ひどく読みづらいのです。

  そこで画面の反射をおさえて、コントラストを強調すると私のページのようなデザインになります。私もロービジョン、アクセスビリティーは、私のブログの大切なポイントなので、このデザインにしました。

  所で、ちょっと話が飛ぶのですが、ロービジョン者がものを拡大して見るための拡大読書器という機器があります。この機器には便利な機能がついていて、白黒反転で画面を表示することができるのです。そこで、拡大読書器の使い方説明の時に、ロービジョンの人に、黒白反転した画面を見せて、「この方が見やすいでしょう」と聞くと、最初は「いや、白地に黒の方が良い」といいます。そこで、それはそのままにして、少し時間が経ってから、「この方が見やすいでしょう」というと、「そうですね」と答えが変わって来るのです。
  私たち、白に黒の文字にならされているので、その方が見やすいと思いこんでいるのが、その原因のようです。

  黒地に白い文字、コントラストはっきりさせて、福祉関係の施設などの標識のデザインに応募すると良く落選します。黒い地でコントラストくっきりは、なかなか世の中の理解を得られないようです。

  でも、私のページはこのデザインで行きたいと思います。内容を充実させますから、おもしろがって読んでくれている内に、きっと慣れてもらえると思います。

  拡大読書器のことを詳しく知りたい人は、インターネット福祉機器展視覚・聴覚ブースを見てください。
  黒に白でなくても、濃い色の背景に白い文字でコントラストを上げただけで、ずっと読みやすくなったサイトがあります。ウエルパ高知のサイトが、つい最近その工夫をしたようです。のぞいて見てください。

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